第一次世界大戦中盤(1917〜1918年)
1917年 ― 世界の再編と極東の静かな膨張
ロシア革命と極東の動揺
ロシア本土では二月・十月革命が連続して発生し、帝政は崩壊。
ただし、極東はすでにロシア本土と切り離されており、
樺太全島を支配する蝦夷国が完全に緩衝地帯となっていた。
蝦夷政府は「赤化の波を太平洋に渡らせぬ」として、
樺太北岸およびオホーツク海沿岸に防衛線を構築。
一方で、亡命貴族や白軍将校を受け入れ、
「ロシア難民自治区」(真岡・大泊など)を設置するなど、
中立的人道国家としての地位を確立しつつあった。
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米国の参戦と蝦夷の地位向上
1917年、米国が参戦。
太平洋ルートの安全確保が課題となると、
蝦夷国はアラスカ・樺太・北海道の連絡線を北太平洋補給軸として提供。
• 米国・英国海軍が稚内・小樽・大泊を補給港として利用。
• 米国が函館・札幌に通信基地と気象観測網を整備。
• 蝦夷国は「北太平洋防衛協定」に基づき半中立・半協商的立場に。
この頃、蝦夷は「太平洋協商圏」の一角を占め、
米国の信頼を深めていく。
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日本の欧州派兵と大陸進出
日本は、欧州列強からの要請を受け、
1916〜1917年にかけてフランス方面に大規模派兵を実施。
• 西部戦線に**2個師団(約6万人)**を派遣。
• 海軍は金剛型戦艦1隻・駆逐艦10隻をユトランド海方面に投入。
• ロジスティクスと戦費は英仏が全額負担。
その結果――
• 戦費負担はなく、むしろ軍需産業・造船業が爆発的成長。
• 「国際的名誉国家」として地位が急上昇。
• 戦後の講和会議での発言力強化を狙う。
日本は史実以上に国際派・自由主義的方向に進み、
「大英帝国のアジア的兄弟」と呼ばれるまでになる。
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蝦夷と日本の協調
日本が欧州戦線に集中する間、極東方面の安定維持は蝦夷に委ねられた。
両国は1917年、「日蝦防衛協約」を再確認。
• 樺太〜千島〜北海道の防衛分担を明確化。
• 極東協商軍の補給・通信は蝦夷経由で統一。
• 米英がこの協約を正式に承認。
このため、蝦夷は戦場から遠くにいながらも、
国際協商の中核後方基地として世界経済の波に乗る。
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蝦夷国内の黄金期(1917〜1918)
1. 経済爆発
• 樺太の石炭・木材・魚油が英仏向け輸出で価格3倍。
• 米資本による製紙・鉄道・港湾投資が進む。
• 金融センターとして函館に「蝦夷国立銀行」が創設される。
2. 社会の近代化
• 米国式教育・女性雇用・地方自治制度が定着。
• アラスカ・樺太を結ぶ海底電信線が完成。
• 北太平洋航空実験(1918年)で気球郵便が試行される。
3. 外交的地位
• 米国にとっての「北太平洋の信頼できる民主国家」。
• 日本にとっての「北方の盾」。
• 英国にとっての「シーレーン補給拠点」。
結果として、蝦夷は「太平洋版スイス」とも呼ばれ、
中立的だが強大な経済・軍事力を持つ国家として存在感を放った。
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戦争終盤(1918年)
ロシアは完全に崩壊、赤軍と白軍がシベリアで対立。
米・英・日・蝦夷の連合がウラジオストク・アムール流域に派兵し、
表向きは白軍支援、実質は「北太平洋秩序維持」。
蝦夷軍は直接戦闘を避け、
避難民支援・補給拠点警備・情報通信を担う。
(戦死者は少ないが国際的評価は高い。)
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戦後の位置づけ(1918年末)
国家 状況 経済 国際的地位
日本 欧州派兵で名声高まる/経済好況 戦費負担なし、重工業化進む 「協商国の東洋盟
主」
蝦夷 戦場にならず経済急成長 米資本流入・金融発展 「北太平洋の安定軸」
ロシア 帝政崩壊・内戦状態 経済崩壊 孤立・赤化進行
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まとめ
• 樺太全島蝦夷領により、極東はロシア革命の影響を受けず安定。
• 日本は欧州派兵で戦費を負担せず、英仏資金で発展。
• 蝦夷は米国の北太平洋戦略の要となり、黄金期を迎える。
• 1918年には「日英蝦協商」が実質的に形成される。




