3 私の前世は
舞踏会の翌朝、私は実家であるクラリス公爵家の応接室に呼び出された。
部屋には、既に両親と兄が待っていた。
父であるクラリス公爵は国王にも劣らないほどの権力を持つ威厳ある男性で、母は凛とした品の良い貴婦人だが、家では両親共に兄とリリアーナを溺愛している子煩悩だ。そして5つ上の兄、レオンは、すでに政治の場で活躍している才気ある男だった。
ソファに腰掛けると、父が重々しく口を開いた。
「アルベルト殿下との婚約が破棄されたと聞いた。あんなにアホだとは思わなかった。すぐにでも王城に乗り込んでやりたいくらいだが……」
「見る目がないわね。あんなやつにうちの可愛いリリアーナを傷付ける資格なんてないし、結婚なんてこちらから願い下げよ」
母も怒り心頭といった様子だ。
「まぁ、2人とも落ち着いて」
慰められるはずの立場の私が、2人をなだめる。母はため息をつきながらも、どこか満足気な笑みを浮かべた。
「でも、本当に肝が据わっているわね。さすが私たちの娘だわ、リリアーナ。あの場で堂々と『新たな婚活を始めます』宣言をするなんて、他の令嬢にはとてもできないわ」
「まぁ、驚きはしたが、悪い手ではなかったな」
兄のレオンも頷く。
「むしろ、王族に捨てられた哀れな令嬢というイメージにならずに済んだ。貴族社会では、被害者ぶるのは必ずしも得策じゃない」
「ええ。だからあの場で先手を打ったの。公爵令嬢として、隙を見せるわけにはいかない。妃教育でも再三習ったもの」
レオンに賛同すると、紅茶を一口飲んで落ち着きを取り戻した父が口を挟んだ。
「それで、今後のことをどうするつもりだ?」
「当然、本気で婚活をするわ」
はっきりとした答えに、父は少し眉をひそめる。
「お前はまだ若い。あのクソ野郎につけられた傷がいえるまで待ってから相手を探しても遅くないぞ?」
「いいえ、むしろ早い方がいいと思うの。第一王子の元婚約者として、不自然に独り身を続けるとかえって妙な憶測を呼ぶわ。『未練があるのでは?』とか『他の貴族が手を出しづらい』とか」
「ふむ……」
父が腕を組んで考え込む中、兄のレオンが微笑んだ。
「さすが、俺の妹だな」
「当然よ」
私は軽く肩をすくめて答える。だが、その言葉の裏には、もう1つの記憶が影を落としていた。
***
リリアーナ・クラリス――私は元々、日本の「婚活アドバイザー」だった。
前世では大手の結婚相談所に勤め、数百人の婚活を成功させてきたプロだった。
仕事はやりがいがあったが、自分自身の恋愛はまったくうまくいかなかった。結婚相談所のアドバイザーという立場上、周囲の期待も高く、適当な相手と妥協するわけにもいかない。その上理想と現実のギャップを誰よりも理解しているので、なかなか結婚に踏み切れなかったのだ。
そして、独身のまま34歳を迎え、私は死んだ。
自室に戻り、ぼんやりとした記憶の中で思い出す。
仕事帰りに横断歩道を渡っていると、居眠り運転をしているトラックに轢かれ――その瞬間、目の前が真っ白になり、気づいたときには異世界に転生していたというお決まりのやつだ。
赤ん坊として目を覚ましたとき、自分の名前が「リリアーナ・クラリス」になっていることに気づいた。最初は混乱したが、成長するにつれて、少しずつ異世界の貴族社会に適応していった。
婚約者となったアルベルトとの関係も、前世で築いた「婚活のノウハウ」を使えばうまくいくと思っていた。まぁ実際は妃教育に追われてほとんど会う暇もなく、ノウハウを使えるような場面もなかったのだけれど。
そして、結果は見ての通り。「愛がない」と切り捨てられ、あっさりと婚約破棄された。婚活アドバイザーが婚約破棄されるなんて、皮肉な話だ。
でも、これで終わりではない。むしろ、ここからが本番だ。
異世界での貴族の婚活は、前世とはルールが違う。
だけど、人間関係の本質は変わらない。
「この世界で、理想的な結婚を実現してみせるわ」
そう1人でつぶやき、決意を新たにしたのだった。
***
数日後、早速、舞踏会の噂を聞きつけた貴族たちから見合いの申し出が届き始めた。
「……ようやく始まったわね」
手元に並んだ貴族の名簿を見つめながら、私は静かに微笑んだ。