【 SIDE:YOSHINORI 】 第1話 そこは、悪の組織
「……悪の組織?」
眉根を寄せた俺の言葉は、小さな雑居ビルの一室に響きわたった。
事務机が6つ、本棚、書類棚に、コピー機やファックス、コーヒーメーカーなんかが並んだ、小さな事務所だ。
実際使われている事務机は、どうやら3つだけのようだが。
「そうだよ。うちの会社は、俗にいう、悪の組織だ」
玄真さんは、ケロッとした顔で、それだけ言った。
今日は、俺の初任日だ。
業務内容とか、そういったことを聞かなかった俺も悪い。
だが、よもやそんな大事なことを言わずに俺を採用したとは、微塵も思っていなかった。
「なにか、問題あったかね?」
ヒゲをいじりながら、玄真さん。
「私からすると、大ありかと思いますが……」
玄真さんのすぐ横に立っている男性が、ため息をつきながら、眉間を指でつまんだ。
細身で長身、美しいまでに真っ白な髪の毛を背中あたりまで伸ばした彼は、兵庫 勘璽さん。
玄真さんの右腕で、この会社の経理兼副社長――らしい。
「それほどかね? 吉法、キミ、悪の組織は嫌いかね?」
その問に、俺は少し考える。
自分は、どう考えているのだろうか、と。
悪党、悪の組織。
存在は知ってるし、時折モニター越しに見ることもある。
場合によっては実際目の当たりにだってする。
悪事を働く連中。
その知識の上で、考える。
俺は彼らをどう思ってるのか。
「……思ったほど、嫌いではないのかもしれません」
それが、俺の答えだった。
よく、わからないが。
なにかこう、染みついた感情のようなものが、そう思わせた。
「そうかね。それは上々。いやぁ、上々」
人懐っこい、という表現が一番適当なんだと思う、そんな笑顔を浮かべる玄真さん。
人たらしな笑顔だと思う。
汚い。
この人は、どうやら悪党。
だが、“悪党”でありながら、“悪人”とは思えない。
罪人ではあるのかもしれないが……心底の悪人ではない。
それは、これまでに付き合って俺が下した、大公 玄真という人の評価だ。
「んじゃあ、勘璽。書類の方は、お前さんに頼もうかねぇ」
「そうくるだろうと思ってました。準備は出来ています」
「いやぁ、さすがだねぇ。上々!」
そう言って、玄真さんは重たそうに「よっこいしょ」と立ち上がった。
この二人、どうやらかなり息があっているらしい。
阿吽の呼吸とは、こういうことを言うんだろう。
「まったく、困ったお人だ」
そう言いながら勘璽さんは、玄真さんの座っていた場所に代わって座る。
「さて、さきほどの言葉から、我々はあなたが我が社――悪の組織である、株式会社クレプスクロに入社の意志があると、そう受け取りました」
「……まあ、ここまできて入社しないとは言いませんよ。玄真さんの誘いだから受けたんです」
俺がそう言うと、玄真さんがコーヒーメーカーの前で、マグカップに角砂糖をドボドボと入れながら「かっかっか!」と笑った。
「糖尿になりますよ」
「だから太るんだ」
勘璽さんと俺の言葉は、ほぼ同時に発せられた。
「あなたとは気が合いそうです」
細い目をやおら緩める勘璽さん。
「さて、それでは記入して欲しい書類と、それからこちらが……」
それから俺は、勘璽さんに説明を受けながら、入社のために必要な書類に目を通したりサインしたりしていく。
しばらくそんなことを続けてさすがに疲れてきたところで、無事に手続きを終えた俺は、続けて玄真さんと外へ出ることとなった。
「申請はしてありますが、スムーズにいくよう改めて電話をしておきます」
勘璽さんのその言葉を聞いて、玄真さんは車のキーを片手に事務所を出た。
俺は、その大きな背中を追って、歩き出す。
「で、どこに行くんです?」
俺がそう尋ねると、玄真さんは首だけ少し横を向けて、視線を寄越した。
「お前さんの、“ギア”を手に入れに行く」
「……ぎあ?」
「そう。ギア。俺たちの心臓だ」
頭の上に疑問符を浮かべていると、近場の月極駐車場に到着するや、玄真さんが一台の車にキーを差し込んだ。
「さあ、乗ってくれ。男二人のムサ旅だがね」
その言葉に、俺はその赤い車の助手席に乗り込む。
「どっこいしょ」
運転席にすべりこむ玄真さん。
