外伝 スピーチヒーロー誕生秘話
「というわけで、あなたがスピーチヒーローを引き継いでくれ」
ここはとある居酒屋だ。都内でも客が入らない寂れた店で、店主も耳の遠い老人が焼き鳥を焼いていた。実はビルのオーナーで税金対策で赤字覚悟の店を開いていたのだ。ありきたりなメニューに生ビールというラインナップで、都心のチェーン店の方がましに思える。
店内には2人組の客が座敷に座っていた。一人は40歳ほどの男で身なりはよく、美丈夫だがどこか胡散臭い雰囲気があった。テーブルの上には焼き鳥の皿や枝豆にフライドポテトなどありきたりなものばかりだ。男は自前のウィスキーの瓶を持っており、時々口に入れている。
伊達賢治というマジカルバブリーというお笑いコンビの一人だ。現在は芸能界四天王の一人として数えられている。もっとも店主の老人は浮かれておらず、伊達には興味がないようだ。
「いきなり何を言うんだ」
もう一人は80歳の老人だ。もっとも見た目は50歳ほどに見える。禿げ上がった頭につぶらな瞳とおちょぼ口で、どこにでもいそうな親父であった。だが実際は芸能界の古参であるシュガーとしおその人である。テレビでは津軽弁でしゃべるが、プライベートな時は標準語でしゃべっていた。なので店主もとしおと気づいていない様子だ。
「スタンドアップスピーチヒーローは君の企画だろう。それにフジサンテレビが主催だったはずだ。なぜ私が引き継がねばならないんだ」
「今のフジサンテレビじゃだめだ。あなたがジパングテレビのお偉いさんに口をきいてもらいたい」
としおが反論すると、伊達は答えにならない返答をした。焼き鳥には手をかけずウィスキーばかり飲んでいる。
フジサンテレビは現在問題が起きていた。有名な男性アイドルが社員に対してセクハラをして、それを社内全体でもみ消していた事実が発覚したのだ。そのためスポンサーは次々と降りてしまい、某国民的アニメではCMが流れない事態に陥ってしまった。
スピーチヒーローは元々フジサンテレビで主催されており、伊達賢治が企画していた。二回ほど放送されており、綺羅めくるや西瓜亭羊が上位に食い込むなど話題になっていた。
優勝賞金は一千万だが、スポンサーが下りた以上、賞金は減額して規模を縮小するのが普通だろう。
だが伊達賢治はとしおにすべてを投げ出すというウルトラCを見せつけたのだ。
としお自身は彼と仕事をしたことがあるが、世間でいうほど野心家には思えなかった。お笑い業界ナンバー1の吉原興業の買収騒ぎも、自分が王様になりたいというより、面白いことを探求する子供のような男だと思っている。実際に目の前で話すと、それが正しかったと確信した。
「スピーチヒーローの会場は帝都ドームだ。優勝賞金は一億で、エントリー料金は一人二百万。あなたが審査員長を務めてくれ。以上だ」
伊達は書類が入った封筒をぽんとテーブルに置くと、万札を10枚置いて去っていった。傍若無人な態度だが、不思議にとしおは腹が立たなかった。キツネに頬をつままれた気分になる。
伊達が店を出ると同時に、男が一人入ってきた。分厚い黒髪に眼鏡をかけた中年太りの男だ。そのくせ来ている背広は高級品であった。
彼はとしおのいる座敷に座る。店主にビールをくれと声をかけると、店主はあいよと答えて、生ビールを持ってきた。
「今、伊達とすれ違ったけど、話はついたのかい?」
「一方的に言いたい放題行って帰っていったよ。こいつはあいつからの酒代だ」
としおはテーブルの上に置いてある万札10枚を指さした。伊達にとって10万ははした金というか、必要経費と思っている傾向がある。
「それよりも今日は忙しいところ申し訳ない。なるべく人目のつかない場所で話したかったんでね」
「何をおっしゃるうさぎさん。としおさんのためならえんやこりゃどっこいしょですわ」
としおが謝罪する相手は、ジパングテレビの社長、圓子坊郎だ。
本来高級レストランやキャバレーで談話するべきだが、としおは酒が飲めない。ウーロン茶以外飲めないのだ。
「それであいつはなんていったんですかい?」
圓子が訊ねると、としおは説明した。もっとも話した内容はあまりに短く、すぐに終わる。
しばらくすると圓子は腕を組んで考え込んだ。そして頭に手をかけると、髪の毛が抜けた。その下はまんまるお月さまが光っている。彼はかつらだった。
「私はづらからない!! この企画をやり遂げて見せますよ!!」
