青空を越えて。
◆ 零
青空が凄く眩しくて世界が揺らめいている。
時間が進んでいるのか止まっているのか、或いは巻き戻っているのか。彼には判断がつかなかった。自分は立っているのか、寝そべっているのか。わからなかった。でも、隣には大好きなアキがいた。少し安心した。そして、彼はまた気を失う。
◆ 二
世界は狂っていた。少し前の……彼、九が子供だった頃の……ニホンでは考えられなかったことだが、今のニホンには死が溢れていた。毎日何処かで爆発が起こり、沢山の人達が死んでいた。街は輝くビルディングと虚ろな廃墟で埋め尽くされて、秩序と荒廃が入り混じっている。彼は泣いていた。彼の大切なアキが死んでしまったから。彼のことをココと呼んで、愛してくれた可愛い人は死んでしまった。彼は爆発に巻き込まれ大怪我をして、輸血が必要となった。今のニホンは慢性的に血が不足しており、当然、ココに輸血する分などなかった。だから、アキは限界まで血を分けて……死んでしまった。ココは信じられなかった。元々身体が弱く、いつも貧血気味だったアキが死んでしまうまで輸血するなんて。そもそも血液型が一緒だったことさえ、信じられなかった。
「助けてあげられなくて、ごめんね。」
ココは看護婦から、アキが最後にそう言ったと聞かされた。意味が分からなかった。ココは彼女から血を与えられ、命を与えられたと考えていたのに。
どういう意味だろう。何から僕を助けられ無かったんだろう?
喜んでくれる人は誰も居なくなってしまったが、それでも、ココのリハビリは順調で怪我は全快し、彼は退院の日を迎えた。最後の診断結果では何処も悪いところは無く、“異常なし”となっていた。ココは一つだけ診断結果に異常を発見した。でも何も言わなかった。ココは独り、病院を後にした。
それは青空がとても素敵な、とても暑い夏だった。
◆ 三
気温は35℃を越えていた。いつもの夏の情景だ。
「すいませーん!」
快活な声がココに掛かる。彼の足元にはバスケットボール。世界が狂ってしまって以降、街のあちこちで、ストリートスポーツが行われるようになった。清潔で安全な文明から取り残された、貧困層の娯楽だ。そして、ビルディングの世界に入っていく可能性でもあった。その一つがバスケットボールだった。ココは足元のボールを拾い彼女に渡す。立ち去ろうとするココに彼女……ゆき……が声を掛ける。
「ねえ、あたしたちのチームに入らない?キミ身長いくつ?」
「169。」
ココはボソッと答える。ゆきは笑う。
「嘘ばっかり。ね?歳は幾つ?」
「40。」
ゆきは爆笑した。どう見ても175近くあるし、年齢も精々で30だ。ココを気に入ったゆきは仲間を呼んだ。何もする事が無かったココは、その日からゆき達とバスケをする事になった。仲間が出来た。だけど、狂った世界では全てが希薄で、彼が幸せを感じることは無かった。
◆ 五
ココはある日、アキが死んだ病院が爆破されたことを知った。同じ日にお墓が荒らされている事も知った。悲しかったが仕方が無い。だって世界は狂ってしまったのだから。お墓参りの帰り道、子供が倒れているのを発見した。決して珍しいことではない。勿論、世界は狂ってしまったのだから。ココは子供を介抱しようとして抱きかかえたが、その子は既に死んでいた。血塗れだった。ココは喉が干涸らびて行くのを感じた。死んでいる。沢山の血を溢して死んでいる。アキのように。ココの喉は干涸らびて行く。ココはその子を役所に届けた。そうすれば役所が弔ってくれるから。その日以降、爆発で廃墟になった区画を歩き、死んでしまった可愛そうな人達を探して役所に届ける事が彼の日課になった。40℃を越える日でも、彼はソレを止めなかった。
◆ 九
「やっぱり!背、伸びてるでしょ!」
