:去夏〈8〉
「人間って面白いな。あんなに一方的におまえに詰られて、俺の方もおまえには二度と会いたくないと思ったのに、いざとなると――」
透は一旦視線を外し周囲を見渡した。木々と灯台と海を。それからまっすぐに僕を見る。
「おまえをここへ呼んだのは俺だ。紙屋町のあの個展はおまえに宛てたメッセージだった。何故って? 今度こそ真実を伝えたかったのさ。おまえにだけは俺と言う人間をわかってほしくて――」
風が吹き抜けるのを待って、ゆっくりと言った。
「俺はまたミスをやらかした。百夏の時に続いて……とんでもないことをしてしまった」
「女子中学生誘拐のことを言ってるのか?」
「そのつもりはなかった。亜香里は家出していて――亜香里と言うのがその子の名だ。亜香里は母親が再婚して新しい父と折り合いが悪く、どうしても家に帰りたくないと言うものだから、ついそのまま好きにさせてしまった」
僕が言葉を捜す間に透は続けた。
「そうさ、俺は絵を描く以外は能の無い、常識に欠けた役立たず、社会人失格だ。まさか、こんな大ごとになるとは思わなかった」
両手を大きく振って、
「だが、信じてくれ、新。俺は、悪気はなかった。俺は誘拐犯と呼ばれるような、そんな邪悪でおぞましい人間じゃない。絵を見たろう? あれは百夏と亜香里だ。そうなんだ。亜香里は百夏にそっくりで、だから今度こそずっと傍に置いておきたくて……二度と失いたくはなかったんだよ」
「……おまえが百夏に恋していたことを俺は気づかなかった。今回、個展を見て初めて知ったんだ」
「そうなのか? おまえらしいや!」
岬に響く甲高い笑い声。
「まぁ、おまえはミステリ好きのくせに自分のこととなると恐ろしく鈍かったもんな」
「うん、つい最近も同じことを言われたよ」
透はすぐ真顔に戻り僕の瞳を覗き込んだ。
「なぁ、新。俺は、百夏は殺していない。信じてくれるか?」
「ああ」
今こそ、はっきりと言う時だ。
「殺したのはおまえじゃない。俺だ」
「え?」
「あの夜、おまえに投げつけた言葉が自分に返って来た。おまえは言ったよな?」
――新、俺は傍にいておまえはいなかったものな……
「そうさ、おまえは百夏の一番傍にいたのに。惨劇が起きた時、俺は何処にいた? 受賞を知って持て囃してくれる連中と浮かれ騒いでいた。あの日だけじゃない、思えば、六本木での盛大な授賞式以降、有頂天になって、連日、夜は取り巻きと飲み歩いていた。昼は昼で、副賞として受賞者に与えられる個展開催の準備に没頭して、ずっと百夏のことをほっぽり出していた。……百夏の傍にいてやればよかった」
「新?」
「百夏が死に、おまえを『殺人者』『人殺し』と罵倒した翌日、手紙が届いたんだ。百夏からの遺書だった。百夏は死を決意して別れの手紙を投函していたのさ。つまり、あいつは自分で飛び降りた――あれは事故でも、殺人でもなかった」
声が細くなって消えて行く。
「その後、百夏の両親からも絵に関して自分の才能に悩んで精神的に不安定になっていたと告げられた。そんなこと、俺は全然気づかなかった」
目を閉じ、絞り出すように、つっかえつっかえ僕は言った。
「もっと傍にいて……俺が気を配っていたら……防げたはずだ。だから、殺したのは俺だ。おまえは苦悩している百夏に気づいて、ずっと傍にいてやったというのに」
「同じことだ。俺も――守れなかった」
透が静かに首を振る。
「突然走り出した百夏は伸ばした腕の指先を掠めて落ちて行った――」
でも、その指は僕の指ではない。僕は傍にすらいなかった。
