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放課後の公園にて

作者: 七瀬

 SHRが終わり、学級長の掛け声でサヨナラが告げられ、今日の、今年度の学校が終わる。

 名残惜しそうにだべっているクラスメートを後目に、手早く荷物をまとめて教室を出た。廊下に出ても人影は殆ど無い。流石に終業式。誰しもが今の人間関係を惜しんで、一秒でも長くこの関係性を味わっていたいと思っているのだろう。

 今年、いや、これまでたった一つの人間関係も結んでこなかった俺にはなんら関係ないことである。今日も今日もとて、今年も今年とて、代わり映え無く、つまらない。

 がらがらの昇降口を足早に通り過ぎて校門を抜ける。時刻は四時過ぎ。真っ直ぐに帰る気になれないのは、実は俺も年度の終わりというワードに感傷を感じているのかもしれない。

 はぁ。……よし、ひさびさにあそこに行ってみるか。

 家とは逆方向に体を反転させる。そのまま数分道なりに歩くと、分かりにくいが階段とボロボロの看板らしきものがある。その階段を上がっていく。……のだが。

「やっぱ長ぇ……」

 歩けど歩けど先が見えてこない。初めにここを見つけて上がったときは、幾度と無くもう帰ろうかなと考えた。結局、こんな長い階段の先にあるものが気になって半ば自棄になって上がりきったのだが。

 一つ一つの段は広く、傾斜は緩やかな設計。急な階段だと危ないやら大変やらとか考えたのかもしれないが、距離が伸びてさらに疲れるだけなので余計な気遣いだと思う。

 箱根の山を登る電車よろしくぐねぐねと幾度と無く曲がり、ゆうに二百段を超える階段を上りきると、少し開けた場所に出る。しかしここは中継地点。ここからさらに上がある。

 乱れた呼吸を少しばかり整えると、目の前の階段に目を向ける。ここの階段は普通の直線の階段なのだが、やはりその段数は百弱あり、傾斜もかなりのものだ。

 ……よし、行くか。

 トントントンとリズミカルに上がっていく。そうして頂上についたときには、汗が大量に吹き出し、息もかなり上がっていて見るに耐えない姿になっている。しかし、ここに人が居ることはまずないので、安心してぐったりと一つぽつんと存在するベンチに体を預ける。

 ここは元々は神社だったそうなのだが、ここまで来るのが大変で人が殆ど来なくなって廃れたらしい。ただ、そのおかげで人がいなくて静かであり、その上かなり高いので景色は綺麗だ。だから俺は気が向いたときにふらりと来ては、景色を眺めたりぼーっとしたりして日が落ちるまで過ごす。

 どうせ家に帰っても誰もいないしな。こうやって黄昏れるには絶好の場所だ。

 息が整うまで待ってから、街並みがよく見えるところへ移動する。手すりにもたれ掛かってぼーっとゴミのように小さな街を眺める。

 時計を見ると、時刻は丁度五時を過ぎたところ。沈んでいく太陽が空全体を、そして眼下の街並みをも、黄金色に染め上げていく。遠目に見える水平線は、夕日を受けて煌めいている。美しい景色、というのはきっとこういうのを言うのだろう。

 そんな神秘的とも言える絶景を眺めながら、俺はおよそその風景には相応しくない大きく陰鬱な溜め息を吐く。……と。

 隣からも同じような大きな溜め息が聞こえてきた。ビクッとしつつ、隣をちらりと窺うと、いつの間にここに来たのか、セーラー服姿の少女が、二メートルほど離れて、俺と同じような姿勢で眼下の街並みを眺めていた。先ほどの溜め息は彼女のものだろう。

 そう考えていると、唐突に少女が口を開いた。

「ここから落ちたとしてさ、死ねるかな」

 少女の視線は相変わらず町並みを見下ろしている。軽く周囲を見回すが、少女の連れらしき人影はない。だとすればさっきの言葉は、独り言か、或いは。

 やや逡巡してから、恐る恐る口を開いてみる。

「……死ぬんじゃねえの。こんな高いとこから落ちたら」

 実は独り言だったらとてつもなく恥ずかしいなと思いつつ、そう返答する。すると、少女は視線は前向きに固定したまま、微かに口の端を歪める。

「だよね」

「ああ。……まあ、めっちゃ痛いとは思うけどな。あと、打ち所が悪かったら、死ねないかもしれない」

 そう付け加えると、少女はしばし無言になってから、あはは、と軽く笑った。

「日本語、おかしくない?」

「俺もそう思う」

 それを聞いて、再び少女は笑った。それからしばし沈黙が降りる。俺は改めて少し離れた少女を観察した。

 如何にも普通の女子、と言う感じだった。背丈は高くもなく低くもなく、体系も普通。顔は整っている方ではあるのだろう。髪の毛が金色に近い亜麻色であること以外は特徴という特徴が無い感じだ。その髪色にしたって、夕焼けに照らされていることを考慮すると、そこまで目立つわけではないのだろう。

 少女はしばらく街並みに目を落としていたが、見られていることに気がついたのか、ちらりとこちらを窺う。それから、手すりに手を掛けると、その手すりを飛び越えてその向こう側に降り立った。

「でもさ、死ねたならきっと、楽になる気がする」

 手すりは転落防止の柵の役目もある。その向こう側は、僅かなスペースはあるものの、少女が一歩後ろへ下がったら、そこから先は崖と呼んでも差し支えのない急斜面。

 さっきのやりとりから薄々感づいてはいたが、少女は自殺志願者らしい。何があったかは知らないがかなり重傷の模様。少女はなおも手すりの向こうで危なげに立っている。口元は微かに綻んでいて、どうやら精神状態もだいぶ重傷だ。

