その2
伊達賢治は都内にある尚美学園に来ていた。ここは演歌歌手、横川尚美が所有しており、地方の小学校並みの規模があった。身寄りがない子供たちを引き取り、教育していた。尚美は50歳の頃大学に入学し、教師の資格を取っていた。
伊達が通されたのは和室だった。こじんまりとしており、家具はほとんどなかった。あるのはちゃぶ台と小型冷蔵庫だけである。その部屋の真ん中に一人の女があぐらをかいていた。
赤毛の天然パーマで赤い縁のめがねをかけていた。70歳だが全身が筋肉の塊故に、引き締まっており実年齢より若く見えた。ピンクのルームウェアを着ており、客を迎える服装ではない。
野蛮な女盗賊の頭領に見えるが、不思議に似合っていた。ちゃぶ台の上には缶ハイボールが並んでおり、さらに手作りのつまみがほかほかと湯気を立てていた。
もっとも伊達はハイボールを好まず、氷すら入れることを嫌う。なのでつまみのほうだけを食べていた。きゅうりとキムチの胡麻和えに、ちくわにチーズをのせてトースターで焼いたものなどだ。もっと手の込んでいる物は弟子たちが調理中だという。
尚美は豪快にハイボールを飲んでいた。
「で、あんたは私に何を望むんだい?」
ぶっきらぼうな口調で訊ねた。普段は客人に対して礼儀正しいが、腹に一物を持つ者には警戒していた。
「面白いことが好きですね」
伊達はきっぱりと言い切った。迷いなく口にした。それを見て尚美は目を丸くした。
「面白いことねぇ……。わたしも好きだよ。世の中は厳しいことばかりだからね、自分で面白くしないといけないよ」
「先生の言葉は金言として受け止めています」
「それで私に何をしてほしいんだい?」
弟子の女性が部屋に入ってきた。お盆には鶏のから揚げを乗せている。揚げたてで香ばしい匂いがした。尚美はつまようじで突き刺し、一口で入れた。むしゃむしゃ食べた後ハイボールで流し込んだ。
伊達も唐揚げを口にした。かなりジューシーだった。マヨネーズで下味をつけているようだ。
「先生にはリバスの映画に出演してほしいのです。先生はニコヤカ動画でボカロ曲を歌ってみたり、ボカロ作家から作詞を提供されていますからね。今では老人よりも若者の人気が高いです。とはいえちょい役でセリフはないですが」
「それでもかまわないよ。あんたからもらった台本では和美に秀代、藍が活躍しているじゃないか。美咲はちょい役だけど問題はないね」
「ありがとうございます」
伊達は頭を下げた。そしてポケットから小瓶を取り出し、ウィスキーをぐいっと飲んだ。
尚美はこの男を気味が悪いと思っているが、どこか惹かれるものを感じていた。15歳から芸能界に入り、様々な人間を見てきた。売れても金と酒におぼれて消えたものや、地味ながらも活動しているものなどいろいろだ。圧倒的なカリスマと手腕を見せた者もいたが、後継者はいない。個人の才能に左右されることが多かった。
伊達は40代後半で、芸能界では時代の寵児とも呼ばれた男だ。マスコミが騒ぎ立てていたが、実物を見れば確かに陳腐な文句がぴったりだと思った。
松薔薇太志の自殺から、吉原興業買収など話題には事欠かさない存在だ。自身が原作のドラマ、DROPOUTから始まり、尚美もゲスト出演した裏返りのリバスなど、数々のドラマにも出演していた。
かと言えばドラマ以外は出演しなくなるなど、気まぐれな行動で翻弄していた。忘れられかけたと思えば漫才王になろうGPを主催し、さらにテレビ番組でも斬新な構成で視聴者を驚かせていた。
何をしでかすかわからない時限爆弾のような男。それが尚美から見た伊達賢治であった。
自分が年上だからえらいとは思っていない。尚美より年上だったキツネ御殿の社長、木常崑崑は自身が年上であることをあぐらにかき、増長した挙句、痴呆症を悪化させて自滅したのだ。
弟子の女性が入ってきた。数々のつまみを持ってきている。
伊達はウィスキーを飲みながら、つまみを平らげた。
「おいしいですね。かなり凝ったものも多いですね」
