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皇帝陛下は許さない


「嘘……」


 何も知らない小鳥がつぶらな瞳でこちらを見る。ありがとう、と言って食べ物を与えればまた大空へ飛んで行った。

 久々に届けてもらった新聞。そこに書かれていたのは、現皇帝であり、私が裏切った少年、ルドヴィッグからの呼び出しだった。


         *


 星が瞬く夜、いつものように森を歩いていたら、人の子がいた。黒髪の少年は、木の下にしゃがみこんで俯いていた。


「そこは、寒くない?」


 気が付けば、声をかけていた。少年が顔を上げる。真っ赤な瞳が、私を捉えた。

 こんな辺境の、ましてや森の奥にいる子が、何もないはずもなかった。


「うちへおいで。あたたかいミルクを淹れてあげる」


 少年は、少し迷った後に、私の手を取った。

 ……これが、すべてのはじまり。


 名前を聞くと、ルドヴィッグと言った。それしか話してくれなかった。ただ、纏った煙の臭いと返り血が、人の愚かさを語っていた。

 その日は食べ物と寝床だけを用意して放っておいた。下手に触ってはいけないことくらい、魔女にだってわかった。



「あなたは誰だ」


 次の日、起きたルドヴィッグは、開口一番にそう言った。


「……禁忌の魔女アルマ。嘘じゃなくて、本当よ」


 少し迷ってから、本当のことを伝えることにした。嘘を言ってもしょうがない。

 目を丸くしたルドヴィッグは、怯えるように後ずさった。どうやら私はまだ、子供を叱るときの怖いもの、とされているようだ。


「お、俺をどうするつもりだ」


 何もする気はなかった。ただ、もう人を見るのなんて何百年ぶりで、保護しなければいけないと思っただけだった。特に大きな傷はないし、行く当てがあるならいけばいい。ここにいたいなら、いればいい。


「とりあえず、朝ごはんを食べさせようと思っているけれど」


 何もする気がなかったからそう言ったのに、肥えさせて食べようとしていると勘違いされたのは困った。逃げようとするルドヴィッグを宙に浮かせて、どうにか説明をして降ろして、疑りながらも一緒にごはんを食べてくれた。


「うまい」


 ずっと一人で過ごしてきたから、そんなことを言われたのは初めてだった。飲んでいた紅茶が変なところに入って咽た。


「なっ! やっぱり俺を殺そうと毒を……」

「ち、ちがうの。げっほ、その、嬉しくて、咽ちゃったの」


 苦しくて涙まで出てきたのをぬぐいながらそういうと、ルドヴィッグは眉を寄せて、変な顔をした。

 でも、食べ終えて、洗い物をしていたら、手伝おうとしてくれたから、誤解は解けたようだった。



「新聞が欲しい」


 また次の日にそう言われた。私も人間界で何が起きているのか知りたかったし、断る理由もなかった。届くまでの間、私は少年の服を縫った。少年は洗濯物を干してくれた。昨日までやり方すら知らなかったのに、もう一人でできるようになるなんて、と人の子の成長の速さに感心した。かわいげのない顔で、やり遂げたと報告してきたルドヴィッグに新聞を手渡す。


「──ッ!」


 ルドヴィッグは、顔色を失い、胸元を押さえてうずくまった。カヒュッと変な呼吸をしてしまっている。


「……大丈夫、大丈夫よ。ゆっくり息を吸って、吐いて。ゆっくりよ。そう、上手」


 どうにか落ち着いたところで私も新聞を読む。

 帝国では反乱が起き、城は焼け落ちた。これによって皇帝一家は死亡し、新王政が発足した、とのことだった。

 ああ、歴史とは、繰り返すものなのだと、思い知らされた。ルドヴィッグは、旧体制の生き残りなのだろうか。


「……()()()、俺をここに置いてほしい」


 その目を、私は知っていた。絶望の末に、復讐を軸にしてしまった人間の目。


「元より追い出す気なんてないわ。ただ、約束して」

「なに」

「ルドヴィッグ……って長いわね」


「ルーが大人になるまでは、この森を出ないこと。大人になったら出ていくこと。いい?」


 小指を結んで約束した。

 それからというもの、拍子抜けなほどに、とても穏やかで、でもにぎやかな時間が流れた。



「人の子が勉学をやめてはいけないわ。見てあげる」


 あるときは、勉強を教えた。長く一人でいる間に蓄えた知識から上流階級における教養まで。でも、教えても、すでにできていたり、すぐにできてしまったり。


「ふん。俺は優秀なんだ。古王国文字も……」


 ルーが鼻で笑う。でも……。


「そこ、綴りが間違ってるわよ」


 ふふん、私だって伊達に不老不死をやっていない。


「は? なぜわかる」

「だって、それ、私が人だった頃の常用文字よ」


 ちょっと自慢気に教えたら、仕返しかのように老人扱いしてきた。この生意気な人の子め。



「ギャッ!」

「そんなに長くしているからだ」


 またあるときは、髪を踏まれた。

 

