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後編

 それからしばらくは、いつも通りの日常業務に忙しかった。

 地球人に対する違法なアブダクションを取り締まるために、日々のパトロールは欠かせない。時には、月面に基地のある宇宙人同士の諍いの仲裁もやらなきゃいけなかった。月守り隊員に課せられている任務は様々で、毎日、息つく暇もないほどだった。

 そんなある日のことだった。

 基地内の食堂で昼食を取っていると、ミナマ隊長とラダック中尉が入ってきた。ケビアン中佐とニドー少佐はパトロールに出かけていた。

 月守り隊の食事は、栄養バランスを厳密に管理され、料理も自動で作られている。その日のメニューは野菜スープと穀物だった。機械が作るとはいえ、僕は料理の味に不満を持ったことは無かった。

 ミナマ隊長が、「ご苦労様」と一声かけながら、僕の真向かいに座った。ふと気配を感じて横を見ると、いつの間にか自分の隣の席にラダック中尉が腰掛けていた。二人とも昼食を載せたプレートをテーブルに置いている。

 僕は、目の前に座っているミナマ隊長の姿に違和感を覚えた。

 頭の上にホログラムで文字が描かれている。その文字は刻々と変化していた。

〈また野菜かあ〉

〈たまには肉を食べたいんだけど……〉

 ミナマ隊長は野菜スープをスプーンで掬って口に運んでいた。

〈はーっ、肉、食いたい!〉

 あんぐりと口を開けたまま、僕は目を丸くしていた。

 横にいるラダック中尉の耳元に口を寄せると、「いったい何やったんですか?」と小さな声で囁いた。するとラダック中尉は、「新しい自白剤を調合したんだが、こっそり隊長で試してみた」と囁き声で答えた。

 思わず僕は血の気が引いた。真っ青な顔の僕に向かって、ラダック中尉は、「普通なら一、二分で効果は無くなるはずなんだが……隊長は特異体質らしい」と小さな声で言葉を継いだ。

「そりゃあ、そうでしょう、隊長はドラゴニアンなんですから!」

 その時、急に殺気を感じた。

 向かいに座っているミナマ隊長が、金属製のスプーンを目の前に持ち上げていた。その手がプルプルと震えている。

 どうやら自分の頭上に描かれる文字が、金属製のスプーンに映っているらしい。

〈なんなの、これ!〉

 ミナマ隊長の視線がラダック中尉と僕に向けられた。

〈あんたたち〜〉

 隊長の頭上の文字が真っ赤に変わった。

 僕はホールドアップするように両手を上げた。

「ぼっ、僕は無実です」

 思わず声が震えた。

 ミナマ隊長は、バンとテーブルを叩きながら立ち上がると、僕らに背後に回った。

「いったい何をやらかしたの!」

「ちょっと新しい自白剤の実験を……」

 ラダック中尉のアーモンド型の瞳が真っ白になっていた。よほど焦っているに違いない。

「ホントに僕は関係ないですから」

 僕は両手を上げたまま、懸命に掌を左右に振った。

ミナマ隊長は問答無用で、僕とラダック中尉の隊員服の襟首を掴んだ。そのまま僕らは尋問室まで引きずられていった。

〈まったくもう!コイツらときたら!〉

 僕らの襟首を掴むミナマ隊長の頭上の文字は燃えるような赤色だった。怒りモード全開に違いない。

 それから一時間、さんざん絞られた。その間に自白剤の効果は無くなった。

 やっと解放された後、ラダック中尉がアーモンド型の大きな瞳をウルウルさせながら、「ディアン中尉、ホントに済まない」と頭を下げた。

「冗談じゃないですよ、ホントに」

「一人では耐えられなかった。この埋め合わせは必ずするから。この通り」

 ラダック中尉は、床に触れるほどに頭を下げていた。僕は、フッと小さく溜め息を吐いた。

「もういいですよ。でも、この借りはきっと返して下さいね」

 ラダック中尉が顔を上げると、「ありがとう。この恩は忘れない。ゼータ・レクチル星にかけて!」と、右手で拳を握りながら親指を立てた。

 ラダック中尉の誓いの言葉はまったく意味不明だったが、とりあえず僕の気持ちは(おさま)った。

 月守り隊の勤務には色んなことがあるのだ。


 カバールの事件から一ヶ月が過ぎた頃だった。

 その日、突然、月守り隊の全員が作戦室に集められた。日々のルーティンには無いことだった。

 全員が揃ったところで、ミナマ隊長がおもむろに口を開いた。

「急な招集をかけたのは他でもないわ。ラダック中尉が昨日の地球上での出来事を分析していて気にかかることがあるらしい。じゃあ頼むわ」

 みんなの視線がラダック中尉に集まった。

「はい、報告させてもらいます。昨日、東アジアのタクラマカン砂漠を震源とする地震がありました。原因は兵器の地下実験です」

「またかよ。あの独裁国家だろう。いったい何回、核実験をやれば気が済むのやら」

 ケビアン中佐が両手の掌を挙げながら肩をすくめた。

「たしかにタクラマカン砂漠ではこれまで五十回以上の核実験が行われています。ですが、今回はどうもおかしいんです」

 ニドー少佐が、「おかしいって、何が?」と眉根を寄せた。

「地下核実験であれば放射能が放出されるはずです。ですが、今回は全く検知できません。それなのに地上の状況はこうです」

 作戦室の壁がスクリーンとなって映像が映し出された。どこまでも広がる砂漠の真ん中に巨大なクレーターができている。僕たちは一斉に息を呑んだ。

「このクレーターの直径は十キロにも及びます。これほどの威力の核兵器なら、放射能を検知できないはずはない」

 僕は小首を傾げながら、「じゃあなんです?」と尋ねた。

「まさか……」

 ニドー少佐が眉を曇らせた。ラダック中尉はコックリと頷いた。

「その、まさかです。地中に重力場の異常と爆縮反応を検知しました。暗黒物質を使った兵器に違いありません」

「……」

 月守り隊のみんなが声を失った。

「アストラル体、いわば魂そのものにダメージを与える兵器なんて、この地球上では必要ないはずなのに」

 ミナマ隊長の声は怒りのあまり震えていた。

「どんな存在もその根本は神仏と同じ。各人のアストラル体はその一部と言える。それを破壊するというのは根本仏への攻撃に他ならない」

「許せない……」

 そんな呟きが、僕の口を()いて出た。

「そうよ。絶対に許してはならない。暗黒物質を使った兵器は最悪の場合、星そのものを飲み込む巨大なブラックホールを生み出しかねない。時空がねじ曲がってワームホールや亜空間が現れる可能性だってある。そんなものを作らせてはいけない」

 ミナマ隊長が隊員達の顔を見回した。隊員全員が決意に満ちた眼差しを返した。

 ラダック中尉がスッと右手を挙げた。

「どうしたの、ラダック中尉?」

「はい、実はタクラマカン砂漠で地下実験が行われた時、同時に検知した信号があるんです」

「なんの信号なの?」

「カバールの体に打ち込んだ発信機の信号です。ほんの一瞬でしたが」

 ミナマ隊長が右手の拳をギュッと握り締めた。

「あいつの?間違いないの?」

 ラダック中尉は大きく頷くと、「微かな信号でしたが、間違いないです。どうして突然、地球上で検知できたのかは分かりませんが。細胞レベルの微細な発信機なので、もしかしたら、やつの体内の特殊な抗体反応で消えかけているのかもしれません」

「そうか……あいつの仕業か……」

 ミナマ隊長が腕組みをしながら眉間に皺を寄せた。カバールが関与しているなら、これは只事ではないはずだ。

「今度こそ逃す訳にはいかない」

 ミナマ隊長は、まるで己自身に言い聞かせているように呟いた。


 それから直ちにヘビ座の宇宙人の代表者たちを月守り基地に連行した。彼らは、東アジアの独裁国家へ影響を与え続けていた。そのうえ、いつも協定違反ギリギリのところで活動していた。

 赤ら顔で、爛々と光る目。額の左右にある二本の短い角と、口元から伸びる鋭い牙。その姿は、いわゆる鬼と呼ばれている伝説上の生き物にしか見えなかった。

 ミナマ隊長とケビアン中佐が取り調べに当たった。残りの三人は作戦室で待機していた。

 一時間ほどでミナマ隊長達が作戦室に戻ってきた。

 僕が「どうでした?」と問いかけると、憮然とした表情でミナマ隊長が首を振った。

「暗黒物質の兵器など知らないの一点張り。ラダック中尉特製の自白剤を使ってもダメだったわ」

「そうですか……」

 ラダック中尉の自白剤とは、思ったことがホログラムの文字で浮かび上がる例のやつだ。その実験に巻き込まれた嫌な記憶が蘇った。

 ケビアン中佐が「たしかに彼らの科学力のレベルでは、そんな兵器は生み出せない」と首を傾げた。顔を覆っている茶色い体毛が少し逆立っていた。

「ただ気になることを言っていた。最近、金髪で淡い褐色の瞳をした白人が現れたそうだ。背が高くていつも黒いスーツを着ていたと」

「それってカバールじゃ?」

「たぶん間違いないだろう。ヤツの出現以来、独裁国家の指導者たちがヘビ座の宇宙人たちの言うことを聞かなくなったそうだ。まあ、彼らの言い分をどこまで信じるかは疑問だがな……」

 そこでケビアン中佐は言葉を区切ると、「うーむ……」と顎に手をやった。

 ミナマ隊長がモニターの前に座っているラダック中尉に視線を向けた。

「地上の状況はどうなの?」

「暗黒物質の生成装置を発見しました。今、モニターに映します」

 モニターにどこまでも果てしなく広がる黄色い砂漠が映し出された。

「ここは、いったい?」

「中央アジアのタクラマカン砂漠です。今からズームします」

 すると砂漠の真ん中に、クリスタルの柱のような真っ黒い塊が聳え立っていた。その表面からは白い湯気が立ち上っている。

「なにこれ?」

「これは巨大な氷柱です」

「こんな灼熱の砂漠に、氷が?」

「はい。この中心部には暗黒物質の生成装置があるようです。その科学反応によって、周囲の大気が凍りつき、これほどの氷の塊ができているのです」

 禍々しい光景に、僕の背筋に寒気が走った。

「人間のアストラル体まで傷つけるような、こんな兵器は地球に存在してはいけない。これは地球そのものを損なうものよ」

 ミナマ隊長の言葉に、僕は大きく頷いた。

「あの黒い氷柱に光エネルギーを打ち込めば、生成装置ごと、暗黒物質を消すことが可能なはずよ」

 ミナマ隊長は決然とした眼差しを浮かべていた。すると、ラダック中尉が恐るおそるといった様子で右手を挙げた。

「どうしたの、ラダック中尉?」

「存在を許すべきでないことは確かですが」

「なんなの?」

「カバールからの何らかの知識の提供があったとしても、これを地上の人間たちが生み出したことには違いない。つまりこれは地上の人間が自ら望んで行ったことでもあるとも言えますけど……」

