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僕が見た未来はホルマリンの中

作者: 笹谷小蛍

 図書館のアルバイト中、スマホが震えた。

 ピンク色のLEDランプが、今日はやけに毒々しく見えた。


 メッセージの送り主は──義母・エアからだ。


───出た。“業務連絡”。


 私はすぐ、夫のジンくんに連絡した。義母が、私たち二人を呼んでいる。そして、その内容は、おおよそ検討もついていた。エアからのメッセージは、たいてい、不吉な重さを孕んでいる。


 私はため息をついて、アルバイトが終わるのを待った。図書館のアルバイトと言っても、来る人はほとんどいない。借りに来る人は希で、やることと言えば図書館の清掃か、本の修繕くらいだ。ひどく退屈な時間が、今だけは短く感じられた。


 図書館から出ると、すでにジンくんが車で迎えに来てくれていた。私は重い足取りで車に乗り込んだ。そっと運転席のジンくんを一瞥すると、彼は彫りの深い顔に、より濃い影を落としてした。


  ◇


 結婚した当時、義母はものすごく喜んでくれた。

「あぁ、どうせなら息子の名前、ジョンにしておけばよかった!だって、ジョンとヨーコになるでしょ。素敵じゃない。」

「母さん、それはジョンとヨーコに対する侮辱だ。」

 ロック好きのジンくんは、苦い顔を浮かべて反論していた。


 その苦い顔は──今も健在だった。

 その苦い顔が──今まさに隣にあった。


 義母の家に着いた。真っ白で清潔な、四角い2階建ての建物──庭は、水色のタイルがびっちりと並んでいる。雑草すら生える隙もない──無機質な家と庭──私は、この建造物が苦手だ。


「──お邪魔します。」


 真っ白な部屋に入ると、淡いグレイのソファに、20代くらいの見た目をした小柄な女性がちょこんと可愛らしく座っている。


 白い丸テーブルの上には、幾何学模様きかがくもようのジノリのカップ、ソーサーが三客。


 芳ばしいコーヒーの香りが、部屋にふわりと漂っていた。


 壁のテレビにはコマーシャルが流れている。


『“EGG”はあなたの遺伝子を保管・選定・最適化。未来をデザインできる、新しいかたちの“出産”です。』


「……それで、“話”ってなんだよ、母さん。」


 どかっ、とソファに座ったジンくんは、苛立たし気に、小柄な女性──母──私の義母でもある、エアに話し掛けた。


 ぴかぴかに美しい顔をこちらに向け、長い睫毛をぱちぱちさせて、「そんな怖い顔しないで。」と笑う。


「また顔の“お直し”か?不自然な若作りはやめてくれよ、みっともない…。」

「ジン、そんな口利かないで。今日は、大事な話があるんだから。」


 そう言いながら、義母は小さな箱を机に出した。


「あなたたち──まだセックスにコンドームを使うつもり?」


 義母は、つるりとした額にぴしりとひび割れたようなシワを寄せ、こちらを睨んだ。


「誤解だよ、母さん。」

「エアって呼んで。」

「……そのコンドームを使うのは俺たちじゃない。うちの生徒に“教材”として使うんだ。その証拠に、ほら──。」


 ジンくんは、スマホで明細書を見せている。請求先は、彼の務める中学校だ。


「──今どき、学校でコンドームの使い方なんて!」

「だから聞けって。『昔はこういう避妊具があったんだ』って教える為に取り寄せたんだ。」


「生徒さんたちも、もう中学生でしょ。さっさと産めば良いのに──ところで、」


 義母は、コーヒーをひとくち啜る。


「“EGG”《エッグ》の利用は検討してくれた?」


 また、コマーシャルの音声が流れる。


『未来のママは、もっとスマートに。もう“痛い”は、過去の話!“EGG提携クリニック”では、受精卵の採取がわずか15分──』


「……何度も言わせないでくれよ。俺もヨーコも、子供は考えてない。」

「……それは困るのよ。開発に携わった私の息子夫婦が、“EGG”を使ってないなんて、スポンサーにも合わせる顔がないじゃない…。」


 ジンくんが、またひとつため息をついた。


「結局、自分の面子の為か?」

「そうじゃない。あなたたちの為よ。」


 義母は立ち上がると、ガラスケースから卵型の機械──自動生殖補助式人工子宮“EGG”を取り出して、私たちに掲げて見せた。


「これに培養液を満たして、あなたたちの受精卵を入れておくだけでね、すてきな赤ちゃんが出来るの。母体にダメージなんてないし、体型が崩れる事もないし、セックスも愉しむ時間も確保できて───」

「それ、100万回聞いた。」


 ジンくんは顎をしゃくって、テレビを示した。

 また、“EGG”のコマーシャルが流れている。


『──あなたの子ども、どんな子に育てたいですか?学習能力?運動神経?それとも、やさしい心?』

『“EGG”はあなたの遺伝子を保管・選定・最適化。未来をデザインできる、新しいかたちの“出産”です。もう、“産まない”は不安じゃない。』

『子育てを、もっとスマートに。』

『“国家生殖支援プログラム EGG”──。』


 夢見るような目付きでコマーシャルを見届けると、義母は私に向き直る。


「ヨーコさんは、どう?セックスの回数が増えれば夫婦の幸福度だって上がるし──すてきな赤ちゃんもできれば……国の出生率向上にも、貢献できるわ。」


───セックス。

 夫婦の営みにまで、この人は平然と口を出す。

 私は煮えたぎるような思いをはらわたに押し込めて、そっと息を吐いた。


「何も──セックスだけが愛の証とは限りませんし、子どもだって、どんなに優秀でも、生まれてきた場所が悪ければ、意味がありません。私は…母親になりたいと、思わないんです。」


