外伝:スペシャル版の裏側
「私が主役ですか?」
芸能事務所クリスタルエデンのある一室で倉木理亜奈は代表である伊達賢治に呼び出されていた。
伊達は手にウイスキーの瓶を持っていた。これはいつものことなので理亜奈は無視している。世間では伊達の愛人と呼ばれているが、実際は大きな子供を面倒見ている姉のような存在だ。
今回呼ばれたのはネット専門チャンネル、ドレイクで配信された裏返りのリバスのスペシャル版だ。
あの作品はジストペリドの如月湊に綺羅めくるなどの有名人が出演していた。理亜奈自身は刑事役として脇に徹していたが、今回も似たようなものだと思っていたのだ。
「そう、君が主役。他のメンバーは一人も出演しないよ」
伊達はそう言って瓶を口にした。40代後半だがどこか子供じみている。同じ代表の野田栄一郎が実質運営してるようなものだ。
「みんなスケジュールがキツキツでね。僕自身は出てもいいけど、ルシファー役として死んだから無理だ。だからスペシャルにはキミ一人で出演してもらうよ」
そう言ってまた瓶を口につける。まるでアル中だ。そのくせ呂律が回らないとかそんなことはない。見た目は素面そのものだ。
「というかドレイクが納得するのですか? リバスは如月くんが主役でしょう?」
「実をいうとそのドレイク側の要望なんだよね。君って黒人でしょ? ポリコレが好きってわけじゃないけど、君が活躍した回があったじゃないか。向こうじゃその回の再生回数がダントツなんだよ。だからこそ君が単独でも大歓迎というわけだ」
「……もうすでに決まっているようですね。具体的にはどんな話になるのでしょうか?」
理亜奈は察していた。伊達は彼女に確認を取るわけではなく、結論ありきで話している。これはすでに自分の頭越しに決められたのだろう。いつものことだと諦めていた。
「代わりに俳優陣は有名どころを抑えておいた。蒼井企画の面々だよ」
蒼井企画。それを聞いて理亜奈は身構えた。あそこはお笑い関係の事務所だが、業界では悪名高い異端児集団と呼ばれている。前に所属している漫才コンビ、アビゲイルの漫才を見たことがあるが、下ネタが多めで理亜奈は少し赤面していた。さらに妻であるバニラアイスも夫に輪をかけた下ネタを披露したのだからたまらない。
伊達を敵視する田口エンタメ野郎は彼らの漫才を高く評価していた。蒼井企画の芸人は見る者を選ぶのである。
「来週の土曜日からクランクインだ。それまでに台本をしっかり読むことだね」
そう言って伊達は理亜奈に台本を差し出した。裏返りのリバス・スペシャル版と書かれている。
いったいどんな話になるのか不安であった。
☆
「どうも、松本薫です」「本庄ゆたかです」
当日、理亜奈はスタジオに呼び出された。撮影場所は警視庁にある一室と公園内に洞窟、丼キングの店内だけである。
その内スタジオ内では洞窟のシーンを撮るために俳優陣が集まっていた。理亜奈に挨拶したのは強面の男二人組だ。松本はモヒカン頭に日焼けした肌、するどい目つきに厚い唇、出っ歯という顔立ちだ。全身黒いスーツに身をまとっている。理亜奈より頭ひとつ高いがひょろりとした雰囲気であった。
本庄はもじゃもじゃ頭に陰険そうな顔つきの肥満児であった。スーツを着ているが前をだらしなく開いている。まるでガマガエルのような印象だが、二人ともはきはきとした口調だ。ただ本庄はマスクをつけている。風邪でも引いたのだろうか。
二人は蒼井企画所属の漫才コンビ、ホワイトエンジェルである。
「初めまして倉木理亜奈です。お二人の漫才はネット配信で拝見しました」
リップサービスではない。彼女は共演者の漫才をすべてチェックしていた。ホワイトエンジェルは悪人顔だがやってることは聖人そのものというギャップが際立っている。もっとも二人は映画やドラマなど脇役の出演が多いようだ。
「倉木さんと出会えて光栄です。もっとも俺たちはすぐに悪魔に殺されるんですけどね」
「わっ、私はセリフ、ないです。風邪をひいて声出ないので……」
本庄はせき込んでいた。本来は二人ともセリフが一言あって悪魔に殺されるそうだが、監督が変更したそうだ。もっとも本庄は気にしていない。この仕事が終われば別の現場があるそうだ。二人は漫才の仕事より俳優業の方が多いようである。
「まあ、倉木さん!! お会いできて光栄です!!」
声をかけてきたのは20歳ほどの若い女性だ。黒髪のポニーテールに元気いっぱいそうに見える。黒いパンツスーツを着ていた。
「初めまして!! ただいま不倫中の泉香菜です!! 倉木さんとお会いできて光栄です!!」
香菜は理亜奈の手を握り嬉しそうであった。ただいま不倫中とは漫才コンビのことである。
「私たちも出番は少ししかないんだよね。贅沢な予算の使い方だよ」
「本当にそうですねぇ。でも悪魔に殺される役なんて初めてですよ」
中年男性と女性の二人組がやってきた。香菜と親子を演じる役柄だ。男は伴裕貴、ふっくらした体格で優し気な笑みが特徴的だ。灰色の背広を着ている。
女は堺駿子で、こちらは茶髪のパーマにふっくらした優し気な雰囲気のある女性だ。
