【 SIDE:YOSHINORI 】 第2話 悪党、再誕
俺たちは、妙に近未来的なビルの中を歩いていた。
玄真さんが受付で二言三言かわすと、すぐに入館許可証を手渡され、俺たちはそれを首から下げている。
さすがに手慣れているようだ。
「ここは、なんなんです?」
俺がそう尋ねると、玄真さんは振り向かずに口を動かした。
「株式会社、ヘキサグラム。悪党の総本山だよ」
「総本山って……つまり、ここがすべての悪党の本拠地ってことですか?」
「少し違うね。悪の組織は皆独立していて、ここの子会社というわけではないよ。我々の本拠地は、さっきのビルだしねぇ。総本山と言った意味は、ここが、悪党が悪党になるための場所だからだよ」
悪党にはギアが必要だということはわかった。
そして、ここが悪党になるための場所ってことは、つまり――
「ヘキサ・ギアという名前から、ピンとくるだろう? このヘキサグラムは、唯一のヘキサ・ギアの販売元。ここに来なければ、ギアを購入できない」
「つまり、悪党を生み出している母体――という認識でいいんですか?」
「あぁ、そうだねぇ。この会社がクイーンで、俺たちはエイリアンってわけだ」
こうなってくると、新しい疑問が浮かんでくる。
「じゃあ、悪の組織ってのは、一体なんなんです? 悪党たちが徒党を組んだっていう、単純な構図じゃなくなってくる気がしてるんですが」
俺が尋ねると、玄真さんが足を止めた。
「お前さんは賢いねぇ。だが、ちょいと考え過ぎだ」
ニヤリと、イタズラっぽい笑顔を浮かべる玄真さん。
「悪の組織を立ち上げる人間は、大体が決まって、一攫千金を夢見たり、単純に悪党に憧れたり、それぞれそういった理由から旗揚げするもんだ。俺とてそうだ。大企業への一歩だからねぇ」
「大企業への一歩? それは、どういう意味ですか?」
「聞いての通りさ。例えば普通に――そうだね、食品会社を起こして、じゃあ誰もが知る大企業になるには、一体どれほどのものが必要になるだろうねぇ?」
「……考えもつかないですね」
「そうだろう。だが、悪党はどうだ。悪事を働き、ヒーローに勝利し、商売を成立させていけば、いずれは到達する。単純明快なシステムだ。だからたくさんの人間が目指し、一攫千金を夢見る」
「なるほど。悪の組織とはそういうもので、ここはそれを幇助しているに過ぎない、と」
「その通りだ。我々はエイリアンではないからねぇ。生み出したクイーンを守るために行動しているわけではない。お金を払って生み出してもらってるに過ぎんよ」
生み出す者、生み出された者――そういう認識をするとシステムに疑問を感じるが、なるほど確かに、ひどく単純明快に資本主義的だ。
「さて、ではお前さんにも、エイリアンになってもらおうかねぇ」
玄真さんが指したそこは、大きな扉。
その扉はすぐに、「ウィィン」と小さく音をたてて開いた。
「ようこそ、大公様。お待ち申し上げておりました」
扉の奥には、深々とお辞儀をしているスーツ姿の女性がいる。
百平方メートルほどだろうか、なにも置かれていないだだっ広い部屋だ。
壁はすべて水槽になっており、その向こうには見たこともない魚群が悠々と回遊していた。
「これはどうも。スース女史。ご無沙汰してますねぇ」
スースと呼ばれた女性に、玄真さんは片手をあげ朗らかに挨拶をしながら近づいていく。
すると、その女性が顔をあげる。
俺は一瞬、驚いた。
なぜなら、その顔には真っ黒のマスクがかぶせられていたからだ。
大きく、赤いラインの五芒星が描かれているマスクだ。
黒いふわっとした長い巻き髪に、巨乳でグラマラスなボディ。
男なら否が応にもその顔を拝みたくなろう、そんなシルエットだ。
そんな期待をぶち壊すかのように、顔は完全にマスクで隠されていた。
「で、準備は出来てますかな?」
「はい。こちらに」
スースさんとやらがそう答えるや、彼女のすぐ真横の床に突如穴が開き、そこから30cm四方ほどの小さなテーブルがはえてきた。
「映画のセットみたいだな……」
俺は、感心して小さくそう漏らした。
そのテーブルの上には、なにかが鎮座していた。
遠目から見てわかる、金属製のそれ。
「入金も確認済みでございます。契約書に関しましては、残すは……」
「うちの新入りのサインひとつ、ですな」
二人の会話に、俺のことかと悟り、玄真さんに近づく。
「野点様、こちらへ」
すると、スースさんにうながされ、SFよろしく地面からはえてきたテーブルへと導かれた。
