第10話 諸行無常
「おお、いたいた」
ここは薄汚れた貸しビルの一角にある焼き鳥屋だ。個性がなく、メニューもありきたりのもので、これといった目玉もない。店は年老いた夫婦と独身の中年息子で切り盛りしている、いつ潰れてもおかしくない店だ。
カウンター席には10人ほど座れるスペースがあり、座敷が2室あった。その奥の座敷に一人の男が胡坐をかいている。50ほどの中年男だ。頭は禿げ上がっており、目つきが鋭い。テーブルには焼き鳥の皿が一皿とハイボールのジョッキが置かれていた。
「やあ、まっていたよ」
彼は弥生双伍といい、クリスタルエデン所属の俳優だ。マイナーな脇役がほとんどで、知名度は低い。その代わりに熱心なファンが多いのが特徴的だ。むかむかする悪役が得意で、作中では無残な殺された方が多い。これは自ら監督に訴え、視聴者のカタルシスを解消するためだと主張したのだ。
こういった役柄は役者に嫌われているが、弥生はそれを率先して演じてきた。
クリスタルエデンの共同代表である野田栄一郎はそんな彼が気に入り、立ち上げた時弥生を誘ったのである。
さて店に入ってきたのは、伊達賢治と江川傑だ。伊達はエリートっぽい雰囲気のある落ち着いた美丈夫で、江川は小柄でどこかチンピラじみた雰囲気があった。
二人は座敷に上がって、弥生の向かいに座った。
「親父さん、いつものやつね」
伊達が注文すると、店長の親父があいよと答えた。年老いた女房はウィスキーの瓶とグラスを持ってきた。伊達はボトルキープをしない、店に来たらひと瓶飲み干してしまうからだ。江川には生ビールのジョッキを差し出す。
息子も懸命に準備をしていた。伊達は店に来たらすべてのメニューを頼むからである。払いはすべて伊達でカードで支払っていた。
「相変わらず豪快だね」
「金はキチンと吐き出さないといけません。溜めるだけでは腐らせるだけですからね」
弥生が言うと、伊達はウイスキーをグラスに注ぎ、一気に飲み干した。それなりに高級なものだが、伊達は平気にカパカパと空けている。
弥生と伊達は年収の差がはるかに大きい。弥生は独身で安アパートで暮らしている。自炊が主で贅沢はしない主義だった。
伊達は服装はブランド品で、高級マンションに暮らしている。弥生はうらやましいと思わなかった。
「伊達さんは金をうまく乗り越していますね。少なくとも振り回されてはいない」
「うまいこというね弥生さん」
「俺は芸歴が無駄に長いからね。多くの芸能人が大金に潰されて殺されていく姿を何度も見たよ」
弥生はハイボールを飲みながら言った。江川は素直に感心している。
芸能界というより、日本人は大金を使いこなすことに慣れていない。組織ならともかく、個人が金を扱うことを習う機会がないのだ。それ故に大金に振り回され豪遊生活を送るも、仕事がなくなればあっという間におちぶれていく。そして贅沢が忘れられず借金生活を送ることが多いのだ。
家庭が円満な例はごくわずかである。弥生の実家もかつては金持ちだったが、父親の代で没落した。父親は酒とテレビ以外の趣味を持たず、母親はパートで生活を支えているのだ。とはいえそれほどみじめというわけではない。弥生には弟がいて彼は役所に勤めていた。妻も役所に勤めており、両親の誕生日に誕生祝の金を渡している。
「金に殺されるか……。さすがは亀の甲より年の功ですね。言葉に重みがあります」
伊達は感心したようにうなずいた。そうこうしているうちに女房がお盆に料理を乗せてきた。冷ややっこに枝豆、鶏のから揚げにバターコーンなどの定番メニューだ。もも肉にとりかわ、つくねなど次々と置かれていく。
江川はつくねを手に取り、むしゃむしゃと食べた。アツアツのつくねから脂が口に広がり、それを冷たい生ビールで流し込む。
ぷはーと息を吐いた。
「これだよこれ!! アツアツのやつを頬張って、冷たいビールで流し込む!! これほど生きててよかったことはないぜ!!」
「傑は単純だなぁ。その意見には大賛成だよ」
伊達も焼き鳥を数本かじりつくと、ウィスキーで流し込んだ。ビールと違い、喉を焼く完食がたまらないのだ。
弥生は冷ややっこやバターコーンを口にし、ハイボールを飲んでいた。
「ところで新作の方だけど、大丈夫なのかい?」
弥生が質問した。今回この店に来たのは現在撮影中の裏返りのリバスの件である。
この撮影に対して中止を求める声が出ているのだ。主に大手芸能事務所がほとんどで、秋本美咲を出演させるなと訴えている。
