1回 入学
「あなたたちは……であり……をもって……」
校長の長い式辞。入学式という名の拷問によって、新中学生の精神力はガリガリと削られていく。
「ふああっ……」
この、大きな欠伸をする少年ーー高山 翔大という新入生も同様だ。
小学校の頃、式は体調不良を偽って抜け出していただけに、長話に耐性がない。
ーーこれはヤバい……サボるか。
そう思い、抜け出そうと動きかけたとき、手を掴まれた。柔らかい手だ。
誰だ? とは思いつつも、こんなことをする人物は限られている。というか、隣の人間にしかできない。
翔大は、そちらに目を向けずに口を開いた。
「なんだよ、櫻井」
「また逃げようとしたね? めっ、だよ」
「なんだそれ。俺は年下か」
「年下だよ。ボクのほうが誕生日早いもん」
周りに気づかれないよう、超小声で話す少女ーー櫻井 結衣が、ニコッと笑った。
初対面ならほぼ間違いなく見とれてしまうだろうその外見は、野球人とは思えない可憐さを漂わせている。
「櫻井、お前と俺は同級生だ」
「うん」
「俺は年下じゃない」
「んー……」
「悩むな」
「うん」
「だから、抜け出していい」
「それはダメ」
思惑は通用しなかった。
さすが、小3からの長い付き合いだけある。
「翔大君のことだし、抜け出して練習でもするんでしょ? しかも無許可で」「……いや、俺そんな非常識じゃねえぞ」
「ふふっ。分かってるよ」
言いたいことは言った。そう言わんばかりに、再び翔大に向けて笑うと、真面目に話を聞き始めた。
さっきの反応からすると、また逃げだそうとしても捕まえられるのだろう。翔大は、無駄な抵抗をやめて無心に徹した。
校長の話は、ここから更に十分続いた。
「お、翔大。同じクラスか?」
「そうみたいだな。……ん? ハヤは?」
「3組。俺ら1組だから、2つ隣な」
「そうか」
卒業式が終わり、教室の机に突っ伏す自分を見つけ、右手を上げながら近づいてくる親友、青葉(青葉) 千里にこちらも右手を上げて返す。
「で、かわいい子居たか? 俺としては、4組の子とか良いと思うぞ」
「マジか! 俺も見に行こっか……なぁ……?」
なにやら、どこかから威圧を感じた気がして、翔大は教室のあちこちに目を向けるが……新入生の明るい笑顔が映るだけだ。
ーー……気のせいだよ……な?
「……はぁ」
「千里? どうした?」
千里が突然溜め息をついた。翔大が首を傾げる。
「いや、なんでもね。それより、部活決めたか?」
「あー……どうすっかな……」
「えっ、野球部じゃないの!?」
目の前の親友ではなく、横の結衣から驚きの声が聞こえてきた。
元々くりっとしていた目が、更に見開かれている。
「翔大、お前マジか?」
「……俺、才能ねえし。お前らの足引っ張りたくねえんだよ」
「なぁにバカなこと言ってんだ。お前から野球とったら何が残んだよ」
「このイケてる顔だな」
翔大がおちゃらけるが、二人の顔は真顔のままだ。
ーーどんだけ信じられねえんだよ。
あまりにおかしくて、思わず吹き出した。
「冗談だよ冗談。野球部には入るよ」
「ま、だよな」
「なんだ……良かったぁ」
と、二人が納得したところで、黒板側の扉が開き一人の男性教師が入ってきた。この、やたらがたいの良い教師が担任のようだ。。
ーーこの教師、絶対怒らすと怖いタイプだな。
心中で何度も頷いた。
「今年転任してきた、担任の神田 茂だ。担当は数学。部活は野球部顧問。入部するやつはよろしくな」
「翔大君、顧問だって」
「ん、ああ」
翔大は驚かなかった。顔も厳つく、いかにもって感じだからだ。しかも、さっき手のひらが見えたとき、マメでゴツゴツしていた。
長い間、多くのノックをしてきた証拠だ。
「ほとんどが小学校から繰り上げだろうが、一応だ。出席番号1番から順に自己紹介しろ」
「は、はい!」
立ち上がるのは、千里。この出席番号、何を参考にして決められたのか謎だが、『櫻井』が『高山』より前の為、少なくとも五十音順ではない。
「青葉千里です。好きなものは漫画とラノベと美人。野球部に入部します」
「……次」
「はい!」
内容はともかく、千里らしい真面目な紹介が終わった後、なにやら間があったことに結衣が首を傾げたが、自己紹介は進み、翔大の1つ前、結衣の番になった。
「次」
「はいっ」
返事をして立ち上がると、所々から「可愛くね?」や「やべえ」等の声が上がってくる。
その辺りは翔大も同感だったため、なんとなく同調してみると、顔を真っ赤にした結衣に叩かれた。
「櫻井、早くしろ」
「あっ、はい。えっと……櫻井結衣です。好きなものは甘いもので……あっ、入部したいのは野球部、です」
しどろもどろな結衣の自己紹介に、ざわざわと教室が騒がしくなる。
それは当たり前で、中学野球では女子の公式戦出場が認められているとはいえ、女性がプレイするのは珍しいスポーツなのは変わらないのだ。
「……次」
再び間があった。
疑問に思いつつも、翔大は立ち上がった。
「高山翔大です。好きなものは野球。野球部に入る予定です」
「……顔あげて話せ。次」
その時、翔大は下を向いていたために気づかなかったが、結衣と千里は、神田の口元が僅かにつり上がったのを見逃さなかった。