ココの身長を測ったゆきが大きな声を出した。ココは面倒臭そうだ。ゆきはバスケ仲間のタカとケイに自慢する。ゆきはこっそりココのことをケイタイで撮っていた。身長はアプリで簡単に測定出来る。初めて会ったときより6cm伸びている。ってことは年齢ももっと若いはずだ。ゆきはココの事を身長178cm、年齢19歳とした。ココは相変わらず、身長169cm、年齢40歳と呟いていた。バスケをして、お喋りして。そうやって時間が過ぎていく。みんな暑くて、沢山、汗をかいていた。
◆ 十
街はざわついていた。新しい噂が2つ。1つは、人食い。人食いが現れていた。無残な死体が沢山発見された。ココもソレを見た。ココはもう全てが終われば良いのにと思っていた。
だって全ては希薄で幸せなんて無いから。
もう1つの噂は、ココ。ココはバスケに夢中で、気が付けば、彼らのチームは地域でちょっとした噂になっていた。特に彼らのコートの近くにある保護施設の子供たちに大人気だった。ココは、もっと上手くなりたくて沢山走り込み、練習をした。青空さえ暑がる日でも練習をした。いつの間にかダンクシュートが出来るようになっていた。でも、とココは思う。
……もっと。もっと。
◆ 十一
ゆきはタカとケイに呼ばれる。彼らはココの社会保険証をゆきに差し出す。手癖の悪い彼ららしい。ゆきは差し出された保険証を見る。
「あ。」
ゆきはとても驚いた。ココは本当に40歳だった。証明写真のココは今よりも老けて見えた。
何コレ?
ゆきの心ががさがさ鳴った。ケイがゆきに吹き込む。暑くて汗がこぼれた。
……あいつ、歯を磨いてるぜ。金ヤスリでさ。犬歯を磨いでるんだ。
◆ 十三
ゆきはココのバックを拝借した。彼女も手癖が悪い。ゆきは発見した。彼女の頭上で、青空が押しつけがましく輝く。ケイの言う通りだった。バックには金ヤスリが入っていて、そこには白い何かが付着していた。それはまるで歯の削りカスのようで。
◆ 十五
ココは青空に高く高く飛んで、ゴールにボールを叩き込んだ。路地裏に歓声が響く。裏町の大会をココ達が制した。ゆきは誇らしげにココを見上げる。彼の身長は184cmとなっていた。彼の犬歯は鋭く尖っていた。ゆき達は、ココが犬歯を研ぎ澄ましていると確信していた。ゆきは不安だった。
……どうして40歳のおじさんの身長が伸びているのだろうか?どうして彼は犬歯を磨ぐのだろうか?
ゆきは不安だった。それは積乱雲のように膨れ上がっていった。
◆ 十七
ココは必死だった。高く飛ばなくてはならなかった。遠くへ飛ばなくてはならない。相変わらずテロは続き、人はぽろぽろと死んでいく。人食いは捕まらない。ココは必死だ。飛ばなくてはならない。
どうして?
わからない。でも、わかっていた。これはきっとアキが用意したことなんだ。だから、高く飛ばなくてはならない。そう、もっと。青空まで。
◆ 二十
ココは青空に高く飛んで試合に勝つ。灼熱の廃墟を彷徨って死体を見つける。犬歯は鋭く、身長は伸びる。毎日、繰り返し。
でも、もっとだ。まだ、高く遠く飛ばなくてはならない。きっとそうだ。
ココはアキのお墓があった場所に今でも通ってお花を……雑草の類だが……供えていた。今でも彼女の事が好きだったから。帰ろうとしたココは、見知らぬ少年が近づいて来ることに気が付いた。彼は言った。
「キミがアキから受け継いだんだね。」
◆ 二十三
ココの身長は192を超えた。誰かが冗談で言う。ソノウチアオゾラニトドクンジャナイカって。バスケでは無敵だった。彼は1on1に夢中になっていた。誰よりも遠くから高く飛んでゴールにボールを埋める。歓声に包まれ、ストリートの仲間にもてはやされ、でも独りで廃墟に向かう。死体を見つけて
「何してるの?」
背後からゆきの声が掛かった。ココは目だけで振り返り、逃げた。後には死体が一つ残っていた。引き裂かれて、血が溢れたフレッシュな死体だった。