「透、百夏から来た遺書のことをすぐにおまえに知らせるべきだった。知らせて、勝手に誤解して一方的におまえを責めたことをキチンと謝まらなければいけなかった。だが、おまえは大学を辞めて俺の前から姿を消し、消息がつかめなくて――その内に俺は何もかも忘れる方を選んだ。嫌な思い出から逃げたんだ。恋人をほったらかして、護ってやることもできず自死させた。その上、傍についていてくれた親友を人殺しと罵った。一番悪いのは、最低なのは、俺だ」
遂に僕は言い切った。
「遅すぎるけど、謝らせてくれ。すまなかった、透」
「謝罪とかそんなことはどうでもいいよ。そうか……」
透がパッと顔を上げた。
「誤解が解けて良かった! おまえが、俺がどういう人間かわかってくれて良かった!」
幾度も見た輝くような笑顔で透は言った。
「ならば今度の件も――俺に悪気がなかったことを信じてくれるな? 恋心を抱いたのは事実だ。だからこそ純粋に少女を救いたかっただけだ。居場所のない少女を守ってやりたかっただけなんだ」
「もちろんだ、わかるとも!」
「ここへ呼んだ甲斐があったよ。俺は、最後にどうしてもおまえにだけは本当の自分を知っていてほしかった」
「それで、透、今、女の子は何処にいるんだ?」
浅井透は無言で崖下を指差した。
その指先を僕が覗こうとした刹那、透は駆け出してネズミモチが繁茂する岬の端から宙へ飛んだ。
大海原へ――
が、僕も全速力で飛びついた。腰を掴んで引き倒す。二人重なったままドウッと地面に倒れる。
「させるかよ! 馬鹿野郎!」
みすみす同じ真似を――恋人、続いて親友を虚しく飛び降りさせるものか!
しかも今度は傍にいるのだ。確実に指が届く、こんなに近くに。
「何のために俺が来たと思う? おまえに馬鹿な真似を――あんな悲しい――百夏と同じ振る舞いをさせないためだ!」
「でも、俺はもうだめだ――」
激しく足掻いて透が叫ぶ。
「お終いなんだ!」
「お終いなものか!」
大声で僕は怒鳴り返した。
「命さえあればやり直せる! おまえ、ホント、芸術しか知らない美大生気質のボンクラ人間だな。いいか? 今、俺に向かってそうしたように、警察に真実を告げろ。誘拐は重罪だが情状酌量の余地はある。絶望して命を投げ出す必要などない」
肘をついて、半身を起こす。僕の目に崖の下の小屋が見えた。
透が指差したそこ――
あの日、スケッチ旅行の美大生二人が野宿した舟小屋だ。数人の警官が取り巻いている。その中に毛布に包まれて抱きかかえられた少女の姿があった。
僕たちの近くにも足音が近づいて来る。先頭にいるのは有島刑事だ。
「女子中学生の身柄は確保した。君が浅井透だな? 未成年者誘拐の容疑者として神奈川県警まで一緒に来てもらおう」
刑事は僕を見つめて苦笑した。
「それにしても、君、桑木君。もう少し早く連絡してほしかったな」
「申し訳ありません。でも僕も、どうしても友人と水入らずの話をしたかったんです。なにより、僕自身が他人には聞かれたくない話があって……」
有島刑事はしばし押し黙った。やがて口の端をちょっと上げる。
「他人には聞かれたくない話……なるほど、自分にも憶えがある。青春とはそうしたものか」
眩し気に目を細めて刑事はつぶやいた。
「いつまでを青春という夏衣……」
立ち上がった僕と透は思わずお互いを見合ってしまった。
ああ、ほんとに。一体いつまでがソレなのだろう? 曲がりくねっていて先が見通せず、たくさんの新しい物を得て、失う。馬鹿騒ぎの果てに正解など何処にもなく、苦悶の連続、後悔ばかり。
「いつまでを青春と呼ぶ……いい句ですね。有島さんの作ですか?」
「まさか。現代俳人の句さ。僕も趣味で詠むんだが、これが救いようがないほどヘタクソでね」
眼下の海はあの日と同じ夏の色をしていた。
※ いつまでを青春といふ夏衣 高橋悦男




