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短編

絶対働きたくない息子 vs 絶対働かせたい両親

作者: われさら

 中田祐一はニートである。引きこもっているわけではないがニートである。親の金で高校、大学と進学させてもらっておきながら、大学卒業後の今は、親からもらったお小遣い片手にぶらぶらと日がな一日パチンコを打ちに行ったり古本屋で漫画を立ち読みしたりダラダラとスマホを弄る日々を過ごしている。今年で大学卒業から3年になる。有り体に言って駄目人間である。


 彼が働かないことに特に理由はない。社会へ出て働くことに絶望を覚えるような悲劇的な事件が起こったわけでも、彼の心身に問題があるわけでもない。ただ彼は「なんとなく」という理由で就職活動を拒み、虚無な一日を繰り返し過ごしているクズなのである。


 今日もまた、陽が昇り祐一の一日が始まる──。


 「ユーちゃん?朝ごはんよー」


 階下からの呑気な母親の声で、祐一はモゾモゾとベッドから身を起こした。自尊心の低い彼だが昼夜逆転生活を送っていないことは唯一、内心誇りに思っている。母親に起こしてもらっている上に、夜間勤務など事情のある人以外の常人には当たり前のことなのだが、彼の意識からそういう視点は完全に抜け落ちている。


 祐一が一階へ降りると両親はすでに食卓に着いており、父親はいつもの定位置に座り新聞を広げていた。父親が普段着でいるのを見て初めて、祐一は本日が日曜日であることを思い出した。


「おはよう」


 寝癖を直してすらいない頭を掻きながら祐一はとりあえず挨拶をすると自分の席に座った。今朝の献立は食パンで、トースターではジリジリとパンが焼けていた。


「──ユーちゃん、話がある」


 祐一が席につくなり、彼の父親はバサリと新聞紙を畳むと脇に置き、息子を見つめた。祐一は父親の視線を避けるように自分の視線を斜め前方に逸らしている。


「大事な話なのよ」


 母親も父親に並び座ると、祐一に語りかけた。


「……何」


「ユーちゃんには働いてほしいんだ。……いつもそうだったけど、今回は特に父さんたち本気だ。覚悟してほしい」


 いつもの小言かと思っていた祐一の耳に「覚悟」という急に想定外の言葉が飛び込んできた。


「うん……ン!?」


「私たち、本当に本気なのよ」


「では母さん、頼む」


 父親が母親に声をかけると、彼女は財布を取り出した。手切れ金を渡して家から追い出されるのか、と祐一がまるで他人事のように、それでも少し緊張しながら構えていると、母親は一枚の5円玉を食卓に置き、裁縫道具箱を持ってくるとその中から糸を取り出しその5円玉に括り付けている。まるでそれは──。


「母さんな、催眠術を学んだんだ」


「はあ!?」


「催眠術だよ。母さん通信教育で1年間勉強して、国家催眠術師2級の資格を取ったんだ」


 そんな資格、祐一は見たことも聞いたこともない。


「どうやってそんなものを!?」


「ユーちゃん」


「や、やめなよ!誤解される!」


「ほら5円玉を見て、見るんだ」


 いつの間にか母親は右手で摘んだ糸先をゆらゆらと左右に揺らして、5円玉を振り子時計のように往復させ始めている。左手は広げて、祐一の方に手のひらを見せていた。気を放っているつもりらしい。


「あなたはだんだん働きたくなーる、働きたくなーる……」


 祐一はまず両親の正気を疑い、次に自分の正気を疑った。試しに自分の頬をつねってみたが、夢から覚める気配はない。これは現実なのだ。


「父さんたち、どうしたらユーちゃんが働く気になるかずっと考えていたんだ。本当に色々考えた。何度も話し合った。そして、ユーちゃんに働く気がないのなら催眠にかけてでも働く気にさせたら良いじゃない、という結論に至ったんだ」


