蚊に生まれ変わって魔王の血を吸ったら異世界で二番目に強くなった
ああ。思えば、ろくでもない人生だった。
男にだらしない母親に、家事を押しつけられ、バイト代を取り上げられ、苦労して通った高校ではパシらされ、カツアゲされた。
なんとか就職した、小さな町工場でも同様の目にあい、やっと彼女ができたと思ったら、結婚詐欺だった。
それでも、仕事に行こうとバスを待ってたら、通り魔に刺されて死んだ。
ふっと、意識が浮上した。湖の上を飛んでるオレ。
な、なんだこれ、夢か?
それにしては、風が含む湿気といい熱気といい、草の匂いといい、やけにリアルな。
そうだ! たしか、オレは死んだはず。
刺された腹がめちゃくちゃ熱くて、なのに手足の先から、頭から、急速に血の気が引いて、視界が真っ暗になって、しばらくはごちゃごちゃ、ぎゃーぎゃー、周囲がうるさかったが、医者の死亡宣告、たしかに聞いたわ。
呆然としながらも、オレは無意識に、背中の羽を動かす。
え、羽? も、もしやこれは、転生か?
聞けば鳥肌が立つような音は気になるが、この浮遊感は癖になる。
だが、浮かれていられたのも一瞬。何百、いや何十万と重なる羽音に気付く。
くるりとターンすれば、視界には巨大な蚊柱が。
ぎゃぁぁぁぁぁ!
猛烈ダッシュで逃げようとすると、あのプ~ンって音が大きくなる。発生源は自分の背中。
な、なんだとぅ。
オレは、蚊、蚊なのか!? せっかく生まれ変わってこれか?
なんで、どうして? 前世じゃポイ捨てだってしなかったのに!
勧善懲悪、因果応報なんて大嘘だ!
ああ、信じたくない。
でも、視界の端に、ギザギザのついた針みたいな口が見えるし、まわりの蚊たちの言葉がわかってしまう。
ぅわんぅわんぅわんぅわん=訳=やらせろ、やらせろ、やらせろ!!!
うっぎゃぁぁぁぁぁ! まわりオスばっかか?
そんでもって、なんでオレはメスに生まれ変わってんだよぅ!!!
集団レイプなんてAVだけで十分だっ。
むちゃくちゃに飛びまわって、事なきを得る。
あ、あぶなかった。
それはそうと、ここ、どこだ?
本能的に、物陰に隠れてとまったらしい。
荒れた呼吸が整ってくると、まわりを見回す余裕もでてきた。
そこはかとなく陰気だが、石造りの豪奢な部屋だ。
昔の映画で、エジプトのファラオがこんな感じの部屋で寝てたな。
そこへ、さらさらと涼し気な衣擦れの音がして、やはり涼し気なやさしい女の声がする。
「魔王様。さすがにそろそろ起きていただきませんと」
ま、魔王だとぉぉぉぉぅ!?
オレは衝撃を受けつづける。
たしかに外は夕闇ってかんじの明るさだけどな!
それがじつは朝だからなのか、一日中この明るさなのか、魔王が夜行性なのか知りようもない。
「うるっさい!」
「きゃぁぁぁぁぁ」
黒い光の塊が生まれて、超絶スタイルのよい女が吹き飛ばされる。
あっ。彼女の舌の先、いま割れたわけじゃないよな?
石の壁にぶち当たり、どたりと落ちたのは、半分炭になった大きな蜥蜴。
コモド? コモドなのか!?
狼狽えるオレに気付くはずもなく、よたよたと走り去る。
「ふぅ」じゃない! 「やれやれ」じゃない!
この状況で平和に二度寝をするなんて、狂気の沙汰だぞ!?
あ、魔王だっけ。
一部やぶれた、バカでかいベッドを覆う天蓋が、いま少しずつ自動修復してる。
け、結界的な何かなのか、それは?
心の奥底で、当に忘れ去ったはずの何かが疼く。
魔法だ! 魔王だ! 人外の女だ! わくわくが止まらない。
でも、冷静になれよ。さっきの黒い光が当たれば、オレなんて塵も残らないぞ?
