帰り師 向日葵の日常 ~ 犬吠えるその一本道で
わん わん
わん わん わん
がるるるるる わん わん わん
犬たちが激しく吠えたてていた。
そこは閑静な住宅街。白く綺麗な家が左右にお行儀良く建ち並んでいる長い長い一本道。
ここの住人たちは町内会で犬を飼うと決めてでもいるのか、或いは犬好きな人たちが示し合わせて移住してきたのか、みな一様に犬を飼っていた。それもシェパードとかドーベルマン、土佐犬のような大型かつ獰猛そうな犬ばかり。それらが一斉に家の門、これまた示し合わせたような黒塗りの鉄格子の重そうなやつ、から牙を剥き出し吠えたてていた。
余りに激しく吠えるので一軒の家から男の人が一人姿を現した。
「こら! うるさいぞ。なに吠えているんだ」
と、言いながら男の人は外へ目を向ける。
図らずも私と目があう。
男の人は虚をつかれたように少し体を震わせると、吠え続ける犬の方へ視線を向けた。そして、ばつが悪そうに私に頭を下げ、再び愛犬を見下ろし、言った。
「ほら、騒ぐな。こっちこい」
男の人は犬を連れて奥へと引っ込んで行った。その途中、しきりと首をかしげていた。なんで自分の愛犬がこれ程激しく吠えたてるのか理解できないのだろう。あるいは不審者でもいるのを想像していたのかもしれない。けれど外に出てもいたのは私のような人畜無害、自分で言うのもなんか悲しいけど、どこにでも転がってそうな女で肩透かしを食らった、というところかもしれない。
これが敬介さんだったら、声のひとつもかけられただろうか?
目付きのすこぶる悪い、廣江敬介の顔がふっと頭の片隅に浮かんだ。
いや、もしかしたらもっと悪いこと、例えば警察を呼ばれたり、或いは犬をけしかれられたかもしれない。
シェパードに追いかけられ必死に逃げる敬介さんの絵面が浮かんで、思わず吹き出した。
あの人、ほんと見た目で損してる、と思った。それと、言い方と態度……
「あれ……これ殆ど全部で損してるじゃん」
心の声がつい零れた。
「……なんの……おはなし?」
別の声がした。
「うん、ごめんなさい。おねえちゃんの知り合いさんのお話よ」
私は手を繋いでいた女の子の方へ目を向けた。
年の頃は6歳くらい。
黄色いレインコートを被った顔でこちらを見上げている。お揃いのこれまた黄色い長靴を履いた姿はまるで黄色のすこぶる可愛らしいてるてる坊主さんのようだ。
「目付きがこーんな感じで」
両手で自分の両目をつり上げて見せ。
「無駄に声が大きくて、ドア閉める時とかコップをテーブルに置く時とか、とにかく無駄に大きな音を立てる騒々しい人なの」
女の子は私の説明に動揺したように体を震わせ、すこし表情を曇らせた。
「悠、そーいうの苦手……」
「あはははは。
そうね、おっきな音たてるものってなんか怖いよね。
お姉ちゃんも苦手だよ。
だから、この道を通れなかったんだよね」
まっすぐな一本道へ目を返す。さっきのシェパード君は退場したが、まだ土佐犬とドーベルマンがこっちに向かって吠え続けていた。
「だけど、勇気を出して通ろう。
お母さんが待っているから。
お姉ちゃんが一緒に行ってあげる。さ、もう一度手、繋ごうか」
微笑みながら手を差し出す。
悠ちゃんは私と吠える犬達を交互に見比べていたがおずおずと手を繋いでくれた。
「ん。良い子。
じゃあ、行きましょう。
大丈夫。勇気を出して」
私は悠ちゃんの手を引いて道を歩く。
門の前を通りすぎる時、犬達は狂ったように吠えまくった。悠ちゃんは心底怖いのだろう、私の体にぎゅっと抱きついてきて少し歩きにくい。握った手からも微かな震えが伝わってきた。それでも逃げだそうとはせず、前へ、前へと進んでいく
「偉いね。頑張って。もう少しだから」
疼痛を感じる手のひらにこちらからも力を込め、悠ちゃんを励ます。そして……
「着いたよ~」
一本道の突き当たり。可愛らしい門構えの小さな家の前に私達は到着した。
「偉い! 良く頑張ったねぇ」
悠ちゃんの頭をひとしきり撫でる。すると、悠ちゃんも笑顔を返してくれた。
「さっ! 家に帰って、お母さんにお帰りなさいって言ってあげて」
私に促されて、悠は家に入ろうとする。けれど、玄関のドアを開ける前にこちらの方を振りかえりはにかみながら言った。
「えっと……、あの、おねえちゃん、お名前なんと言うの?」
「日葵よ。向 日葵」
「うん。ありがとう、日葵おねえちゃん」
悠ちゃんはぺこりと頭を下げると家の中へはいっていった。