圓子の目は光っていた。としおはウーロン茶を飲みながら、枝豆を食べていた。予想していたとおりである。
「まず説明してもらおうか。あいつの無謀な企画を賛成する理由を」
「そうですな。まずハコの件ですが、問題ないです。実は有名海外アーティストが講演する予定でしたが、メンバーが急病になったのでキャンセルになりました。突然の空きだからこちらが打診すればすぐふた返事でオッケーがでるでしょう」
圓子は覚めた焼き鳥を三本まとめて口に入れると、一気に串を抜いて食べた。もしゃもしゃと音を立てた後、生ビールを飲み干す。げっぷをこらえて一息入れた。
「優勝賞金も大丈夫です。エントリー料の二百万もとしおさんが審査員長を務めれば、500人は軽く集まりますよ。だってとしおさんは優秀な先生ですからね」
「私は先生じゃなくて、お笑い芸人ですよ」
「またまた。としおさんは一度会った人は忘れないじゃないですか。さらにその人の悪い癖も見抜くし、落選してもとしおさんの助言をもらえれば安いと考える事務所は多いですよ」
としおは芸能生活を半世紀近く送っている。鬼籍に入った人間も多いが、大抵の人間は忘れない。二十年前に会った人間でもすれ違えば当時の話をして挨拶するほどだ。
シュガーとしおは芸能界四天王と比べれば地味な方である。ろっくたけしや藤崎武頼庵、華崎鮎美と言った面々は派手だが、としおは淡々としたものだ。
だが彼は芸能界を支える二大守護者として尊敬されていた。もう一人は演歌歌手の横川尚美である。飲む打つ買うに興味がなく、家庭を愛するのがとしおだ。
「審査員は2回目の優勝者である綺羅めくるに準優勝者の西瓜亭羊、もう一人はフジサンテレビの清田社長ですが、こちらも問題ないですね。不祥事を起こした社長が一審査員となる。話題は沸騰でしょうね。むしろ普通にダテケンが企画するより、盛り上がると思いますね」
圓子が太鼓判を押した。としおは彼が賛成すると最初から思っていた。そもそも伊達賢治が自分に企画を持ち込んだ時から、としおが主催者になることは決定事項だと考えている。
伊達賢治は唐突に思い付きを口にしては、芸能界を混乱に陥れる。まるでメフィストフェレスだ。一部の人間はファウストのように地獄へ落ちるが、大抵は民衆が乱痴気騒ぎを起こすのだ。
「……私はもう80だ。いつお迎えが来てもおかしくない。いつまでも私に頼っては困るぞ」
「それは言えますね。息子さんはどうでしょうか?」
「優希は俳優業しか興味ないな。こういうのは血筋ではなく、芸能界を守ろうとする気概のある人でないと困る」
「それだと蒼井企画の面々が適任ですね。あそこは大手の事務所に嫌われているから、今までテレビに出れなかったけど、漫才王になろうGPの影響で、露出が多くなりました」
「私としてはアビゲイルの二人がいいな。彼らは人をいじらず、自分たちをいじって笑いを取ることがほとんどだ」
としおはウーロン茶を飲みながら言った。今の芸能界はSNSの影響で多少は問題を起こしても動画配信者として活動できるようになった。もちろん収益は初期に比べれば激減しているが、代わりに営業の仕事が入りやすくなったと言える。全国どこでも動画を楽しめるからだ。
もっとも全員がとしおのように穏やかな生活を望んでいるわけではない。ド派手で楽して金を儲けたい芸能人は少なからずいる。自分がトップになるなら枕営業はするし、他人を陥れるなんて当然だと思っているだろう。
としおはそんな芸能界を生き抜いており、それだけでも尊敬の念を集めている。
「あっ、あんた、シュガーとしおだろ? サインください!!」
突如店主が思い出したように叫んだ。としおはカバンから色紙を取り出す。ファンのために色紙はいつも手元に置いているのだ。サインをもらって上機嫌の店主を見ると、としおはほっこりした気分になる。
のちにスタンドアップスピーチヒーローの話は芸能界中に広がった。エントリー料の二百万は虎の子を差し出すようなものだが、としおが審査員長を務めるとわかれば躊躇なく払っていく。結果1000人近くの芸能人が集まったのだ。これにはとしおも驚いた。
もちろんとしお以外の審査員もいるが、彼ほど的確に相手の癖を見抜き的確な助言を与える人間はいなかった。
結果として6人が決勝進出を決めたのだ。
スタンドアップスピーチヒーローの前日譚です。
本来この企画はフジサンテレビが主催でしたが、私がよく理解してなかったため、ジパングテレビ主催になってしまいました。