◆ 二十五
……ごりごり。ごりごり。ごりごり。
廃墟ビルの階段踊り場。ココは背中を丸めて金ヤスリで歯を磨いていた。涙目で。慌てて必死に磨いていた。
「何してるの?」
彼に追いついたゆきが、背後から声をかけた。ゆきはココから金ヤスリを奪い取り、彼の口を開いた。ガラスの割れた窓から差し込む光が、彼の歯を照らす。彼は、犬歯を研いでいたのではなく、犬歯を丸めていた。鋭く伸びる犬歯を削り丸めていたのだ。何もかもを探し出す日の光は、白く、冷たい。
◆ 三十
「キミがアキから受け継いだんだね。」
あの時、彼は言った。アキは我々の世界の住人だった、と。彼女はキミを好きになり、我々の下を去ったのだ、と。ただ、我々は人の血無くしては生きて行けない。今は生きやすくなった。死があふれているから。でも、アキは絶食していた。キミが好きだったから。だから、キミに血を分けなくても結局死んだだろう。アキの分も生きてくれ。アキの血を無駄にしないでくれ。それから、これは珍しい事では無いし、歓迎するから、とそう言った。
「あの病院はアキの血を無駄に絞って殺した。血は高価だからね。ああ。復讐のお礼は要らないよ。ウィンウィンだから。さて、僕は猫を探しに行くけど……またいつか。」
赤い白目を持つ、美しい少年はアキの墓のあった場所で、そう締めくくった。
「歯が伸びるんだ。」
ココは言った。廃墟で。泣きながら、ゆきに。肉を食べたいんだ。喉が渇いて、血を飲まずにはいられない。助けて。助けて。死にたい。もう、死にたい。助けて助けて。泡を噴くように言葉を溢す彼の口の周りは、まだ血で汚れていた。ゆきはそれを拭いてあげた。
「好きよ。ココ。誰にも言わないから。あたしが助けてあげる。」
ゆきはそう言って、唇を重ねた。青空の下で。彼女はココの手を引き、いつものコートに戻る。
◆ 青空まで。
歩く間にもココの背は伸びる。ココは思う。これはアキが願った事なんだ。ココはバスケをする。高く高く飛んで、ボールをゴールに叩き込む。でももう、彼の耳に歓声は届かない。ただ、感じるのは
……もっと高く、もっと遠く。
街人や保護施設の子供たちがコートを囲む。ココはヒーローだった。人気者で誰からも好かれ、そして、孤独だった。突然?漸く?何かが変わったのをココは感じた。その時を知った。
振り返ると煙をあげて砲弾が飛来していた。泳ぐようにゆっくりと。砲弾軌道の先には、子供たちが無防備にはしゃいでいる。ココは走り出す。飛来する砲弾に向かって。
馬鹿みたいだ。でも、そうだ。きっとそう。だから、アキは血をくれた。だから、僕は肉を食べた。だから、身長が伸びた。だから、バスケをした。彼は走る。砲弾に向かって。
そして、青空に飛んだ。
ココの指が辛うじて砲弾に接触する。駄目だ。これじゃ駄目だ。もっと、高く飛ばなくては。もっと、高く遠く。青空まで。でも、ココの体は落ち始める。砲弾は子供たちに向かって。ココは絶望した。何だったんだろうアキの死は。何だったんだろうあの肉は。何だったんだろう僕の歯は。駄目だ。もっともっと。青空まで。
がり。
小さく音がしてココの爪が剥がれた。血が飛び散り、生き物のように砲弾に絡む。僅かに軌道がずれた。砲弾は擦るように子供たちの横を過ぎて、ゆきを直撃した。ココはそれを見ながら地面に落下して、首が折れた。ねじれた首が空を見上げる。それはとても熱い夏で、青空はとても素敵だった。
ココは最後に想う。
……たぶん、世界は狂っているから。これ以上は、贅沢なんだ。
読んでくれて、ありがとう。最近、ついったー始めたら、みんなすごく頑張ってて。うっかり新しく書いちゃいました。どれだけ短く出来るかのチャレンジだったんだけど、ちょっと圧縮しきれなかったです。少しだけ自分の好きな書き方が分かった気がしました。
それではまた。