「……それはちょっと困るな」

「どうして? 私がここから落ちて死んだとして、なんの関係もないでしょ? それとも、」

 少女はそこで言葉を区切ると、据わった目でこちらを睨むように見つめる。この場合安い同情や憐れみは、少女の神経を逆撫でするだけだろう。だから、俺の自分本位で主観的な、少女が飛び降りたら困る理由を端的に述べる。

「……そこから今、お前が落ちたとする。当然警察はこの辺を捜査する。するともちろん俺がここに居たことが分かる。ここに行くための階段に入っていくのは見られているだろうしな。そしたら必然的に、俺がお前を突き落としたんじゃないかって疑われるだろ。それはちょっと、いやかなり困る。というか迷惑。だからやめてくれ、少なくとも今は」

 ……疲れた。こんな長文話したのは久しぶり、いや生まれて初めてなまである。一息に喋ったから息が苦しい。何度か深呼吸をして息を整えるが、そう言えば少女からの反応がない。呆れているのだろうか、それとも怒っただろうか。恐る恐る視線を少女に向ける。

 少女は呆気にとられた表情をしていた。おそらく少女は、命は大切に、とか、馬鹿なことをするな、とか言われると予想していたのだろう。数秒の後、少女は笑った。先ほどまでのそれよりも、幾分か楽しげな笑い方だった。

「そっか、確かにこの状況だとそう判断されてもおかしくないかも。……それはそれで楽しそうだね」

「おい待てやめろ落ち着け。話せば分かる」

 そう言うと、少女はクスクスと笑う。それから、手すりを飛び越えてこちら側に戻ってきた。どうやらあの返答で良かったようだ。

「冗談だよ。それに、多分心配ないよ。私、遺書は常備してるからさ」

「死ぬ気満々だな……」

 いつでもどこでも死ねますってか。そして、再び沈黙。その沈黙を破ったのはまたしても少女だった。

「何があったんだ、とか訊かないんだね」

「訊いても仕方のないことだろ。何が出来るわけでもないし、したいわけでもない。ただ、目の前で死なれるのは迷惑だし目覚めが悪いってだけだ」

「……そっか」

 少女は何か納得したようにそう言った。かと思うと、視線を遠くへ、殆ど沈んだ紅い太陽へと向ける。

「私って、居ても居なくても良いんだなって。……ううん、きっと、居ない方が良いんだ。そう、思った。……思い知らされた」

「へぇ……」

「居場所が無いっていうかさ。そんな感じ」

 居場所が無い。

 それは、分かる。学校へ行っても、家に帰っても、話す相手は居ない。行ってきます、ただいま、おやすみ……それすらも言わなくなって、もう随分経つ。居ても居なくても変わらない。つまり、必要とされてない。少女の言っているものとはまた違ったベクトルのものかもしれないが。

「だから、居なくなっちゃおうかなって。そう思った」

 どうせ何も変わることなんて無いんだし。と、少女は小さく呟く。諦めたような、全部捨ててしまったような、そんな空っぽの笑みを浮かべながら。

 ……物語ならきっとここで、主人公なり他の誰かなりが、少女を肯定して、幸福な結末になっていくのだろう。だけど、俺はそれが出来ない。その資格はない。俺はある意味少女と同類で、傷を舐め合うことはできても、一方的に肯定して、強引に幸せにしてやることなんて出来ない。

 だから俺は、同じような空っぽの笑みを少女に返す。それを見て、少女は理解したようだった。

「なんだ、同じなんだ」

「……まあ、そんなもんだ」

 あはは、と少女は空虚な笑い声をあげる。

「ところで、ここには良く来るのかな」

「いや、別に。たまに気が向いたら来るだけだ」

「ふぅん?」

 少女がどこか含みのある笑みをうかべる。まあ、理由もなしに、こんな来るのが面倒くさいところに来るのはおかしいと思ってるのかもしれない。

「ここに来たら、一人だろ」

「まあ、こんな所に来る人は居ないんじゃない」

「うんまあ、だから、あえてここに来て、あえて独り、っていうか」

「……」

「独りでも、まあ、普通だなって。……いや、悪い。なんかうん、あれだ。あんま理由無い。忘れてくれ」

 とりあえずなんか言葉にしてみたが、国語苦手なコミュ障にはアドリブで話すのはきつい。

 そう言えば、いつの間にか日は完全に落ちていて、空は夜の帳が降りている。そろそろ、帰らないとな。少女もそう思ったようで、暗くなった空を見上げる。

「……私さ、今日ここで終わらせるつもりだったんだけどさ」

「それは、悪いことをした……のか?」

「ううん」

 それきり、少女は黙る。俺は、特にせかすこともなく、続く言葉を待つ。少したって、少女は口を開いた。

「私みたいなのが居るんだなって知ったから。……もう少し、生きてみよっかな」

「……そっか。まあ、好きにしたら良いんじゃね」

「うん、好きにする」

 少女は穏やかな笑みを浮かべる。

「じゃあ私、もう行くね」

「ああ」

 少女はそう言ってこちらに歩いてくる。そしてすれ違いざま、ぽん、と俺の肩に手を乗せる。

「ありがと。……じゃあね」

「ああ、じゃあな」

 足音が遠ざかっていき、程なくしてとんとんとんと階段を下っていく。

 少女の感謝の言葉。果たして、俺は何か少女にしてあげただろうか。まあ、同類が居るだけで、ほんの少しでも、救われたような気持ちになったのかもしれない。

 ……そう言えば、こうして誰かと私的な会話を交わしたのは、何年ぶりだろうか。少女が触れた肩が、仄かに温かい。まあ、気のせいだろうけど。

 よし、帰ろう。

 とんとんとん、と階段を降りながら、ここにくる前に感じた感傷が薄れているのに気がついた。

 

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