それを見送ると緊張をほぐすようにふっと息を吐き出す。と、ズキリと右の手のひらに痛みを感じる。見ると赤く腫れていた。小さな紅葉の葉っぱのようなその腫れを指で軽くなぞる。少しヒリヒリと痛んだ。
「おい、ヒマワリ。終わったのか?」
背後から突然声をかけられる。
振り向くと派手なアロハシャツに黒地に白く椰子の歯みたい刺繍がされたワイドパンツを履いた、目付きがすこぶる悪い男が立っていた。
「あっ、敬介さん。なんでここに?」
「ちょっと近くまで来たからな、お前の様子を見にきたんだよ」
「えー、心配してくれたんですか?」
「バッカ! なんで俺がお前なんかを心配せにゃならんのだ。たまたまだ、たまたま近くに来ただけだっーの」
敬介さんは顔を真っ赤にして反論してきた。
ま、そう言うことにしておこう。
「んで、あの子はちゃんと家に帰れたのか?」
「はい。今、帰り届けました」
「そっか、そりゃ良かった。ずいぶん長いこと放置されていた霊だったから、ちょっと心配してたんだ」
あらら、やっぱり心配してたんだ。で、本音がうっかり出ちゃうところが敬介さんらしい、と心の中で少し微笑む。
「そうですね。だいぶ待たせちゃった、ですね」
悠ちゃん。
8年前に亡くなった女の子の霊。
雨の日、買って貰ったばかりのレインコートを来て外に散歩に出て、川に流された。遺体は結局出てこなかったという。
もしも、その日の降り方が普通の雨だったら。
もしも、悠ちゃんが1人で外に出ていなかったら。
きっと全然違った結果になったろう。でも、じっさいはその日は記録的な大雨で、お母さんは風邪をひいて寝込んでいた。また別の機会に、と言うお母さんの言葉も、買って貰ったばかりのレインコートを着たい悠ちゃんには効果はなく、我慢できずにこっそり家を抜け出した。自慢のレインコートを一刻も早くみんなに見て貰いたかったからだ。
運命。
そんな単語で括ってしまうにはあまりにもやるせない話。
そして、この話には続きがある。
悠ちゃんは亡くなってからも家に帰ろうとした。
でも、帰り道がわからない。当時6歳。随分と流されてもいたから、それも無理ない話だ。
それでも悠ちゃんはお母さんが待つ家に帰ろうとした。長いこと、それこそ何年も何年も彷徨い歩き、ようやくあの一本道までたどり着いた。けれど激しく吠える犬達が怖くてその先にどうしても進めなかった。
その一本道を越えれば家に帰れる。お母さんに会えるのにどうしても進めなかったのだ。
「んで、あの子は母ちゃんに会えたのかよ?」
「うん」
断言する。何故って中庭に悠ちゃんとお母さんが仲良く手を繋いで出てくるのが今見えているからだ。
「今、2人して庭に出てきたよ」
「へぇ、そんなのが見えてるのかよ。俺にはただの空き地しか見えねぇけど」
悠ちゃんのお母さんも悠ちゃんが亡くなり2年ほどして心と体を壊して亡くなっている。周囲の人は後を追うように、と言っているが実際はずっと家で悠ちゃんの帰りを待っていたのだ。残されたお父さんは失意の内に引っ越した。思い出から逃げ出したくなる気持ちもわからなくはない。
けれど悠ちゃんのお母さんは住む人が居なくなり取り壊されて更地になってからもずっと家で悠ちゃんが帰ってくるのを待っていた。そして悠ちゃんも帰ろうとしていた。ずっと……
それもこれでようやく終わりね
悠ちゃんとお母さん、そして庭や家が少しずつ透明になっていくのを感慨深げに見守る。
人は、亡くなると一番帰りたいところへ帰ろうとする。家だったり思い出の場所だったり。けれど中には帰りたくともなんらかの理由で帰れない霊もいる。そんなヒト達に寄り添って帰り道を示し、帰り届けるのを生業とする者がいた。
帰り師。その人達はそう呼ばれている。
「ふん。腹ぁ、減ったな。
なにか食いに行くぞ。おめぇの奢りでな」
敬介さんがなにか理不尽なことを言っている。
「えー、なんで私の奢りなんですか?」
「おめぇのためにつきあってやったんだから当然だろう?
まったくヒマワリの癖に口答えなんて10年早いんだよ」
敬介さんはくるりと背中を見せるとすたすたと歩き始める。
まあ、良いか。敬介さん、奢れ、奢れって言うけど私、奢られる事はあっても奢った事はないもんね。
ほんと、態度でかい、目付き悪い、素直じゃない、の人なんだから!
「ま、待ってください。
それに私の名前はヒマワリじゃないです!
いい加減ちゃんと名前を呼んで下さい。
私の名前は……」
向 日葵 19歳
帰り師をやっています
2023/08/01 初稿