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「夢に酔い、夢に憑かれて、夢楽園、夢と知りせば、、覚めざらましを、、、、、、」   続・小夜物語  第22話

作者: 舜風人

私は人生という夢を


ほぼ


見終わったのかもしれない、、、。


そうして

さらにもっと別の夢を見るために

この現実人生という世界にもお別れしなければならない時が迫っているのかもしれない。


そんな独語がふっと、、口をついて出る、、秋になりましたね?



秋雨のそぼ降る昼日中。


人生にはどう問いかけても答えが得られないことがあることをふと思い出して

蕭然とすることがあるのです、、、。。


なぜ?それは私でなければいけなかったのか?


なぜかかる事態が私に起こらざるを得なかったのか?


なぜ?私は私なのか?


でも?

そんな懊悩の夢もやがて終わるときも来る。


その終焉も意外とあっさりと、早かったりして、

ある日、ある朝。おきてこないので家人が2階の寝室に行って見たら、死んでいた、

というケースも結構多いのである。



長いようで終わってしまえばあっけない人の一生。


走馬灯のようにくるくる回る人生のかざぐるま。


かしこで、かの両親のもとに生まれ、生い、育てられ、


ふるさとを出奔して異郷をさまよい、


今70年もの時が過ぎ去ろうとしている。


その70年とはまさに生老病死、四苦八苦の連続の、、人生夢双紙だった。


暁に見た、春の夢はたちまち掻き消えて、


いつか真夏の照りつける荒地に、ほっつき歩く自分がいた。


秋はあまりにも突然で、実りも何の喜びも私にはもたらさなかった。


そうしていつか冷たい氷雨が降り注ぎ、それはたちまち雪へと変わって行った。



気がつけば半世紀以上がそうしてむなしく過ぎていった。


それは今振り返ればまさに、それは、作者のいない夢幻劇だったとしか思えないのである。


人生の夢、いや、夢の人生。


人の一生はおそらく3幕の、あやつり人形芝居劇に過ぎないのではなかろうか?


そうして、人は誰か知らない作者の台本にしたがって人生劇を演じさせられているだけではないだろうか?


劇が終われば人形はゴミ箱行き。


夢の劇もこうして終わるだろう。


あなたの人生は夢だったんだよ。


え?

まさか?


私はこうして確かに存在しているよ。


夢なんかじゃないよ。


そうだよね。確かに存在もしているし、考えてもいるだろう。


でも、もし、それさえ、夢の中だとしたら。



いったいいつ私たちは本当に?目覚めるのだろうか?



生の夢、そして死も夢だったとしたら。


でも?

夢見続けて、決して醒めないならそれが無上の幸せだろう。



そうだ、だからずっと夢見続けていこうよ。


夢の中で息を続けていこうよ。


無理して水の中から飛び出たら魚は死んでしまう。


そうだ、無理して夢から飛び出る必要なんて無いのだ。


夢の中で生き、そうして死んでいけばそれでいいんだよ。



この人生、努力オンリーという人もいるし、いやいや、

天意の幸運がなけりゃと言う人と大体、意見は二分する。


もしあの時?という事が誰にもあるはず、右に行くか左に行くか、最後の決断は、

これは熟慮の上でも、結局は最後はその人の「勘」だ。

あの時あの会社に入っていれば、今の憂き目は見なかっただろうに、、、、とか。


あの人とあの人で、あの人を選んで結婚していればこんな事にはならなかっただろうに、、とか。


あのとき買っていれば大もうけできたのに。とか。

まあ所詮取らぬ狸の皮算用。

「あんたにはこうなるしかなかったんだよ」とでも言うしかないわけだが。


世の中にはなぜか運の悪い人がいるものだ。女運が悪い人、男運が悪い人。しかし、

それも自らの、波長がそういった相手を自動的に選んでしまうんだという説も有る。


「父母に呼ばれて仮に客に来て心残さず帰る古里。」こんなふるい和歌(道歌)も有る。


この世も所詮、仮の宿、仮の止り木。長く憩うべき場ではないのかも知れない。


「帰るべき梢はあれどいかにせむ、風を命の身にしあなれば。」瀧口入道の心や如何に。


私も70年から生きてきたが、その間、不思議な虫の知らせやら、天の声やららしきものから、

助けられた事が1度や2度ではない。


30秒ほどの天機で死ぬべき交通事故から免れた事も有る。


「棺の蓋を覆ってからでなければその人の人生が良かったとか悪かったとかいえない。」

 という格言も有る。


又、「末路哀れは人の常」とも言う。大財産残したってそれをしょって冥途までいけるわけでなし。


大豪邸築いたって、寝るときゃ,一畳とも言う。


庶民にとっても、「浪速のことは夢の又夢」なのかも知れない。


人生とはいたるところにカラクリや落とし穴が仕掛けられている。

それを知恵と勇気と一寸ばかりの勘でわたっていくものなり。


「この人生なんて魂が見ている夢なのよ、」そんなことを言う霊能者もいる。


酔生夢死も又人生なのかも知れない。


寝てみる夢もあれば、、おきて見る夢の人生もある。


「夢は第2の人生である。」そんなこと言ったフランスの小説家もいたな。


夢の人生、人生夢草紙それでいいかもしれない。


でも?

すべては夢だったんだろうか?


生きてみる夢もあれば死んで見る夢もある。

私の半生を振り返ってみても、そのこまごました思いでもすべては夢だったんだろうか?