「うーむ……直接介入するには限界があるということか……」

「それに光エネルギーを打ち込めば、一気に暗黒物質は雲散霧消しますが、その急激な反応過程で意図しないワームホールや亜空間が生まれる危険性もあります」

「なるほど……」

 ミナマ隊長は頬を強張らせながら俯いた。紫色のロングヘアが部屋の照明を反射して、艶やかに輝いていた。

 すると今度はニドー少佐が手を挙げた。すかさずミナマ隊長が、「ニドー少佐、何かアイデアがあるの?」と発言を促した。

「はい。こんな作戦はどうでしょう?」

「どんな?」

「地上の人間に、我々、月守り隊の隊員がウォークインするんです。もちろん、その人間の守護霊たちに許可を得たうえで」

「うん、それで」

「ウォークインをした人間に暗黒物質の生成装置を止めさせるんです。これなら宇宙協定の違反にはならない。一旦、止めてしまえば一定の時間はかかりますが、地上では暗黒物質はいずれ消滅します。これならワームホールなども発生しません」

「なるほどね。いいアイデアだわ。今まで月守り隊では、そこまでのことをやったことはない。だけど、今回ばかりはやるべきね。まずはその対象に相応しい地上の人間を探しましょう」

「了解!」

 一斉に隊員たちが力強い声を上げた。


 それから二日間、ラダック中尉とミナマ隊長は、ウォークインの対象者を探し続けた。

 その間、僕はケビアン中佐やニドー少佐と共に、カバールの居所を突き止めるために、偵察用の飛行船で地球の隅々まで飛び回った。東アジアはもちろん、ユーラシア大陸全域、アフリカや南北アメリカ、更には南極と北極まで探索した。だが、カバールの信号は一切、探知できなかった。

 地球全域で探索を続ける間、僕の心の内に、以前から抱いていた疑問が再び湧き上がっていた。

(なぜ闇の勢力は地球を狙い続けるのだろう?銀河はこんなに広いのに……)

 地球が属する太陽系は銀河の中心からは程遠い。そんな地球を闇宇宙の勢力がターゲットにするには、何らかの理由があるはずだ。そして闇宇宙が狙うからこそ、銀河連合の直属の部隊である月守り隊が必要なのだ。

 どれほど考えても、その答えは見つからなかった。

 そして三日目となった。

 早朝から、再び隊員全員が作戦室に集められた。壁のモニターにはエキゾチックな風貌の青年が映し出されていた。スッと通った高い鼻筋と、ちょっと潤んだような黒い瞳に、透き通るような白い肌をしている。一見すると中東の民族のように思えた。

「みんな聞いて。彼が今回のターゲットよ。守護霊からの許可も取れたわ」

 ミナマ隊長の説明に、ケビアン中佐が「いったい何者なんです?」と問い返した。

 ミナマ隊長がラダック中尉のほうに顔を向けた。待ってましたとばかりに、ラダック中尉は黒曜石のような大きな瞳を輝かせた。

「彼の名前は、カーリー・オトキュル。ウイグル族の男性で年齢は二十四歳。タクラマカン砂漠の西に位置する小さな村が彼の故郷です」

「ウイグル?」

 ニドー少佐がラダック中尉の言葉を反芻(はんすう)した。

「そう、独裁国家に虐げられている民族の青年です」

 ケビアン中佐が、「彼はどんな人物なんだ?」と野太い声を上げた。

「彼は天才的な科学者です。幼い時から(たぐ)(まれ)な能力を発揮しました。ですが、それが(あだ)となりました」

 僕は、「仇って?」と聞き返した。

「彼は、まだ幼い頃に独裁国家の政府に拉致され、家族から引き離されました。強制的に英才教育を施され、遂には暗黒物質の生成装置を作ることになったのです」

「じゃあ彼が暗黒物質を……」

「そうです。暗黒物質の生成装置を作り出した張本人が彼です」

「そんな人間にウォークインなんてできるんですか?心の波長が全く合わなければ、とても無理な話しですよ」

 ラダック中尉はモニターのほうに顔を向けた。画面が変わり、カーリー・オトキュルと白髪の女性が抱き合っている姿が映し出された。二人の頬には大粒の涙が伝っている。

「彼は暗黒物質を作り出した功績を認められて、家族と再会することを許されました。これは、その時の映像です。彼と抱き合っているのは実の母親です」

 それは痛々しいほどに切ない映像だった。家族と引き裂かれて、年若い彼がどれほど孤独だったか、想像するに余りある。

「彼の父親は昨年亡くなっています。信念を貫き通した父親は、死の直前まで独裁国家に屈することなく、抵抗を続けていたのです。それは連れ去られた息子のためでもありました」

 母親の瞼の下には黒いシミができていた。痩せこけた指先で、カーリー・オトキュルの背中を優しく撫でている。彼女もまた過酷な運命のもとで、苦しんできたに違いない。

「彼の母親は、父のことを息子に告げました。その時から、カーリー・オトキュルの心の奥底に炎が宿ったのです。父と母を苦しめた独裁国家への抵抗の炎が」

 ラダック中尉の言葉に、隊員たちは一様に頷いていた。今回の任務に、彼はうってつけと言える。

 ケビアン中佐がコホンと咳払いをした。額に皺を寄せている。

「彼が適役なのは分かった。だが、どうやってウォークインする?下手をすれば、カバールに気付かれるだろう」

「おっしゃる通りです。今回のウォークインでは、彼の魂との親和性が特に重要です。一旦、ウォークインした後は、任務を果たすまで一秒たりとも彼から分離することは許されませんから」

「なるほどな。親和性か……」

「はい、彼の魂の履歴を見ると、科学的な知性、純粋な心、正義を重んじて悪に怯まない勇気と行動力が特徴的です。そして何より……」

「なんだ?」

「彼は……ベガの出身です」

 その瞬間、みんなの視線が一斉に僕に向けられた。

「なっ、なんですか?」

 みんなの熱い眼差しに、思わず僕は後退りしていた。そんな僕の目の前にミナマ隊長が近寄ってきた。

「ディアン中尉、今回の作戦でカーリー・オトキュルにウォークインする任務を頼みたい」

 ミナマ隊長が僕の肩に手を置いた。

「ぼっ、僕がですか?」

「そうよ。この作戦は決して失敗する訳にはいかない。まさに地球の未来がかかっている」

 僕は口の中に溜まった唾をゴクリと喉を鳴らしながら呑み込んだ。まだ新米の月守り隊員に過ぎない自分に、そんな重責が担えるだろうか。そんな不安が心の内を過った。

「我々が全力でサポートする。頼む、ディアン中尉」

 僕の両肩に手を置きながら、ミナマ隊長が頭を下げた。周りを囲んでいるケビアン中佐、ニドー少佐、ラダック中尉も(ほて)ったような視線を僕に注いでいた。

「わっ、分かりました。やります」

 ミナマ隊長が顔を上げると、嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。

「ありがとう、ディアン中尉。さあ、月守り隊の力を見せてやりましょう!」

「はい!」

 みんなが一斉に声を張り上げた。

 まずはカーリー・オトキュルにウォークインをしなければならない。それもカバールはもちろん、独裁国家に関わっている他の異星人たちに気づかれないように。

 通常のウォークインであれば、肉体を基地内に置いて、アストラル体だけを地上に送る。だが、その方法では感知される可能性が高かった。

「何かいい方法はあるかしら?」

「今回はこれしかないでしょう」

 ラダック中尉が白と黒のカプセル剤を一粒ずつ取り出した。

 途端に嫌な予感がして、「何ですか、それ?」と僕は問いかけた。

「一時的に肉体をアストラル体に変換する薬だよ。白のカプセル剤が肉体をアストラル体へ変え、黒がその逆の作用を起こす」

「なんかすごい薬ですね……」

「以前、リゲル星のお姫様を捕まえたことがあっただろう。あの時はアストラルブラックライトを使って、アストラル体の表面を肉体に変換させた。そういう技術は発達しているんだよ」

「じゃあ、その薬を使ってどうするんです」

「まずは君が肉体のままでカーリー・オトキュルに近づくんだ。そして、この薬を飲むと同時に彼にウォークインする。そうすればまず気づかれることはない」

「それって、このままの姿で、あの独裁国家に潜入するってこと……ですか?」

 不安を隠せない僕に向かって、ラダック中尉がニヤリと笑った。

「白い肌に栗色の髪、そのうえ青い瞳という容姿では、欧米ではともかく、さすがにアジアでは目立ち過ぎる。ベガ星人なら肉体の外観を変化させることはお手の物じゃないか?」

「はあ……」

 だんだん心細くなってきた。

 そんな僕の胸中を察したかのように、ミナマ隊長が、「我々が全力でサポートする。だから心配しないで。あなたならきっとやれる」と、ドンと音を立てながら僕の肩を強く叩いた。

 

 一週間後、僕は東アジアの独裁国家の首都にいた。

 建ち並ぶビルの間を歩いている自分を気に留める人は誰もいない。ふと横を向くと、ガラス窓に映るのは、鼻が低く丸顔の典型的なアジア人の顔だ。左右の黒髪を短く刈り上げ、長めの前髪が狭い額を覆っている。

(これが自分……ホントかよ……)

 歩きながらアゴに手をやると、ガラス窓に映るアジア人の青年も同じ所作をしている。

肉体の外観を変化させるのはベガ星人なら誰でもできる。だが、今回はラダック中尉の助けもあって、完璧な変装になっている。

 通りのあちこちには監視カメラが設置されていた。この国では人々の一挙手一投足まで漏らすことなく監視しているのだ。グッと顎を引くと、僕は俯き加減のまま歩き続けた。

 二つの街区を超えたところで、重厚な造りの高層ビルの前に差し掛かった。その出入口には軍服姿の警備員が自動小銃を片手に立っていた。僕は胸元からIDカードを取り出すと、出入口の手前に据えてあるセキュリティゲートの機械にかざした。ピッという音とともに、自動ドアが開いた。

