【回帰】婚約破棄?絶対イヤです!〜人生五度目の正直〜
数ある中からこの作品を選んでいただきありがとうございます!
「エマ・リヴェル、君との婚約を破棄したい」
それはダリオン公爵家にあるルークの自室で静かに行われた。
エマは悲しみに顔を歪め、視線を落とした。
ルークは、彼女の傷ついたような表情に胸を締めつけられた。
それでも、伸ばしかけた手を、そっと握りしめるしかなかった。
(できることなら俺だってエマの隣にいたい!
死の瞬間、時が巻き戻った。そして──これが五度目だ。
もうどうすることもできないんだ!)
ルークのどうしようもない憤りと哀しみが、心の中で行き場を求めて暴れていた。
と、ここまで婚約破棄宣言から五秒経過──。
「嫌です」
「うん⋯⋯ん?」
ルークは呆気にとられた。
「ですから絶対嫌です」
「えっ?」
目の前にはエマが背筋をピンと正して座っている。
「婚約を破棄したくありません。理由をお聞かせください」
ルークは嬉しさとともに沈んだ気持ちが胸に広がった。
(幼馴染のエマには隠し事はできないか。でも信じてもらえるかどうか⋯⋯)
「エマ、驚かないで聞いてほしい⋯⋯ダリオン公爵家は潰れる」
エマは開いた口をそっと閉じて続きを待った。
ルークは四回に及ぶ人生の失敗を話した。
一回目は蝗型の魔物・ドレットローパの大規模な領地襲撃。
ただ何も分からずルークは殺された。
二回目は襲撃に耐えたが、ダリオン公爵家は潰れた。
また何も出来なかった。
三回目は、逃げた。
⋯⋯ただ怖かったんだ。何もかも全部。
四回目は戦った。
だが、エマを失った。
生きる意味など、もう見いだせなかった。
ルークの手は震えている。
そして声が掠れる。
「どの人生でも、結局、何も救えなかったんだ」
エマの温かな手がルークの手を覆う。
「少なくとも今の人生はまだ誰も失っていない」
* * *
「困ったことにドレットローパがやってくるのは収穫二週間前。聖教会の聖歌女を依頼して収穫しても聖教会への支払いで相殺。⋯⋯手元には何も残らない。
だからといって作物を育てないと居住区で暴れ回る」
「⋯⋯ひどいわ⋯⋯。それなら魔塔は?」
エマの声はうわずる。
「ドレットローパの殲滅だけじゃない。瘴気を残していくから殲滅後に浄化魔法が必要なんだ」
領地を守るには、魔塔に魔導士を雇うか、聖教会から聖歌女を呼ぶしかない。
だが、どちらも莫大な金がかかる。
「⋯⋯それでも、やるしかなかったんでしょう?」とエマ。
彼女の声は震えていた。
ルークはうなずくしかなかった。
「結局、借金ばかりが残った。何も変えられなかったんだ」
彼女の視線は左右に細かく揺れる。
「借金はダリオン家だけで負担しなくてもいいのよ。リヴェル家も一緒になっていけば──」
希望を捨てていないエマはルークを元気づけるように弾んだ声を出した。
「その十年後、ダークモスの襲来で悲劇は繰り返された⋯⋯父様やリサ姉様たちを失って家も潰れた。そして母様の心は壊れた⋯⋯俺たちダリオン家は逃げるしかない! そして君には生きてほしいんだ!」
ルークは言葉を放ったそばから後悔した。
(エマに当たるべきじゃない! 君を失いたくないってなんで言えないんだ!)