「しょうがないじゃない、髪が伸びるのってあっという間なんだもの」


 不老でありながら、髪は伸び、心臓は変わらない速度で鼓動を刻む。これが、私が時を戻そうとして、禁忌の魔女になり、すべてを失ったことの証明。


「そこに座れ」


 ぼぅっとそんなことを考えていると、いつの間にか椅子が用意されていて。ルーの手には鋏が。シャキシャキと静かに音が響く。


「凄い……」

「また伸びたら俺が切ってやる」


 器用なルーによってもう何百年かぶりに頭が軽くなった。床に引きずっていた髪が、鎖骨くらいで綺麗に整えられている。そういえば、拾った時よりも随分と手が大きくなった。


「綺麗な髪なんだ。大事にしろ」


 真っ赤になってそっぽを向いたルーを見て、なんとなく自分の髪を一房つまむ。何の変哲もない、薄桃色の髪。でも、ルーが綺麗だと言ってくれただけで、なんだか特別なもののように思えた。


「ありがとう、ルー」



「アルマ」

「なぁに、ルー」

「なぜ、俺を拾ってくれたんだ?」


 いつのかの昼下がり、洗濯物を取り込んでいると、ルーが袖を引いてそう聞いた。


「だって、ひとりぼっちが辛いのは、私が一番よく知ってるもの」


 そう教えてあげると、ルーはまた変な顔をして、どこかへ行ってしまった。

 夕飯までには帰ってくるのよ、とだけ言って、拾ったときよりも大きくなった背中を眺めた。



「話したいことがある」

「どうしたの、改まって」


 満月の夜にそう言われた。そろそろかな、とは思っていた。新聞には日々新王制への不満が書かれていて、前政の復古を望む声が上がっている。ルーはいつの間にか大きくなって、約束通り出ていく頃だった。

 ついこの間いれたばかりのホットミルクを渡せば、子ども扱いするなと言われた。まったく、生意気なんだから。

 ルーは緊張した様子で、ためらいがちに口を開いては閉じて。

 

「俺は、前帝国の皇子だった」


 そう教えてくれた。良いところの生まれだとはわかっていた。でも、まさか、皇子とまでは思わなかった。


「だから、俺に家族はいない。戻る場所もない」


「もしそんな場所があったとしても、俺は、あなたの眷属になりたい」


 目の前が真っ黒になった気がした。

 家族のための復讐よりも、私との日々を選ぶなんて。私は、ルーから、ルドヴィッグから、大事なものを奪ってしまった。

 返さなければ、この子を、元の場所へ。



 夕飯後のティータイム。カップが、床に落ちて割れる。崩れ落ちた体を受け止めた。

 少し時間はかかったけれど、状況は整えた。魔女であることを隠して、前政権の臣下にコンタクトを取り、生き残りの皇子の存在を匂わせた。あと、必要なのは。


「っあなたも、俺を、裏切るのか」

「…………お願い、よく眠って」


 そうしたら、記憶をきれいに消してあげられるから。絶対に失敗なんてしないから。

 皇帝に汚点は、禁忌の魔女はいらない。あなたは神に守られた正当な後継者として、玉座に戻るの。


「っ許さない……」

「おやすみ、私の愛しい子」


 拾った頃から変わらない寝顔にホッとする。軋んで痛い胸を無視して、癖のある黒髪をそっと撫でた。……遠い昔、つらい過去を思い出して眠れない夜にそうしてあげていたように。


「その瞼を開けたとき、汝に幸多からんことを。……禁忌の魔女から愛をこめて」


 もうこの世で私しか知らない、ルーとの日々が頭をよぎる。そして同時に、私しかいない小屋も。

 さようなら。ルーとの日々は、とても楽しかった。


         *


「面を上げろ」


 低い声が耳に響く。そこにあったのは、記憶の中よりも随分と背が伸び、立派になったルドヴィッグの姿だった。


「禁忌の魔女アルマを、宮廷魔術師に命ずる」


 火あぶりの刑でも、投獄でもないことに驚いた。胸に宮廷魔術師の証をつけられ、不思議なほど静かな謁見室を退出させられる。従者らしき人に案内されたのは、どうみても皇帝陛下の執務室。


