チョコレートを求める者は最終的に亡者となる
バレンタイン当日。学校はいつもよりも浮足立っているようだった。
この学校はそれなりに校風が自由とはいえ、お菓子を学校に持ってくることは許されていない。持ち物検査などはしないけれど、先生の前でお菓子を見せると説教されるらしい。
逆に言えば、先生の前でなければチョコレートを渡したり贈りあったりするのも暗黙の了解でセーフとなっているようだ。教室の隅っこの方で、生徒が壁になるように立ちながらチョコレートを渡しあっている人がチラホラといる。
そんないつもよりもテンションの高い学生たちに対して、まるで死人のような目で見ている男がここに一人。
「一樹ぃ…」
「怖いよ、忠」
バレンタイン当日に至るまで女子たちにさりげないアピールを行い、一つでも多くチョコを手に入れようとしていた忠だったが、昼休みに至るまでにもらえた数はゼロ。
正確に言うと、そんな忠を含めた男子を哀れに思ったらしい学級委員の森本さんから全員にチロルチョコ配布があったけれど、そんなものはすぐに忠の口の中に消えていった。
チロルチョコは涙の味だった。
「忠、そんな雰囲気だから貰えないんだよ。チョコなんて気にしない方が…」
「別にチョコにこだわっているわけじゃないんだよ!ただ、今日というこの日に話しかけてくれるような、何かを渡してくれるような女子が欲しいだけなんだ!」
むしろそっちの方が高望みだし、こだわりじゃないの?
忠を含めた一部の男子はそんな風に亡霊のような、ミイラのような状態で机に突っ伏していた。僕がひうりと話していると睨んでくる男子陣の中には、別の女子からチョコを貰っている人もいるらしくて、そういう人は元気そうだ。
多分、ひうりに関して恨んでくるのは、嫌悪というよりも嫉妬の類だと思われる。
「一樹は貰ったのか?」
「いや、まだだけど」
「姫は今日は特に冷たい雰囲気を纏ってるからなぁ。校内じゃ貰えないかもなぁ」
バレンタインという雰囲気に乗じて告白してくるような輩が多いからだ。ひうりは、今日一日不機嫌オーラを無理にでも出しながら生活している。
実際、男子からの視線がいつもよりも多いらしく、無理せずとも不機嫌になるらしい。夢の中で、僕と会うと機嫌がよくなっちゃうから放課後までは会わないことを伝えられている。
「そういや、三年に超モテてる男子がいるっての知ってるか?」
「なんか文化祭のときに話を聞いたような…」
「その先輩、まじでめちゃめちゃチョコ貰ってるらしいんだよ。羨ましいーまじで」
うーん、とはいえ、それは本人は大変だと思う。教室や廊下でどんどんチョコを貰って、持ち帰るのも大変だろう。少なくとも、相当な甘党でもなければ食べきることは難しい。
男子にモテているひうりを間近で見ているからこそのモテの苦労を思い出し、その先輩を憐れむ。
「いっぱい貰っても困ると思うよ。思う、というか確実に」
「でもそれは全部女子からの気持ちなんだぜ?俺たちには分からないものなんだよ」
「うーん…」
忠は絶対にモテるはずなのに言動のせいでモテていないので、そういう感想になるのだろう。僕も別にモテているわけではないけれど、ひうりを見ていればモテるということの苦労さは分かる。
定期的に夢の中で暴飲暴食をするひうりを見ていると、異性からの必要以上の感情というのは手に余るのだろうと感じる。それもあって、僕はモテたいと思わない。
「そういえば最近は友チョコってのもあるって…」
「あんなのは女子が女子に送るようなもんだ。誰が好き好んで、男子からのチョコを受け取るってんだ」
ガサツな言い方で友チョコを否定する。
女子が女子に送るものって言い方は正しくはないとは思うけれど、確かに男子が男子に渡している姿は想像できない。渡すとして…やはりチロルチョコか。
「それともなんだ。一樹は何か用意してるのか?」
「別に?哀れな忠を少しでも慰めようかと」
「哀れって言うなよこんちくしょー!」
忠は席を立って走っていった。どこに行くのだろうか。
……
放課後。僕は教室で待機していた。
ひうりに対する男子たちも期待というのも、放課後になると幾分か落ち着くようで、視線は感じるもののアピールしてくるような輩はいなくなったらしい。
