【 SIDE:YOSHINORI 】 第3話 失った者、ふたり
「……誰?」
俺がギアを手に本部に戻ってくると、隅にある来客用とおぼしきソファに、小さな女の子が座っていた。
誰――という疑問を投げかけてきた割に、その子は俺を見ず、じっとあさっての方向を見つめている。
「えっと……」
困って周囲を見渡すが、勘璽さんは見当たらない。
玄真さんも、車を停めているところだ。
「ここの社員なんだけど……きみは?」
俺は、無難にそう答える。
この子が何者かわからないし、下手なことは言うべきじゃない。
「社員……?」
そう口にしながら、少女はソファから立ち上がる。
――眼帯?
左目が、目だけ隠すタイプではなく、布製の幅が広めの眼帯で隠されていた。
俺からは横顔の右眼側しか見えていなかったから、座っている間はわからなかった。
少女は、さながら喪服のような真っ黒い服を着ている。
なんだっけ、千代に教わったことがある。
確か……ゴスロリ、とかいうやつだ。
「わたしも、社員……」
「……は?」
衝撃の告白に、俺は変な声をあげてしまった。
「悪党、よ」
静かに、それだけ言う。
真実かどうかはさておいて、“ここ”が“どういう場所”かということは、少なくとも知っているようだ。
「えっと……あー、すまん。俺は新入社員の、野点 吉法だ」
名乗りながら、ふと思う。
本名をさらすのは、不用意だったかな、と。
悪名を持ったからには、そっちを名乗るべきだったかもしれん。
だが、この子はどこか……そう、疑いの目では見ることが出来ない。
不思議と、そんな気分だ。
「……わたし、は……」
少女がそこまで言いかけたところで、
「おう、杏澄。来てたか」
玄真さんがズカズカと入ってきた。
「おじさん」
少女の表情が、ふわりとやわらかくなった。
あまりおおきく感情を顔に出すタイプではないようだ。
だがそのわずかなほほ笑みは、可愛らしい笑顔だった。
「おじさん?」
ふと、少女の言った言葉が気になる。
「ああ。こいつは俺の姪っ子だ。諏訪 杏澄という。悪名はシカトリス・チカ。中学二年だが、お前さんと同じ、このクレプスクロの悪党だ」
言っていたことは、どうやら本当だったようだ。
「ちなみに、これでうちのメンツは全部だ」
そして、俺はそこで気づいた。
玄真さんが入ってきても、一切その姿を視界に捉えようとしなかった。
この子は、おそらく……
「諏訪 杏澄、です……わたし、目が見えないから、迷惑かけたらごめんなさい……」
やはり、か。
俺にも玄真さんにも焦点が合わないのは、見えていないからだ。
すると、すっと玄真さんが俺の真横に寄ってきて、耳打ちする。
「眼帯には触れるな。あの下が、あの子の一番のトラウマだ」
小さな、だが重たいその言葉に、俺はだまってうなずいた。
「きみは視力を失っているのか。俺は、記憶がない」
だが、腫れ物に触れないのも気持ちが悪い。
気を遣われたいタイプなら、このジャブで判断がつく。
「……そう、なの?」
少し驚いた顔をする。
「ああ。事故だって話しだが、どうして記憶がないのかも覚えてない。いろんなことが頭から抜けてるんだ。だから、俺もきみに迷惑をかけることがあるかもしれない」
露わになっている右目を、おおきく見開いている。
「だから、迷惑はお互い様ってことだ。これから、よろしく頼むよ。先輩」
俺がそう言うと、目の前の隻眼の少女は、一度だけこくんとおおきくうなずいた。
少し、ぽかんとした表情をしているように思う。
玄真さんは、なぜかどこか満足そうな顔をしていた。
「そうだ、杏澄。勘璽はどうした?」
「勘璽さんなら、電話でちょっと出てくるって」
「電話で……ってことは、あの件か。すまない吉法。少し出るから、留守を頼むよ」
「はい」
戻ったばかりの玄真さんは、慌ただしく出て行った。
俺は、とりあえず自分の席につく。
そして、事務机にギアを置いて、改めてじっと眺めた。
なんだろう、ギアを見ていると、不思議な気分になる。
妙な、愛着? 安心感? そんなものを感じた。
と、すぐにコトンと、俺のデスクに、湯のみが置かれた。
「どうぞ……」
湯のみは、お茶で満たされている。
それは、盲目の少女が注いでくれた一杯だった。
「……ありがとう」
俺は、少し驚きながらも、お礼を言う。
「これくらいなら、できるの」
さらに俺は、驚いた。
俺の驚きを見ぬかれた。
「そうなのか。すごいな」
「すごくはないよ。だって、普通はできるもの」
普通、か。
この子にとって、俺たちの普通は失われていて、できるようになるためになみなみならない努力を費やしたのだろう。
「あと……ごめんなさい」
「なにがだ?」
「なんか、心を読まれてるみたいで、気持ち悪いって……よく、言われるの」
「あぁ、そこか。いや、驚いたけど、気持ち悪くは思わんよ」
「……そう? ありがとう。わたし、ね。見えないせいか、すごくいろんなこと、感じるの……」
なるほど、よく聞く話だ。
五感のどれかが失われると、他の五感が鋭くなる――というやつだ。
「ありがとう。優しい、ね」
お盆をその小さな胸に抱えて、ちいさく微笑んだ。
「はは。俺は顔が怖い分、優しさが余計強く感じるとよく言われる。きみは俺の顔が見えていないのに、そんなことを言ってくれるんだな」
「顔、怖いの?」
「よくヘビ顔だと言われる。そのせいで玄真さんから、悪名をヘビに由来して付けられたよ」
「ふふっ。おじさんらしいね」
笑った。
歳相応の、可愛らしい笑顔だった。
「そうだ。あのね。今は、好きなものわからなかったから、お茶淹れたんだけど、吉法はコーヒーが好き? 紅茶が好き? 緑茶もほうじ茶もあるけど」
「俺か? 俺は、そうだな……強いていうなら、コーヒーかな」
「コーヒー、だね。ミルクは?」
「ミルクは欲しいかな」
「お砂糖は?」
「砂糖はいらない」
「……うん、わかった。覚えたよ。次からはコーヒー、いれるね」
そう言って、パタパタと小走りに離れていく。
「ありがとう。杏澄、でいいかな?」
俺がそういうと、杏澄は立ち止まって全身で振り返ると、こくんとうなずいた。
吉法――か。
一回り以上違う女の子から呼び捨てにされたのは初めてだ。
「……まあ、悪くない、かな」
俺は苦笑しながら、お茶をすすった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
しばらくして、玄真さんと勘璽さんが戻ってきた。
「さて、早速だが、働くとしようかねぇ」
そして、開口一番にそう言う。
「働くって……なにするんです?」
俺がそう尋ねると、玄真さんは「カッカ!」と破顔する。
「決まっているだろう。我々悪党が働くといったら、悪事を働くに、決まっている」
「っ!!」
つまり、それは――
「吉法。お前さんの、デビュー戦と洒落込もうじゃあないかね」
悪党として、初めての活動――ということだ。
「それでは、ブリーフィングを始めましょう。会議室へ」
勘璽さんの指し示した先には、俺がまだ踏み込んだことのないドアがあった。