「……今どき、珍しいのね。」


 義母の声には、どこか嘲りのような色が滲んでいた。


「セックスは女にとって、最大の悦びよ。出産は名誉なの。私はもっと、あなたに人生の歓びを味わって欲しいのよ。」


 義母は一呼吸置いて、唇を舐めた。てらてらした唇が、不気味な程に艶かしい。


「それに……あなた、風俗街で働いてたことがあるんでしょう?テクニックは申し分ないはずなのに、もったいないわ。ジンに満足できないなら──方法はいくらでもあるわよ。」


「いい加減にしろよ!」


 ジンくんの怒鳴り声が響いた。

 拳を握り締めた腕は、わなわなと震えて、血管が浮き出ている。


「……母さんが何と言おうと、オレたちは子供なんか生まない。」


 近くで、義母のため息が聞こえた。こんなにジンくんが怒っていても、動じた様子はない。まるで、ぺたりと貼り付けられたような、お面のような無表情で、ジンくんを見上げている。


「…………母さんの作った物が、そんなに嫌?」


「…………違う。男5人、1度に食ったあんたの遺伝子なんて残したくないんだよ。」


─────ガシャン!


「──“あんた”ですって?!」


 テーブルから、ジノリのコーヒーカップが落ちた。

 義母の細い腕がしなり、ソーサーもミルク入れも全て払いのけられ、床に砕けた。

 冷めたコーヒーとミルクが混ざり合い、ドロドロとマーブル模様を描く。


「今、“あんた”って呼んだ!母親を!母親をぉ!あああああぁ!あぁ!あ、ああああ!」


 義母はさらに金切り声を上げたが、すかさずジンくんが強い力で私を引っ張り、部屋から引きずり出した。


 閉ざされた扉の向こうから、パリン!ガチャン!と音が聞こえる。


「……ねぇ、あれ……大丈夫なの………?」


 ジンくんの顔は、まっすぐドアの方向を向いたままで、表情が見えない。


「10分か20分くらいしたら収まるよ。ケロッとしてハウスキーパーでも呼ぶだろ。」


 ジンくんの声は、作られたように淡々としていた。手早く靴を履くと、うつむいたまま、私の手を取った。すっかり汗ばんだ手の力は、少し強かった。


「……俺がガキの頃からああだったし。」



  ◇



 私たちは車に乗り、何事もなかったかのように、ドライブスルーでハンバーガーとコーラを買った。


 ジンくんは車を自動操縦モードに切り替えると、ハンバーガーを食べながら、ナビゲーターの液晶パネルを操作した。


『──出生率、ついに30年ぶりに“回復”へ!』

『”EGG”導入が、大きな転換点となったようです──!』

『最新の人口統計で、日本の実効出生率は1.74。』

『かつてない希望の兆しが、今──』


「──チッ!」


 電源を入れてすぐ流れたニュースに、ジンくんは思い切り舌打ちひとつすると、めぼしい映画がないか探し出した。


 どれもポルノか、恋愛ものばかり──やっと探した先に『俺たちに明日はない』があったので、海沿いを走りながら、それを観た。


 もう何回と観た、ジンくんお気に入りの映画だ。


 ボニーとクライドが銃殺されるラストシーンで、ジンくんは必ずゲラゲラ笑う。


───悪趣味だなぁ。


 私は暗い車窓に目をやりながら、昔の事を考えていた。図書館のアルバイトで、ジンくんに出会った時の事を。


 ジンくんはよくギリシャ神話の本を借りに来た。興味本位で声をかけてみると、

「ギリシャ神話の神様は女に乱暴するから、母親が嫌ってるんです。だから、読んでやろうと思って。」

──なんて答えるものだから、つい、お互いの境遇の話で盛り上がった。


 私の両親は子どもに無関心だった。だから勉強もしたけど、何にもならなくて、家を出て、風俗で働いた。それでも本だけは好きで、司書の資格を取った──ジンくんは、その話を真剣に聞いてくれた。


 でも──まさか銃殺のシーンで大笑いするような人だとは、思ってなかった。


 隣のジンくんを振り返ると、彼もまた、窓の外を眺めていた。


「──そのうち“EGG”を使ってるフリでもしようかな。」


「……フリ?」


「……中にホルマリン漬けの胎児標本でも入れときゃ、それっぽいだろ。学校に余ってるのがあるし、ちょうどいい。」


「……でも、それって…バレない?」


「バレたっていいよ。ホルマリンって発ガン性物質だし。」


 さらりと言ってのけたジンくんの表情は、相変わらず分からなかった。


 ただ、鼻をすん、と鳴らしていることだけは分かった。


 私は、ただ、黙ってジンくんの手を握った。


 明日がないのは、私たちかもしれない。


 それでも良いと、今は思えた。

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