その4
「さあ、今宵は騒ぎましょう!!」
キャバレー・アリス。都心にある格のある店だ。ウェイトレスはバニーガールで高級感がある。お笑い芸能事務所、蒼井企画の親会社、蒼井食品の系列の店だ。
酒と料理も豊富で、物価高の時代でもサービスの良さに客は途絶えることがなかった。
今夜は劇場版裏返りのリバスの打ち上げである。乾杯の音頭をあげたのは監督の河井一美だ。他にも出演者やスタッフも大勢いる。今回は貸し切りだ。
その中に山田エヴァ万桜もいた。余所行きの高級なドレスを着ている。黒張りのソファーに座っていた。
「無事、撮影が終わってよかったですね」
万桜の左に座ったのは大山和美だ。今回は雪の結晶をあしらった白い着物を着ていた。見た目は白人系だが、着物姿は不思議と似合っていた。何十年も日本に過ごしていれば自然と国の空気になじむというものだ。
「はい、今回は主役だったので緊張しました」
「主役といっても作品によっては横柄なプロデューサーやディレクターに泣かされますからね。今回はとてもよい現場でした」
「リバスの現場はとても気持ちがいいものでしたよ」
「ですが嫌な空気の現場がほとんどですね。ですがそれが人生というものよ。それを受け流すことが大事です」
「人生の先輩として、肝に銘じますわ」
万桜と和美はお茶を飲んでいた。二人ともあまり酒は嗜まないためだ。今回は万桜の故郷の料理が出されていた。この店は予約をすれば客の故郷の味を提供してくれるのだ。
店内には簡易ステージが設置されていた。週末には蒼井企画の芸人がステージに立っていた。
今回はドラムやキーボードなどの機材が置かれている。ステージには5人のバニーガールが立っていた。
蒼井企画の芸人、バニーレンジャーが演奏することになった。なんでも彼女たちは事務所の意向で古いお笑い映画をよく見ていた。特にハナ肇とクレイジーキャッツの映画に興味を抱き、自分たちも音楽とお笑いを両立したグループを立ち上げたのである。
元々コンビも組んでおらず、お笑いより店の仕事が多い彼女たちだったが、結成以来人気が出始めた。
今はチャック・ベリーやエルヴィス・プレスリーのカバー曲を歌っているが、徐々に実力を上げていった。
「バニーに興味がありますか?」
和美が訊ねた。
「私はちょっと……。ああいった大胆な衣装は着れませんね」
「バニーガールは事務所の意向だそうですよ。そうやって精神を鍛えるそうです。青いバニーさんはおっとり美人ですが、セクハラには非常に厳しい人だそうですよ」
その青いバニーはドラムの前に座っており、力強いドラムをたたいていた。
「ですが私は35歳ですからね。正直恥ずかしくて無理ですよ」
「確かにね。ビキニならまだ我慢できるけど、どうしてバニーだけは恥ずかしいのかわからないわね」
「バニーは非現実的だからでしょうね。セクシーかつ高級感がギャップを生むから、日常では着れないのかもしれないわね」
横に入ってきたのは河井監督であった。プロデューサーやスタッフたちは酒を飲み、料理に舌鼓を打っていた。お偉いさんの相手は漫才コンビのバニラアイスが担当していた。お笑いより接客が得意だという。
「よぉ、元気にしているかい?」
声をかけてきたのは屈強な女性だ。赤毛で顔は老けているが、身体は引き締まっており見た目より若く見えた。演歌歌手の横川尚美。大山和美の師匠である。豪快な女盗賊の頭領に見えた。
隣にはでっぷり太ったパーマの中年女性と、黒人女性、金髪の女性が控えていた。
山岸秀代、島袋藍、秋本美咲だ。どれも演歌歌手で名を馳せている。
「まあ、尚美ファミリー勢ぞろいですわね」
「別に家族じゃないよ。あくまで師弟関係さ。家族だと馴れ馴れしくなるからな。何をしても許されると勘違いしちまうのさ」
万桜が言うと、尚美は訂正した。彼女に家族はいない。弟子だけだ。彼女の父親は家族を重要視していた。実のところいくらいじめても平気だろうという思い込みがあった。家族なんだから我慢しろ、家族なんだから何をしても許される。父親の態度はそれであった。なので尚美は父親を反面教師とし、家族に対しては一線を引いていた。弟子に対して家庭を持つなというわけではない。家族も独立した存在だからなんでもいうことを聞くと思うなと教えていた。
「確かに家族といえば聞こえはいいですが、甘えもありますわね。家庭内暴力も家族なら受け入れてくれると勘違いしているとありますわ」
「せやな。うちのおとんとおかんもうちらと別れることになったら、泣いて批難しとったわ」
万桜が頷くと、秀代が相槌を打った。彼女は弟とともに実の両親から虐待を受けていた。
「私の家族はすでにおりませんから、気軽でしたね。今は家庭を一緒に守っていますよ」
藍が答えた。彼女はアフリカ系アメリカ人で、日本に恋い焦がれていた。両親が病気で亡くなったため、単身日本へやってきた。尚美に弟子入りし、日本国籍を取得し、日本人男性と結婚して、子供は二人いる。
「うちの両親は放任主義だからね。たぶんあたしが結婚するって言っても反応はないよ」
美咲がやれやれと首を振りながら言った。虐待されていたわけではないが、学校では不良扱いされていた。両親は仕事で海外に行くことが多く、娘の教育に無関心であった。いや、一人で生活できるように幼少時から躾けており、周囲の子供と一線を画すが、そのために浮いていた。
「これだけの人たちをよく集められましたね。監督に人選の権限はないはずですが」
監督はあくまで撮影するだけで、出演者はプロデューサーやスポンサーが決めるものだ。
その疑問を万桜が口にした。
「私とプロデューサーは旧知の仲なんですよ。ある程度の無茶も通ります。それに横川先生が出演するだけでスポンサーはより取り見取りですよ」
「より取り見取りじゃないよ。あくまでお願いしているだけだね」
監督の河井が答えると、尚美が否定した。リバスのスポンサーは尚美の弟子たちなのだ。芸能界では目が出なかった弟子は、ホテルや外食産業などの社長と結婚し、共同して成長させたのだ。
今ではホテルやレストラン、中古車販売や不動産など活動している弟子が多い。尚美は彼女たちがいるから70歳でも仕事が途切れないのだ。もちろん尚美が彼女たちに便宜を図ってきた結果だが。
「そういえば伊達さんは見えませんね。今回の立役者でしょう?」
「あの人は家でウィスキーを飲むのが好きなんですよ。それに自分の役目は終わったと思ってますね」
万桜の疑問を、河井が答えた。伊達賢治は業界一の異人だが、偉人でもあった。彼の考えは近くにいてもわからない。頭を割っても常人には理解できないだろう。
河井はある程度パターンを読んでいた。伊達は自分が目立つことよりも、業界をかき乱すのが好きなのだ。
吉原興業買収の件もお笑い産業を独占したいわけではなく、誰もやらないことをやるだけだ。
「あの男はどこか浮世離れしているね。まるでこの世の人間ではないようだ。長い間こちらで生活していると何人かああいった人種を見たことがあるよ。いつの間にか消えちまっても、人の頭にはびっちりこびりつくことがあるね」
尚美が独白した。それを聞いた周りの人間は、なるほどそうかもしれないと思った。
夜は更けていく。映画がヒットするかはわからない。みんな一夜の享楽に酔いしれていた。
万桜はウーロン茶をごくりと飲んだ。店内は熱気に包まれており、冷たいお茶は喉を冷やした。
今回で最終回です。




