運命の言霊
アルカンシエルへ着くと、私はただのヨアキムという移民として暮らし始めた。貴族のしがらみなど何もない生活はしっくりと馴染み、魔法が妙に得意で器用なマネをする男として重宝されていた。そのうち紫紺の偉い人が自分の仕事を手伝えと言って、魔法の研究所へ就職が決まった。
そこで、私は運命の言霊と出会った。
その魔法研究所には紫紺の長からの命令で、この国を効率よく治める為の魔法を開発せよと命令が下されていた。紫紺の人々はヴェールマランのように魔法の言霊についての造詣が深くはなく、たどたどしい言霊を使っているように見えた。私は…自分の力がどれだけ突出しているのかを目の当たりにし、あまり目立ちすぎないように気を配った。しかしある日それは天啓のように私の脳裏に閃いた。
思考する、マナの渦…
あの白縹の、時間を止めた男性が最期に使った哀しい歌。あのマナはまるで命を得たかのようだった。キラキラと、儚い星のように瞬く。死んでしまった大切な人を深く愛していたという、心の悲鳴。哀しい、哀しいと、か細く鳴いて追いかけて行く歌。
私は懸命に考えた。ヴェールマランが生まれ変わったように、この国も優しく、温かくなればいい。
そうすればきっと、こんな血で血を購うような戦乱の時代も終わるに違いない。
そうすればきっと、エステルも、皆も…幸せに暮らせるに違いない。
こうして私は魔法の言霊たちに命を与えるべく、日々研鑽していった。私のやっていることを見た研究所の所長は眉を顰める。紫紺の長様が欲しいのはそんな夢物語のようなマナをこねくりまわす粘土遊びではなく、もっと即戦力となるような…すごい魔法なのだ、と。
どこにでも、高度なことを理解できずに青臭いだの夢物語だのと言う輩はいるものだな。そんなことを気にしているから、少数の白縹の戦士たちに蹂躙されるんだ…そんな少し傲慢な考えになっていることも、その時の私は気付かなかった。
私は研究に没頭し、周囲のバカにする声も所長が諌める声も聞こえていなかった。何がわかるんだ、この崇高な目的の何が、お前らにわかるんだ。
そしてできあがったものが、「人の如く、流水の如く、大木の森の如く、優しく、厳しく、温かく思考するマナの渦」だった。概念としてまとめるならば、こういう表現になる。実際は複雑に絡み合った…マナの命がお互いにお互いを支え合うようなマナの命の核だった。
「…できた…!これを自律思考するマナの母体として…魔石を使ってマナのルートを確立。魔石を通してどんどん情報が蓄積されれば、それだけこの母は賢くなるだろう。これでエステルも安心して暮らせるぞ…」
後に”マザーの核”と呼ばれるこの母体を作り出したのは、私がヴェールマランを出奔してから2年後のこと。私は20歳に…エステルはそろそろ18歳の成人になろうかという時期だった。
エステルとは、内密に連絡を取っていた。居場所を知らせると約束したこともあり、今は紫紺の国で大きな研究をしているということも知らせた。エステルからの文には、王が非常に鎮痛な「遺憾である」という内容の文を伯爵家へ出し、しかし特に父様にも兄様にも咎はなかったこと。今はミアス兄様が伯爵家から出仕してくれていることなどが書かれていた。
私は…自分勝手なのもわかっている。出奔した後始末を家族に押し付け、自分はのうのうと気楽な人生を送っていることも。エステルからは何故か執拗にどこの職場に勤めているのかとか、どんな人が周囲にいるのかといったことを聞かれていた。特に隠すようなことでもないので文に書いては送っていたが、それもエステルがとんでもないことをするための下準備だった。
ある日、所長に呼ばれると苦い顔をしてこう言った。
「…ヨアキム、私は再三注意したぞ?長様の望むものを作れと…なぜあんなものを作ったのだ…」
「あんなもの…とは、私の作った自律思考の母体ですか?」
「そうだ!あれを…長様の直轄部署で研究し直せとの命令だ。長様の注文に今度こそ応えなければ、お前…命が危ないぞ?」
「は?命が…ですか?マナの研究をしているだけで?」
「その研究成果が、危険視されているのだろうが!もう俺もお前をかばってはやれん。せいぜい、長生きできるよう大人しくするんだぞ…」
…今まで所長が私を庇ってたとはどういうことだろう?分からないが、まあ研究できるならどのような場所でも良いと思い、素直に転属を受け入れた。
最初は特に問題もなく、多少荒くれ者がいたり血生臭い戦場の匂いをさせる人々がいる場所だなとしか思わなかった。そのうちさすがにここが「暗部」であることに気付いた。なぜなら小さなマナでも殺傷力の強い魔法や、自白を強要するような魔法が頻繁に使われ、それらをもっと効率的な言霊で作り直せとも言われたからだ。
別にその程度のことは当たり前だったので驚きもしなかった。元からヴェールマランでもそういった魔法は敵の間者に使用されていた。私にとっての禁忌はただ一つ、あの黒い手だけだった。あの魔法は「魂喰」という名で、お師様が作り上げたものだ。実は私はそれ以外にも、純粋に好奇心から王に預かったあの紙束を読破していた。
そこにあったのは、心理魔法「洗脳」と時空魔法「次元」だ。さすが王族の考えることは違うと驚嘆したものだった。もちろん洗脳は読むだけ読んで封印。しかし次元の魔法はかなり興味を魅かれた。あれは今で言う移動魔法の大元になる理論を備えた魔法で、次元に干渉できるけれどもそれを歪曲して別の地点を繋げるところまでは行っていなかった。王族の義務として次元魔法を何かしらの「使える魔法へ昇華させよ」というのがあったらしいが、進捗は思わしくなかったとのことだった。
…しかし私はヴェールマランで、密かにそれを昇華させてあった。
と言っても毎日非常に忙しかったため、かなり粗雑な作りではあった。紫紺の国へ行ってからゆっくり精度上げに取り組もうと思い、12個の簡易な方向指示用魔石と、中央に次元魔法を元に作った移動魔法の魔石を据えた石板だ。
これは、ヴェールマランを出奔する際に非常に役に立った。本来なら王へ捧げるべき成果だったが、そんなものをあの時期に献上しては増々しがらみが増えたことだろう。そして今は自律思考の母体が優先だったため、私の自宅にこっそり石板を隠してあるというわけだった。