プロローグ 炎槍ビースト
昔、精霊の女と人間の男が恋をした。
その精霊は、火を操り、精霊の中でも上位種の存在であり、神に近い存在だった。
だが彼女は一人の穏やかに山で暮らす青年に禁断の恋をしてしまったのだ。
天界から見下ろす日々が毎日続き、会いたいという思いがこぼれていく。
ある時その精霊は自らが恋をした青年に会いに行った。
青年の方は誰もいない自分のところになぜこんなにも美しい女性がと思ったが、青年もまた女性に一目惚れをし、目を離せずにいた。
青年と精霊の女性はしばらくの間一緒に暮らしていた。
それはまさに一時の夢。短い間だったが、精霊には好きな男性と入れる幸福なひと時だった。
ともに薪を切りに行き、時にはともに街まで買い物に行く。
夫婦とも間違えられたが、精霊は顔を赤くし、青年は必死に否定した。
だが、お互いそんな風に言われて、悪くはないと思えていただろう。
だが、時は近づき、運命は二人を引き裂く。
ある夜のこと、精霊は男性に帰らなければと伝える。
男は一緒に暮らそうと言ったが、それは出来ないと精霊は告げた。
それは神々や精霊の一族にとっての禁忌。最も犯してはならない罪となる。
だからと、精霊と青年は最後の情事に浸った。
そして時がさらに経ち、青年との恋を諦め、天界に帰った精霊だったが、自分の体調がおかしいことに気が付く。
精霊は体調は悪くならないし、死ぬような病気にかかることはまずない。
精霊は必死に考え、分かったことは一つだった。
なんと青年との間に子をもうけていたのだ。
このことが知られれば、自分は殺されるかもしれない。
いや、それよりも人間との子をもうけることがタブーとされているのは、人間との子を産んでしまったら、自らの魔力はすべて吸われ、やがて消えてしまうのである。
だが、それでも精霊は産むことを選んだ。
自分が愛した人間との愛の証。
最愛の人との子供。
産まないなんて選択肢は元から存在しなかった。
そうして精霊はまた天界から降りて行って必死に逃げた。
天界からは自分を連れ戻そうと追手が来る。
何ヶ月か逃げていたが、次第に重くなるお腹はやがて枷となり、追いつかれそうになった。
「ごめんね。少しだけ我慢してね。お母さん必ずあなたを生むから」
精霊はお腹の子供に呼びかける。
お腹は少し蹴られ、まるで返事をしているかのようであった。
だが追手は容赦なく追いかける。
精霊は魔力も吸われ、体力も無く、木にもたれかかり動けなくなっていた。
このまま捕まってはお腹の子を殺されてしまう。
精霊がそう思った時に、30人ほどの男の集団が目の前を通って行った。
馬に乗っている者も何人か居て、剣や槍などを持った軽装の男たちだ。
精霊は山賊の類だと思い逃げようとする。
だが、もはや立つ力も残っていなかった。
「お前ら止まれー!」
一人の屈強な男が近寄ってくる。
あぁ、もう駄目だ。
犯されてこの子も殺される。
精霊が覚悟した時だった。
「おい、あんた妊婦か?」
男は戦ってきたばかりなのか、泥が付いた顔でそう言った。
精霊は正直に頷く。
「……」
男は何も言わない。
すると手を上げ、近くの部下らしい男を呼んだ。
「すぐにこの女を荷馬車に乗せろ。集落まで急いで連れて行くぞ」
男は部下にそう言うと、2人ほどが精霊の腕と肩を持ち、荷馬車まで連れて行った。
集落で何をするつもりだと思ったが、すぐに疑いは晴れた。
荷馬車の中で陣痛がくると、一緒に乗っている男が介抱をし、もう一人も頑張れと声をかけていた。
やがて村らしきところに来ると、家の中に4人ほどにタンカーで担がれて連れていかれ、そこにいた女の人が急いで出産の準備をしていた。
さっきまでいた男の人たちは、ここからは女の戦場だよと言われ、追い出された。
子が腹を下る激痛に耐えながら、こらえて子供を産む。
周りからは「頑張りな」「もう少しだよ」と声援がかけられ、その言葉に感謝をし、声を上げながらも、自分を心の中で鼓舞し続けた。
やがて頭が見えたと言われ、もう一息と頑張り、その産声は聞こえた。
おぎゃーと言う声が聞こえ、毛布に包まれた子供を見る。
精霊が愛した父親に似て綺麗な青い髪の男の子だった。
差し出した指を、その小さな手で握る。
涙が止まらなかった。
その赤ん坊の額にキスをすると、自分の体が光に包まれた。
周りにいる女の人たちやここまで連れてきてくれた男の人たちからがなんだという声が上がる。
ついにお別れが来てしまったと精霊が悟った。
「ごめんね。一緒に居れなくて……ごめんね」
精霊は泣きながら赤ん坊の額に自分の額を擦り付ける。
「おい!どうしたんだ!この光は?」
精霊をここまで運ぶように指示した髭面の男が駆け寄る。
精霊はこの人にならと赤ん坊を渡す。
「この子を……お願いします。私はもう命を保てません」
「なにを言っているんだあんた!!」
男は赤ん坊を受け取りながらも、精霊に諦めるなと言う。
だが精霊の光に包まれた体は、今にも消えかかっていた。
「この子の名前はルキウス。お願いします。この子を……」
精霊は涙ながらに頼む。
男も状況を理解したのか、それを了承した。
「ああ、こいつは俺が育てる。安心しろ」
それを聞くと、安心したように一筋の涙を流し目を瞑る。
そして、精霊の体は多くの光の粒となり、はじけて消えた。
先程まで精霊が寝ていたベッドに残っていたのは、青い髪の赤ん坊と……
一本の赤い槍だった。