明らかに、車のサイズがあってないように思う。
「……なんだね?」
「いえ、なんでも」
「大方あれだ、もっと大きい車に乗ればいいとか、さしずめそんなことを思っているんだろう」
「なんでバレました?」
「目を見たらわかる。趣味で乗ってるんだ、放っておいてくれ」
「趣味」
「そう、趣味だ。乗るならレトロなビジュアルの方がいいんでね」
そう言って、玄真さんはエンジンをかける。
確か、パーカーだかウーパーだか、そんな名前の車だと記憶している。
しかしそのレトロさは、見た目に可愛く小さい。
デカイ玄真さんが乗るには、少しサイズ感が合致していない。と思う。
「で、ギアってのは、車のことですか?」
「車のギアを手に入れて、お前さんなにをしようってのかね?」
「わからないから聞いてるんです」
俺がそう返すと、玄真さんは苦笑しながらアクセルを踏んだ。
ゆっくりと、車が前進を始める。
「ギアってのは、正式名称をヘキサ・ギアという。ヒーローないしヴィランズスーツの、中核となるパーツだ」
「スーツの、中核……だから心臓」
「そうだ。ギアを持たないヒーロー・悪党は存在しないのだよ」
そういった意味でも心臓なのか。
俺は少し感心する。
「ギアってのはね、起動に遺伝子情報の登録が必要になる。登録すると、ギアはその人間に才能の有無を伝えてくれる」
「才能? 悪党の、ですか?」
「大方あってるねぇ。ギアは、ひと度起動すると、使用者に多大なる恩恵を授与してくれる」
ふと外の景色に注視すると、いつの間にか俺たちの乗った車は、どこかビジネス街のビル群の中にいた。
「ひとつが、身体能力の向上だ」
「身体能力の……向上? そうか、だからヒーローや悪党は、人並み外れたことができるのか」
「そういうことだねぇ。いくらスーツをまとっているといっても、戦闘の衝撃に耐え切れる身体は必要だし、例えば相手のスーツを破壊する腕力も必要だ。なんなら、建物を飛び越える脚力みたいなものもね」
「それが、ギアによるものだと」
特に疑問に思ったことがなかった。
彼らがいるのが当然の世の中に生まれて、そういうものだと思って生きてきた。
そうか、彼らが特別に生まれてきたのではなく、彼らを特別たらしめているアイテムが存在したわけだ。
「そしてもう一つが……アビリティだ」
「あびりてぃ?」
「そう。一昔前で言うところの、超能力ってやつかねえ」
超能力。
ああ、そうか。
前者は、人として使える機能を強化しているだけだが、確かにヒーローも悪党も、妙な能力を使っているシーンを見かける。
空を飛ぶやつがいたり、瞬間移動するやつがいたり。
電気や炎なんかを出すやつもいるが、手から直接出してたりするし、あれをすべてスーツの性能で片付けるのは難しい。
確かに、身体能力の延長線上ではないのか。
「ギアは、その人間にひとつだけ、けっして変更のきかないアビリティを授ける」
変更がきかない――それは、つまり……
「どんなショボい能力でも、受け入れる他ない、と」
「その通り。いわく、それこそが才能、と。とどのつまり、その人間の遺伝子を読み取ることで、その人間がどんなアビリティを使えるかを判断しているに過ぎないわけだ」
なるほど、ギアは人間の遺伝子という方程式の解を提示しているにすぎないわけか。
「で、このふたつが、ギアによってもたらされるわけだ」
玄真さんの言葉に、俺はせまい車内でちいさく手をあげる。
「……質問が」
「なんだね?」
「それと、悪党の才能の有無ってのは、どう関係があるんです?」
俺の質問とほぼ同時に、車が突然ビルの地下駐車場へと滑りこんでいく。
車内が、一気に暗くなった。
「いい質問だねぇ。今の説明でわかったと思うが、我々はギアを使ってなんぼだ。身体能力といい、アビリティといい、ね」
地下駐車場のライトに照らしだされた玄真さんは、慣れた手さばきで、バック駐車を行っていく。
「だがね、ギアは、動くかどうか、わからんのだよ」
「……は?」
すっとんきょうな声が合図だったかのように、車のエンジンが止まる。
玄真さんは、鍵を引き抜いてドアに手をかけた。
「行くぞ。お前さんは大丈夫と、確信しているがね」