近付いちゃダメだと思う端から、ふらふら~と飛んで入ったのは本能としか言いようがない。
気付いたら、むちゃくちゃ腹が減ってるんだ、オレ。
すやり、すやり。寝息を漏らす魔王は、ムカつくほどに美形だ。
女子高生か!ってくらい艶々な真っ黒いストレートの髪に、捻じくれた二本の角。
この調子だと目は赤か金だな、うん。ラノベでよくある。
一瞬、女と見紛うばかりだが、喉仏が目立つし、そこそこ厚い胸板は平らだ。声も低かったしな。
その上、青白いどころか、ガチで青い肌を見れば、ふつうは食欲をそそられたりしないと思う。
でも、その肌の下で、サラサラ健康的に血液が流れる音が聞こえる。
実際、そんな極上肉には出会ったこともないが、A5ランクの和牛も目じゃない芳醇な血肉の香り。
本当なら、その美しいデコにばっちり虫刺され跡をつけてやりたいが、無意識にでも叩かれたら死んでしまう。手や腕も同じ理由で却下。
となれば、滑らかで軽そうな夜具からのぞく、足の小指を狙うしかない。
いくら彫像のように整ってるとはいえ、男の足なんか見たくもない。
で、でも、その下に流れる血はうまそうだなぁ、オイ。
オレは、逸る気持ちを抑えて、慎重に着地。
よーし、気付かれてない。
ほっとしたのも束の間。一抹の不安を覚える。
魔王っていったら、魔族最強だよな? もしかしたら、世界最強かもしれない。
そんな奴の皮膚は頑丈なんじゃないか?
オレの口が刺さるのか?
だが、そこで、蚊の本能が教えてくれる。
相手がどんなに頑強でも、細胞と細胞の合間を刺せばいいんだよ。むしろ、毛皮の方が厄介だよ。
そっか、そっか。じゃあ、心置きなく……いっただきまーす!
ちゅーちゅーちゅーちゅー。
うまっ、うまっ、めちゃくちゃうまいよっ!!!
さすがは、魔王。味もさることながら、吸い込んだ血が溜まっていく腹の奥から、いままでに感じたことのない、強大な力が溢れてくる。
脳裏に再生されるのは、魔王の記憶の断片か?
ふぉぉぉぉぉ! すごい! わかる、わかるぞ!
この取り込んだ血をすべて消化した暁には、オレは無敵の蚊になれる!
まず、音速で飛べるだろ?
口器を突き刺せば、大岩が割れるだろ?
尖塔を五つも備えたこの大きな城を一撃で燃え上がらせる魔法弾が打てるだろ?
その上、瞬間移動までできるんだから、すでに修復がすんで閉じてしまった虫除けの結界も問題ないだろ?
つまり、この世界最強の蚊サマってわけだ。
さすがに魔王には劣るが、それ以外には負けない、異世界で二番目に強い生き物に! オレは、なる!!!
うぃーっ。ちょっと調子にのって吸いすぎた。腹がパンパンだ。
これじゃ、重くて飛べないな。しようがない、少し休んでいくか。
オレは、腹がこなれるまで、うきうきと未来を想像して過ごす。
前世でやりたかったこと。でも、できなかったこと。
美味しいものを腹いっぱい食べる! お、おぅ、これはもう達成したな。
いい女を侍らす! って、メスに生まれてしまった。逆ハーってやつじゃ、うれしくない。いいか、百合で。
でも、所詮、蚊だしなぁ。
そ、そうか、美形の人型のメスの血を吸いまくればいいのか! そうすれば一石二鳥。
オレって、天才かもしれん。
妄想してるうちに腹がしぼんだ。
そろそろいい頃か。力試しは、また、のちほど。
まず、ここから離脱しないとな。
そう、ここでオレは変なセーブをせずに、瞬間移動すればよかったんだ。
でも、どんなにすごい力を得ても、オレはオレ。蚊は蚊だ。
プ~ン!って飛び立ってしまった。
がばっと、身を起こす魔王。しまったと思っても、もう遅い。
必死に音速で、高度を上げるオレの左右から、それ以上のスピードで、巨大な手が迫ってくる。
魔王でも、蚊の気配を察知したら、咄嗟に叩きたくなるのな? 魔法は使わないのな?
そして、オレがこの土壇場で、使ったことない魔法を使えるわけがない。
とっさに物理で戦おうとすらしてない。
できても敵わない。
し、死んだ。これまでの人生、そして、短い蚊生が、走馬灯のように駆け巡る。
ああ、せっかく生まれ変わったのに! 蚊だけど。
すごい力を得たのに! 蚊だけど。
これからだったのに! 蚊だ………。
ああ、明るいなぁ。
そういえば、あったんだっけ? 魔王の力に、死に戻り。