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4回 妹の存在

「あら、おかえり翔大」

「ただいま母さん。飯できてる?」



翔大が家の扉を開けると、すぐに母親の姿が映った。子供から見てもだいぶ若く、2児の母とは思えない元気さだ。



「あるわよ。あっ、ちょうど良いから、百合花も呼んできてくれない?」

「わかった」



返事を返し、翔大は階段を登って2階へ上がる。

2つの扉のうち、可愛らしい掛け札で『ゆりか』と書かれた扉をノックする。



「百合花、起きてるか?」

「……お兄ちゃん?」

「ああ。飯、食えるなら下りて来いよ。俺は先に行ってるからな」

「あっ、ちょっと待って」

「ん?」



翔大が空きっ腹を抱えて階段を下りようとした時、百合花に呼び止められる。


扉を挟んで向こう側から小さな足音が聞こえて来たと思えば、ゆっくりと扉が開いた。


部屋の中から出てきたのは、とても華奢で小柄な少女だった。

儚さすら感じるその体は、少し力を加えれば折れてしまいそうな程に細く、背も翔大の腹ほどしかない。頬もやややつれてしまっている。


翔大の妹、高山 百合花(ゆりか)。小学5年生だ。



「お兄ちゃん、ちょっと来て」

「お、おう」



百合花が中に入るのに続き、戸惑いながらも翔大も部屋へと入る。


女の子らしい家具も小物もない、ただ寝具と机だけが置かれた殺風景な部屋。


人生のほとんどを病室で暮らした百合花は、家で暮らせるようになったのもつい最近のことなのだ。



「で、なんだ。百合花」

「えっとね、学校の宿題でね、お兄ちゃんについて調べたいんだ~」

「俺?」

「うん。お兄ちゃん、最近野球どう?」

「どうって……」



最初に浮かんだのは、自分が外周を走る中、打球をさばく仲間達。そのワンシーンだけで、自分と仲間の実力差が嫌というほど分かる。分かってしまう。


野球は最高に楽しい。でも、凡人は才ある者に絶対勝てない。


だが、そんな夢の無いことを病弱な妹に聞かせるわけにはいかないかった。

笑顔を取り繕う。



「調子良いよ。もしかしたらレギュラーとれるかもな」



とれるわけない。



「櫻井も千里もハヤも、すげえ上手くなっててさぁ」



俺なんかじゃ、手も届かないくらいに。



「上級生も上手い人ばっかだし、もしかしたら県大、いや全国とか行ける可能性もあるな」

「お兄ちゃん」

「やっぱ、神宮(かみみや)球場みたいな、でかい球場でやるんだろうなぁ。俺もああいうところで……」

「もう良いよ。お兄ちゃん」

「え?」

「お兄ちゃん、無理してる」

「!」



言い当てられ、動揺を隠せない翔大。

自分自身が弱いからなのか、百合花は昔から人の弱さに敏感だ。それこそ、超感度のセンサーのように。



「走ることもできない私が言うのは変だけど、お兄ちゃんが頑張ってるのは知ってる」

「…………」

「百合花は、頑張ったことは絶対に無駄にはならないと思う。いつか必ず結果になるって思ってるんだ」

「いや……俺は」



現実、あいつらとの差は開くばかりだよ。そう言おうとしたが、言えなかった。


百合花の目がさせなかった。


──知ってるんだな。


翔大は目を閉じる。百合花の風鈴のような、儚く、澄んだ声に聞き入った。



「その事が誰かを助けることもあるし、その事が誰かの心の支えになることもあるの。ねぇ、百合花は、お兄ちゃんが頑張ってることを思えばお薬だって手術だって怖くなかったよ。……ありがとお兄ちゃん」

「……ははっ。それ、どこで覚えてきたんだよ」

「ふふっ……バレた? この前、番組でやってたの。感動しちゃってさー」

「バーカ」



──妹に元気づけられちゃったな。


病弱な妹の成長に嬉しくもなんとなく情けなくなって、翔大は自らのスポーツ刈りの頭を掻いた。



「グフッ」



と、腹部に感じる衝撃。百合花が笑いながら翔大の腹筋に顔を埋めていた。痩せすぎで浮き出た肋骨の固さを感じた。


一瞬胸がチクリと痛んだが、翔大は苦笑しながら百合花の長い黒髪の頭を撫でる。



「お兄ちゃん」

「ん?」

「お兄ちゃんの頑張りは、絶対報われるよ」

「……ありがとな」



なんの根拠もないはずの百合花の言葉。それでも、なんとなくそうなる気がして、安心できた。


ーー俺、シスコンなんかな……いや、違う。断じて違う。


ふとに浮かんできた疑問符を、翔大は全力で否定した。



「さ、飯食いに行くぞ。階段降りれるか?」

「降りれなーい。おんぶしてー」

「……おいおい」



両手を広げてそう告げる百合花。

小5にしては甘えすぎな気もするが、最近、やっと退院して家族と触れあえるようになったのだから、それも仕方ないと言える。


翔大も、百合花の願いは出来るだけ聞き入れることにしていた。



「わっ、高い!」

「ん? お前、ちょっと背伸びたか?」

「うん。学校で測ったら、3センチ伸びてた」

「そうかー」

「体重も2キロ増えてたしー」

「おう」

「胸もね」

「それは言うなよ」

「えへへ」



そんな他愛のない話をしながら、翔大は間違っても踏み外さないように、ゆっくりと階段を降り始めた。










翔大は知らなかった。

明日、百合花をきっかけに自分の人生は大きく変わる事を。

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