裕貴と香菜は不倫中という設定で漫才コンビを組んでいる。実は二人は実際に結婚しており不倫などしていない。駿子は裕貴の元妻でマネージャーを務めている。若い香菜が裕貴を誘惑し、駿子と離婚して再婚したと思われるが、実際は駿子が元夫に香菜を勧めたのだ。
裕貴はお笑い芸人よりも俳優業が多かった。サスペンスでは大抵犯人役で、駿子は殺された妻役で共演することが多い。
裕貴の感性は独特的すぎてコンビを組んでもすぐ解散してしまうのだ。駿子も最初は結婚してコンビを組んでいたが、感性が合わず離婚してしまった。ただし友人としては長い間付き合っている。誰も裕貴とコンビを組めなかったが、香菜だけは違っていた。
裕貴の世界を香菜だけが理解していたのだ。駿子は彼女の両親を説得し、裕貴に再婚を勧めたのである。かなり複雑な関係であった。
ちなみにここには来ていないが、丼キングの店員役の片足棺桶の二人は夫婦漫才で、香菜の両親でもあった。現在は70歳だが50歳で作った香菜に対しては愛情を注ぐ一方、年寄りの面倒を見てほしくないと思っている。それ故に二人の結婚を認めたらしい。理亜奈は複雑すぎる人間関係が破綻せずに過ごす蒼井企画に戦慄していた。
「おはようございます。倉木さん。綾次郎です」
白いスーツを着た黒髪の女性が現れた。すらりと背が高く、美青年と勘違いするほどだ。彼女は漫才コンビ鮎乃嬢・綾次郎の相方、綾次郎であった。本名は平井英香といい、宝塚歌劇団出身である。俳優ではなくお笑いの道を選んだ奇特な女性だ。
今回彼女は悪魔マントゥールと理亜奈が演じる榎本健美をだます、谷都尼子を演じるのだ。
先に特殊メイクが必要となる悪魔マントゥールを撮る。その後健美と対峙し身体がドロドロに溶け、二村定子警視が鏡の光で倒す段取りとなっていた。
「おはようございます。倉木さん。鮎乃嬢です」
次に30代でキツネ顔の赤縁眼鏡をかけた女性が入ってきた。彼女は鮎乃嬢である。普段はお嬢様キャラで売っており、今回は高圧な警視役として出演するのだ。
「おはようございます。綾次郎さん、鮎乃嬢さん。お二人の漫才もネットで拝見しました。とても面白かったです」
これは偽りのない本音だ。鮎乃嬢がお嬢様キャラでぼけて、綾次郎も男装キャラでボケまくる。最後に綾次郎がアフリカのザウリに伝わるザウリダンスで締めるのがほとんどだ。
「ですが綾次郎さんが悪役とは珍しいですね。ご自身の経歴でもなかったと思いますが」
「そうなんですよ。高慢ちきな悪役令嬢はそこの女の十八番なんですけどね。私が演じたほうが映えるということになったのですよ」
「誰が高慢ちきよ、この男女が。毎年女性ファンのバレンタインチョコが増えているの知っているからね」
「ふっふっふ、モテる女はつらいね。君みたいに年中婚約破棄されるよりましじゃないかな?」
「誰も婚約破棄なんかされないわよ!! むしろ私の方から破棄しているんだからね!!」
二人は喧嘩を始めてしまった。理亜奈はあたふたしているが。裕貴が割って入った。
「これから撮影なんだよ。今日はドラマの撮影なんだ、漫才は別の機会にやりたまえ」
その表情は厳格な父親そのものであった。声色もどことなくどっしりとしている。二人ともしどろもどろになり、おとなしくなってしまった。
「いやーさすがは伴さん。善人役が多くても迫力があるな」
「そう、だね。わたしたちだと、怖くて、注意できない、もん」
松本と本庄はその様子を見て感心していた。悪役を演じているが、あくまで演じているだけで根っこは気が弱いのだ。
「パパったら私生活ではちょっと厳しいんだよね。でも大好き!!」
「あの人の生活をちょっとですませるあなたもたいしたものよ」
香菜は裕貴に感心しており、それを駿子が横で見ていた。
撮影は順調に進み、ホワイトエンジェルとただいま不倫中の出番はすぐに終わった。
今回は特殊メイクが必要な悪魔マントゥールの出番を中心に撮っている。
健美が派手なバトルを行わず、悪魔の駆け引きにしたのはリバスと一線を引きたかったためらしい。
最後に定子がおいしいところを持っていくのは、鮎乃嬢に花を持たせるためであろう。
ちなみに賭けを持ち掛けた悪魔は、伴裕貴が演じている。香菜たちと一緒のシーンを撮り終え、綾次郎とのシーンを撮っている間にメイクを施したのだ。
ドラマでは善人役が多いが、アニメの声優だと悪役やコミカルな役柄をよく演じていた。
善人役とはまた違った演技力に、理亜奈は感動した。
丼キングでは店舗を貸し切り、片足棺桶の二人とともに撮影する。アライグマの大和煮丼は実際に販売されているそうだ。最後の撮影なので腹をすかせた後に実際に食べた。癖のある食感だが、大和煮のおかげで臭みもなく、完食することができた。
撮影はトラブルなく終えることができたが、どこか寂しさを感じていた。リバスは如月湊や綺羅めくるといった面々がいてこそ輝くのだと。
スペシャル版が好評なら次は彼らが出演する話が来るかもしれない。理亜奈はそう思った。
思い付きで書きました。