苦しそうに手揉みするルークをエマは見て首を傾げた。
「それならなぜ、四回目は逃げなかったの?」
「魔物の襲撃はその後も何度もあった。十年後、八年後、五年後⋯⋯その三年後、戦争が起きた」
「戦争⋯⋯」
エマは、見ているだけで胸が痛むほど顔を歪めた。
度重なるダリオン公爵領への魔物の襲撃。
その問題は、ついには国中を揺るがす騒動へと変わっていった。
そして魔物との戦いに疲れ切った我が国を狙った隣国・ヴァルディア帝国が刃を向けた。
「だから四回目に俺は父様をなんとか説得して魔導士を雇ってドレットローパを倒した。借金は背負ったがなんとか公爵領は潰れずに済んだ。しかし君を失ったその人生にどこを向いて生きていったらいいか、分からなかった」
ドレットローパの戦いで魔導士にも甚大な被害。その十年後のダークモスの襲撃では前回の人員の半分しか魔塔は寄越さなかった。
「人がいなかったんだ。ドレットローパで優秀な魔導士もかなりやられてしまった。それを見た若い魔導士も逃げる者が相次いだと聞いているよ」
ルークは憔悴しきった顔を、エマへと上げた。
「ダークモスとの戦いは思い出したくもない惨劇だった⋯⋯鱗粉に含まれる幻覚魔法で人同士も殺し合ったんだ⋯⋯」
ルークの震える声を聞いて、エマは息を呑んだ。
この時ようやくルークが婚約破棄を決意したことに合点がいったのだ。
一瞬、目を閉じた。痛みを嚙みしめる。
「ルーク⋯⋯」
その痛みを飲み込み、再び彼の手を取った。
「ドレットローパの襲撃はいつ起こるのですか?」
「一年後だ」
* * *
一年後──。
エマを先頭に高台の丘。
拡声魔法でダリオン領地全土にその声が響き渡る。
その少し前、聖歌女たちには枡目に区切った農地それぞれの中央部分だけ農作物をたわわに実らせてもらった。
中央だけならなんとか出来る範囲だった。
「魔導士の皆さま配置についてください。その後の指示は各隊長に従ってください」
枡目状の農地で各隊長が配置につく。
この日のために招集された魔導士は、王国全体の実に七割に達した。
そこへ空気が揺れ始めた。
風ではない──低く唸る空気に、翅音が混ざる。
黒い波打つ塊が空を垂れ込めて、近づいてくる。
ルークはその様子を見て、心臓が跳ね上がった。
「エマ⋯⋯大丈夫かな?」
「あなたはもう一人じゃない。皆がいるわ」
ドレットローパの大群。
翅音が空を満たし、何も聞こえない。
遠くで火花が起こると、左右の小隊から次々と炎魔法が杖から燃え上がる。
空から大きな炎を使う隊、雷を使う隊、闇魔法で飲み込む隊──。
その中にはなんと女性だけで編成された隊もある。
彼女たちは飛ぶと農地上空で輪を形成した。
そして歌うように詠唱する。
「風の王に仕えし精霊たちよ──
その名において命ず。
汝の息吹を刃と変え、穢れを断ち祓え!
