スクリーン上の本棚から君へ
はあ、最近の本屋も近代化したんだなあ。
広い店内はすごく明るくて、ぼくは一通り歩き回ったからので、本屋の中央にあるたくさんの本が載ってある。スクリーン上に映し出された一つの本をタッチする。
すると、スクリーンいっぱいにその本の作者名、あらすじ、PR、ジャンルなどが現れた。
昔ながらの本棚はない。紙の本は頼めば買えるみたいだけど今の時代は存在していないんだ。
PRは簡単にその本を紹介してくれている。
ぼくの目の前で、PRの動画がBGM付きで流れた。それは春の坂道の場面で桜が舞って、すぐに散る。という内容だった。そして、物悲しいテロップで終った。そんな悲しい動画なので失恋ものだとぼくは思った。
その本がとても気に入ったけど。
でも、ぼくは機械が大の苦手だった。
だって、古いものの方が好きなのだから。
どんなに今は新しいものでも、元は全部古いものから生まれているんじゃないかな。
「いらっしゃいませ〜」
ぼくが本探しに迷っていると思ったのか、店員さんがやってきた。
可愛い女の子だな。
ぼくは素直にそう思った。
「何をお探しですか?」
些かキツめの言い方にぼくは店員さんに少しムッと来た。
だけど、ぼくは可愛い女の子の店員さんには逆らえなかった。
「いや、あの……あれれ??」
スクリーン上で、ぼくが選んだ本の作者名と彼女のネームプレートにある名前が偶然同じ苗字だった……。
石井と書かれているんだけど、本の作者名も石井だった。石井 智子という作者名の苗字が、たまたま同じだっただけかも知れないけど……。
「あのー? 失礼ですが、石井 智子というこの本の作者さんと同じ名前なんですね。奇遇ですね。ぼくはファンになろうかと思うんです。石井 智子さんの。ぼく。このPRがとても気に入っちゃって……あ、すいません」
彼女はやっぱりこの本の作者だったようで、恥ずかしかったのだろうなあ。次の言葉でぼくはそれが確信へと至った。
「ふうー、いいんですもう……実は……その本は私が4年前に書いた本なんです。もう、全然売れなかったんです。それで、今は紙の本がなくなったでしょ。それですぐに絶版になっているんですけど、ここの本屋さんの店長がどうしてもというから……本棚に並べているんです。私、それが恥ずかしくて恥ずかしくて。ここ辞めようとも思った時もあるんですよ」
「どうして?」
「6年前のひどい大失恋を書いたんです」
彼女はそういうと、はずかしそうな怒っているような顔で、プイッと背を向けた。
本のタイトルは「春風と共に桜はすぐに散る」だった。
4年前は紙の本はたくさんあったんだ。
けれど……今はないんだね。
受付には彼女はいない。
そもそも、レジなんてないんだ。
ぼくはスマホをズボンのポケットから取り出して、端末で会計を済ませた。
お給料を前月に貰ったけれど、その時のお金が11万ポイントだから、無駄遣いしない限りは、今月は大丈夫だろう。
結局、この本屋で買った本は、なんと20冊。
占めて2万ポイントだ。
爆買いしたんだ。
機械は嫌いだけれど、こればっかりはしょうがないじゃん。
ぼくは本が好きだ。
それが、現実だし。
お給料はポイントで全て統一されて、正社員は20万ポイント。公務員は18万ポイント。バイトは11万ポイントとなっている。全て平等に配られるんだ。
お給料は上がることもなく、下がることもない。
ポイントの配分日もみんな一緒だった。
今や、スマホがないと、財布がないのと同じだった。保険証、免許証、身分証明書、クレジットカード、銀行、現金、年金。後、お得なポイントキャンペーンに自宅でも観れるニュースにテレビetc.etc.おおよそ必要なものは全部付いているんだね。
なんでもかんでも一つになったんだ。
――――――
何もかも進んでいってしまって、ぼくは置いてけぼりの気分だよ。
時代という名の怪物の手綱を握っている人たちは、それでいいんだろうけれども。置いていかれてしまったものは、その怪物の手綱すら握れずに、いつも後ろを追いかけるように、俯いて歩かないといけないんだ。
そんなある日。
ぼくの持っているポイントが消えた。
無駄遣い?
本をたくさん買いすぎたから?
バイト先での人々と交流して疲れたから? 振り回されたから?