 僕は、ピンと背筋を張りながら出入口を通り抜けた。

 ビルの中には広々としたロビーがあり、たくさんの椅子とテーブルが整然と並べられていた。そこにはテーブルを挟んで口角に泡を飛ばしながら熱心に議論している人たちもいた。

 空いている椅子に腰掛けると、僕は、フーッと大きな溜め息を漏らした。

(さすがにラダック中尉だ。偽装したIDカードで一切不審がられることなく、ビルに潜入できた。ホストコンピュータのデータも難なく書き換えたんだろう)

 ここは独裁国家の軍の施設だ。それも機密情報を扱う心臓部と言っても過言ではない。だが、厳しいセキュリティを突破して一旦ビル内に入ってしまえば、表の通りとは違って監視カメラもない。カーリー・オトキュルと接触するなら、この場所しかなかった。

(さてと、これからどうするんだったかな……えっと……)

 スマホや電子機器は一切使えない。このビルの中では全ての電波は傍受され、検閲されてしまうからだ。

(たしかカーリー・オトキュルはここで軍の幹部と会うはずだ)

 出入口の方に目をやると、ちょうどスーツ姿のカーリー・オトキュルが入ってきた。手元のスマホに目を落としながらロビーの隅のテーブルに近づき、椅子に腰を下ろした。どうやら座るテーブルまで指示されているらしい。相手の幹部が現れるまで、あと三十分はあるはずだ。

 僕は席を立つと、カーリー・オトキュルがいる隅のテーブルに向かった。

 カーリー・オトキュルの真横まで近づくと、彼は足を組みながら、手元のスマホを操作していた。

「あの、オトキュル教授でいらっしゃいますよね」

 突然かけられた声にビクッと反応しながら、彼が顔を上げた。怪訝な面持ちで額に皺を寄せている。高い鼻筋と少し頬のこけたエキゾチックな風貌はトルコ系の血が混じっているのに違いない。透き通るような白い肌が艶やかに輝いていた。

「そうだが、君は?」

「はい、ディアンと申します。あなたと同じ大学の研究室を卒業し、今は軍の施設で働いているんです」

「そうかね。何か私に用かな?」

「高名なあなたにお会いできる機会など、めったに無いと思いまして、ご挨拶をさせていただきました。ちょっと座っても宜しいですか?」

「ああ、構わんよ。約束の時間までは、まだあるからね」

 僕はテーブルを挟んでカーリー・オトキュルの向かい合わせの椅子に腰を下ろした。

「実は、僕にはウイグル族の知り合いがいましてね。彼から助けを求められているんです」

「ほう……」

 彼が僕の方に身を乗り出してきた。

「あなたも同じウイグル族と伺っております。ぜひ力を貸していただけないでしょうか?」

「私に?」

 僕は、「はい、そうです」と頷いた。すると彼は、力無く首を左右に振った。

「今の僕には誰かを助ける力なんてないよ。いや、むしろ助ける資格もないんだ……」

 彼は悲しそうに俯きながら眉を曇らせた。

「それは違います。あなたならできます。いや、これはあなたにしかできないことなんです」

「私にしか……それはいったい?」

 僕は胸元のポケットから白いカプセル剤を取り出した。

「では、教えましょう。今から起こることに取り乱さないで下さいね」

 僕はニッコリと微笑むと、ポンとカプセル剤を口に放り込んだ。

 次の瞬間、カーリー・オトキュルの目の前に座っていた僕の姿が忽然(こつぜん)と消え失せた。

「なっ……」

 そのまま絶句したカーリー・オトキュルは、動転するあまり目を白黒させていた。

アストラル体だけとなった僕の姿は、今の彼には見えるはずもない。僕はテーブルを通り抜けて、カーリー・オトキュルの体の中に入り込んだ。

『聞こえますか、僕の声が?』

 カーリー・オトキュルは、キョロキョロと左右に目をやりながら、「いったいどこにいるんだね」と尋ねた。

『今はあなたの魂に直接話しかけています。僕の声は他の人には聞こえません』

「たっ……魂……どういうこと?……」

『先ほど申し上げた助けを求めているウイグル族の知り合いとは、あなた自身です』

「私が?」

『そうです。そして、その方を助け、力になれるのもあなた自身なのです。その導きをするのが私の役目なのです』

「導き……」

『もうすぐ軍の幹部と会うことになっていますね。だから今はまだ詳しくはお話しする時ではありません。ただし、くれぐれも僕のことは誰にも喋らないで下さい』

「ああ、分かった……だが信じられん、こんなこと……」

 カーリー・オトキュルは、自らの心を落ち着かせるように、大きく息を吐きながら何度も深呼吸をしていた。

 それから三十分ほど過ぎたところで、布袋様のようにでっぷりと太った軍人が近づいてきた。ダルマのような丸顔で、禿げ上がった頭がテカテカと光っている。

 カーリー・オトキュルの目の前の席に、ドスンと音を立てながら、その軍人が腰を下ろした。

「オトキュル君、実験は成功だったと聞いているよ」

 カーリー・オトキュルは軽く頭を下げると、「はい、ありがとうございます。僅か一マイクロリットルの暗黒物質を、地中で安定装置から解放したところ、強大な爆縮現象が起こりました」と淡々と話した。

「どれくらいの威力になるのかね」

「はい。世界最大のロシアの核兵器、ツァーリボンバーと同じ五十メガトンの威力が計測されました」

「それはおめでとう。君は国家に貢献した。最高栄誉賞に値する働きだよ」

「ありがとうございます」

「あのカバールとやらの知識は本物のようだな。最初に現れた時は、胡散臭(うさんくさ)いやつだと思っていたが」

「そのカバール氏のことですが、いったい何者なのですか?」

「わしもよく知らん。政府のトップが、軍に寄越したんだ。やつがレポートに書いた数式を理解できる者は、君が初めてだったんだよ。まだ君は、彼と直接会ったことは無かったな。今度、引き合わせよう」

「よろしくお願いします。ですが、一ついいですか?」

「うむ、何かな?」

 太った軍人が額に皺を寄せた。

「タクラマカン砂漠での実験には成功したとはいえ、たった一マイクロリットルの暗黒物質を取り出すのに、現状では半年以上かかります。これでは兵器として実用化するには十分とは言えません」

「なるほど」

「更に改良を加えるために、現在の暗黒物質の生成装置を一旦分解したいのですが」

「うーん……再稼働するまでどれくらいの時間がかかる見込みかね?」

「半年ほどの期間があれば、ありがたいのですが」

 カーリー・オトキュルの言葉に、太った軍人は激しく首を振った。天井の照明の光が禿頭に乱反射していた。

「半年も停止するなんて、とてもじゃないが上層部は納得せんよ」

 カーリー・オトキュルは身を乗り出しながら、「では三ヶ月で結構です。今回の改良によって暗黒物質を抽出するスピードが十倍以上となる見込みなのです」

 太った軍人は腕組みをしながら、「うーん」と嘆息を漏らしていた。

「お願い致します」

 カーリー・オトキュルがテーブルに触れんばかりに頭を下げた。

「仕方ない。許可しよう。ただし三ヶ月後には必ず再稼働するんだぞ。それができなければ、君ばかりか、この私もどんな処罰が下るか分からん」

「ありがとうございます」

「では、良い報告を待っている」

「失礼致します」

 カーリー・オトキュルはサッと立ち上がると、深く一礼をした。それから顔を上げると、早足でビルの出入口を通り抜けた。そのまま歩き続け、通りの角を曲がったところで、足を止めた。

 それから、フーッと大きな溜め息を吐くと、「あんなことを言う積もりはなかった……いったい私に何をやらせるつもりだ。暗黒物質の生成装置を改良するなんて全く方法が分からないぞ」と小さな声で囁いた。

『心配しないでください。大丈夫ですから。さあ、さっそく生成装置のあるタクラマカン砂漠に向かいましょう』

 やれやれといった感じで、カーリー・オトキュルは肩を竦めると、再び歩き始めた。


 次の日、カーリー・オトキュルは、タクラマカン砂漠の北に位置する都市、クチャへ向かう軍用飛行機の特別室にいた。眼下には、波打つような雲海が広がり、まだ到着まで数時間はあった。

「さあ、もう誰にも邪魔はされない。ここならいいだろう。話してくれ」

 カーリー・オトキュルは空中に視線を漂わせた。

『分かりました。では、お話ししましょう』

 僕は全てを話した。その間、カーリー・オトキュルは瞳を閉じたまま、じっと聞き入っていた。

 僕が話し終えると、彼は、ゆっくりと瞼を開けた。

「とてもじゃないが、信じがたい」

『でも、今この瞬間、あなたが体験していることです』

「その通りだ……自分の理解を超えているからと言って否定するのは、科学者として誠実な態度ではない。私はそう思っている」

『現代の科学は決して最先端と胸を張れるようなものではないのです。宇宙レベルからすれば、実に幼稚な水準に留まっているのが真実です』

「そうなのか……」

『はい。理解していただけましたか?』

「分かった」

 カーリー・オトキュルはコックリと頷いた。

『それから最後に、あなたへのメッセージを預かっています。それをお伝えしましょう』

「私へのメッセージ?」

『お父様からです』

「父さんから……」

『お前のことを心から誇りに思う。立派に役目を果たしてほしい。そう仰っておられました』

「……」

 カーリー・オトキュルはギュッと瞼を閉じると、その目尻から大粒の涙が零れ落ちた。その唇は小刻みに震えていた。

『では、あらためてお伺いします。我々に協力して頂けますか?』

 カーリー・オトキュルは瞼を開くと、「協力しよう。いや、ぜひ協力させてくれ」と、固い決意に満ちた眼差しで、じっと宙を見つめていた。


 二時間ほどでクチャにある空軍基地に軍用飛行機が着陸した。カーリー・オトキュルのための専用のオフィスは、この基地に併設されていた。

 オフィスに入るとすぐに、機密事項を扱うという理由で、助手たちを立ち去らせた。そのうえ、一週間はオフィスに近づいてはいけないという厳命を下した。

「これからどうすればいい?」

『まずは全ての記録を消去しましょう』

「分かった」

 一切(いっさい)躊躇(ちゅうちょ)することもなく、カーリー・オトキュルは、パソコンやクラウドサーバーのデータを消去した。何冊もの分厚い報告書は全て焼き捨てた。その作業に丸一日かかった。

