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一回目

堅苦しい文章なんて書けるかい!

Y:あのぉ。

T:はいはい。

Y:なんか、久しぶりやねぇ。

T:ねぇ。どないしてましたか?

Y:まぁ、なんとのう生きとりましたわ。

T:それは宜しいこって。

Y:そいでですね、今年は公共放送の大河ドラマが「豊臣兄弟!」ですが、観てます?

T:大河ドラマって何年も観てへんよ。最後に観たんはいつやったやろうか。

Y:そないに観てないんですか。

T:あんたも観てへんやろ。

Y:それこそあんたが観やんやったら、観やんですよ。

T:そうなるよな。

Y:折角受信料払とるんやから、観ようよ。

T:払うん辞めた方が早いで。

Y:そない思うけど、あとで公共放送の職員に絡まれたら面倒くさいし、とりあえず素直に払とくよ。

T:そう言えば、福山雅治さんが坂本龍馬演じたあたりは観とったような、そないな記憶があるよ。

Y:なんか、そないな記憶はありますよね。

T:それで、まさかと思うけど、豊臣秀長について、語れとかは言わんですよね。

Y:そない言おうと思て、話し掛けとるんやけど、無理?

T:無理。

Y:ほな、なんか違う話題に変えまひょか。

T:変えてくれな困るよ。

Y:何が宜しい?

T:まぁ、最近の話なんですけど、本を一冊、読み返したんですよ。

Y:ほぉ~。

T:藤田達生さんの「謎とき本能寺の変」という、講談社現代新書の一冊なんですが、この本の百八頁の次のような事が書いてあったんですよ。少し長いけど書き出してみるけどさ、


 また義昭は、天正七年六月十二日付の幕府奉行人奉書で、公家で小早川家の家臣となっていた飯田尊継に対して、彼の父が持っていた山城国小栗栖の遺領を相続することを許可している。また、同日付の幕府奉行人奉書で、尊継の京都周辺にあった本領の相続も許可している。相続問題でも、義昭の幕府は効力をもっていたのである。


 と、言う部分なんですね。読んで、なんか気が付きません?

Y:はて?

T:ここで言う義昭って言うんは、将軍の足利義昭のことで元亀四(一五七三)年の七月に信長と仲違いした挙げ句、京都から追い出されて、この時は毛利輝元に保護されて、備後国の鞆って言う海辺の町に居ったんやな。これを鞆幕府って言うんやけど、義昭は公家で小早川隆景の家臣にもなっていた飯田尊継の家督相続を認める文書を発行しているわけですよ。これ自体は普通なんでしょうけど、京都から遠く離れとるのに、京都にある土地を相続しますって言われても、戦国時代に引き継いだ本人の尊継が京都に居らんで、大丈夫かいなって思たんですよ。

Y:確かに、その尊継さんが地元へ帰ったら、他の人が勝手に住んでそうですやん。

T:まぁ、そうなんですね。そやから、形式的な手続きやったんやないかって思てはいるんですけど、案外、地元で家族が守っとる可能性も無いとは言えへんけど、公家の持っとる軍事力って大したことは無いやろうし、それこそ信長が軍団で蹂躙したら一瞬やと思うよね。

Y:可哀相やけど、飯田さんの京都の土地って、無いなってそうやな。

T:もう一つ、気になることがあってさ、小栗栖と聞いて、なんか思い出しません。

Y:あれですよね、明智光秀が討たれちゃった場所ですよね。

T:そうなんですよ。単純に考えると、仮に本能寺の変の黒幕が足利義昭であったり、毛利輝元だった場合、この飯田尊継が間に入っていたと言えるでしょうね。それに明智光秀には生き延びたという説もあるんですけど、この場合にも飯田尊継が小栗栖の知り合いか誰かに手を回す、もしくは自身が小栗栖へ行って、明智光秀を助けてどこかへ落ち延びるのを手伝ったとも言えるやろうけど、そこまで描いてはる作家さんは今んところ、居らんみたいやな。

Y:ほんまに明智光秀は落ち延びたんかいな。

T:有名なのは徳川家康のブレーンである南光坊天海になったとか、どこかのお寺で出家して、ひっそり暮らしたとか、山奥の村で暮らしたとか、色々言われとるけど、今の処、どれが正しいとは言えへんよな。そやから、飯田尊継が本能寺の変に関わったとか、言うのは勝手で何の証拠も無いんやけどな。

Y:でも、面白そうやん。明智光秀が生きとったら。

T:まぁ、そうなんですけどね。明智光秀も若い頃の記録がさっぱり残っていないし、天海さんも出身地とか、親の名前とか、生まれた年とか、そういう記録が無いんですよね。だから、明智光秀が生き延びて出家して南光坊天海として世に出てきたのでは無いか、その様に言われるんですよね。

