南樺太のロシアへの併合過程
背景
• 南樺太国は戊辰戦争後、榎本武揚を中心に暫定的に統治されていた。
• 人口は和人・ロシア系・アイヌ混住で少なく、経済・行政基盤は脆弱。
• 榎本は長命ながら老化により実務能力が低下し、ロシアの南樺太進出を阻止できない状
況。
• ロシアは極東戦略上、南樺太の港湾・資源・戦略的拠点を確保したい。
---
併合の動機と条件
ロシア側
• 極東進出の要衝:沿海州・樺太・千島をつなぐ航路の確保。
• 南樺太の資源・港湾:南樺太の港湾や森林資源を経済・軍事的に活用。
• 旧幕臣勢力の排除:榎本派の南樺太国を形式的に維持するより、直接支配の方が安定。
南樺太国側
• 統治力低下により、ロシアの圧力を跳ね返せない。
• 榎本の高齢化により外交・軍事判断の主体性が弱まる。
• 人口少・軍事力不足で独立維持は困難。
→ 条件は両者とも揃い、平和的・段階的な併合が現実的。
---
併合プロセス(概略)
1. 1898〜1900年:影響力拡大期
• ロシア軍が南樺太沿岸に駐屯、港湾・要塞を建設。
• 榎本派残存勢力との形式上の同盟や交渉で、表向きは南樺太国として残す。
2. 1900〜1902年:実効支配強化期
• ロシア官僚・行政官を南樺太に常駐させ、税・港湾・貿易の管理を掌握。
• 南樺太国軍の一部を編入・制限し、榎本は形式的指導者に留まる。
3. 1903年:正式併合
• 榎本は高齢で実権喪失、事実上ロシア統治下に。
• 南樺太国は名目上消滅、ロシアの領土として法的・軍事的に吸収。
• 蝦夷国との国境紛争が顕在化し、北方の緊張が一気に高まる。
---
併合の影響
• 南樺太国の終焉:榎本派は権威のみ維持、政治・軍事権は消滅。
• 蝦夷国との緊張:北方の防衛線がロシア直轄領に接することになり、日蝦同盟の軍事的
重要性が増す。
• 日露戦争への伏線:南樺太問題が北方戦略の火種として浮上。
• 旧幕臣の蝦夷亡命促進:土方歳三などは蝦夷国に移動し、蝦夷軍の近代化に参加。
---
年表イメージ
年 出来事 コメント
1898 ロシアが南樺太に影響力拡大 榎本は老化、実権低下
1898〜1902 ロシアが段階的支配強化 官僚・軍事・港湾管理、南樺太国は形式化
1903 南樺太国正式併合 榎本は象徴的存在に、蝦夷国との緊張顕在化
1903〜1904 北方緊張高まり 日蝦同盟の重要性増大、日露戦争開戦準備へ
---
ポイント
• 併合は一気にではなく、段階的・形式的に進むのが自然。
• 榎本の存在は名目上維持されるが、実務権限は完全にロシアに移行。
• 蝦夷国の北方防衛・日蝦同盟の成立が、この過程を通じて歴史的に正当化される。