「なった、なったから!」


 祐一はとにかくこの場を収めようと、「働くから!」と訴えた。


「だめよ、まだかかっていないわ。国家催眠術師2級の目は誤魔化せないわよ?」


 先程から繰り返し続けている「働きたくなる」と呪文を唱えながら母親は息子の嘘を得意気に見破った。


「ユーちゃん、しっかり5円玉を見るんだ。見ないというなら──」


 父親は席から立ち祐一の背後に立つと、状況についていけず硬直している息子の顔を両手で抑え、無理やり5円玉の方を向かせた。


「うおおっ力強っ」


 祐一の抵抗も虚しく、まるで万力で固定されているように、彼の顔は揺れる5円玉を正面に迎えざるを得ない状況になった。


「こんなので催眠なんかにかかるわけないだろ!クッ……離せよ!」


「さあ母さん。ラストスパートだ」


「ええ」


 母親は身を乗り出すと、祐一の目と鼻の先でぶらぶらと5円玉を揺らした。


「働きたくなーる、働きたくなーる……」


「やめっ…………ぐっ……や……うわあああああっ!!」


 突如、祐一の体から力が抜け、彼は食卓に突っ伏した。父親はそっと己の妻のそばによると囁いた。


「やったか?」


「ええ……決まったわ」


「さすが母さんだ……」


 二人が並んで食卓の向こうから息子の様子を観察していると、一呼吸置いて、祐一はむくりと顔を上げた。


「──どう気分は?働きたくなったでしょう?」


「ああ……。どうして俺は今まで働かなかったんだろう。働こうとしなかったんだろう。俺、自分が自分で恥ずかしいよ。……今すぐにでも俺は働かなきゃ!」


「母さん!」


「お父さん!」


 両親二人は歓喜のあまり抱き合い、息子の勤労への開眼を喜んだ。


「俺、朝飯食べたら早速ハロワに──あ、今日は日曜日か。なら、ネットで職探してみる。いきなり正社員は無理かもだから、アルバイトからになるかもだけど──」


 両親が滂沱の涙を流し鼻を噛む横で、祐一はパンを食べ終えミルクを飲み干すと、席を立とうとした。


「ごちそうさま。じゃあ早速──ぐうううっ!?」


「ユーちゃん!?」


 席を立とうとした祐一はうめき声を上げるとへたり込むように再び席に座った。


「どうしたの!?」


「か、体が言うことをきかない……頭では働かなきゃ、って思うのに、脚がパチンコに行きたがってる。あの駅前のパチンコ店に行きたいって震えてる……。手は古本屋で読んでいた漫画の続きの巻を握りたがってる、指がソシャゲのデイリー回さなきゃって震えてる……。体がば……バラバラになりそうだ」


 祐一の突然の告白に両親は驚いて息を呑んだ。まるで想定していなかった事態に、母親はオロオロするばかりである。


「ど、どうしましょう!」


「これはおそらく……半覚醒というやつだ。父さん本で読んだことがある。その本では、催眠にかけられた人の意識は目覚めているのに、肉体は催眠にかかったままだった。己の意志に反して肉体が勝手に動くことに、その人は悔しさを感じていた……ユーちゃんの場合はその逆なんだ」


「意識の方は『働かなきゃ』って催眠にかかっているのに、肉体の方が目覚めちゃってるってこと!?」


 父親は頷いた。


「ああ。数年に渡る自堕落な生活の結果、ユーちゃんの肉体を構成する細胞の一つ一つまでもが自堕落になってしまったんだ。そして今、その細胞たちが団結して、労働への拒絶を示しているんだ」


