遊びだからこそ、本気
現実のひうりの攻撃力に戦慄した僕は、しばらく呆けた後に、海に入った。
日差しが中々に強かったせいもあって、海の冷たさが心地よい。海面での反射があるので、顔にもちゃんと日焼け止めを塗っておいてよかった。
流石に男女で日焼け止めを塗り合うみたいな、もしかしたら年齢制限もかかるかもしれないようなイベントはなかったよ。
「どうしたんだ一樹、ぼーっとして」
「あ、いや。なんでもないよ」
基本的に男子と女子は別れて遊んでいる。中には、双方混じって遊んでいるところもあるけど、流石に水着は恥ずかしいのか遠慮している人も多い。
僕も本当はひうりと遊びたいんだけど…あっちから話しかけてこないと、僕から話しかける勇気はないなぁ。
「帰る頃には焼けてそうだな」
「僕はちゃんと日焼け止め塗ったよ。忠は塗ってないの?」
「塗ったけど、焼けるときは焼けるんだよ」
そんなものだろうか。あまり夏に外に出ないから分からない。
今後の夏の活動範囲は家の中だろうから、焼けたとしてもそこまで影響はない。もしかしたら夢の中の姿に反映されるのかな。
夢の中の、誰も見てないところで日焼けしたいひうりがいると、流石に情事を我慢できないような気もする。結構精神的な体力が必要かもしれない。
「お、そろそろだな…お前らー、時間だぞー」
遊んでいたら、周囲に向けて忠が声を出した。どうやら最初のイベントらしい。
僕たちは海からあがり、浜辺に集まる。
忠が持ってきたのは、大きめのビーチボールだった。しかも、忠の周囲には同じものが何個も転がっている。これらは確か、ひうりと一緒に買いにいったものだ。
「今からこのビーチボールを持って逃げてもらう。ここには十個のボールがあるから十人な。そんで、追う側は二十人で、この十人を捕まえてもらう。制限時間は十分な」
どうやら簡単な鬼ごっこをするらしい。
景品はクーラーボックスに入れてきたアイスで、逃げ側が逃げきれたら逃げ側に二つずつ。追う側が捕まえきれたら追う側に一つずつ貰えるらしい。
逃げることができればリターンは大きいけど、この大きさのボールを持って十分間逃げ切るのは大変そうだ。砂浜でも海でも、どこでも逃げていいらしいけど、それにしても不利だと思う。
ビーチボールをビート版のように使えるので、泳げば早いだろけど人数差を覆すのは難しそうだ。
「じゃあまず逃げる側で、やりたいって人!」
そう思ってたのだが、意外と逃げ側に立候補する人が多い。男子のみならず、女子も何人か逃げる側で参戦するようだ。
その中にはひうりの姿もあった。よくやる気になるなぁ…
「お、立候補だけで人数が埋まったか。そんじゃ逃げ側はちょっと離れてー」
ビーチボールを持った十人が思い思いの方向に散っていく。
これを僕たちは追うことになるわけだけど…ちゃんと作戦を立てないと、案外逃げ切られてしまう可能性が出てきた。
「よーい…はじめ!」
僕たちは走り出す。忠も追う側として参加するらしい。
自慢じゃないけど、僕はそこまで体力がない。逃げる男子と砂浜で競争しても、多分勝てないだろう。相手がビーチボールというハンデを背負っていたとしても、追いつけない気がする。
つまり、僕の狙い目は海で泳いでいる人々だ。
正直、女子を追いかけるのはなんだか気が引けるので、追いつけそうな男子に狙いを定めて泳ぎ始める。
「げげっ!なんでこっちにいっぱい来るんだよー!」
僕が狙うような相手は、他の人も狙うということだ。早い者勝ちではないので、複数人で追いかけるという構図は、奇しくも逃げ側にとって悪い状態と言える。
僕が狙った男子は、一分もせずに捕まった。
捕まった男子も、他の逃げ側が逃げ切ればアイスが貰えるとあってか、応援に力が入る。
しかし、そんな応援も悲しくなるほどに、どんどん人が捕まっていく。
「あとは佐倉さんと元康だけだー!」
忠が声を張り上げて、残りの二人を追いかける。
タイマーによると、残り時間は一分。ギリギリといったところだけど、捕まえられるだろうか。
僕は同じクラスの男子である神田元康を狙う。ひうりの方は、女子たちが囲い込むように追いかけている。
神田くんはサッカー部でありながら、泳ぐ速度も速い。ビーチボールを巧みに利用して、加速しているようだ。
「ひうりちゃん捕まえたー!」
少し離れたところで声が上がった。どうやらひうりは捕まってしまったようだ。
ひうりに逃げ切ってもらいたかったという思いと共に、流石に勝負事でそういうことは言ってられないと、僕は本気で神田くんを追いかける。
「あと…少し…」
