第十六話:ファントム・ブローカー
クロエとの一件から数週間が経過した。レガシー号のコックピットには、以前のような和やかさは戻っていなかった。カイルは操縦席に、ジェットは情報端末の前に座り、黙々とそれぞれの作業に集中している。二人の間にある溝は、埋まりきらないまま、わずかな緊張感として残っていた。
「…次の仕事だ」
ジェットが、静かに端末を操作して、カイルのモニターにデータを送った。
「賞金首は、『ファントム』と呼ばれる密輸業者。高価な兵器や違法なデータを扱い、その正体は謎に包まれている。奴が所有していると噂されている、特殊なアサルトライフルも、今回の懸賞金に含まれている」
「…ファントムか」
カイルは、愛銃のSIG P226を手に取り、そのグリップを握った。あの事件以来、彼は再び非殺傷弾を装填していた。しかし、一度使ってしまった実弾の感触が、未だに指先に残っている気がした。
ジェットの解析によると、ファントムは、放棄された海上油田プラットフォームを根城にしているらしい。その場所は、周囲を厚い霧が覆い、レーダーにも映らない「ゴースト・リグ」として知られていた。ファントムは、その場所で違法な武器取引を行う予定だった。カイルはスティングレイに乗り込み、ジェットはレガシー号で支援する。二人の連携は、以前よりも言葉が少なくなっていたが、その精度は失われていなかった。
ゴースト・リグに到着したカイルは、スティングレイをプラットフォームの影に着陸させた。錆びた鉄の匂いが、潮風に乗って鼻をつく。カイルは、P226を構え、非殺傷弾のマガジンを再度確認した。スライドを後退させ、チャンバーに一発装填。静かな「カチッ」という音が、彼の決意を固める。
「ジェット、突入する。援護を頼む」
「…了解」
ジェットの声が、イヤホンを通して届く。いつものように淡々とした返事だったが、カイルにはその中に、彼を心配する感情が込められているように感じられた。
プラットフォームの内部は、薄暗く、錆びついた金属の通路が迷路のように張り巡らされていた。カイルは、通路の角を曲がるたびに、銃を構え、慎重に前進する。そして、彼はファントムと遭遇した。
「賞金稼ぎか…!こんな辺境まで、ご苦労なことだ」
ファントムは、全身を漆黒の強化スーツで固め、カイルの愛銃とは全く異なる、重厚なライフルを構えていた。それは、FN SCAR-L。モジュラー式の設計で、近未来的なシルエットを持つライフルだ。ファントムのSCAR-Lは、カスタムされており、銃口にはサプレッサー、銃身下にはグレネードランチャーが装着されている。その銃身は、不気味な黒光りを放ち、カイルに鋭い殺気を放っていた。
ファントムは、躊躇なく引き金を引いた。**「バチン!バチン!」**と、SCAR-Lの乾いた発砲音が、プラットフォーム内に響き渡る。5.56mmNATO弾が、カイルの頭上をかすめ、金属の壁に穴を開けた。カイルは即座に近くのドラム缶の陰に身を隠した。ドラム缶に叩きつけられた銃弾が、鋭い音を立てて弾け飛ぶ。
「チッ…!」
カイルは、ドラム缶の隙間からP226を構え、ファントムの胸部に非殺傷弾を撃ち込んだ。**「プシュッ!」**という、空気を圧縮するような発射音。弾はファントムの強化スーツに命中したが、わずかにへこんだだけで、男は全くひるまない。非殺傷弾が通用しない。カイルは、あの時の運び屋を思い出した。
「無駄だ。俺のスーツは、おもちゃの弾丸は通用しない」
ファントムが、嘲るように言った。そして、再びSCAR-Lを構え、今度はカイルの隠れるドラム缶めがけて、連射を浴びせた。**「バババババン!」**と、轟音が響き渡る。ドラム缶が蜂の巣のように穴が開き、破片が飛び散った。
カイルは、反射的にドラム缶の陰から飛び出し、通路の奥へと走り出した。ファントムは、カイルの背中を追い、SCAR-Lの銃口が火を噴く。カイルは、ジグザグに走りながら、背後のファントムにP226から非殺傷弾を撃ち返した。
「プシュ、プシュ!」
非殺傷弾は、ファントムのスーツに当たるが、彼はまるで気にも留めない。カイルは、彼の動きを鈍らせることができないことに焦りを感じ始めた。彼の頭の中では、実弾に切り替えるという選択肢が、一瞬、ちらついた。あの時と同じだ。ジェットを守るために、信念を曲げた。しかし、あの時の苦い経験が、カイルに別の選択肢を求めていた。
彼は、通路の先の、錆びついた手すりを駆け上がった。ファントムは、冷静にカイルの動きを追う。SCAR-Lの銃口が、正確にカイルの居場所を捉えていた。
「…これで終わりだ!」
ファントムが、SCAR-Lのグリップを握りしめ、トリガーに指をかけた。その時、カイルは、奇策に出た。彼は、手すりを飛び越え、そのまま下の階へと飛び降りた。ファントムは、カイルの行動に一瞬戸惑う。その隙を突き、カイルは着地と同時にP226を構え、ファントムのSCAR-Lの銃口を狙った。
「プシュッ!」
非殺傷弾は、ファントムの銃口に命中した。銃口を塞がれたSCAR-Lは、次にトリガーが引かれた瞬間、銃身内部で弾丸が詰まり、激しい音を立ててジャムを起こした。ファントムは、武器の故障に焦り、銃を投げ捨てた。
「…クソッ!」
カイルは、ファントムが武器を捨てた瞬間を見逃さなかった。彼は、一気に間合いを詰め、合気道でファントムの体勢を崩した。ドラッグで強化された運び屋たちとは違い、ファントムは純粋な肉体的な強さを持っていたが、カイルの合気道の技は、その力を無効化する。
「…降参しろ。お前はもう終わりだ」
カイルは、ファントムの首筋にP226の銃口を押し当てた。ファントムは、悔しそうに顔を歪ませるが、抵抗を諦めた。
ファントムをレガシー号の独房に連行したカイルとジェットは、彼の強化スーツから、あるデータチップを発見した。そのチップには、組織の暗号化された通信記録が残されており、ファントムが扱っていた武器が、クロエが過去に所属していた組織のものであることが判明した。さらに、その通信記録の中には、ジェットが追っていた警察官時代の事件に関する、ある情報が隠されていた。
「…奴らは、まだ裏で動いている…」
ジェットが、静かに呟いた。カイルは、ジェットの顔を見た。その表情には、まだ怒りや失望の色は残っているものの、以前のような硬さは消えていた。二人の間に、僅かだが、信頼の光が戻ってきたように感じられた。
カイルは、再びP226に非殺傷弾を装填した。今回は、信念を曲げずに、敵を制圧することができた。彼の心は、少しだけ軽くなった。クロエの行方は未だ分からない。しかし、彼らが追うべき真実は、今も、彼らのすぐそばにある。
「…行くか、カイル」
ジェットの声に、カイルは無言で頷いた。彼らの旅は続く。ファントムを捕らえたことで、彼らは、クロエが去った穴を埋める、新たな一歩を踏み出したのだった。