 最後の一冊を灰にしたところで、「これでいいのか。次はどうする?」と、カーリー・オトキュルが尋ねた。

『今日はここまでにしましょう。もう深夜ですから、一旦休んで下さい。明日、暗黒物質の生成装置のあるタクラマカン砂漠の中心部に向かうことにしましょう』

「そうか……」

 それからフラフラとよろけながら宿直室にたどり着くと、彼は、精魂尽き果てたようにあっという間に眠り込んでしまった。自分の作り出したものを自らの手で全て消し去るという作業は、精神的にもずいぶん重荷だったに違いない。

 

 日が昇ると、カーリー・オトキュルはすぐに目を覚ました。睡眠時間は十分では無かったが、深い眠りを享受できたようで、昨晩までの疲れは持ち越していないようだった。

 手早く身支度を整えると、彼は軍用ジープに乗り込んだ。クチャの空軍基地を後にして、タクラマカン砂漠を縦断するように南へと進んだ。波打つような黄色い砂丘の上に朝日が穏やかな陽射しを投げかけていた。

 ハンドルを握るカーリー・オトキュルに、僕は話しかけた。

『おはよう、カーリー。体調はどうですか?』

「ああ、すこぶる快調だ。問題ない」

『ちょっと聞いてもいいですか?』

「なんだい?」

『なぜタクラマカン砂漠に暗黒物質の生成装置を作ったのですか?』

 僕の問いに、カーリー・オトキュルは黙り込んだ。しばらくの間、俯き加減のままで、自問自答しているようだった。

「そうだね……暗黒物質は凄まじい冷却作用を引き起こすことは分かっていたから、人が暮らす街の近くに作るのは危険だった……」

『そうなんですね』

「でも、それだけが理由じゃない。このタクラマカン砂漠ではこれまで数多くの核実験が行われてきた。その放射能は、私の故郷、ウイグルに多大な被害をもたらした。それを終わらせたいと思ったんだ」

『それでこの砂漠に……』

 カーリー・オトキュルは、ギュッと唇を噛み締めた。

「だけど、今は分かっている。私は間違っていたんだ。こんなやり方をすべきでは無かった。自分の過ちは自分で正したい」

『きっとできます。必ずやり遂げられます』

「ありがとう……ディアン」

 カーリー・オトキュルは車のハンドルを固く握り締めながら、アクセルを踏み込んだ。軍用ジープは波打つような黄色い砂丘をジャンプしながら越えていった。

 

 二時間ほどジープを走らせると、黄色い砂漠の彼方に灰色の建物が見えてきた。それはコンクリート打ちっぱなしの、まるで要塞のような建造物だった。

 カーリー・オトキュルが軍用ジープを止めると、その建物の入り口に向かった。一歩、足を踏み出す度に、足首まで黄色い砂に埋もれてしまうほど、柔らかい砂地だった。

『いったいここは?』

「暗黒物質の生成装置のコントロールセンターだ。安全のため、装置の場所から十キロも離れているがね」

 ザクッと音を立てながら、カーリー・オトキュルが砂地に足を踏み込んだ。

『ここから、あの巨大な氷柱を操作しているんですね』

「あの氷柱の中心部には、特別な原子が一つだけ存在する」

『特別な原子?』

「私はそれを反転原子と名付けた。通常の原子とは、その中にある陽子も電子も全て逆方向に回転している」

『全てが逆……』

 僕には、その分野の知識は乏しい。カーリー・オトキュルの話の内容がよく理解できなかった。

「反転原子はエネルギーを吸収し続ける不思議な物質なんだ。その周囲の熱を奪い続けるために、あれほどの巨大な氷柱が、こんな砂漠のど真ん中にできるんだよ」

『なるほど……』

「そして反転原子がエネルギーを吸収する際に、特異な素粒子を放出する。ほんの僅かだがね。放出された素粒子は氷柱の中に閉じ込められている。それが暗黒物質なんだ」

 ようやくカーリー・オトキュルが建物の出入口の前に辿り着いた。目の前には鉄製の分厚い両開き扉が閉じられていた。

 何かを感じたのか、ふっとカーリー・オトキュルが振り返った。どこまでも広がる黄色い砂丘の遥か彼方に目を凝らすと、地平線に黄色い壁が現れていた。

「砂嵐だ!こっちへ近づいてくる!」

『急ぎましょう、カーリー!』

「ああ、そうしよう」

 カーリー・オトキュルは、右手の掌を鉄製の扉に当てた。

 ピーッという甲高い電子音がして、鉄製の扉が内側に向かってゆっくりと開いた。

『ここは無人ですか?』

「いや、そうじゃない。常に暗黒物質の生成装置を監視するために、数人の科学者が詰めている」

 カーリー・オトキュルは、まるで要塞のようなコンクリートセンターの中に足を踏み入れた。

 勝手知ったるようで、彼はズンズンと灰色の廊下を先へと進んでいった。

 廊下の突き当たりにドアがあった。彼は、ためらうことなくそのドアを開けた。

 そこは監視室らしく、壁一面を埋め尽くすように、幾つものモニターが設置されていた。壁に向かってコの字を描くようにデスクが並べられている。

 そのデスクに向かって、五人の男性が各自の目の前にあるキーボードを叩きながら、壁のモニターを見つめていた。全員、白衣を身に(まと)っている。監視作業に従事している科学者たちのようだ。突然、室内に入ってきたカーリー・オトキュルに注意を払う者など一人もいなかった。

 カーリー・オトキュルは、「おい、みんな!一旦、作業を中断して休憩室で待機してくれ。済まないが、極秘の特命任務があるんだ」と、大声を張り上げた。

 その途端、科学者たちは無言で立ち上がると、ゾロゾロと連なって監視室を後にした。彼らにはまるで生気が感じられず、まるでロボットのような感じだった。

 科学者たち全員が出ていったところで、カーリー・オトキュルがドアに鍵をかけた。

「さあ、これで誰も邪魔はできない。あれを止めよう」

『暗黒物質の生成をどうやって止めるんですか?』

「反転原子は、本来、地球上では存在し続けることはできない。それを可能にするために、凄まじいエネルギー量のパルス電磁波を発生させて、反転原子に作用させているんだ」

『そうなんですか』

「あの氷柱は砂漠の真ん中にあるが、その砂地の下にはパルス電磁波の発生装置が埋められている。それをここでコントロールしているんだ」

『じゃあ、パルス電磁波を止めれば……』

「反転原子も消滅するということだ」

『分かりました。お願いします』

 カーリー・オトキュルは正面中央のデスクに座った。目の前のキーボードを軽やかに叩いていくと、正面のモニターに次々と入力されたコードが表示されていった。

 それから彼は、五分ほど一心不乱にキーボードに向かっていた。

『まだかかりますか?』

「あと少しだ!必ず止めてみせる」

 その時だった。

「そこまでだ。オトキュル君」

 カーリー・オトキュルの背後から声が聞こえた。彼が椅子に座ったまま振り返ると、金髪で淡い褐色の瞳をした背の高い白人男性が拳銃を構えていた。その銃口はカーリー・オトキュルの眉間に向けられている。銃を握っている右の手首には黒いリストバンドをしていた。

『カバール!』

 思わず僕が驚きの声を上げると、カーリー・オトキュルは「カバール……」と小さな声で呟きながら立ち上がった。

 カーリー・オトキュルが自分の名前を口走ったことに、カバールは怪訝そうに眉根を寄せた。

「君と会うのは初めてだがな?」

 少し取り乱したようにカーリー・オトキュルは首を左右に振った。

「カバールさんのレポートを基にして、私はこの装置を生み出すことができました。ですから、どのような方なのかを軍の幹部から聞いていたんです。それで……」

「まあ、それはいい。いったいここで何をやっておるんだね、君は?」

「軍の幹部からは許可を得ております」

「ほう、どんな許可だね?」

「暗黒物質の生成装置を改良するために、装置を止めて分解することです」

「改良?何をどう改良するつもりかな。サーバー上のデータまで全て消去する理由にはならんよ」

 カバールがカーリー・オトキュルに近寄った。銃口は彼の額に向けられたままだった。

 カーリー・オトキュルは、「ですから、暗黒物質の生成スピードを早めるために……」と視線を泳がせた。

 突然、ガツンという衝撃が、カーリー・オトキュルの脳天に加えられた。カバールが拳銃のグリップの底で殴ったのだ。

 カーリー・オトキュルは、軽い脳震盪を起こして、ドッと床に倒れ込んだ。

「コヤツは疑わしい。誰かによからぬことを吹き込まれたに違いない。後で締め上げて吐かせてやる。おい、地下の独房へ放り込んでおけ!」

 カバールの命令に従って、白衣を着た科学者たちがゾロゾロと監視室に入ってきた。

「コヤツを運ぶのは二人でいいだろう。残りの者は、コイツが入力したコードを分析しろ。セキュリティを確かめるんだ。暗黒物質の生成装置は絶対に止めてはならん」

 二人の科学者が床に横たわっているカーリー・オトキュルを担ぎ上げると、地下室へと運んだ。

 地下室の中央には独房が据えられていた。まるで動物園の檻のように、四方が鉄格子で囲われている。科学者たちは鉄格子の扉の鍵をかけると、上階へ戻った。

「ううっ……」

 呻き声を漏らしながら、気を失っていたカーリー・オトキュルが目を覚ました。頭の天辺には大きな瘤までできている。

「私はいったい……」

『あと少しのところで、カバールが現れたのです。そして、あなたは頭を殴られて気を失ったんです』

「そうだ……思い出した……」

 彼は手を伸ばすと、自分の頭を擦りながら顔をしかめていた。頭にできた瘤がかなり痛むに違いない。

『大丈夫ですか?」

「ああ、なんとか……だが、これで万事休すだ。ちきしょう」

 悔しそうに舌打ちすると、カーリー・オトキュルは四方を囲む鉄格子を恨めしそうに睨んだ。

『まだ、諦めるのは早いです。きっと何か方法があるはずです』

「いったいどんな方法があるというんだい?この状況で」

『ちょっと待っていてください。必ずなんとかなりますから』

 本当は僕にはなんのアイデアも浮かんでいなかった。月守り隊にテレパシーで助けを求めたいが、カバールに感知される恐れがあり、それもできない。それでも僕は、月守り隊の仲間たちがきっと力を貸してくれると信じていた。今はその助けを待つほかなかった。