私は両親から生まれた。

しかし今その両親はどこに居る?


「父母に呼ばれて仮に客に来て心残さず帰る故里」

まさにこの歌の如しである。


今、、両親の影も形もない。むなしく名前だけが仏壇の過去帳に残るのみとは

無常を痛感せざるを得ない。

遺品すらもうない。実家は解体されて更地となり整地されて、売られ

そこには分譲住宅が建っているばかり、


両親の家ももうないのである。すべてはやがて消え行く道理であるが、

古代の大王の巨大墳墓ですら、今、野鼠が宿として使うのみである。


草木が生い茂り、誰もその墳墓を遥拝することもないだろう。

そこにどこのだれそれがなんと言う大王が葬られたのかすら不明だ。


まして我が庶民の草屋など風に飛んで消えても当然だろう。


人の一生って、何か大きな力から呼ばれて、来て、見て、去っていくものなのだろうか?


風来たりて、花開き、風去りて、花凋む。


その風とは、すなわち、神の心意であろうか?


すべては神の思し召しのままに

来たり、巻き起こり、そして消えていくしかあるまい。


人は生まれ、生き、そして死んでいく。


必然の定め。


誰もそれに逆らえぬ。


そうして過ぎ去ってしまえば人生なんてただもう、夢のまた夢に過ぎない。


振り返り見ればきりのかなたに、黄金、玉殿、傾城の美女、名誉や、熱恋もかすんで見える。


一代で財を成し、百億の富を積み上げられたとしても、

死ぬときその中より、たとえ、1円ですら持っていくことも出来ない。


黄金も美女も豪邸も名声も権力も何一つとして持ってはいけない。


裸で閻魔大王の前に引きずり出されるだけなのである。


生きていればこそ入用なれども、

               死んでしまえば無用の金銀財宝。


父母に呼ばれて私はこの世とやらに生まれてきた。


そして何かかから呼ばれて縁あって、こうして見ず知らずの地で、働き続けた来た。


そしてやがて老いた私は定年を迎えて、、、毎日が日曜日に、、、

体に持病があるので定年後働くこともできおなかった

そしてこれから、、

ある日、、ある時、、何かが私を呼ばわって、

父母の待つ冥土へと旅立っていくのであろう。


すべては神がしつらえた、そういう夢芝居だったのだろうか?

それとも生きてみる「有機三次元水銀電球幻燈劇」だったのだろうか?


あるいは神が見させた、浮世草子のからくり芝居だったのだろうか?


いずれにしても人生は


私たちの魂が見ている夢に過ぎません。


やがて消えるのです。


悪夢のような人生を知ってか知らずか?選び取った人生ですら


やがては終わるのですよ。


穏やかで甘い人生を選び取った人生も終わります。


そして人生の途中で


もしかしたら?偶然にあなたに与えられた


2億円入っていたバッグ?を拾ったにしても、、

やがてはそれを、この世にむなしく置いて残して、、、


あなたは冥途に旅立つのです。


冥途には、、、生きている愛する妻も


貯め込んだ2億円も持ってはいけません。


空手・空拳で


そうです、、裸のスピリット(霊体)だけで、、何も持たずに


行くしかないのです。


「わたしは裸で母の胎を出た。だから、、また裸でかしこに帰ろう。」ヨブ記


そう考えると、、、、、、、この許された人生時間・人生劇場とは


入場から退場まで、、それほどは時間はありませんよね?


まあ、、でも、、宇宙時間からすれば

10歳で早世しようが、、、、、130歳まで生きようが、、、、、、、、、、、


大して変わりはありませんがね。


いずれにしても夢の人生、、夢の一生なのですから。


でも?


そんな夢のような人生ならば、、

手抜きする?適当に生きたらいいのでしょうか?


なるようになるさ、、と、、ボケーっと生きたらいいのでしょうか?


いいえ。


だからこそ、それを「見切る」のです。


「夢を見終わらせる」のです。


夢を全身全霊で駆け抜けるのです。


もし今あなたが悪夢の人生夢を見させられてるのなら


この悪夢の果てになにが見えてくるのか。


目を凝らして「見切り」ましょう。


心眼を凝らして 「夢を見透かす」のです。


そうすれば必ず何かが見えてきますよ。


きっと?夢の秘密?が解明するはずです。


なんで私はこんなひどい夢しか見させてもらえないんだろうという


秘密がわかるはずですよ。


だって、、、、夢を全身で見切ること、それが人生のすべての意味だからです、


そういう生き方が人生夢の正しい?見方だからです。


マラソンを全力で駆け抜けるように


そうです、


この夢の人生レースを


あなたは決して手抜きなどしないで


全身・全霊で駈け抜けるのです。


あなたを、、被造物として創成した


宇宙のグレートスピリット(大霊)も


それを


そういう生き方をお望みだからです。


だってそれだけが人生というものの意味なのだからです


それこそが人生の本当の回答だからです


それ以外に人生の過ごし方はありませんから。


夢を駆け抜けるのです


夢を全身で見切るのです



夢を、、見おわらせるのです。




それこそが




それだけが、、



人生のほんとうの意味だからです。














『思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを』小野小町

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[良い点] 貴方様の記事は、人生に対して肩の力が下りるような、楽にしせてくれるようなものが多く、いつも拝読させて頂いております。 [一言] 特に『わが人生瞑想録より』は全て拝読するほど好きです。これか…
2022/10/16 18:02 退会済み
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