金属片の隣には、ペンと紙が用意されている。
「えっと、スースさん。ここにサインを?」
「まあ。野点様。私のことはどうぞスースと、呼び捨てていただきとうございます」
「は? あ、ああ、はい。では……スース。サインはここでいいんでしょうか?」
「あぁ……はい、結構でございます……」
スースは、ほうっと吐息をもらし、身体をくねらせながら肯定した。
――なんなんだ? こいつ。
サインを終えた俺は、ペンを置く。
「結構でございます。これで、契約は完了ということで……あら? 大公様、こちらのお方、悪名が記載されておりませんが……」
「……あー、うっかりしてた。そうだったなぁ」
「悪名……?」
悪名って、悪い評判的な意味だったと思うが……
「悪党の名前のことだよ。コードネームってやつだね。彼女のスースも同じだよ」
「なるほど」
俺の疑問に、玄真さんが的確に答えてくれた。
「んー、そうだねぇ……よし、決めた」
「え、俺が決めるんじゃないんですか?」
「無論。決定権は俺にあるよ」
「横暴じゃありませんか?」
「そうかね?」
意に介さず、玄真さんは書類の前に立つ。
そして、スラスラとペンを走らせた。
「セルピエンテ……スペイン語で、ヘビという意味ですね」
書類に目を落として、スースが言う。
「まともだった!」
「お前さん、やっぱり俺への評価がどこかおかしくないかね?」
「そんなことはありませんよ」
「……そうかねぇ」
セルピエンテ――。
俺の、新しい名前か。
「さぁて、それじゃあギアを起動してもらおうか」
さっきの会話のことを思い出す。
「ギアは、遺伝子情報を読み取り、その人間に身体能力向上とアビリティを授ける、という話はしたねぇ」
「聞きました。アビリティという才能を判別する、とも」
「そうだ。だがね、一番の才能の判別は……」
俺は、玄真さんからギアを手渡された。
「その遺伝子が、ギアを扱うことを許されているか、という点にある」
ギアは、動くかどうかわからない。
そして、ギアを扱うことを許されるか。
悪党の才能。
これらの言葉を総合して考えると、つまり――
「遺伝子を読み取って、ギアが起動しなければ、悪党にはなれない……ということですか」
「そういうことだね。悪党になることを夢見、こうしてここへやってきても、ギアが起動せずに消えていった者は多い」
そう言われて、俺は手の中の六角形の金属を見つめる。
「ギアは、起動しない限り、ただの金属の塊だ」
俺は、ちゃんと悪党になれるんだろうか?
この再就職が、パーにならないだろうか?
「ほれ、人差し指を出して」
玄真さんにそう言われ、俺は心中穏やかならざるまま、指を差し出した。
「痛むよ」
その言葉と同時に、いつの間にか針を持っていた玄真さんが、俺の指を刺した。
「痛っ!?」
血が、にじむ。
「あぁ……うらやましい……私も、刺されたい……」
「……え?」
向こうで、スースがクネクネと身をよじっていた。
「気にするな。彼女はドMなんだ」
「は、はぁ」
「さて、ギアの中心に、溝のあるくぼみがあるね? そこに、その真っ赤な、お前さんの証を、流しこむんだ」
俺はそう言われて、突然の痛みが、“遺伝子を読み取る儀式”の一環であることを知る。
そして、だまってうなずくと、指先の血を見つめた。
このまま躊躇してても、どうにもならないし、なにも起きない。
俺は、そっと指先を傾けていく。
やがて、ピチョン――と、一滴の血液がギアに落ちた。
くぼみは、カショッ! という小さな音をたてて、そのくぼみを失う。
閉ざされた蓋の中で、今遺伝子の判別が行われているのだろう。
それはまるで、リトマス試験紙でも眺めているような気分で――
「おめでとう」
やがて、その六角形の溝という溝に、一瞬光りが走り抜けていった。
「え?」
俺は、なにがなにやらわからないまま、玄真さんを見る。
「ギアが起動したよ」
妙にあっさり、そう言われた。
そして、あっさりと俺が悪党になったことを、知った。
「おめでとうございます……野点様……」
荒い息で、両足をもぞもぞさせながら、スースは俺に向けてそう言う。
俺は、そんなスースを冷めた目で見る。
「あぁ……素敵な視線……」
あっけなさと、あとスースにちょっと引きながら、俺はギアをぎゅっと握りしめた。
全身に、得も知れない力がみなぎっているのがわかる。
――これが、悪党。
そんな実感を噛み締めながら、俺は自分がワクワクしていることに気づいていた――。