 コントロールセンターのコンピュータのチェックを終えれば、カバールは地下室へやってくるはずだ。カーリー・オトキュルを苛烈な拷問にかけることも躊躇しないだろう。あまり時間の余裕はなかった。

 僕はジリジリと焦りを感じながらも、落胆しているカーリー・オトキュルを励まし続けた。

 すると、カサカサとコンクリートの床を擦る微かな音が聞こえた。

 カーリー・オトキュルが音のした方に顔を向けると、壁際に体長十五センチほどのネズミがいた。全身が薄茶色の体毛で覆われ、お腹にだけ白い毛が生えている。ネズミにしては大きいが、黒々としたつぶらな瞳が可愛らしかった。

「スナネズミ!どうやって建物の中に入ってきたんだ?」

『スナネズミって?』

「ああ、砂漠に生息するネズミだ。乾燥にも強くて、植物に含まれる僅かな水分を摂取するだけで生きていける。体もあれで普通のサイズだよ」

『そうなんですか……あれっ?』

 スナネズミは口に何かを咥えていた。丸い金属の輪っかを長い前歯で引っ掛けるようにしながら、チョコチョコとこちらへ近づいてくる。その輪っかには何かがぶら下がっていた。

「鍵だ!」

 カーリー・オトキュルが驚きの声を上げた。スナネズミは鉄格子の間際まで近寄り、そっと床の上に鍵を置いた。

『きっとこの鉄格子の鍵ですよ』

「ああ……」

 カーリー・オトキュルは恐るおそる鍵を掴んだ。そして鉄格子の隙間から手を出して扉の鍵穴に差し込んだ。鍵をクルリと回すと、カチャンと音を立てて扉が開いた。

『やった!これで出られますね』

「それにしても、これはいったい?」

 スナネズミは鉄格子の傍でカーリー・オトキュルを見上げていた。そのつぶらな瞳は、まるで黒曜石のように輝いていた。

『まさか……ラダック中尉?』

 その時、スナネズミが後ろ足だけで立ち上がると、右手で拳をにぎりながら、グッと親指を立てた。間違いない。ラダック中尉だ。

『さあ、行きましょう。まずはこのコントロールセンターから脱出するんです』

「わっ、分かった」

 カーリー・オトキュルは狐につままれたような表情をしながら、鉄格子の外に出た。音を立てないように階段を爪先立ちで上ると、一階の廊下を見渡した。

 幸いに誰もいない。きっとコンピュータのチェックに時間がかかっているのだろう。

『さあ、今です』

 カーリー・オトキュルは無言のまま頷くと、息を殺しながら出入口の扉へ向かった。内側からはセキュリティはかかっておらず、取手を引くと扉が開いた。

 ようやくコントロールセンターの外に出た。

 しかし周囲の状況は、ここに到着した時と一変していた。横殴りの強風が吹き付けて、黄色い砂が舞っている。砂嵐の真っ只中だった。

『とにかく急いでここから離れるんです!」

「分かった。暗黒物質の生成装置を目指そう」

 カーリー・オトキュルがハンカチで鼻と口を覆って頭の後ろで結び、胸元からサングラスを取り出した。どんどん風が強さを増していく。舞い上がった砂がまるで黄色い壁を作っているようだった。

 黄色い砂丘の上に、カーリー・オトキュルが足を踏み出した。ズブリと足首まで砂に埋まったが、構うことなく反対側の足を踏み出した。

 砂地から足を引き抜くようにしながら一歩ずつ進み続けた。

 舞い散る砂のおかげで、追手からは容易に見つかることはないだろう。だが、前後左右は隙間なく黄色い砂が舞い散り、完全に視界が塞がれていた。

 それでも暗黒物質の生成装置を目指して、カーリー・オトキュルは歩き続けた。だが、目的地までは十キロ近く離れているはずだった。時折、突風が吹き付けると、カーリー・オトキュルはよろめきながら足を止めた。

 一時間ほど経ったところで、カーリー・オトキュルが、倒れ込むように砂地に膝を突いた。四つん這いの姿勢のまま、はあはあと荒い息を吐いている。既にサングラスもハンカチも突風に吹き飛ばされていた。

 吹き荒ぶ砂嵐は止む気配はなかった。足首まで埋まる砂地を、こんな天候の中で歩き続けるのは本当に過酷だった。カーリー・オトキュルの体力は既に限界を超えていた。

 暗黒物質の生成装置の場所までは、まだかなりの距離が残っていた。

『大丈夫ですか?』

 カーリー・オトキュルは、激しい息遣いのまま、一言も発することが出来なかった。この状況では水分補給もできない。既に彼は脱水症状を起こして意識も朦朧していた。ピクピクと足の筋肉が痙攣して、立ち上がることさえ困難なようだった。その顔面も血の気が引いて青白い。

 砂地にうずくまった彼の体に、容赦なく黄色い砂の粒が叩きつけた。

『どうすればいいんだ……』

 僕の呟きさえ、もはやカーリー・オトキュルには聞こえていないようだった。

 その時、「ンゴォォォー」と、まるで法螺貝を鳴らすような重低音が響き渡った。

 鼓膜を揺さぶるような響きに意識を取り戻したカーリー・オトキュルが四つん這いのまま、ゆっくりと首を持ち上げた。

 次の瞬間、背中から服を掴まれ、グイと彼の体が持ち上げられた。

『なっ、なんだ!』

 まさか出し抜けに追手が現れたのかと思い、僕は慌てた。

 すると持ち上げられたカーリー・オトキュルの体がポンと空中に投げ出された。次の瞬間、ドスンと鈍い音を立てて茶色い毛皮の上に乗せられた。彼の体の前後に大きなコブがあり、その間に跨っていた。

「ンゴォォォォー」

 再び全身を振動させるような、重低音が響き渡った。

 それは大きなフタコブラクダだった。

 首を曲げて、こちらの様子を窺っている。瞬きする度に、長いまつ毛が揺れていた。全身を包んでいる茶色い体毛が吹き荒ぶ風に(なび)いていた。

 このフタコブラクダは、カーリー・オトキュルの服を(くわ)えて持ち上げ、自分の背中に乗せたのだ。どんなに人馴れしたラクダでも、そんなことはできないだろう。

 月守り隊には、このフタコブラクダと同じく、茶色い体毛で全身を覆っている隊員がいる。

『ケビアン中佐ですか?』

 僕の問いかけに、「ンゴォォォォー」という重低音の鳴き声で、フタコブラクダが答えた。

 鼓膜を強く振動させるような鳴き声に、カーリー・オトキュルが正気に返った。

「いったい……これは……」

 予想もしない出来事に、彼は戸惑っているようだった。

 フタコブラクダの体の左右には荷物袋がぶら下がっていた。たしかラクダがキャラバン隊で荷物を運ぶ際には、こんな袋をぶら下げていることを僕は思い出した。

『カーリー、足先にある荷物袋に、何か助けになるものが入っていると思います』

「ああ……分かった……」

 カーリー・オトキュルが左側の袋に手を突っ込むと、大きな水筒が出てきた。彼は、震える手で水筒の蓋を開けると、口元に持ち上げた。そのまま顔に浴びるようにしながら、水を飲み干した。

 フーッと大きく息を吐くと、「こんなに美味い水は初めてだ」と感嘆の声を上げた。どうやらすっかり元気を取り戻したようだ。顔に血色が戻り、足の痙攣も止まっていた。月守り隊特製の栄養剤でも混ぜられていたのかもしれない。

 すると、フタコブラクダがゆるゆると歩き出した。その背中に揺られながら、カーリー・オトキュルは前方のコブを両手で掴んでいた。

 フタコブラクダは徐々にスピードを上げた。波打つような砂丘の上を軽やかに駆け抜けていく。砂嵐はまだ治まる様子はなく、辺り一面に黄色い砂が舞い続けていた。

『カーリー、大丈夫ですか?』

「ああ、なんとか……しかし、これはいったい?」

 信じられないような状況の変化に彼は首を捻っていた。走り続けるフタコブラクダの背中は左右に大きく揺れていた。

『まだ右側の荷物袋を確かめていませんよね』

「そうだが……」

『手を突っ込んでみてもらえますか?』

「ああ、分かった」

 左手でコブを掴みながら、カーリー・オトキュルが右手を荷物袋の中に伸ばした。

「うん?」

『どうしました?』

「何かあるぞ……」

 慎重に荷物袋から手を抜き出すと、その掌にはナイフが握られていた。

 そのナイフは二十センチほどの大きさで、弓のような曲線を帯びていた。茶色い革製の鞘に刀身が包まれており、黄金色の柄が光を放っていた。

 カーリー・オトキュルが鞘を払うと、黄金色の刃が眩ゆいばかりに輝いていた。まるで夜空に浮かぶ三日月のように見えた。

「ウイグルナイフだ……こんな黄金色のものは初めて見た……美しい……」

 その時ふと、「光エネルギーを打ち込めば、暗黒装置は一気に雲散霧消する」と、ラダック中尉が話していたことが記憶に蘇った。

『もしかしたら、このナイフで暗黒装置を破壊できるかもしれません。いや、きっとそうですよ!』

「本当かい、ディアン?」

『ええ、暗黒装置は光エネルギーを打ち込めば破壊できるはずです。この黄金のナイフには、きっと光エネルギーが宿っています』

「光エネルギー……だからこんな黄金色に輝いているのか……」

 カーリー・オトキュルは、ナイフの柄を握りながら、その刀身を目の前に(かざ)した。

 空は黄色い砂嵐に覆われ、太陽の光もほとんど遮られている。そんな薄暗いなかで、その刀身は、自ら発光するように黄金色の輝きを四方に放っていた。

『暗黒装置にこのナイフを突き立てれば、きっとうまくいきます』

「うーむ、突き立てると言っても……」

『何か問題でも?』

「暗黒装置の半径五百メートルは極寒の世界に変わっている。砂漠の表面の砂まで凍りついているんだ。そのうえ重力異常も発生していて、一旦その範囲に入ったものは中心部に吸い寄せられる。脱出することは不可能だ」