風精刃!!」
翅音が消え、風だけが吹いた──
それが、終わりの始まりだった
鎌鼬のように風の刃が角度を変えながらドレットローパに斬りかかる。
風圧で巻き上がったドレットローパたちは、空中で風の刃に胴体を裂かれていく。
「すごい⋯⋯」
感嘆の声を零すしかなかった。
ルークはこの一年間の出来事を思い出していた。
* * *
ルークの婚約破棄宣言からすぐのこと──。
ルークの話を聞いたエマは懇意にある王女に説明をした。
その王女はエマに信頼を寄せていたので王に直訴。
その間にルークは自身の父親に話を進めた。
王は首を縦に振らなかったが、条件付きで認めた。
『魔塔と聖教会への説得に王は関与しないこと』
『本当にドレットローパの襲撃があった暁には、その年の一部免税と分割支払いの許可を出すこと。その後三年間は減税の実施をすること』
エマは王女とエマの家族、ルークの家族で話し合った。
魔塔と聖教会は決して相容れない存在。
果たして交渉できるのだろうか。
そして交渉の場──。
目の前には魔塔の長である大魔導師・オルフェンが座した。
王女の手紙のおかげだ。
挨拶は簡素。追い返す意志だけが、はっきりしていた。
「今回のドレットローパ襲撃は場所・規模、そして時がはっきりしております」とルーク。
「それが何になるのだ?」と肘をついたオルフェン。
「つまり実戦ができます」
オルフェンは苦虫を噛みつぶしたような顔でため息をついた。
「実際の戦闘機会はあまりないはずです」とエマの言葉にオルフェンは手を伸ばすと、あるものを指さした。
それを見たエマはルークとまとめた資料を渡す。
ダリオン領の地図には具体的な襲撃箇所。
その後に予想されるドレットローパの動きまで書かれてあった。
一年間の特訓を経て、魔物と戦う本戦を踏める。
その学びの場として提案したのだ。
地図を見て早速構想を練り始める。
「何かすでに構想はあるのか?」
「はい──」
一通りの説明をするとルークはエマを退席させた。
ルークはオルフェンに真っすぐ向くと頭を下げながら、“星界紋章”の請願をする。
それは、大魔導師オルフェンが十年の歳月を注ぎ込んだ器だった。
オルフェンの瞳孔が開く。
驚き、呆れ、そして怒り──。
オルフェンは立ち上がると、若きルークに嫌悪の視線を向けると悪態をついた。
追い返そうと立ち上がった時、ルークは対峙する。
「今後、十年間使用が出来なくて有事の際にはどうする気だ? 自分たちが良ければそれでいいか?」とオルフェン。
「次は十年後のダークモスの襲撃です。それでもその間に何かある場合は、肉界契印を私にお刻みください。それが対価です。」とルーク。
肉界契印─人体を使った禁術。
髪の毛や爪以外の使用は禁止されている。
その中でも人体すべてを使うそれは最大の禁術。
「⋯⋯小僧、その禁術をなぜ知っている?」
ルークの瞳には四回に渡る人生の覚悟が滲んでいた。
* * *
聖教会の教皇室──。
「──広い農地ですがこうやって枡目状に区切り、その中央部分のみ実らせることによってドレットローパたちを各枡目の真ん中に呼び込みます」
だが、厳しい顔の聖教会の教皇・セラフィスも魔塔と同じような反応。
「準備期間は融通が利きますので、大規模な実践は貴重な機会かと存じ上げます」
聖歌女の力は魔力と同じように一日に使える量が限られているので、十分なスケジュール案をいくつか提示する。
「──それだけではありません。当日はぜひ熾天祈詠を最後に使っていただきたいのです。王様もご覧に入れましょう。そして他国からもこの奇跡を目の当たりにするでしょう。そうしたら⋯⋯聖教会の名は世界に轟きます」
エマの説明に腕組みをするセラフィス。
「セラフィス様、大魔導師・オルフェン様は星界紋章を発動いただきます」とルーク。
セラフィスの目の色が変わった。
ルークの一言が決定打だった。
* * *
これまでの人生とは明らかに違う戦況。
ドレットローパが確実に減っていく。
だが、魔導士たちの顔には疲弊が窺える。
時折悲鳴が上がり若手の魔導士たちは及び腰になっている。
そこにルークは拡声魔道具を喉に当てた。
「魔塔の皆様、この戦いぶりは大魔導師・オルフェンも見ておられます!
