真夏の鶯
ちょっと残酷ですヽ( ̄  ̄*)
真夏の鶯
真夏のある日、私はまた祖母の家にいた。
幼稚園に上がる前だと思う。
理由は、その時の自分の背丈や目線が低く、目で見た光景全体が地面よりだったからだ。
気が付くと私は祖母に手を引かれ、道路を歩いていた。
ーおかしいな。
ーいつのまにお外にでたのかな。
ーさっきまで、おへやにいたのになあ…。
と、とても不思議だった。
眩しいくらいの日差しが照りつけていた。
アスファルトから蜃気楼が立ち上っていたことを、よく覚えている。
歩くほどに、サンダルの底からもジワジワと熱気を感じた。
ーあつい…。
額から汗がツッと流れた。
しかし、どうして、祖母は無言なのだろうか。
いつもなら、あれやこれやと世話を焼いてくれたり、優しい言葉かけをしてくれる祖母なのに。
そもそも、こんなに暑い中、私を歩かせることなんて1回も無かったのに。
そう考えて、気付いた。
ーこのひと、私のおばあちゃんじゃない。
ゾッとした。
何が起きているのか、全く分からなかった。
ただ、
(ぜったいに、ことばを話してはいけない…。)
とものすごく強烈に感じた。
道の端に、何かがポトポト落ちていた。
初めは分からなかったが、祖母の家の周りを、1周…2周…と歩くうちに、それらが死んだ小鳥であることに気が付いた。
鶯だった。
何羽も、何羽もだ。
なぜ、幼い私がその小鳥を鶯だと認識できたかというと、祖父が鳥好きで、私に教えてくれたからだ。
黄緑色の美しい羽が無造作に散らばっていた。
あちらにもこちらにも、まるで初めから生命など宿していなかったかのように、ただ落ちていた。
真っ暗な瞳が見開かれ、あるいは半ば閉じられ、置物のようだった。
私は灼熱の道路を歩くしかなかった。
立ち止まることも声を出すことも、許されなかった。
恐怖だった。
祖母に似た女性は、ゆっくりと歩く。
祖母と同じ、白いレースの日傘を差していた。持ち手が節くれ立った木のものだった。
女性の服装を覚えていないのに、日傘のことを細かく記憶しているのには理由がある。
その日傘の作る影に、絶妙に私が入っていなかったからだ。
怖くて、日傘の内側、女性の顔を見上げることなんて、とてもじゃないが出来ない。
ーあつい…。
ーこわい…。
頭がおかしくなりそうだった。
ーこわい……。
長い時間、祖母の家の周りを歩いた気がする。
地面の下の方の、熱された空気がゆらゆらと揺れていた。
足の裏が焼けそうだった。
そのうち、私の視界もぐらりと揺れて…
その後の記憶は、無い。
ただ、結論、この時から私は、鳥という鳥全てに近づけなくなった。
大人になった今も、鳥が怖くて仕方ない。
子どもの頃の私の思い出には、このような女性が何人か登場する。
初めは違和感がなく、完全に家族か親戚だと思っている。ややあってから、「知らない人だ。」と理解する。
後で家族や親戚に確認すると、「まさか、〇〇おばさん?」と亡くなった人の特徴と一致したり、誰に聞いても不明だったりした。
この真夏の鶯の話は、家族にしたことがない。
鶯の描写が残酷で、自分の口で説明できない。
それから、鋭い直感が働いているのだ。
「あの日傘の女性は、絶対に生きている人間ではなかった。」
と。