『うーん、そうですか……では、半径五百メートルのギリギリまで近づいて、このナイフを暗黒装置に向かって投げるのは、どうでしょう?』

「なるほど。それなら重力異常で吸い寄せられるから、確実にこのナイフを暗黒装置に当てることができるな。それならやれるかもしれん」

 頬を紅潮させながら、カーリー・オトキュルはウイグルナイフを胸元のポケットに収めた。

 吹き荒ぶ砂嵐に抗うようにフタコブラクダは首を高く掲げながら、波打つような砂丘の上を一心に走り続けていた。

 それからフタコブラクダの背に揺られ続けて、三十分ほどが経過した。

 出し抜けにフタコブラクダが足を止めて、黄色い砂の上に(うずくま)った。カーリー・オトキュルがその背から降りると、フタコブラクダは静かに立ち上がった。そして再び走り始め、砂嵐の中に姿を消した。

 依然として激しい砂嵐は止むことなく、空中に黄色い砂が舞っていた。

 しかし、目の前には異様な光景が現れていた。

 ほんの数メートル先に巨大なドームがあった。その表面は透明な氷でできており、中は空洞のようだった。中心部には黒い氷柱がそそり立っている。あれが暗黒物質の生成装置だ。

 カーリー・オトキュルが言った通り、重力異常と極度の寒冷状態のために、黒い氷柱を中心にして半径五百メートルの氷のドームができていた。

 カーリー・オトキュルは、氷の壁に向かって足を踏み出した。

「このドームの壁は薄い氷だ。これに穴を開けよう。そこからナイフを投げ込めばいい」

『気をつけてくださいね。この壁の内側は危険なんでしょう』

「ああ、この内側に入ったら、生きては出られない。十分、注意するよ」

 カーリー・オトキュルが手を伸ばせば届く距離まで氷の壁に近づいた。

 ウイグルナイフを取り出そうと、彼が胸元のポケットに手を入れた。

 その時だった。

「動くな!」

 カーリー・オトキュルの後頭部に銃口が当てられた。

「手を上げろ」

 カーリー・オトキュルが胸元から手を戻すと、そのまま両手を高く(かか)げた。

「君も呆れるほど愚かだな。逃げようと思えば、どこへでも行けたはずなのに、わざわざここに来るとは」

 カーリー・オトキュルの後頭部に、銃口がギュッと押しつけられた。

「さあ、誰の指図(さしず)だ。言いたまえ!」

 カーリー・オトキュルが両手を上げたまま、ゆっくりと反転した。

 目の前にはカバールがいた。今度は銃口をカーリー・オトキュルの額に当てている。

「これは私の意思です。誰の指図も受けていません」

 カーリー・オトキュルは、覚悟を決めたような眼差しでカバールを見据えた。

「それなら望み通り、君が作ったあの装置と心中させてやろう」

 たちまちカバールが鬼のような形相に変わり、カーリー・オトキュルの腹をドンと蹴り上げた。

 カーリー・オトキュルの体が真後ろにひっくり返りながら、氷の壁を突き破った。

 我に返った時には、ドームの中の凍りついた砂地の上で大の字になっていた。そのまま中心部へ向かって、ゆっくりと体全体が()()られていく。

 全身の皮膚が見る見るうちに凍傷で茶色く変色していった。肺の内側まで凍り、息をすることさえできない。

 横たわったまま、最後の力を振り絞るようにして、カーリー・オトキュルは胸元に右手を突っ込むと、ウイグルナイフを取り出した。

 既に全身の皮膚がドス黒く変わっていた。細胞が壊死しているのに違いない。

 瞳も凍りついて視力も失っていた。

 彼は全身が痺れたように、何も感じなくなっていた。カーリー・オトキュルの手から、黄金色のナイフが凍りついた砂地の上に滑り落ちた。

(ディアン……頼む……力を貸してくれ……)

 薄れゆく意識のなか、カーリー・オトキュルが心の内で囁くと、その瞳に宿る光が消え失せた。

『カーリー、ここまで本当にありがとう』

 カーリー・オトキュルは、自らの命をかけてまで暗黒物質の生成装置を止めようとしてくれた。その貴い意志を決して無駄にはできない。

 僕は、既に神経の通っていない彼の体を動かした。右手を伸ばしてナイフを握ると、凍った砂地に左手を突きながら片膝立ちの姿勢になった。

 そして、ドームの中心部にある真っ黒な氷柱に向かって、黄金色のナイフを投げた。

 空中を飛ぶナイフの回転に合わせて、ヒュルヒュルヒュルと風を切る音が響いた。黄金色のナイフは、まるで小さな太陽のように(まば)ゆい光を放っている。

 カァンと大きな音を立てて、ナイフが氷柱に突き刺さった。

 次の瞬間、ドンという轟音とともに凄まじい爆風が噴き出した。

 カーリー・オトキュルの体は爆風に煽られて空中に舞い上がった。そのまま百メートル以上も吹き飛ばされたところで、ドスンと音を立てて黄色い砂地の上に落ちた。

 僕はカーリー・オトキュルの体から抜け出すと、黒いカプセルを取り出して飲み込んだ。瞬時にアストラル体が実体化して、隊員服を着用している元の肉体に戻った。

「カーリー!」

 彼の名を叫びながら、その傍に駆け寄った。隊員服の胸元から蘇生装置を取り出して、彼の心臓の上に押し当てた。蘇生装置がたちまち起動して、あっという間に彼が呼吸を始めた。気は失ったままだったが、ドス黒くなっていた彼の皮膚が白く変わり、血の気も差してきた。

 僕はホッとして立ち上がった。

 四方を見渡すと、先ほどの爆風のせいで砂嵐が跡形もなく消えていた。波打つような黄色い砂丘が果てしなく広がっている。突き抜けるような青い空には、眩ゆいばかりの太陽が燦々(さんさん)と輝いていた。氷のドームも黒い氷柱も粉々に吹き飛んだようだ。

 すると空中の一角に黒い霧が漂っているのに気づいた。それは周りの穏やかな景色にはそぐわない異様な光景だった。光エネルギーによって暗黒物質の生成装置が破壊された残滓(ざんし)なのだろう。

「やり遂げた……」

 僕は拳を固く握ると、胸元でガッツポーズをした。

 十メートルほど離れた場所に人影が見えた。

 カバールだ。

 (ほう)けたような表情で、空中の黒い霧をじっと見つめている。

 僕は人差し指をカバールに向けると、「これでお前の企てもおしまいだ!」と叫んだ。

 すると、カバールがこちらを一瞥(いちべつ)しながら、フッと不気味な笑みを漏らした。

 一瞬、不安が過り、「なっ、なんだ。往生際が悪いやつだな」と僕は頬を強張らせた。

 そんな僕の心中を見透かしたかのように、カバールは、「ハッ、ハッ、ハッ」と高笑いを始めた。

 空中に漂う黒い霧が、まるで意思を持っているかのようにゆっくりと動き始めた。見る見るうちに、それらが薄い膜を作るように広がり、空中に浮かぶ巨大なスクリーンとなった。

「いったいなんだ、これは?」

 眉間に皺を寄せながら、僕は黒いスクリーンを睨んでいた。

 すると突然、巨大なスクリーンに青白い六つの渦巻の紋章が浮かび上がった。それが消えると、スクリーンに無数の宇宙戦艦が映し出された。それぞれの艦船の表面が青白く輝いている。まさに大艦隊だ。

「まっ、まさか、これは!」

 高笑いを続けるカバールのほうに視線を向けると、カバールは唇を歪めながら毒々しい笑みを浮かべた。

「そうだよ。察しの通り、闇宇宙の艦隊だ。君が暗黒物質に光エネルギーを与えてくれたおかげで、ワームホールが生まれたんだ。それを使って我々の艦隊を送り込むのが本当の目的だったんだ。感謝するよ」

「そんな!」

「君がカーリー・オトキュルにウォークインしていることなど、とっくに見抜いていたよ。これで地球も終わりだ。我々の手助けをしてくれて礼を言わせてもらうよ、ディアン君」

「こんなこと、あり得ない!」

 黄色い砂丘の上空に浮かぶ巨大な黒いスクリーンに映し出されている大艦隊が、どんどんこちら側へ近づいてきた。

 そして遂には、先頭を進む宇宙戦艦の機首が黒いスクリーンから飛び出した。その表面は青白い光を放っている。

 僕は携帯型の光線銃を胸元から取り出すと、その機首に向かって立て続けにビームを発射した。だが重厚な装甲にことごとく跳ね返されてしまう。

 そんな僕を愉快そうに眺めながら、カバールは、「ハッ、ハッ、ハッ」と、また高笑いを始めた。

 それでも僕は光線銃を撃ち続けた。僕の頬には悔し涙が伝い、その(しずく)が黄色い砂漠の上にポタポタと(こぼ)れ落ちていた。

 次の瞬間、ドカンという衝撃音とともに、戦艦が粉々に砕け散った。

 その衝撃波で、僕は数十メートルも吹き飛ばされ、そのまま砂地に叩きつけられた。一瞬、息が詰まって呼吸もできなかった。

 砂地に両手を突きながら、なんとか上体を起こすと、同じように吹き飛ばされたカバールが頭から砂地に突っ込んで、もがいている様子が目に入った。

 何が起こったのかと顔を上げると、上空には銀河連合の大艦隊が現れていた。

「ディアン中尉、聞こえる?」

 ミナマ隊長の声が隊員服の襟元に縫い込んであるスピーカーから響いてきた。

「はい、ミナマ隊長!」

「この瞬間を待っていたわ。銀河連合の主力艦隊はインビジブルモードで姿を隠していたのよ。ここからは任せなさい!」

「はい!」

 僕は立ち上って、拳を空に突き上げた。

「目標、前方のワームホール。全艦、一斉砲撃。撃て!」

 ミナマ隊長の号令とともに、全艦が光子砲をワームホールに叩き込んだ。次から次へと、(まば)ゆい(いかずち)のような光の柱が黒いスクリーンに注ぎ込まれていく。

 闇宇宙の艦隊はワームホールの周囲に集まり過ぎていた。同士討ちになりかねないので反撃もできない。出し抜けに現れた銀河連合から不意打ちを食らって、ワームホールの向こう側で闇宇宙の戦艦が次々に爆発し、轟沈していく様子が見て取れた。

