第2話 割と無茶を言うよね
「で、セイレーン全員に出演してもらいます」
S県の佐鰭多町にある住宅街にある一角に、演歌歌手の秋本美咲が設立した個人事務所セイレーンがあった。他のぼろい住宅の中に埋もれており、芸能事務所とは思えない。
そして応接間はソファーにテーブル、観葉植物など必要最低限の家具が置かれている。
主の美咲とマネージャーの岩佐康が並んで座っていた。
美咲は白人の父親と日本人の母親から生まれたハーフで、見た目は白人女性にしか見えない。今年で31歳だが年齢の衰えは見えないし、むしろ美貌に磨きがかかっている。
康はぼさぼさの黒髪に、ひょろりとした冴えない風貌であった。これでも国立大学を卒業したキャリアだが、あまり信じてもらえない。
二人の前には男が二人座っている。一人は伊達賢治で、もう一人は河井実雄監督だ。
彼は紫色のコマチヘアーを被っており、化粧もばっちり決まっている。オレンジ色のボーダーニットと、オレンジ色のフレアスカートを履いている。だが見た目は男だとはっきりわかる風貌だ。
彼は女装が好きで、大学時代から女装していた。かといってホモセクシャルではない、あくまで女装が好きなだけだという。
「あの河井さん。それはうちの秋本美咲だけでなく、他のタレントたちも出演してほしいということですか?」
康が訊ねた。知名度なら美咲がダントツであり、あとはVチューバーの玄姫やすむこと、岩佐歩に、ワイチューバーのLICAこと、烏丸りかがいる。他に7人のタレントがいるが全員新人であり、セイレーンの作ったチャンネルで出演しているが、知名度は圧倒的に低い。
「ちがいます~。美咲ちゃんだけでなく、事務所のみんなに出てほしいんですぅ」
実雄がおどけた風に答えた。つまり康や事務所の職員たちにも出演しろということだ。
「……それって伊達さんがいいだしっぺなの?」
美咲がぎろりと伊達をにらみつけて訊ねた。伊達は手にウィスキーの瓶を持っており、時折瓶を口にする。
「そのとおりだよ。河井監督の解決髑髏マンを見たけど、君たちの演技は素晴らしかった。ぜひ出演してもらいたくてね。共通の友人である河井監督に頼んだんだ」
さらにウィスキーを飲む。交渉に来たのに酒を飲むのは非常識だが、伊達の呂律は回っていない。
どこか不気味なものを感じていた。そもそも伊達はクリスタルエデンを設立後、お笑い芸人を多く抱える吉原興業の乗っ取りを計画していたという。結局は失敗し、吉原の社長は縊死したそうだ。
元々伊達は漫才師マジカルバブリーとして活躍していた。お笑いにこだわらない姿勢は康も尊敬はしている。
「本当は美咲を利用して、今の芸能界をぶち壊すことじゃないんですかね?」
ずばり康が切り出した。それを聞いて伊達はにやりと笑う。美咲は驚いておらず、やっぱりなと答えた。
現在の秋本美咲はワイチューブとライブで活躍している。他に週に一度はS県の豆類テレビでレギュラー番組を持っているのだ。だが本来美咲はテレビには出られない身体であった。古参である芸能事務所、キツネ御殿の会長である木常崑崑に逆らったからである。彼女は木常崑崑の愛人になれと命じられたが、突っぱねて事務所を辞めた。そのため木常はマスメディアに命じて美咲を芸能界から追放したのである。他の古参事務所もそれに倣った。自分たちが芸能界を支配していると思い込む老害だからだ。みんながやっているから、自分もやるという幼稚な発想だ。
昭和年代なら仕事がなくなり、人生が終わっていただろう。今はネットの時代であり、ワイチューブは海外の会社なので日本の芸能事務所が抗議をしても無視されるのだ。
だが美咲は反骨精神でやめたわけではない。師匠の演歌の女帝と呼ばれる横川尚美が40年近く蒔いた種が花開いたためだ。尚美は多くの弟子がいる。だが演歌で大成するのはごく一部、大抵は夢破れて消えていくものだが、尚美は才能のない弟子たちを芸能人が利用するホテルや弁当屋などに就職させたのだ。最初は何の力もないが、弟子たちはその会社の実権を握り、尚美の手先となった。
芸能界で重要なのは輝くタレントだが、スポンサーの力も必要だ。尚美の弟子たちがスポンサーとなり、数年前に首を言い渡された尚美を支えたのである。テレビには出ないがディナーショーやネット番組など出演するようになった。