「がああああああっ!!」


 祐一の体は己の意志に反して、張り裂けんばかりに痙攣している。ぶるぶると身を震わせる息子の姿を正視しかねて、母親は思わず目を逸らした。


「こ……このままだと俺、自分デ自分を殺さナいといけなくナリそウダ……こンなおレ、オレがゆるせせセナイ……タたたたタタすケケケケケたすけテ……」


「いやああッ!」


 母親は5円玉を揺らして、「目を覚まして、目を覚まして!もう働かなくてもいいから」と懸命に祐一の催眠を解こうとしたが、最早祐一にはその言葉は届かず、


「働ケと言っタのはソッチじャなイかァ!!!」


 と逆ギレする始末である。カスである。絶対に働きたい意志と絶対に働きたくない肉体が融合した結果、祐一は本物の怪物(モンスター)になろうとしているのだ。


「キャア!」


 祐一は椅子を蹴って立ち上がると上半身を激しく左右に揺らして暴れようとしていた。


「はタらくはたラカないハタらこウはたらキタクないはたらケケケケケケケケケケケ」


「致し方ない……」


 父親はおもむろに上着を脱ぐと、上半身裸となって鍛え上げられた肉体をリビングに晒した。


「実は父さん、母さんと同じ通信教育で古式鬼瓦流柔術を学んでいてな。もうすぐ黒帯なんだ」


 ゆらりと祐一に向かい合うように立つと、腰を深く落として構えた。右手を天まで届け言わんばかりに高く掲げる様は龍、左手を水平に伸ばし今すぐにでも喉元に喰らいつかんとする様は虎。そう、龍虎の構えである。


「なッ、ソノかマエは、ドウヤって──」


「ユーちゃん」


「ヤメロォ!」


 格闘技の経験などまるでない祐一の体では、父親の初動を目で確認することすらできなかった。


***


 気がつくと祐一は自室のベッドで横になっていた。起き上がり部屋の壁時計を確認すると、時刻はもうお昼を回っている。


「いたた……」


 体の痛みが、朝の出来事が夢でも幻でもないことを訴えていた。


「そうか……夢じゃない、現実なんだな……」


 祐一が恐る恐る階下へ降りると、両親は沈痛な面持ちを並べて食卓にいた。目覚めてきた息子に気がつくとパッと表情を和らげ、


「ああ、気がついたんだね」


 と、安堵している。


「大丈夫?どこか痛くない?」


「いや、大丈夫。それよりも──」


 祐一は二人に深く頭を下げた。


「俺、今まで自分のことばかりで、父さんや母さんが俺のことでこんなに悩んでいたなんて、考えようともしなかった。ごめんなさい」


 それは祐一の本心からの謝罪だった。彼には未だ労働意欲のようなものは湧いていないのだが、何よりも今まで自分を養い育ててきてくれた両親に対する申し訳なさが、口をついて出ていた。


「ユーちゃん──」


「親だからって、一人息子だからって、俺は父さんたちが俺の重みで倒れそうになるほど寄りかかって甘えていたんだね。本当に俺は……。情けない話、本当は、働く気なんか今もないんだけど、それでも無理にでも体を動かして就活してみるよ。いや、絶対やる。やり遂げてみせる」


 息子の言葉に二人は再び涙を流した。


「ユーちゃん!」


「──はは、なにも泣かなくてもいいじゃないか。まだ就職が決まったわけでもないのに」


 照れを隠すように、祐一は鼻をすすり泣いている母親にティッシュを取って渡した。


「ううん、違うの。催眠なんかに頼らず、ユーちゃんが私たちの気持ちに正面から向かい合ってくれたことが嬉しいの。私たちの言葉がユーちゃんの心に届いていることが、嬉しいの」


「そうだね、母さん」


 父親がそっと己の妻のそばに立つと、息子を見つめた。


「久し振りに、まっすぐ目が合ったな」


「……ああ」


「そうだ、いきなり就活するのもいいけど、資格の勉強からするっていうのはどうだ。専門学校に行くのもいいし、こういうのでも──」


 父親はどこからか貰ってきたパンフレットを祐一の前で広げてみせた。


「ユーちゃん」


 どう?と母親は息子の先程の宣言の真偽を確かめるように、祐一の答えを待った。


「──そういうのも、ありかもね。ありがとう。よく考えてみるよ」


 明日から本気だそう、と思いながら祐一は微笑んで両親が持ってきたパンフレットを受け取った。

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