「ミナマ隊長!やった!」

「あなたのおかげよ、ディアン中尉。でも作戦を教えず、ごめんなさいね。あなたには演技ができそうにもなかったから。許して」

「謝ることなんてないです!ミナマ隊長の判断は正しいかった。大勝利ですよ!」

 もう一度、僕は拳を天に突き上げた。

 ワームホールの向こう側は既に火の海となっていた。真っ赤な炎が黒いスクリーンから吹き出していた。

 その灼熱の炎のせいだろう。ワームホールのスクリーンが徐々に小さくなり、最後は一メートルほどの黒い泡に変わった。フワフワと空中に浮かんでいる泡は、どんどん色が薄くなっていく。

 ワームホールは閉じられたのだ。

 やっと砂の中から頭を抜いたカバールは、砂地の上に座り込んでいた。ただ呆然と眼前で展開されていく光景を眺めている。頭の天辺から爪先まで、全身に黄色い砂を塗したような哀れな格好をしていた。

 そんなカバールを、いつの間にか、ケビアン中佐、ニドー少佐、ラダック中尉が囲んでいた。

 そこに全速力で駆け寄ると、「皆さん、やりましたね」と、僕は声を弾ませた。

 するとケビアン中佐が、銃口をカバールに向けたまま、コックリと頷いた。

「ああ、最後の仕上げだ。今度こそ年貢の納め時だな、カバール」

 ケビアン中佐を見据えながら、カバールが右手をピクリと動かした。

 それを見てとったラダック中尉が、「おっと動くなよ。この前のようにはいかないからな。この銃は特別性で、闇の印の盾でも貫くからな」と銃身の長い光線銃を構えた。

砂地の上に腰を下ろしたまま、カバールは頬を()()らせながら、周りを囲んでいる僕たちの顔を睨んでいた。

 その時、空中に浮かんでいた泡が虹のように七色に輝くと、力尽きたように落下し始めた。ちょうど僕らの真上に落ちてきた。

「危ない!逃げて!」

 ニドー少佐の叫び声に反応して、僕らはそれぞれ後ろへ大きくジャンプした。

 虹色の泡の塊は音もなく、砂地の上に座り込んでいたカバールの上に落ちた。

 その跡には泡の塊だけが残っていた。太陽の陽射しを反射しながら、キラキラと虹色に輝いている。

 そこにカバールの姿は無かった。まるで手品でも見せられているようだった。

「いったいどこに消えた。まっ、まさかどこかに逃げた?」

 僕は、キョロキョロと周囲を見回した。

「落ち着いて、ディアン中尉」

 その声に振り返ると、ミナマ隊長が立っていた。少し離れた砂地の上に小型の飛行船が着陸しているのが目に入った。

 ミナマ隊長のグレーの瞳は穏やかな眼差しを投げかけていた。紫色のロングヘアが、まるで後光のように光を放っている。

「カバールはいったい?」

 僕は小首を傾げた。

「これは亜空間よ。ワームホールが消える際に、時空がねじ曲がった衝撃で現れた。カバールはそこに閉じ込められたの」

「亜空間?」

「この宇宙でも闇宇宙でもない時空。それが亜空間。そこから出る方法は限られている。今のカバールに脱出は無理よ。どのみち、しばらくすれば亜空間は消え去っていく。カバールを道連れにしてね」

「そうなんですか……」

 見る見るうちに、黄色い砂地の上にある虹色の泡が小さくなっていった。

(これで全て解決した……)

 そんな想いが胸の内を過り、フーッと大きく息を吐きながら、僕は空を見上げた。波打つような黄色い砂丘の上には、突き抜けるような青い空が広がっている。遥か遠くに綿菓子のような真っ白い入道雲が一つ浮かんでいた。

 その時、ヒューッという風を切る音が聞こえた。ハッとして目線を下ろすと、ほんの僅かに残った虹色の泡の中から、一筋の青白い鞭が真っ直ぐに僕に向かってきた。

「ディアン、危ない!」

 ミナマ隊長の声が響くと同時に、僕はドンと突き飛ばされた。

 真横に倒れ込んだ僕は、そのまま頭から砂地に突っ込んだ。それと同時に、「隊長!」と叫んでいるみんなの声が聞こえた。

 あまりに突然のことで、何が起こったのか分からなかった。

 僕は、もがくように両手を地面に突きながら、砂地にめり込んだ頭を引き抜いた。

 ペッペッと唾を吐きながら、口の中に入った砂を吐き出した。そして顔に付いた砂を払いながら周囲に目をやると、ケビアン中佐とニドー少佐、それにラダック中尉が沈痛な面持ちで僕を囲んでいた。

 僕は地面に手を突いて立ち上がりながら、「隊長は?」と問いかけた。

 ニドー少佐が俯きながら、「あなたを庇ったミナマ隊長の体に、青白い鞭が巻きついたの。カバールの仕業に違いないわ。アイツの最後の悪あがきよ」と、か細い声で告げた。

「それで隊長は?」

「そのまま虹色の泡の中へ引きずり込まれたわ。それから泡は跡形もなく消えてしまった」

「そんな!」

 ケビアン中佐が、「きっとミナマ隊長は、カバールと同じ亜空間にいる……」と、ガックリと肩を落とした。

「どんなところなんです、そこは?」

 僕はラダック中尉に視線を向けた。

 ラダック中尉は、「銀河連合の本部でスキャンしても見つからない。この宇宙でも闇宇宙でもない、絶海の孤島のような時空。それが亜空間……」と、力無くうなだれた。

「どういうことですか?」

「意図しない亜空間は、まるで泡沫のような存在。一瞬生まれて、すぐに消え去っていきます」

「だけどミナマ隊長は、限られてはいるけど、そこから出る方法はあるって、言ってたじゃないですか!」

「たしかに出る方法はあるにはあるんですが……」

 そこでラダック中尉は言い(よど)んだ。

「どんな方法ですか?」

「亜空間は不安定な空間で、いつも揺らいでいます。そこに入ってきたエネルギーが半減すれば、亜空間が大きく揺らいで、残りのエネルギーは弾き出されます」

「どういうことですか?」

 ケビアン中佐がそっと僕の肩に手を置いた。僕はケビアン中佐に視線を向けた。

 ケビアン中佐は顔中の茶色い毛を逆立てながら、「ミナマ隊長とカバール、どちらかが死ねば、生き残った方が帰ってこれる。そういうことだ」と苦悶の表情を浮かべた。

「そんな……隊長……」

 僕は唇を噛み締めた。

 明らかにカバールの狙いは僕だった。ミナマ隊長は僕を庇って、亜空間に引き摺り込まれたのだ。

 ラダック中尉が左右に首を振りながら、「亜空間では人工の武器は一切使えません。それにどんな電波も届きません。亜空間の外からミナマ隊長に力を貸す方法は無いんです」と俯いた。

「それは違うわ、ラダック中尉」

 その声の方に目をやると、ニドー少佐が決然とした眼差しを浮かべていた。

「この宇宙に……愛の思いが届かない場所なんてない」

 ピンと背筋を張りながら、ニドー少佐が瞼を閉じると、ゆっくりと両手の掌を合わせた。

「頼む……ニドー少佐……」

 ケビアン中佐が、合掌しているニドー少佐の背中にまわり、その両肩に掌を置くと、祈りを込めるように頭を垂れた。

 すると無言のまま、ラダック中尉がニドー少佐の左側に近寄った。そして手を伸ばすと、水色の指先をニドー少佐の左腕に当てた。

 瞳に湧き上がる涙を堪えながら、僕はニドー少佐の右側に歩み寄った。そして、右手を伸ばして、ニドー少佐の肩口に掌を当てた。

(ミナマ隊長……戻ってきてください……)

 祈りを込めながら、瞼を閉じて頭を垂れた。僕たちの祈りがミナマ隊長に届くことを信じて。


 しばらくそのままでいると、不意に頭の中に漆黒の空間が浮かんできた。

(なんだ、これは?)

 頭の中に浮かぶ映像が、漆黒の空間の一点に向かってズームされた。そこにミナマ隊長の姿が映し出された。

(ミナマ隊長!)

 思わず心の中で叫んでいた。

 亜空間に吸い込まれた衝撃でミナマ隊長は気を失っているようだった。その身体が暗闇の中でフワフワと浮かんでいる。紫色のロングヘアが乱れたまま、四方に広がっていた。

 亜空間はほどなく消える。それまでにカバールを倒さなければミナマ隊長は戻ってこれない。

(目を覚ましてください!ミナマ隊長!)

 ハッと我に返ったように、ミナマ隊長が目を覚ました。

「ここはどこ?……そうだ……青白い鞭が全身に巻きついて……虹色の泡の中へ引き摺り込まれた……じゃあ、ここは亜空間……」

 ミナマ隊長の声が、僕の心に響いてきた。

(そう、亜空間です。そこにカバールもいるはずです。カバールを倒して、戻ってきてください、隊長!)