あとちょっとで手が届くというところで、波が来て距離が空いてしまった。
これは捕まえるのは絶望的…
「元康つっかまえったー!」
「ぬあああ!」
なんと、神田くんの進行方向に、忠がいつの間にか回り込んでいたのだ。
神田くんが捕まりゲームセット。残り時間十秒という接戦の中、追う側の勝ちで勝負は終わったのだった。
……
アイスは昼ごはんの時に配られるらしい。
結構本気で走ったり泳いだりしたので、参加者全員が疲れ切っていた。かく言う僕もその一人で、昼食までの時間は休憩時間ということになったのだった。
「いやぁ、一樹が元康を追い詰めてくれたおかげで勝てたぜ。サンキュな」
「はは…忠がいなかったら逃げられてたよ。こっちこそ、ありがとう」
僕と忠はパラソルの下で、健闘を称え合っていた。
「アイスってどんなやつ?」
「ん?ファミリーパックで売ってる安いスティックアイスだ。でもまあ、この暑さにはちょうどいいだろ」
休憩で影にいるとはいえ、空気が暑いのでどうしても汗は出る。
休憩として、海の浅いところに座っている人もいるようだ。そこにもう一人近付いて、水の掛け合いが…あれは、後で疲労困憊になるやつだ。
「昼の後もイベントがあるの?」
「おうよ!少なくとも、これは外せないっしょ」
そう言って忠が指さしたのは、クーラーボックスの中のスイカ。まあ、スイカ割りはすると思ったよ。
しばらく休憩したら、ご飯の時間になった。
昼食は皆で同じ時間に食べるけど、食べるものは各自で準備したものだ。流石に、遊びに行くために親に弁当を作ってもらうわけにはいかなかったので、行きの途中で買ったコンビニ弁当である。ちゃんと保冷剤を入れてあるので大丈夫のはずだ。
シンプルな唐揚げ弁当だけど、それでも十分。
忠は他の男子グループのところに行ってしまったので、一人で弁当を食べていると、近くに寄ってきた影が一人…
「一樹、お前って泳ぐの速いんだなぁ!」
神田くんである。
ひうりかと思った?残念ながら、ひうりはちょっと離れたところで女子グループに混じってご飯を食べている。
対する神田くんは、片手におにぎりを持ったまま歩き回っているらしい。
「そうでもないよ。頑張りすぎて体が痛いからね」
「それでもだろ。忠といつも喋ってるからか、コンビネーションもばっちりだったな!」
感動してるとこ申し訳ないけど、忠がいたのは偶然である。
「お前は他の奴らに混ざってご飯食わねえのか?」
「いや、人と話すのは得意じゃなくてね…」
「そうかぁ?現に俺と話せてるが…あ、やべ、失礼しましたー」
なぜか急に神田くんは、男子グループの方に戻っていった。
僕の後ろを気にしたようだけど…僕が振り向くと、そこにはひうりがいた。
「中野くん、隣、失礼するわよ」
「え?あ、うん」
この有無を言わさずの感じ、とてもひうりらしい。
「…神田くんは遠慮するのに、私はいいのね」
「え、ああ…まあ、ね」
ひうりが隣にいる状況は、夢の中で慣れている。それに、僕が苦手なのは、あまり関わりのない人と話すことであり、現段階で忠以上に話しているであろうひうりは、何の問題もないのだ。
「佐倉さん、ご飯は?」
「もう食べきったわ」
ひうりは、現実だと小食だ。体の維持だとか、健康だとかに気を付けた結果らしい。
夢の中で好きなものを好きなだけ食べるのは、現実でできないストレスを発散させているのだとか。
「…えっと、どうして僕のところに?」
「あら、だめかしら」
「別にいいけど…」
なんか距離が近い。無意識か?
「アイス、食べる?」
「それは中野くんが勝ち取ったものでしょ。私が貰ったら不公平だわ」
僕はまだ弁当を食べていることもあって、会話が続かない。
だと言うのに、ひうりはどこかに行く素振りを見せない。遠巻きに見ている女子たちも、しばらくしたら海の方へと移動していった。
「…ゆっくりでいいわよ。焦らせたなら、ごめんなさい」
「いや、そんなことないよ。ちょっとびっくりしちゃっただけ」
僕とひうりの間に沈黙が流れる。僕は、この沈黙が存外嫌いではない。
夢の中のひうりは、我儘を言って甘えてくるけども、距離感を間違えたりはしない。現実のひうりも、僕との距離を詰めてくることはせず、ゆっくり僕が弁当を食べ終わるのを待ってくれていた。
そして、僕が弁当を食べ終わると、ひうりは立ち上がった。
「折角だから、このまま遊びましょ」
「え!?」
弁当を片付けた途端、僕はひうりに連れられて海へと入ったのだった。
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