追思
「早くここから逃げて。…君はその翼でどこまででも飛んでいけるだろ!」
「何言って…!…無理だ!今まで一回も試したことないんだよ!」
唯一の扉が蝶番の壊れたおかげか鈍い音を立て勢いよく開かれる。
「いたぞ!しかももう一匹いる!」
「…!早く!」
飛ぶしかない。飛ぶしかないのに…足が動かない…!
視界がどんどん狭まってまるで地面が迫ってくるようにみえた。いつか感じたことのある感覚に眩暈がして周りの音が耳鳴りのように変換した。
だからだろうか侵入者の構える黒光りしたそれに全く意識がいかなかったのは。
「!…イツカ!危ない!」
「クソ!猫のほうに当たりやがった!」
イオが左肩にぶつかる衝撃で視線が地面に倒れる。手をついて息をやっと吸えたようだった。
急いで振り返って直ぐに絶望した。
赤い羽根の装飾がされたいわゆる麻酔銃のそれ。
即効性があるのか一瞬体がこわばったかと思うとイオは虚ろな目になりゆっくりと下半身から力が抜けていった。
…やけにその時がスローに映った。
イオは足の踏ん張りがきかず重心の片寄に任せてそのまま空から落ちようとしていた。
そういえばこんなことが少し前にもあったような気がする。
手を伸ばす。体ごと放り出す。
そのまま僕は彼と重力に任せた。
不思議と心は穏やかでいて凪いでいた。何も聞こえなかった。
落ちながら見るひっくり返ったビルの視線は初めてだったのにやっぱりどこか懐かしく感じる。
空の地面は赤いオレンジから既にそのほとんどを青色に変えようとして奥からは群青の大きな片鱗がせまってきている。
小さな声が聞こえた。名前を呼ぶ声だ。
さっきまでの音無しの世界から一転、それを皮切りに自動車の走行音、信号の鳥みたいな鳴き声、人の足音が耳に押し寄せた。
それは安易に自分たちが地面にそれほど遠くない場所にいることを印していた。
さかさまの状態で上を向く。やはり地面の空はすぐそこだった。これまで見たこともないほど大きく羽を広げる。間に合うかどうか、生きるか死ぬか。
腕の中の夕焼けを強く抱き留めた。
全身が心臓になったかもしれない。
それほどに血流が活発に動いている。
やってやった。やってやったぞ。やったんだ!
腕の中のイオは未だに目覚める兆しはない。
瞬間。ピリッとした感覚が背中に、正確には翼に走った。
「…?」
緩慢として確認した。
そこにはさっき見たばかりの赤い羽根がちらりと映っている。
あぁ、くそ。
そこで意識は素早く丁寧に黒く浸食された。