 ミナマ隊長が何かを探すように、左右に首を振った。

「ディアン中尉、あなたなの?」

(そうです、ディアンです。ニドー少佐の祈りのおかげで、亜空間に僕の声が届いているんです)

「そうなの……」

(聞いてください。亜空間から戻ってくるには、カバールを倒すしか方法がありません。でも、きっとカバールも同じことを考えています)

「分かったわ」

(亜空間では人工の武器は一切使えないそうです。それに亜空間はしばらくすると消滅します。だから急いでください)

「やってみるわ。ありがとう、ディアン中尉」

 ミナマ隊長は精神統一をするように、胸の前で合掌した。すると紫色の光に全身が包まれ、次の瞬間、ドラゴンの姿に変わっていた。体を覆う紫色の鱗が薄っすらと光を放っている。

 背中の翼を羽ばたかせると、スーッと流れるように、紫色のドラゴンが暗闇の空間を飛び始めた。

 すると、前方に薄っすらと青白く光る点が現れた。紫色のドラゴンが、バンと音を立てながら力強く翼を羽ばたかせた。急激にスピードを上げて、青白い光に近づいていく。

 それはカバールだった。

 右腕を掲げながら、闇の印から発せられる青白い光を四方に向けている。()()もなく出口を探しているようだった。

 カバールは、近づいてくる紫色のドラゴンに気がつくと、鋭利な刃物のような眼差しで眉を吊り上げた。

 紫色のドラゴンが、カバールと距離を取りながら停止した。グレーの瞳が鋭い眼光を放っている。

「何の真似だ、ミナマ」

「カバール、お前を倒す」

「ここでは人工の武器は一切使えない。素手で私を倒せると思っているのか?」

「この亜空間から脱出できるのは、一つの魂だけ」

「それはこっちのセリフだ。本当なら、あの若造を引き摺り込むつもりだったがな。その代わりにお前を倒す。ここを出て行くのは私だ」

 その右手首の内側から青白い閃光が次から次へと飛び出すと、(まゆ)のようにカバールの全身を包んだ。

「私に宿る闇の力に打ち勝つことなどできん!」

 青白い繭から、まるで稲妻のように閃光が一筋飛び出した。紫色のドラゴンに向かって、青白い光が一直線に伸びていく。

 バンと鋭い音を立てながら、紫色のドラゴンが両翼を強く羽ばたかせた。すると、その脇腹を掠めるように青白い閃光が通り抜けた。

「ふん、いつまで避けられるかな」

 それから立て続けに、何本もの青白い閃光が紫色のドラゴンに襲いかかった。

 背中の翼を小刻みに動かしながら、紫色のドラゴンはなんとかその直撃をかわしていた。だが身体中のあちこちに、紫色の鱗が剥がれて肉を抉られたような傷ができていた。

「手も足も出ないようだな、ミナマ」

 紫色のドラゴンは、ハァハァと苦しげに息を漏らしていた。開いた口元から鋭い牙が覗いている。

 思わず僕は、(ミナマ隊長!)と心の中で叫んだ。

(亜空間で使えるのは心の力だけ。魂の奥底から湧き出る思いの力なんです!)

「思いの……力……」

 紫色のドラゴンはフーッと大きく息を吐き出すと、静かに瞼を閉じた。

 その姿を見て取ったカバールは、「どうやら観念したようだな」と、ニヤリと笑った。

「さあ、これで終わりだ!」

 カバールを包む青白い光が解け、一斉に紫色のドラゴンに向かった。巨大な稲妻のような青白い閃光が一直線に漆黒の空間を突き進んでいく。

 すると、ドラゴンの全身が眩ゆいほどの光を放ち始めた。

 不意にドラゴンの体を包むように球体が現れ、それがどんどん大きくなっていった。真っ青な海と豊かな緑に覆われた美しい惑星だ。その姿に見覚えがあった。

(ミナマ隊長の故郷の星だ……)

 次の瞬間、ドラゴンが巨大化し、あっという間に惑星に重なるほどの大きさになった。

 カバールが放った青白い閃光は、巨大なドラゴンの指先で軽く弾き返された。

 大きな山脈の如く(そび)え立つドラゴンの前では、カバールは芥子粒(けしつぶ)ほどに小さく見えた。

 するとドラゴンが大口を開け、そのまま首を振り下ろした。そして、ちっぽけな点にしか見えないカバールをパクリとひと飲みにした。

 その時、漆黒の空間に一筋の裂け目が現れ、そこから白い光が漏れ出した。次の瞬間、白い光が爆発して、ドンと大きな音を立てながら漆黒の空間が砕け散った。


「亜空間が消えた!」

 ニドー少佐が叫んだ。

 即座にラダック中尉が携帯型の探索装置を取り出してスキャンを始めた。

 矢も盾もたまらず、「たっ、隊長は?」と、僕はラダック中尉に詰め寄った。

「地球の外周軌道上に漂っている。急いで救出しましょう!」

「了解!」

 僕たちは、ミナマ隊長が地表に残していた飛行船に駆け込んだ。操縦席に座ると、僕は飛行船を急上昇させて、一気に地球の大気圏外まで飛び上がった。

「ほら、あそこよ!」

 ニドー少佐が前方のモニターを指さした。画面には、隊員服を着たミナマ隊長が漆黒の空間にフワフワと漂う姿が映し出されていた。隊員服が非常モードに切り替わっていて、頭の周りを透明なヘルメットが包んでいる。

 先ほどまで僕の頭の中に映っていた巨大なドラゴンの姿は幻だったのだろうか。

 全速力でその地点に向かうと、僕たちはミナマ隊長を飛行船の中に収容した。


 それから一ヶ月の間、ミナマ隊長は、月守り隊の基地でベッドに横たわったまま、ずっと眠り続けた。

 その間、僕らは交代でミナマ隊長の看護に当たっていた。

 ある朝、「隊長が目を覚ましたわ!」と、基地の管内放送を通してニドー少佐の弾んだ声が響き渡った。

 僕らが慌てて看護室に集まると、ミナマ隊長はベッドの上で上体を起こしていた。やつれた様子ではあったが、ミナマ隊長は安らかな微笑みを浮かべていた。

 僕たちはベッドを囲みながら、ミナマ隊長の回復を心から喜んだ。

「ちょっと聞いてもいいですか?」

 ラダック中尉が黒曜石のような瞳を輝かせながら、ミナマ隊長に問いかけた。

「なに?」

「武器も使えない亜空間で、いったいどうやって、あのカバールを倒したんですか?」

 ミナマ隊長が僕に視線を向けた。

「あのね。全てを飲み込むような深い暗闇の中で、ディアン中尉の声が聞こえたの。大切なのは思いの力だと」

 嬉しそうにミナマ隊長が目尻を下げた。

「やっぱり聞こえてたんですね……良かった……ニドー少佐を中心にして、みんなで祈ってたんです」

 思わず僕の瞳に涙が湧き上がってきた。

「私はね、自分の魂の奥底の記憶を呼び覚ましたの。きっと遥かに遠い太古の記憶よね。すると、いつしか途方もなく巨大なドラゴンの姿に変わっていた」

 みんなの祈りを通して、僕はその巨大なドラゴンの姿を心の内で見ていたことを思い出した。

「そのまま、私は芥子粒のようなカバールを一飲みにしたわ」

「くっ、食ったんですか?」

 思わずラダック中尉がのけぞっていた。

「そうだけど……」

 みんな一斉に後退りをしていた。ケビアン中佐でさえ、中空に虚ろな視線を泳がせている。

「ちょっと、まさか、みんな引いてるんじゃないでしょうね!」

 凄みのこもった声とともに、ミナマ隊長の切れ長の目がギラリと鋭い眼光を放った。

 慌ててみんなは、「いや、そんなことは無いですよ」と一様にごまかしていた。

 するとミナマ隊長は、フッと小さな溜め息を漏らした。

「まあ、いいわ。ありがとう。みんなのおかげで戻ってこれた」

 ミナマ隊長が透き通るような笑みを零した。紫色のロングヘアはまるで後光を放つように輝いている。その姿はまるで女神のように美しかった。

 僕は、「あのミナマ隊長、聞きたいことがあるんですが?」とミナマ隊長に話しかけた。

「なに?」

「あのですね……こんなに銀河は広いのに、闇宇宙の勢力は、なぜ地球をターゲットにしているんですか?」

 僕は、ずっと解けずにいた疑問を投げかけた。いい質問だとでも言うように、ミナマ隊長が深々と頷いた。

「それはね、私がここにいる理由と同じだと思うわ」

 僕は、「ミナマ隊長がここにいる理由?どういうことですか?」と小首を傾げた。

「あのね、ディアン中尉。今、闇宇宙を消そうとすれば、この宇宙そのものを消すしかない。そんなことはできないから、きっと創造主は闇宇宙を存在させ続けている。そう思うの」

「銀河はこんなに素晴らしいのに……なんで闇宇宙があり続けるのか、僕には納得できません」

「裏宇宙は、素晴らしい銀河の裏返しとも言える。では、なぜ地球が創られたと思う?」

「なぜって、魂の進化のためじゃ」

「その通りだわ。でもね、それだけが理由じゃないと、私は思ってる。単なる魂の進化だけが理由なら、これほど過酷な環境は要らない。記憶を完全に封じて、ゼロから始める。そのうえ各自にどんな選択も許されている。これじゃあ、一度も間違いを犯さない者なんていない」

 僕は返す言葉も見つからず、ミナマ隊長のグレーの瞳をじっと見据えた。今までにそんなことは考えてもみなかった。

「間違いを犯し続け、遂には地獄に堕ちる者さえいる。地球では容易に闇が生まれる環境にある。そう思えて仕方がないのよ、私には」

 ミナマ隊長の言葉に、強い思いが込められているのを感じた。

「闇宇宙が生まれた理由は分からない。色んな伝説は聞いたことがあるけどね。ただ確実に言えることがある。闇宇宙は今も存在し、未だに消えていない」

 ミナマ隊長は顔を上げると、遥か彼方を見やるような遠い目をした。

「もしかするとこの地球が創られたのは、闇宇宙を消滅させるためかもしれない。私はそう思ってるの」

「消滅?」

「そう。この星で生まれた地獄という闇が、この星の営みの中でいつか消える時がくる。その過程が闇宇宙を消し去る処方箋になる。私はそう信じている」

「闇宇宙を消し去る処方箋……」

「それが、私がずっとここにいる理由よ」

「闇宇宙を消すこと……」

「私の故郷は闇宇宙に飲み込まれてしまった。故郷の星の唯一の生き残り。それが私」

「……」

「闇宇宙を消すことができれば、もしかしたら故郷の星が戻ってくるかもしれない。懐かしい仲間や家族たちに再び会えるかもしれない。私にとって地球は残された希望なんだ。たった一つの……だからここにいるのよ」

「そうだったんですか……」

 ミナマ隊長の痛切な思いが、僕の心の中に染み渡ってきた。

 ベッドの上のミナマ隊長を囲んで、みんな、瞳を潤ませていた。ケビアン中佐も、ニドー少佐も、ラダック中尉も、そして、僕も。


 地球人の皆さん、苦しい時や悲しい時、どうか空に浮かぶ月を見上げください。

 僕らはそこにいます。

 僕たちは、これからも地球を守りますから、皆さんも精一杯、魂修行に励んでください。

 地球は銀河の希望です。そこで魂を磨いている皆さんは銀河の宝です。

 では、これからパトロールに行ってきます。

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