ひうりに待っててと言われて、僕は教室で待機中だ。そして、目の前にはさめざめと涙を流す(ように見える)忠が一人。
「悔しいよ…俺は…」
結局、森本さんから貰ったチョコ以外何ももらえなかった忠は、メンタルが少々おかしなことになっていた。
昼休みの時点でそれなりに壊れていたが、放課後になってとうとう完全崩壊したと言った感じだ。チョコを貰えなかった男子というのは、ここまでおかしくなるものなのだろうか。
「そういう男子の方が大半なんじゃないの?勝ち組負け組みたいに区別するのは…」
前に忠が僕に対して言っていたことを思い出す。僕は自分のことを勝ち組だとは…いや、まあ思っていないわけではないけれど、それはそれとして忠のことを負け組だとは思っていない。
だが、そんなことを言っても、今日の忠は僕に対して敵愾心を燃やしており、鋭い目は僕を射抜く。
「どうせ今から黒棘姫からチョコを貰うんだろう!そんなんだろ!」
「そうだけど…」
「お前には俺の気持ちなんか分からねえよ!うわあああ!」
とうとう発狂したかのような声を出しながら走っていった忠を見送る。多分、明日には落ち着いているだろう。
忠は絶対にいい男なのだ。ただ性格や言動が下衆なだけで。いやまあそれが一番の問題なのだと言われたらそうなのだけど、それはそれとして女性からの目はそこまで厳しくないはずなのだ。
きっと十年後には結婚しているはずだ。僕はそれを心待ちにしている。
「お待たせ」
「今日は大丈夫だった?」
僕が聞くと、途端にひうりはうんざりしたような表情をして、大きなため息と共に言う。
「大丈夫だと思う?嫌な視線ばっかで…声を大にして彼氏がいるって言おうかしら」
「それをしたら僕が殺されるからやめて…」
ある程度忠が噂程度に、僕に波風が立たないように伝えてくれているらしいのだけど、それでも周知ではない。特に、上級生の中にちょっと過剰なひうりファンがいるので、彼氏なんてバレたらボコボコにされてしまう。
僕たちが上級生になったときは…新一年生に期待を抱かせないために言っておくのはいいかもしれない。流石に先輩に対して陰湿な嫌がらせもできないだろう…と思う。
「じゃあついてきて」
ひうりの先導で校舎の中を歩く。
放課後の、それもそれなりに時間が経っている時間帯なので、昼間のような視線に晒されることもなく廊下を歩く。ひうりと一緒だとどうしても僕にも視線が集まるので、やはり人気のない場所はいい。
連れてこられたのは、校舎を出てすぐの、端っこ。道から見える位置ではあるけれど、既に人はほとんどいないので安心。
ひうりは、優しい笑顔と共に、バッグから取り出した包みを僕に差し出して言った。
「はい、一樹くん。ハッピーバレンタイン」
僕はありがとうと伝えて、自分のバッグの中にしまう。ここで見たいところではあるけれど、学生はいなくても教師はいるので、あまり見ていられない。見るなら帰り道だろう。
「ひうりはこういうのあまり恥ずかしがらないよね」
僕は昼間、モテている先輩とやらに近づこうとしていた女子を思い出す。
面識はない子だったけど、明らかに顔を赤くしており、先輩に近づくことを恥ずかしがっていた。あれはまあ告白じみたものだからこそだろうけど、それでもお菓子を渡すのってそれなりに緊張するものではないのだろうか。
僕はそう思っていたのだけど、ひうりはどうやら気にしていない様子。
「だって好きな人に、お菓子を渡すだけでしょ。何を恥ずかしがる必要があるのよ」
「ひうり、好きな相手には結構直球だよね」
「夢の中であなたにすべてを知られてるって思えば…悩むだけ無駄ってことよ」
最初に僕が告白し、ひうりが断ったとき。そのあとのひうりは随分と悩んでいた。
だが僕が、夢の中ですべて知ってることをひうりが知ると、何も隠さないようになったのだ。堂々としていて、とても美しいと思う。
「…じゃあ、帰りましょ」
僕たちは一緒に歩きだす。
途中でひうりに聞いてから貰った包みを開けて、ついでに一口食べて美味しいと伝える。
ひうりは嬉しそうにしながら、何かを求めているように見えたので、僕は優しくキスをした。
バレンタインは、甘い。
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