そしてドレットローパとの最大の勝負の瞬間、“終極秘典”を唱えられます!!」
疾風が吹いた。
魔導士たちの空気が変わる。
遠くで声が上がった。
少しずつそれが増えていく。
各地で鬨の声が上がっているのだ。
それは波のように伝わりダリオン領を揺るがすほど響いている。
各隊長が空へと上がる。
おそらくあと少しで戦闘が終わるはずだが⋯⋯。
「まだ半分ものドレットローパが残っている⋯⋯」
それぞれが詠唱を始め各地で大魔法が放出。
隊長たちは地上に残る魔導士たちに檄を飛ばす。
「魔塔の意地を見せよう! オルフェン様へと繋ぐんだ!」
風魔法を使う魔導士たちが空へと上がる。
巨大な風魔法で作り上げた竜巻。
ドレットローパたちは拒絶しながらも巻き込まれていく。
大きな黒い塊となった竜巻。
ルークは込み上がってくる燃えるような熱い気持ちに涙を滲ませる。
その隣のエマはそっと、だが、しっかりとルークの手を握り締めた。
魔塔の頂──。
大魔導師オルフェンは静かに杖を掲げた。
彼の前に浮かぶは、十年の魔力を宿した星界紋章。
「──理よ、集え。すべての魔を統べる律となれ」
眩い光の紋が空を覆い、塔全体が詠唱する。
《終極秘典》──発動。
世界が、一瞬だけ静止した。
真っ白になった世界はすぐに色を帯び始めた。
疲れ果てた魔導士たち。
しかし、被害は農耕地帯のみ。
王国の食糧の七割を担うダリオン領の農作物。
その広大な土地は瘴気に塗れた。
そこへ手が上がる。
聖教会の教皇・セラフィスの静かな号令。
それを見た聖光導師たちが祝歌を奏で始めた。
すると聖歌女は両手を空へと上げて加わる。
その祈りとともに詠唱される。
「天に座す熾天よ、汝の名にて穢れを祓わん──
光は音となり、音は祈りとなる──
熾天祈詠!」
春の陽気のように温かく包まれる光の帯。
くすぐったくもあり、懐かしいようでもあった。
花は唄い、木々はざわめき、
その光の中で──世界は息を吹き返した。
ルークは握っていたエマの手を額に当てる。
あまりにも眩しい光景に、下を向き嗚咽を漏らした。
* * *
ダリオン領は何事もなかったような穏やかさ。
魔塔と聖教会のそれぞれの働きが国からも大きく評価された。
そして終極秘典と熾天祈詠は隣国にも大きな衝撃を与えた。
あまりにも用意周到な出来事に、ルクシア王国に対して隣国は警戒を強めた。
ダリオン領には、噂を聞きつけた民間魔道士たちが修行に殺到した。
ルークとエマ─ダリオン公爵家とリヴェル公爵家の友好関係も極めて良好で、結婚した。
五度目の人生にしてようやく、隣にいる彼女を選べたことをルークは心から実感した。
そして次は十年後にダークモスの襲撃だった。
ドレットローパから魔塔と聖教会は大きな学びを得ており、ルークからダークモス襲撃の詳細を聞いて準備を進めた。
この時は前回を上回る人数が集められた。
魔導士だった者は隊長に昇格し、聖歌女は光聖歌女になっていた。
オルフェンは自らを中心に作戦を立てた。
そして作戦は順調に進み、見事ダークモスを殲滅。
この時、ドレットローパ殲滅の奇跡は実力に変わった。
以後の魔物の襲撃には国を挙げて計画的に対処した。
王国に降りかかるルークの知らぬ災いにも、もはや誰も狼狽しなかった。
訓練に他国の魔物退治に出かけるほどだった。
大規模な災害が起きた時にはいち早く聖教会が動いた。
ルクシア王国はますます繁栄し、他国は感謝と畏怖を抱いた。
* * *
ヴァルディア帝国では、
『無謀なことはするな』
という意味の諺がある。
ある酒場──。
男たちが売り言葉に買い言葉で引っ込みがつかなくなった。
筋肉が盛り上がる大男と痩せっぽっちのもやし男。
二人を見た店主は「やるなら外でやってくれ」と言ったあと、もやし男にこう付け加えた。
「お前さん、それは『ルクシアと戦うのと同じこと』だよ」
お読みいただきありがとうございました!
誤字脱字等ありましたら、ぜひご連絡お願いいたします!