いや、どれも違うんだ。
ぼくがスマホをどこかで無くしたんだ……。
…………
市の管理システムに、ぼくはすぐに紛失届けをだしたけど、きっと、もう遅いんだ。スマホの紛失はこの時代では致命的だった。ポイントが消滅したも同じだ。ポイントがないと生きていけない。そして、ぼくの市民としての存在価値の消滅も意味しているんだ。
確かにスマホは、もう一人のぼく自身だ。
ぼくの持ち物で、ぼくだけしか持ってはいけない。
「スマホ……すぐに見つかればいいんだけどな……」
せっかく爆買いした電子書籍ももう読めない。
気に入った「春風と共に桜はすぐに散る」はまだ読んでいないけど、もう読めないのだ。
ぼくはそう思い。沈んだ気持ちで何気なく。あの本屋の前へと来てしまっていた。今じゃ店の壁は全て透明なパネル式なんだ。ぼくは自然とパネル越しから彼女を探していた。
本屋の中央に彼女はいた。どうやら、石井さんはスクリーン上をタッチしたりして、本棚のメンテナンスをしているようだ。
そしたら、ぼくに気がついてくれた石井さんが、店内からこちらに向かって、パネル越しに手を振ってくれた。
広い店内へ入ると、彼女はぼくの話を聞いて。
「スマホを失くしたの? 大変よねえ、それは……。あ、でも。市の位置検索システムが作動するから」
「位置検索システム? それでも、見つからなかったら?」
「プッ! クスクス……。大袈裟ねえ」
「そうかな?」
「そうよ。すぐに見つかると思うわ」
「そ! それは良かった!」
「それまでここで働かないかしら? 店員さんが私だけなのはいいんだけど、本棚のメンテナンスとかもやらないといけないの」
「って、この本屋の全部の本棚を?」
「そうよ……」
「あれ? あそこの本棚だけ何も映ってないや」
「ああ、故障しているの。でも、時々、人の声が聞こえるんですって……」
「へえ、幽霊でもいるのかな? それともグレムリン?」
そして、ぼくと彼女の本屋でのとても奇妙な……そして、大変だけどバイト生活が始まった。
――――
本屋を全部洗濯機にでも入れたみたいな大掃除もやった。
本棚の至る所に、設置された無数の電子書籍を、PRしているスクリーンを取り替えるという蟻のように細かな作業もやった。
石井さんと商品説明や接客の特訓もやった。
「うん?」
そんなある日。
本屋で、ぼくは不意に例の何も映っていない本棚に向かって、右手を突っ込んでしまった。ちょうど掃き掃除をしていた時に、バランスを崩したからだ。
でも、本棚のスクリーンには感触が何もなかった。
「あれ?」
ぼくの右手はスッとスクリーンの中へと入ってしまった。
石井さんがそれを目撃して、慌ててぼくの右手を強く握って引っ張ってくれた。
だけども、それも虚しくぼくの身体全部がスクリーンの中へと吸い込まれてしまった……。
「わっ!」
スクリーンの中は、見たこともない電子空間になっていた。
「あれれ?? スマホがある?」
ぼくの消えたはずのスマホが、目の前で宙に浮いていた。
何故だろう?
ひょっとして、ここの本屋で無くしたんだろうか?
こんな心細い電子空間でたった一つで、浮いていたのだろう。
ぼくのスマホからは、この本屋の全ての電子書籍が買えることができるポイントが目の前で突然、跳ね上がりだした。
「うわーーー、信じられない!!」
60万ポイント……。
150万ポイント……。
500万ポイント……。
…………
9999万ポイント……?!
ぼくのスマホのポイントが、120000万ポイントまで数字が大きく跳ね上がる頃には、ぼくは豪奢な家付きで一生分の読書ができるんだなと思えてきた。
でも、ぼくにはこの本が読めれば十分だったんだ。
本は「春風と共に桜はすぐに散る」だけでいいんだよ。
すぐに、スマホが耳障りな音を鳴らして、浮上する。
ぼくもまたスマホと一緒に浮上していく。
「原因はバグ?? ひょっとして、この本棚故障中かな?」
スマホをこの故障した本棚へ落としたのが、そもそもの原因なんだ。
きっと、そうだ!
浮上している間に、ぼくはこの現象は一体なんだったんだろうと考えていた。
ああ、そうだ!
そう、故障した電子空間にスマホを落としてしまったのだ。
気がつくと、ぼくはスクリーンから外へ出て本屋の床で倒れていたようだ。
「大丈夫?」
石井さんがぼくの顔を覗きこんでいる。
「う、ううん」
ぼくは立ち上がると、すぐにスマホを見た。
ぼくのスマホのポイントは……。
ゼロになっていた。
やっぱりだ。
もう、老後のためのポイントもない。
これから生活していくポイントもない。
明日の温かいご飯のためのポイントもない。
ぼくはスマホを床に投げ出した。
「あれれ? どうしたの?」
石井さんが、ぼくのスマホを拾い上げて覗きこんだ。
そして、驚いていた顔をしている。
きっと、今まで稼いだ全てのポイントがなくなるというショッキングなスマホの画面を見ているのだろう。
「あれれ? このスマホ……故障してるわねえ。明日でもいいから市の管理システムへスマホ自体を郵送した方がいいわね。修理してくれるわよ」
「え?! 直るの?」
「ええ、多分」
「ぼくは既に、ポイントがなくても生きていけるかなって、考えていたよ」
「大袈裟ねえ」
石井さんが、コックリと頷き。
「ねえ、君。ここでずっと働かない?」
「ああ、この本屋は今のバイトよりも楽しいや。ぼくはここでずっと働いていこうと思う」
「良かった」
「ずっと、ポイントを稼いでいたいな。家が買えるまで」
「そうね。ベランダ付の家がいいわ」
「そうだね。ペットに可愛い犬も飼おう」
「いいわねえ。いつも朝食は私が作るわ」
「じゃあ、ぼくは夕食を。お昼は外で食べようよ」
「ふんふん。あ! 早速、お客さんよ……」
「「いらっしゃいませー!」」