赦し
…なぜ、こんなことになっているんでしょうね?
黒い手が白縹の彼…ヘルゲさんを殺してからおよそ9か月。突然、びっくりするほど元気になったヘルゲさんが私に端末から接触してきて「あの時は世話になった、ありがとう」と言った。…自分を殺した魔法を仕掛けた張本人にお礼を言う彼が面白くて、思わず笑ってしまいます。
私は正気に戻ったその日から、私が犯した罪がどんな結末を辿ったのかを調べる日々でした。エステルの息子が繋いだ命の系譜を辿ってみたり。私に張り付いているカナリアの彼女のことを調べてみたり。そんな贖罪の道を探す日々に少しずつ光明のような温かさを落として行ってくれるヘルゲさんと紅蓮の…ああ、こう言うと怒られるんでした、今はガードっておっしゃるんですよね、はい。その彼らの優しさに戸惑うばかりです。
なぜでしょうね?なんで私はこんなに優しくされているんでしょう。ですがこんなに純粋な好意を向けられて、私の来歴をわかった上でごく普通に私を人間として扱う彼らを無碍になどできるわけがない…そう、私は身の程知らずにも、嬉しくて仕方ないんです。
そうやって光の差す方向をつい見てしまう私は黒い手と相容れません。心が温かくなるたびに、魂に痛みが走ります。お前は闇しか見る資格はない、と言っては片手分の爪を剥ぐ程度の痛みを与えてくるんです。まあ、大したお仕置きでもないですが。
もちろんカナリアの彼女も同じです。私と違ってもう明確な思考さえできないほど呪詛そのものになっている彼女は、ずっとアイシテル、シバリタイと歌って光を見つめる私の体を締め上げます。…こちらの痛みは鞭で打たれる程度でしょうかね。
それにしても最大の驚きはデボラとの邂逅でした。マギ言語研究家の彼女は…エステルの息子の子孫。私の、子孫でした。そして私とエステルのことも知っていて、そのことにも驚かされる。もう自分を赦せと私を叱る口調も仕草も、エステルそっくりだった…
デボラはエステルの愛情を否定するなと言います。ですが、どうやってそれを調べたらいいんです。彼女はもう時の彼方で死んでしまった。そのことで悶々としていると、ガードが「お、いいね…ヨアキム、こっちゃ来い」と言うので付いていったら、繋がった先の端末にデボラが居ました。
『…この前は少し言い過ぎました。考えはまとまりましたか、ヨアキム』
「いえ…正直、狂っていた時の記憶が曖昧で。エステルが何かを言ったような気もしますが…ミアス兄様も特に何も…うーん」
『ははは、なるほど。では私から少しヒントを差し上げましょう』
「ヒント?」
『ええ。移動魔法の石板があるのに、イェレミアス様があなたを再度助けに行けなかった理由です』
「…あなたは、過去でも見てきたのですか?なぜそんなことまで…」
『ふふ、それは後で。…イェレミアス様はですね。エステル様の子の父親があなただと知っていたんですよ。様子がおかしすぎるエステル様を問い詰め、絶対に妊娠していても堕胎させないことを条件にエステル様がお話ししたんです』
「…は?ミアス兄様は…知っていて産ませたんですか?私の子を?」
『そうですよ。そうじゃなきゃ処女懐胎なんて言い出すもんですか、胡散臭い』
「う…胡散臭いって…」
『イェレミアス様はあなたを探しに、あの後石板を使ってこの国へ来たんです。でも、あなたは行方をくらませたんでしょう?』
「…ええ、引っ越しましたね」
『エステル様は…あなたの行為と、狂気にまみれた様子にショックを受け、少々体調が悪くなっていたようですね。その療養のため一度国へ戻り、そして妊娠が判明した直後は狂気に支配されているあなたを再度エステル様へ近づけるわけにはいかなかった。万が一流産でもしたら事ですからね。それですぐには救出できず、ようやく探しにいったらあなたはいない。そうこうしているうちに…あなたはアッサリ死んでしまった。だからイェレミアス様は、処女懐胎という案を思いついたんです。あの石板をまさか何年も前に行方知れずになったあなたが作り上げていたとは王族も思わなかった。そこでその天啓というホラ話に説得力のある証拠を携えて、一世一代の大博打を打ったんですよ、あなたのお兄様は』
「…あ…そういえば…ミアス兄様の手紙に『お前は悪くない、無理な婚姻もさせないから戻って来い』と…あれは、そういう意味で…」
『ほら見なさい!まったく、一人でぐちゃぐちゃ考えるからそんなことになるんですよ!どうです、参りましたか?』
「ぷ…は、あはははは!デボラ、まったくあなたは…エステルそっくりですね」
『何なんです、それは聖母様にそっくりという最大級の褒め言葉なんでしょうね?何で私がこんなことを知っているか教えて欲しかったら頷くべきですよ?』
「く…はは、ええ、そうです。もちろん最大級の褒め言葉に決まっていますよ、デボラ」