「どれもSNSで上げられたレシピを参考しただけさ。私の子供の頃じゃあ考えられないね。料理は手をかけなければならない、手抜きは最大の罪と呼ばれたものさ」
「それはあなたの父親がそう言っていたのですか?」
伊達の問いに、尚美は唐揚げを口にした後、ハイボールを飲み込んだ。
尚美の父親は昭和世代というか、戦後の精神論に毒されていた男だった。科学的根拠を憎み、根性論を愛していた。下請けに無茶ぶりをしても根性が足らんと怒鳴りつけ、少しでも納期が遅れれば口汚く罵倒するのが日常的だった。
それ故に没落した父親が、かつて罵った相手に借金を頼んだ時、相手は丁寧な口調で父親の行為を説明し、きっぱりと断ったのを見たことがあった。相手も父親の態度を反面教師にしたのだと幼い彼女は理解した。
「あんたはテレビはもうおしまいだと思っているようだが、まだ終わってないよ。テレビ世代の方がSNS世代より多いね。あっちは過激な声が多いが、所詮は個人の声さ。刺さる人もいれば嫌悪感を抱く者もいる。ネット配信ばかりにこだわらず、今あるものを利用することだね」
尚美はまたハイボールを飲んだ。伊達はうなづいた。尚美は今豆類テレビの番組に出演している。彼女の弟子たちがスポンサーになったのだ。芸能界はスポンサーが第一だ。スポンサーが認めれば芸能界で嫌われている尚美を出さざるを得ない。むしろ尚美が出演したことで視聴率が上がり、スポンサーがどんどん集まってきているという。
「まあ、難しい話はこれでしまいだ。弟子たちの作ったつまみだ。遠慮なく食ってくれ」
「はい、ありがとうございます」
伊達は丁寧に出されたつまみを口にした。
☆
ここはとある和風の屋敷だ。バブル時代に手放されたが映画の撮影用に横川尚美が購入したのである。テレビドラマなどの撮影に使われており、普段は尚美の弟子が管理しているのだ。
現在劇場版リバスの撮影に使われている。テレビ版でも羽磨組の屋敷として使われていた。
山田エヴァ万桜はかつらを被らされていた。羽磨真千代の母親、佐千三役として撮影に挑む。
他には古川六葉役の山岸秀代もいた。こちらもかつらをつけている。30代のつもりらしい。
セリフはないが中学時代の真千代役の忠賀久世と着物を着た横川尚美が待機していた。
「おーっほっほっほ!! また万桜ちゃんと撮影できてうれしいわ~ん♪!!」
紫色のコマチヘアーに赤いジャケットとスカートを着た男が小躍りしていた。リバスの監督、河井一美である。本名は実雄だ。
「また出るとは思いませんでした。それに母親役として登場するなんてね。久世ちゃんもおひさしぶり」
「はい。共演できて嬉しいです」
子役の久世は万桜に頭を下げた。前回と違いベテラン俳優が来ており緊張しているようだ。
「まさか映画に出れるとは思わんかったわ。うちは悪役のまま終わってもよかったんやけどな」
秀代が話に割り込んだ。テレビシリーズでは矮小な悪女を務めたが、普段の彼女は大阪のおばちゃんのように気さくだ。
「ええ、秀代先生を悪人のままにはできませんからね!! 脚本家と相談して劇場版を作ったのですよ!!」
一美はくるくるとバレエのように体を回転させていた。よほど今回の映画に力を入れているようだ。
別室では秀代の実弟、山岸匡に、真千代の父親役の小平透と真千代の執事役の大岡千恵蔵も待機している。蒼井企画の漫才師、アビゲイルとおそろし夫婦も待機していた。
屋敷内の撮影で出番は少ないが、重要な役割を持っている。
「さらにうちは天使の力を手に入れた死神になるんか? 天使は死んだ人間に憑依して記憶を受け継ぐと聞いたけど」
「あちらはあくまで知っているだけです。実際に生き返ったわけではないのですよ。本で読んだのと、実際に経験したのでは差があるでしょう?」
「それもそやな」
一美の説明に秀代は納得した。後付け臭いが業界ではこんなものだろう。
他愛のない会話をしながら、撮影は順調に進んでいくのであった。