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7. 王妃

 それから、やっぱりエーリカとベイジュは事あるごとにユーディアを敵視してきて、鬱陶しいと思うことも多々あったけれど、それでも、大したことはないと流すことができるようになった。


 少しくらい嫌なことがあっても大丈夫。

 休憩時間になれば、海の宮に行く。もちろんいつも彼はそこにいるわけではないけれど、会えた日には心が浮き立った。


 二人はあまり反抗してこないユーディアが面白くない風ではあったが、嫌味をさらっと流されてはそれ以上言うこともできないようだった。


「いいことでもあったの?」


 ある日、アガットがそう聞いてきた。


「最近、なんだか嬉しそう」

「そ、そう? 嫌だ、浮かれている?」


 ユーディアは頬に手を当てる。顔が少し熱くなっているかもしれない。


「そんなことはないけれど」


 アガットは首を傾げている。


「別に、いいことがあったとか……そういうわけじゃないんだけど。ここにも慣れてきたから、そう見えるのじゃないかしら」

「そう?」


 それ以上はアガットは何も訊いてこなかったので、ユーディアはこっそりと安堵の息を吐いた。

 秘密の逢瀬は、たとえアガットにでも、知られるのは照れくさかった。


          ◇


「やあ」


 ユーディアが海の宮に行くと、やはりそこにレイヴァンはいた。

 ほっとして、駆け寄る。


「今日はケープが見えるよ」

「本当?」


 言われて海の方を見れば、彼の言う通り、山影が見えた。


「本当に、いい場所。教えてもらって良かった。何かお礼ができればいいんだけれど」

「いいよ、そんなの。それより君と話ができることの方が嬉しい」


 そんなことをあっさりと言ってくる。普通、照れもせずにそんな言葉を言えるものなのだろうか。

 言われた方のユーディアは、うろたえてしまって、かっと頬が染まるほどなのに。


「え、えーと、そっちは仕事はいいの?」


 とにかく話題を逸らしてしまう。


「私? 大丈夫だよ。ここのところ、毎日、平和だ」

「そ、そう」


 いつもいるわけではないが、大抵、ユーディアの休憩時間にはここにいる。彼はそうは言わないが、おそらくはユーディアに時間を合わせているのだ。


 警備兵は、そんな自由がきくものだろうか。

 でもそれを口にするのは、なんとなく憚られた。


 おそらくはユーディア自身、気付いていた。

 けれど、気付かないふりをしていたのだ。

 そうしないと、この幸せな時間が終わってしまうような気がしていたから。

 だから、ユーディアの中でレイヴァンは、仕事熱心でない警備兵でなければならなかった。


「何か、嫌なことでもあった?」


 ふいに彼がそう話しかけてきて、ユーディアは顔を上げる。

 レイヴァンはユーディアの顔を覗き込んできていて、あまりに近い距離に、思わず身を引いた。


「い、嫌なことなんてないわ」

「そう? じゃあ、ちゃんと笑顔の練習をしている?」

「している……いえ、してないかも」


 思えば母の形見は、机の引き出しにしまい込んだままで、あまり取り出していないかもしれない。最後に笑顔の練習をしたのはいつのことだったか。

 レイヴァンは得たりとばかりに頷いた。


「きっと、それだ」

「そうかしら」


 自分の顔を確認するように、頬に手を当てる。


「私は、君の笑顔が好きだよ」


 また。またこの人は、そういうことをあっさりと。


「だから私も、笑顔の練習をすることにしたよ。でも、なかなか気恥ずかしいものだね」


 至極真面目な表情でそう言う。どうやら本当に練習をしているのだろう。

 鏡を前に生真面目に表情を変えるその光景が、容易に思い浮かんだ。


「そうね、最初のうちは。でも慣れると大丈夫よ。人前では私もなかなかやらないし」

「そうなのか。では私ももう少し頑張ってみよう」


 真顔でそう言って、何度も頷く。


 私も、あなたの笑顔が好きよ。私に向かって微笑まれると、それだけで幸せに思えてしまうの。


 そう言いたかった。

 だがユーディアは、口をつぐむことしかできなかった。


          ◇


 アガットとユーディアが庭の草むしりを終え、宮の中に入ると、エーリカとベイジュはいつものようにお喋りしていた。


「毎日、同じことの繰り返ししかないわね。つまらないわ」

「まだ陛下は妃を娶られないのかしら」


 つまらない、というくらいなら仕事にでも精を出せばいいものを、それはする気にならないようだ。

 ここで彼女たちに何か言っても構わないが、争い事を好まないアガットが傍にいるのなら、わざわざ波風を立てることもないだろう、と二人を無視することに決めた。


「陛下がこちらにいらっしゃらないなら、お会いすることもないわねぇ」

「ざーんねん。着飾っても無意味だわね」


 その口調で、王城に勤めるということの、アガットとの価値観の違いが分かった。

 要は彼女たちは、王妃になりたいのだ。王城にやってきたのは、その機会を得るためなのだ。仕事をする気にならないのも、もっともだ。

 少し気になって、アガットにこっそりと言った。


「ねえ、今、思ったのだけど」

「なあに?」

「もし、あの二人が王妃になったとしたら、私、あの二人に仕えることになるのよね」

「ああ……まあ、そうなるでしょうね」

「それはちょっと嫌だわ」


 苦虫を噛み潰したような表情だったのだろう、アガットは小さく笑った。


「でも仕方ないわ。王妃がどんな方でも誠心誠意仕えるのが私たちの仕事よ」

「アガットは偉いわね」


 感心したようにそう言った。

 あれだけ嫌味を言われ続けているのに、きっぱりとそう言い切れるとは。


「でも、なかなか面白いと思うの」

「面白い?」

「だって、歴代の王妃は、公に姿を現したことはないのよ。どんな方が王妃なのか、私たちは知らない。それを知れる立場というのは、なかなか面白いことと思うの」

「なるほどねえ」


 アガットは気が弱いばかりの人だと思っていたが、ここまで付き合ってきて、そうでもないことを知った。

 なかなかに前向きなのだ。辛いことがあっても、それを糧に前に進もうとする。

 面倒な仕事があっても、遊びか何かに見立てて楽しんだりする。洗濯一つでも、「昨日より早くできたのよ」などと笑う。

 アガットはユーディアを強い人、と言ったが、ユーディアからすればアガットの方が強い人だった。


「私は……駄目だわ」

「ユーディア?」


 王妃がどんな人であろうと誠心誠意仕える。

 そのことが、途方もなく難しいことに思えるのだった。

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