「アルマ様をお連れいたしました」

「入れ」


 そのまま従者は下げられ、部屋には二人きり。嫌な沈黙を、ルドヴィッグの一言が破る。


「あなたを調べさせてもらった」


 はるか昔に彼の地で滅ぼされた亡国の王女。悪逆非道で有名で、禁忌の魔法で復讐を試み、代償として災いを振りまいたおとぎ話の中の存在。

 ああ、何を勘違いしていたのだろう。家族ごっこの間に、私がどんな存在か、忘れてしまっていたのだろうか。


「陛下のお望みは、禁忌の魔法でしょうか?」


 記憶があったとしてもなかったとしても、宮廷魔術師としたのだ。私のことを利用したいのだろう。復興したばかりの国の軍事力替わりか、それとも、私と同じように時を戻したいのか。


「いや……ただ、正直に答えろ。あなたは、何を知っている。あなたは、俺に何をした」


 あの時のように、真っ赤な瞳が、私を射抜いた。逃げたくて、思わず下を向く。


「俺には、崩壊後からの十四年間の記憶がない」


「だが、誰かから教えてもらった知識がある」


「禁忌の魔女、アルマの名を口に出した時は驚いた。会ったこともない、おとぎ話のような相手だというのに、まるで何度も呼んだかのように、口に馴染んだのだから」


 そこから私を調べ、もし存在するのなら、記憶を消すことなど容易いだろうと結論付けたのだという。臣下を権力で黙らせ、いるかもわからない存在を新聞で招集し、宮廷魔術師にした、と。

 すべては、このためだけに。


「……何も」

「嘘だな」


 絞りだした答えは、すぐに否定される。

 顔が上げられない。確かに、記憶を消す魔法は記憶だけを消す。


「だったら、この寂しさはなんだ。俺は今すぐあなたを抱きしめたいのに」


 感情までは消せない。あなたは、私を記憶を失っても忘れらないほどに、愛してくれていた。

 悲しそうな声に、顔を上げれば、泣き出しそうなルーがいた。頬に手を添えて、親指の腹で涙を掬う。


「俺を一人にしないでくれ」


 私も、何百年も生きてきて初めて、数年が長く思えた。寂しかった。


「……泣かないで」

「あなたのせいだ」

「そうね……ごめんなさい、ルー」


 それが、私とは違う、あなたの答えだったのに。



 その後のルーと言ったら凄かった。説明すればよけいに記憶を戻すように凄まれ、戻せば勝手に記憶を消したことを罵られた。罵られながら求婚された。何百年も生きた私からすれば一瞬にして王妃にさせられて、気が付けば子供までいた。禁忌の魔女はルーの情報操作によって、国の守り神に早変わり。


「アルマ様! 大変です!」

「は?」


 いつの間にか子供に王位を継がせたルーは勝手に死を偽装した。偽装なんてつゆ知らず、本当に死んだと思って泣きじゃくっていたところに突然帰ってきて、「今すぐ眷属にしてくれ」とだけ言った。記憶を取り戻した時から、王位を退けられたらこうしようと考えていたらしく、唖然としたものだった。


「ただいま、アルマ」

「もう……おかえりなさい」


 そうして二人で森に帰った。守り神は、この国のどこかで夫の死を悼み祈り続けている……という伝説に代わってしまった。実際は不老不死の魔女と眷属の隠居生活なわけだけれども。

 たまに息子や孫、ひ孫、玄孫……と子孫が訪ねてくる以外は、昔と変わらない日々。でも、一秒たりとも一人ではない。


「そういえばあなた、約束を破ったわよね」

「お互い様だろう」


 読んで下さりありがとうございました。

 氷雨そら様(https://mypage.syosetu.com/1342199/)の「愛が重いヒーロー企画」に参加させていただきました。ありがとうございます。

 拾われヒーローがっ!! 好きだ!! スラムからの従者とか、孤児とか、追放とか色々!!


 ブクマ、評価などして頂けると作者喜びます。また、コメントなどお待ちしております。


 追記 誤字報告ありがとうございます。助かります。

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めっちゃ良いお話ー!!! 好き!!
愛の重さがとんてもねぇ〜〜〜!!! 人生どころではない重さ…いいですね!!! 孫曾孫玄孫その次まで顔を見せに来るのいい…とてもいい……!! 素敵なお話ありがとうございました!!
記憶をなくしても慕い続ける気持ちの深さ……いいですね!!!!! うるっときました
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