それは尚美の弟子たちも同じである。美咲も尚美のコネを利用できるから事務所をやめることができたのだ。もっともその後彼女が佐鰭多町商店街を観光地化したのは、予想外であったが。
豆類テレビは一族経営の貧乏テレビ局だ。番組は貧弱で、スタッフの高齢化が問題となっている。そのくせ社長の小豆新桜は自分の贅沢のために予算を削り、スタッフの給料も削り取ろうとした老害だった。
尚美が事務所を首になったと同時に、長女の遠藤さやかが親族の株を集め、株式総会で父親を退陣に追い込み、テレビ局を私物化にした罪を突き付け、警察に逮捕させたのだ。その後、夫の遠藤砂九郎が社長に就任。さやかはでっぷりと太った女傑で、砂九郎はハゲで眼鏡にちょび髭を生やしたチビであった。誰もが蚤の夫婦と思われていた。
だが家庭内での二人は仲良し夫婦であり、すべては老害を追い込むための演技であった。さやかは尚美の弟子だったのだ。
その後、豆類テレビは尚美の弟子たちがスポンサーになった。なので尚美はもちろんだが、美咲も出演することができた。芸能事務所から抗議の電話が来たが、社長の砂九郎は無視している。なぜならそちらの事務所のタレントは使っていないし、使う予定はないと突っぱねたのだ。芸能人は昭和と違い、履いて捨てるほどいる。地元の売れない芸能人しか採用してなかった豆類テレビに東京で活躍する事務所の影響などなかったのだ。
「今の美咲は反骨精神の象徴と思われています。まあワイチューブでも過激な動画を配信していますねけどね。ネット専門チャンネルとはいえ彼女が出演することは、他の芸能事務所が黙っていないでしょう。おたくのクリスタルエデン以外、共演したがらないでしょうね」
「さすがは岩佐康君。入試をトップで合格した実力者だね。でも問題はないよ。他の俳優は河井監督の知り合いであるB級俳優を連れてくるし、なんといってもアビゲイルが所属する蒼井企画も出演するからね」
アビゲイル。漫才王になろうGPに出演した漫才コンビだ。安部登志夫と後藤繫は大学時代の友人だ。優勝は逃したが、審査員の田口エンタメ野郎が唯一100点をつけたコンビでもあった。辛口で優勝したもふもふ王国ですら60点だったのに、アビゲイルだけ100点をつけたのである。
「二人は気の毒なことをしたよね。私の大学時代の同級生だからといって、野党の議員が抗議を入れたんだよね」
美咲がつぶやいた。アビゲイルは野党の議員に嫌われ、一切のテレビには出すなと抗議を入れたのである。美咲がとある事件を動画配信して反響したのが気に食わないらしい。
もっとも二人はおろか、蒼井企画は無視していた。もともとワイチューブとライブを中心に活躍していたし、アビゲイルは豆類テレビでレギュラー番組を持つようになったのだ。議員はこれを国会で問題視したが、完全に私怨なので無視された。
「というわけでアビゲイルもちょい役で出演するよ。出番はずっと後だけどね」
実雄が説明した。問題のあるタレントを多く採用する特撮ヒーロー番組は、かなり荒れるだろう。
恐らく騒ぎ立てるのはテレビを愛する老害たちだ。自分の想い通りにならなければかんしゃくを起こす、幼稚な人間たちだ。
だが外国の会社にとってそれは無意味だ。広い世界を見ず、狭い日本に固執する無知な人間の言葉など、耳を傾けるわけがなかった。
「あとりかちゃんに主題歌を歌ってもらうよ。エンディングはすべてにおいてファックユーが担当してもらうからね」
そう言って伊達は書類をテーブルに置いた。契約書にはこちらが不利になることは書かれていない。りかはワイチューブで大人気だが、高卒したばかりのガールズバンド、すべてにおいてファックユーも人気が徐々に上がってきている。なかなか攻めた人だなと思った。
「まあ、出演してもいいですよ。でも演技には期待しないで下さいよ」
「安心して。みんなちょい役だから、セリフは少ないよ」
康が同意して、実雄が笑った。実際は各人の出番はそれなりにあり、セリフも長めだが、実雄にとってはちょい役であり、セリフが少ないと思っているのだ。
アビゲイルはリバスに出演します。お楽しみに。