Y:なるほど、そうなんや。

T:ところで、この飯田尊継なんですけどね、調べたけど、没年はわかったんですけど、生まれた年はわからなかったんですよ。

Y:わからんことだらけですな。

T:京都の公家やったのに、何がきっかけでいつ、京都を離れて小早川隆景の家臣に加わったのかもわからへんし、親の名前もわからへんかったんよ。

Y:まぁ、しゃぁない。

T:亡くなったんが天正十八(一五九〇)年って言うんはわかったんですよね。それで隆景の家臣団としては結構上の方に居たみたいで、磯兼景道、粟屋元利と共に五日に一度は三原城の城下を交替で巡回したとか、そないなことをWikipediaに書いてあるよな。

Y:Wikipediaに頼りなや。

T:悪いねぇ。あと息子の景利は隆景が亡くなった後、毛利家の家臣団に移ったって言うから、毛利家で飯田って言う家臣が居ったら、尊継の子孫って言えるやもしれへんよね。

Y:子孫が続いてはったら良いよね。

T:も一つWikipediaからやけど、「地下家の一覧」って言う項目にさ、三宝院門跡坊官に飯田家があるんですよ。これが飯田尊継の身内かもしれへんよなぁ、思うんやけど、そこまで調べてはる人はおらんみたいで、何とも言えへんのよ。

Y:自分で調べなはれや。

T:無茶言うし……

Y:ところで三宝院門跡坊官って何?

T:三宝院って言うんは京都市にあるお寺で、門跡って言うのは皇室出身者や上級のお公家さん、将軍家の出身者なんかが住職を務めることで、坊官って言うのは門跡を支える事務やらなんやらを引き受ける役職のことなんやな。それで三宝院の位置を調べたら、明智光秀が討たれた小栗栖にも比較的に近いんですね。まぁ、小栗栖と言っても広いから、飯田尊継の持っていた小栗栖の土地と、明智光秀が討たれた小栗栖を引っ付けるのは無理があるかもしれへんし、近所付き合いがあったかもしれへんし、なんとも言えへんけど、な。

Y:こじつけようと思たら、なんでもでけそうな話やな。

T:も一つ、話が有って、インターネットで小栗栖について調べたんですよ。簡単にやけど、そしたらさ、小栗栖には飯田党って言う組織があって、その人らが小栗栖を通った明智光秀を討ったとか、その様に伝わってるんやって。

Y:うちらが知っとる話とえらいちゃいますやん。確か地元の農民の竹槍で刺されたんやろ、明智光秀って。

T:明智光秀を退治した人とか、貶めたい人からすれば、農民の竹槍で刺されて死んだ方が都合がええんやろうけど、実際には兵農分離の前やし、暇な時は畑を耕して自分らの食う野菜とか育ててたかもしれへんし、その方が自然やと思うよ。それに明智光秀と飯田党の両方の名誉のためにも、小栗栖で飯田党によって明智光秀は討ち取られましたって、世に広まって欲しいよな。

Y:その飯田党が、世に広がって欲しくないとか?

T:それは無いやろうな。ただ、歴史を書いた側、明智光秀を討ち取った側の人らが、農民の竹槍で刺されたって書き残したから、それが広く伝わってしまったんやな。明智光秀がいくら疲れて、大変やったとしても、一応武士なんやから、そない簡単に討たれたら面白くも無いし、最後まで戦って亡くなった方が、一人の武士らしいやん。大河ドラマでも、きちんと調べて描いて欲しいよな。

Y:その、飯田党はなんで明智光秀を討ったんやろうか。

T:ネットの記事によると、飯田党が元々織田信長の家臣団やったという話と、身内に信長の家臣が居ったとか、そういう話が有って、どっちにしても光秀の謀叛には加担してなかったみたいやな。

Y:そうなんや。毛利家に行ってもうた尊継と、信長に寄ってもうた飯田党で、見事に敵味方に分かれたんやな。

T:それこそ小説とかやったら、毛利に付くか、信長に付くかで、議論似議論を重ねて、飯田一族が二つに分かれて、最後の最後で和解するとか、そういう感じやろうか。

Y:そろそろ遅うなりましたし、締めまひょか。

T:締めるんは構わへんけど、誰か、飯田尊継や飯田党について調べてくれへんやろうか?

Y:ここで言わんと、自分で調べなはれや。

T:それができるんやったら、とうの昔にしてまんがな。

Y:そりゃそうか。

T:嫌なこと言わんと早よ寝なはれ!

そう言うわけで明智光秀の首を取ったのは小栗栖の飯田党ということだけは覚えておいて下さい。

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