『んふん?では教えて差し上げましょう。金糸雀の古老が”語り”で聞かせてくれたんですよ。思えばあの御仁は私がエステル様の子孫だと分かったから話してくれたんでしょうねえ。ああ、それとその…呪詛の歌を歌わせたカナリアの方がいらっしゃったとも聞きまして、彼女についても一言ありました。”一緒に生きてあげてくれればいい”とのことでしたよ。よかったですねヨアキム、これであなたの後顧の憂いは絶てた。さあ、さっさと観念して私たちと遊ぶのに全力を尽くすとお言いなさい!』
私はぽかんとしてから、笑ってしまった。
ああ、本当にこの強引さときたら!エステルそっくりですよデボラ。
そんな風に笑っていたら、最後に聞いたエステルの言葉がハッキリ記憶に浮かび上がってきた。
”キム兄様は悪くない。大丈夫、私も愛しているから、こうしてほしかったから、キム兄様を追いかけてきたの。キム兄様は悪くないのよ、悪いのは私”
「あ…」
『どうしましたヨアキム?』
「エステルに…愛していると、言われたことを、思い出しました…」
怒涛のように、エステルとの幸せだった日々が甦る。ベッドに潜り込んでくるエステル。私が朝食を食べるまで見張っていると言うエステル。新婚夫婦のようだと言われて照れるエステル。生涯を処女として独身を貫いたエステル。私との間の息子を必死に守り、産み育てたエステル。
ああ、愛している。私も愛しているよエステル。
700年前も、今も、これからもずっと愛している。
デボラは、臆面もなく涙を流し続ける私を静かに見守っていた。
そして段々力強くなる、有無を言わさぬ調子でこう言った。
「ね?あなたはもう赦されていいんです。エステル様のかわりに私が赦します。だから、さっさと、全力を尽くすと、言いなさい!!」
「は…はは…!わ、わかりましたデボラ…あは…あなた方と遊ぶために全力を尽くしますよ…くくっあはっ」
泣き笑いする私を満足そうに見てデボラも笑うので、すっかり私たちは楽しくなってしまいました。そのかわり、黒い手からもらった痛みと来たら、眼球が潰されたときくらいでしたけどね。
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この後私たちは、緑青のこと、ヴェールマランのこと、金糸雀のことなどを話した。そしてもちろん、デボラがどうやってヘルゲさんたちと仲よくなったのかということも。少しガードからも聞いていたけど、ガードは詳しい説明を求めようとすると面倒臭くなるらしく、すぐに「んあ?まあ適当によ、なるようになったっつーか?」みたいな返事で流そうとするから…それでよくヘルゲさんのことを「面倒臭がりも大概にしろよ」とか言うものですよ。
夜が明けるまでデボラと話し込んでしまい、ヘルゲさんが起きてきてびっくりしていました。しかもあんなに私をそのまま恨んでいてほしいと願った自然の体現者の彼女…ニコルさんが、私に「ごめんなさい」と強制的に言わせて、いきなり許すって言うんですよ…私、立場ないです。
そしてその日のうちに私は「真っ黒い手と呪詛の歌にほぼ同化した汚泥」から、「6対の純白の翼を持った、祝福の歌に包まれたヨアキム」へ改造されました…この驚き、わかります?
カナリアの彼女は喜びに溢れていて私を慈しむし、白い翼は私を痛みや苦しみから遠ざけようとします。もちろん溶けたままになっていた右腕も治ってしまいました。しかも翼と祝福の歌の影響で、なんだか性格まで少し変わった気がするんですよね…おっかしいな、今まで常時付きまとっていた苦痛が無くなると違和感バリバリなのですけれど…でも温かくて…エステルと市井で暮らしていた頃のようですね…
私が生涯愛する女性はエステルだけに決まっていますが、愛の形って一つだけじゃないですよね、なんて考えまで出てきます。元カナリアの彼女の事は、大事な一緒に生きていく相棒だと思っていて、翼のことは私を浄化する小忌衣だと思っています。ああ、小忌衣というのは潔斎の時に着る純白の衣装のことなんですよ、ぴったりでしょう?でもこの翼、もうヴァイセフリューゲルなんていうハイカラな名前が付いてるんですよね。うーん…これがジェネレーションギャップと言うものでしょうか。
ガードともたまに「…ジェネレーションギャップについていけねえよな。うちのマスターよぉ、自分の心の中に曼荼羅か世界樹かっつーデザインの方陣複合体作っちまってるんだぜ?バチあたりだと思わねえ?」「うわ…本当ですか?それはまた…」とコソコソ話していたりします。まあ、その辺の話はまた…別の機会にでも。
これが、私の生きてきた軌跡です。お耳汚しで申し訳ありません。ですが…彼らと遊んでいるとね、私が「紅蓮の悪魔の仲間」に入れたような気がしてるんです。あの矜持と信頼でできている、彼らの仲間にね。こんな700年あまりの人生を歩んできた私でさえ受け入れる不思議な白縹の仲間に、ヴェールマラン出身の私が入りました。…そんなお話です。
こちらでヨアキムの外伝は完結です。
重い話にお付き合いくださって、ありがとうございました。
明るいヨアキムの話は本編のThreeGemでどうぞ!