リバスに出演した俳優の事務所は文句は言わないが、関係のない事務所が騒いでいるのだ。
「オールドメディアの老害どもが騒いでいるだけですよ。リバスはドレイクで配信されますからね。日本と違いギャラも破格だ。うちもそうですが、テレビにこだわる時代は終わりを迎えているのですよ」
「そもそも俺たちの世代でテレビを見ている奴はいないな。というかマスコミを信用していないんだよ。主にSNSが中心だな。まあ便所の落書きみたいなものも多いですけどね」
「狭い日本に閉じこもってお山の大将を気取っているのですよ。今はネットの時代です。どんな時代にも栄耀栄華があり、衰退するのも同じですね」
伊達の言葉に江川は同意した。現在テレビの信頼は低い。とある都知事選でマスコミが盛り上げていた候補が落選した時は通夜状態であった。都合の悪い情報は流さず、偏見情報を流すテレビに愛想をつかしたのだ。70代の老人たちはテレビ以外に娯楽がないが、20年も経てば老人たちは消えているだろう。そしてテレビはネットに取って代わられると推測される。
かつて伊達たちの世代だとゲームセンターが全国各地にあった。ゲームは大いに盛り上がったが家庭用ゲームの進化によりゲームセンターは消えていったのだ。さらにスマホの無料ゲームのおかげで金を払ってまでゲームを遊ぶものもいなくなったのである。
身近にあったものが消えていく。今は伊達も有名人だが年を取れば忘れられるかもしれない。だから伊達は全力で物事に取り込む。人からは変人と思われるが本人はそれに満足しているのだ。
「しかし秋本さんが所属していたキツネ御殿の社長は亡くなっているぜ。今更彼女のドラマを出禁にしても意味はないと思いますがね。たぶん自分たちの安っぽいプライドを守るためだろうな」
「弥生さんの言う通りです。今はテレビに出られなくてもネット配信がありますからね。マスコミはネットも規制したくてたまらないと思います。政治家も忖度のために法律を変えようとしていますからね」
「臭いものにふたをしても、いつか容器は壊れる。先送りしても意味はないのにな。目先のことだけしか興味がない奴はいつか手痛いしっぺ返しを食らうのにね」
弥生は伊達の言葉に同意し、とりかわを口にしてハイボールを流し込んだ。
かつては栄耀栄華を誇ったテレビもスポンサー離れがひどくなり、衰退する一方だ。そのうえネットを非難し自分たちこそこの世の支配者と思い込んでいる。
過去の栄光を忘れられず、自分たちに逆らうものを好きなように潰してきた。秋本美咲はそれに反骨する生意気な存在なのである。
クリスタルエデンはもちろんだが、出演者の事務所にも圧力をかけたらしい。だが相手にしなかった。もう芸能界は昔と違い、権力が弱くなっている。老害はそれを認められず認知できないのだ。
「あれー、伊達さんが来ているよ」
若い女性が伊達を見て声をかけてきた。大学生なのか浮ついた空気をまとっている。
「しかも江川傑までいるわ。みんなに教えちゃえ」
女性の一人が許可なく写真を撮り、SNSに流した。伊達はカメラに向かってアヘ顔ダブルピースを決める。江川も舌を出して中指を突き刺した。大学生たちはげらげらと笑う。
「おお、弥生さんだ!! 弥生さんも来ていたんだ!!」
サングラスにひげを生やした大学生が、弥生を見て興奮していた。
「えーだれ? 知らなーい!!」
「河井監督の常連だよ。最近じゃDROPOUTでも出演しているじゃんか。俺、触覚美という映画で知ったんだよ。盲目の殺人鬼を気持ち悪く演じていたっけ。役者生活が終わったと思ったけど息が長くて安心したよ」
「そうなんだ。今度その映画見てみよっと」
大学生たちは伊達に質問攻めをしたが、伊達は軽快に答えていた。プライベートでもファンの交流を大事にしているのだ。店にはSNSで知った客にあふれていた。
この店は伊達のなじみの店で、彼が来れば大抵SNSのおかげで客が集まるのである。
店主は以前店を閉める決意をしていたのだが、伊達のおかげで繁盛していた。息子も伊達のおかげで今度結婚することになっている。伊達が店を存続させるために嫁を探していたのだ。
弥生の嫁を斡旋しようとしたがこちらは断られた。家庭の面倒な部分を見てきた彼は結婚に魅力を感じなかったし、掃除や洗濯、料理などの家事は得意なのである。
リバスでは伊達は天使ルシファーで、江川は天使アヤツル、弥生は天使ワスレルを演じることになっていた。もっとも派手なアクションはワスレルを除き、最終話近くまでお預けである。