:去夏〈5〉
僕たちは個展会場へ戻った。
入口は開いていたが来場者は誰もいなかった。
きっと今現在、このビルの周辺には警察関係者が張り付いて監視しているのだろうが、僕たちには彼らが何処にいるのかわからなかった。
会場に入ると、すぐに来海サンは展示されている絵を一点一点、丹念に眺め始める。僕は――既に見ていたから――入口のパイプ椅子に腰を下ろした。
無意識に床を見る。その姿勢が項垂れて祈っている人のようだと、ハッとした。最初に会場に入った時、ここが教会みたいだと思ってしまったせいだろうか? でも、兎に角、僕は中央の絵、あいつ、浅井透の最新作の人物画を見たくなかった。僕が見なくとも、やがて、僕の頼もしい相棒が確認し、戻って来てその事実を僕に告げるだろう。それを待てばいい。
「新さん、あの絵――」
果たして、予想通り来海サンは言った。僕の真ん前に立ち、中央の大作を指差して、
「あの人物画の女の子たち、あなたの描いた藤代百夏さんにそっくりね」
「うん、そうなんだよ」
やはり、気づいたね?
「それから、ね――」
来海サンは僕の手を取ると立ち上がらせて引っ張って行った。
「こっち……」
来海サンが足を止めたのは中央のそれではなくて向かって右側の一枚だ。
「ねぇ、この絵、浅井透さんが三年生の時描いた賞への応募作でしょ?」
「そうだよ。何故、わかった?」
これには吃驚した。当時、合同教室で一緒に制作していた同級生だった僕は知っていたが。始めて見た彼女がどうして、たくさんある絵の中から、これが応募作だと読み取ったのだろう?
「花よ」
「花?」
「いやだ! ひょっとして、まさか、新さん、今まで気づかなかったの?」
逆に驚愕の顔で僕を見返して来海サンは言う。
「この花、スズランは新さんが描いた藤代百夏さんが髪に飾っていた花じゃない」
「――」
「じゃ、そのこと、全く気づいてなかったんだ!」
信じられないと言うように目を瞠る。
「新さん、探偵失格だわ。あのスズランの髪飾り、彼女のお気に入りだったんでしょ? 好きな人――恋人に自分の絵を描いてもらう時、身に着けるとしたら、大切な物、そうに決まってる。私だって」
ここで来海サンは大きく息を吐いた。
「そうする。私が新さんに描いてもらうなら、一番似合う服を着て、とびきり大切にしてる自慢の装飾品をつけるわ」
あの日、百夏は何と言った?
――新くん、衣装は何がいい?
――百夏の好きなのでいいよ
君が選んだのは真っ白いワンピースと小さな髪飾り。
不覚にも、僕はその髪飾りが銀と真珠で出来ているのは見て取ったけど、花の名前までは意識しなかった。ただひたすら銀と真珠の質感・量感を出すのに必死だった。フェルメール張りに小さな真珠を煌かせようと悪戦苦闘したっけ。だが、指摘されてみると、まさしく、これはスズランだ。スズランを象どっている……
そして、浅井透の応募作はスズラン。僕は何度も制作中のあいつの絵を見たというのに……
「ね、新さん、浅井さんも百夏さんのこと好きだったんじゃないの? これはその告白だったのでは?」
「クソッ――」
その決定的にして重大なことを僕は気づかなかった。今の今まで――
「百夏さんが亡くなったのはいつ?」
来海サンが静かに訊いてきた。
「好奇心や興味本位で訊いてるんじゃないわよ。とても重要なことだと思うから知りたいの」
「百夏が亡くなったのは、受賞作発表の後だ。そして、その後、浅井は姿を消した」
「彼女の死因は何?」
「そのことは言いたくない。思い出したくない」
「突然死だったの? 病死?」
「病死じゃない」
「事故死?」
「警察発表では事故死だった。百夏は大学の屋上から転落した――」
だが真実は違う。僕はそれを言いたくない。思い出したくない。僕が一番考えたくないこと。ずっと逃れたいと願い、事実、避け続けて来たことだから。
僕は百夏が転落した時、傍にいなかった。手を差し伸べて大切な人を助けることができなかった。そしてその後判明した真実……僕の犯した過ち……
僕は辛すぎる現実に向き合うことができず、彼女の死について考えることを放棄した。今も思考停止状態だ。
「全て……今となっては過ぎたことだ。どうか、ほっといてくれ」
「本当に転落死なの? 真実は違うんじゃないの?」
来海サンは一歩も引き下がらなかった。
「その真実をあなたは隠している? 知ってるくせに隠している?」
ああ、君はホントに鋭すぎる。
「だから、思い出したくないんだったら! 考えたくないんだ、もう――」
「しっかりして、新さん」
ラズベイル、新しい宝石を嵌めた指で来海サンはスズランの絵を指差した。先刻、僕の店の2階で百夏の肖像画を指差した時にはしていなかった指輪――移動中の市電の中で嵌めたのだろうか?
貴石の橙色が煌めく。暗い森の中の蛍……彷徨う旅人を誘う窓辺の燈火……胸に宿る灯のように。
「現実を直視して。浅井透さんは百夏さんを愛していたのよ」
灯は揺れて、中央の絵へ移動した。
「あの絵の少女たちは百夏さんに瓜二つだわ。不幸にして百夏さんは逝ってしまったけど、過去ではなく今現在、一人の少女、女子中学生の命が危険に晒されている――」
僕は震えあがった。
「まさか、君は、浅井が行方不明の女子中学生に危害を加えると思ってるんじゃないよな?」
「でも警察は彼を容疑者として追っているんでしょ?」
「警察は浅井が少女を連れて逃亡していると考えている。とはいえ、せいぜいその程度のことさ」
僕の力ない、乾いた笑い声が個展会場の天井に吸い込まれて行く。身じろぎもせずに来海サンは言った。
「いずれにせよ、これではっきりした。私の結論を言うわ。お友達の浅井さんが新さんに見せたこの個展はメッセージよ。きっとあなただけが解ける暗号なんだわ。もっと言えば――私は送られてきたアレは案内状じゃなくて挑戦状かも、って思ってる」
容赦なくきっぱりと冷徹な僕の相棒は言葉を継いだ。
「新さんは言ったわよね? 『今回は遊びじゃない』って。その通りよ。ここに飾られている〈絵〉の意味を読み解けるのはあなたしかいない。今日までたくさんの他人の謎を解いて来たのに、新さんは自分の謎を放置するの? 知らんぷりするの?」
「――」
「あなたはそんな人じゃない。私が知っている私の相棒は決して謎を見過ごさないわ。持ち込まれたらどんな謎だろうと、徹底的に挑んで、見事に解いて見せるわよ」
腕を組み、最高の微笑を僕へ向けた。
「Q.E.D.以上、今日の私の証明終了!」




