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モデラー探偵 巴照盛太郎

第1話 ショーケースの美人モデラー

作者: ドワガミ

初投稿です。

探偵ものってほどではありませんが、模型好きの人が気軽に読んでもらってははははと笑ってもらえれば。

駅から伸びるバス通り沿いの商店街にその模型店はある。


10坪程度の店内は大人が二人すれ違うこともむつかしい狭い通路。

両側には棚ぎっしりに紙箱のパッケージが詰め込まれ、天井の蛍光灯が投げるくすんだ白い光はいたるところに影を作っている。

少し湿ったような独特の匂い。


客が紙箱を手にとって棚に戻すときに箱同士が擦れ合う音と箱の中のランナーが鳴るかすかな音、塗料瓶をラックから取る際に鳴るガラス瓶が揺れて時々ぶつかる小さく高い音、そして棚の間を歩き回るときの足音が響く店内。


出入り口のアルミの引き戸に入ったすりガラスがぼんやりと店内に外の光を投げかけ、店外の路面に張り出した出窓のようなショーケースから入る光は展示品を出し入れするためのガラス戸を透過してショーケース裏だけを明るく照らしている。


はす向かいには呉服屋さんがあったのにいつの間にかパチンコ屋になっている。隣の布団屋さんは数年前に店をたたみ、反対隣りの文具屋はとっくにコインパーキングになっていた。江油えあぶら模型店は、そんな商店街のちいさな模型屋である。



工具類や塗料のラックに挟まれ、貼りだされたさまざまな模型メーカー、工具・塗料メーカーのポスター類に埋もれ、ストックと取り置きのいくつかの箱が置かれた棚を背中にしたガラスの天板がはまったレジスター台に50代後半の男がひとり座っている。

新製品のカタログを眺めている中背小太りのこの男は店主の江油。身に着けたタミヤ模型の二つ星がついたくたびれた前掛け、まるで接客に向きそうにない仏頂面だが、接客の時は意外に人懐こい笑顔を作ることもできる。


「お。今日も来たか」


店主は仏頂面のまま入口の引き戸を開けて入ってきたひょろ長い人影に声をかけた。

きちんと折り目のついた紺のスラックスときちんとしたシャツにジャケット。30代にしてはやや幼くも見える丸顔、全体のバランスからは少し長い手足。黒い通勤カバンはその長い手にぶら下げられている。

常連客の誰もがそうするように彼もまた奥のレジに目をやって軽く手を上げ、棚をぐるりと見て回る。


「ショーケースの中、変えたね」


棚の商品が代り映えしないのを確認した足長がゆらゆらとレジの店主に近づいてくる。


「ああ、キャンディ塗装のベアッガイだ。今朝、置いた」


店主はカタログ越しに来店した男の動きを目で追っていたが、“案の定”、ショーケースの話題になったのでカタログを置いて男に向きなおった。


巴照ぱて、それがちょっと妙な話でな」


ショーケースの方を向いていた男が店主のもったいぶった口調に振り向く。


「今朝、店の前に紙袋が置かれてたんだ。中にはそのベアッガイの箱に入った完成品と『ショーケースに置いてほしい』って女の字でメモ書きが入ってた」


男、、、巴照盛太郎ぱて もりたろうの目を見て店主の片眉が上がる。


「メモに名前はなし。なので作成者は名無しで展示してる」


巴照盛太郎は数年前からこの江油模型店に出入りしている常連客だ。今日も勤め先からの帰りにここに来ているようだが、どんな仕事をしているかは江油も知らない。店の前のバス通りの先にある駅を利用してどこかに勤めている近隣の住人らしいが、いつの頃からか江油の店を訪れるようになり、どういうわけか気が合い、こうした会社帰りの来店で模型談義などに花を咲かせることも珍しくない仲になった。


何より盛太郎の模型の知識は豊富で、ミリタリ、ガンプラ、建造物や情景モデル、フィギュアに車にバイクと節操なく手を出しており、模型店主の江油も知らないような製品情報や事情にも詳しい。その知識も実際にその製品を組んだ(作った)ことに基づくもので、いったいいついくつのプラモデルを作っているのか底が知れない。


それなのにその風貌のように、ただ淡々とひょうひょうと模型を愛するという、モデラーかつ模型店主の江油としては稀有にして好感度の高い常連客なのである。



その盛太郎はショーケースのベアッガイを見やる。


ベアッガイとは数あるガンプラの1つで、2010年にバンダイから発売された「HG 1/144 GPB-04B ベアッガイ」のことである。「機動戦士ガンダム」に登場するMS(モビルスーツアッガイに「ベア」に模したデザインの頭部を乗せ、ずんぐりとした胴体と茶色の基本色、「アッガイ」に「ベア」をくっつけたネーミングも相まって世のガンプラモデラーにインパクトを与えた。

ガンプラをテーマにしたアニメに登場したプラモデルが製品化されたものだが、そのアニメの続編に登場して同じように製品化された「ベアッガイⅢ」が元祖を上回るベストセラーになり、いくつかのバリエーションも続々と製品化されるほどで、今では「ベアッガイ」と言うと「ベアッガイⅢ」を指すことの方が多い。


ショーケースにあるくだんのベアッガイはいわゆる「元祖」のベアッガイのほうで、これをキャンディ塗装と呼ばれる手法を使って金属光沢のある紫色に仕上げられている。


キャンディ塗装とは、一般的には銀色で下地を塗って研磨し、そこに透明度を高く調整した任意の色を塗り重ねて乾いたあとに研磨、クリア(透明の塗料)をさらに塗る、という重ね塗りと塗装面の研磨を組み合わせた技法だ。このベアッガイではこの重ね塗る塗料に紫色が使われている。


この塗装方法にはエアブラシという、コンプレッサーで空気を噴射し、その噴射に塗料を乗せて飛ばす機材が使用される。

うまく仕上げられれば金属に透き通った塗装を塗ったような綺麗な光沢のある出来になるが、研磨や透明度の調整にしくじると厚ぼったく重たい見た目になってしまいかねない。


「丁寧に研磨してきれいに仕上がってるね。塗料の調合も良さそうだし。メモを書いたのが作った本人として、今日び女性モデラーは増えてるけど、ここまで手を掛ける人が出てきてるのは模型界にとってはうれしい限りじゃない?」


それだけに、こういう絵油模型店のような“古い”タイプの模型店のショーケースではちょっと浮くね、という言葉を盛太郎は飲み込んだ。


「そうなんだがね。まぁ、こんな店のショーケースにわざわざ女性モデラーが展示を依頼してくるというのもなんだか気になってな。いや、華やかだし悪い気はしないんだが。」


自分で言うのか、と盛太郎はひとりごちる。


たしかに、この店のショーケースにはミリタリ色の強い戦車、戦闘機/爆撃機が並び、次いで自動車、バイクが多く、ガンプラは数が置かれることは案外と少ない。

しかし、江油は自分でも模型を制作するためショーケースの中は比較的頻繁に新陳代謝している方だ。常連客に依頼したり、持ち込まれた作品を展示することも珍しくなく、週末などは近所小学生が足を止めてショーケースをのぞき込んでいることもある。要はこの店の数少ない宣伝手段としてはかなり有力な地位を占めているのである。


ここに毛色の違うベアッガイが置かれると確かに目立つし、宣伝効果としてマンネリになりかねないこのショーケースのなかなか良い起爆剤になっている気もする。



「まぁ、そんなわけでショーケースに展示するのは歓迎なんだが、なんとなくねぇ。あとほら、どんな女なのかなって気にならないか?」


にへら、っと江油の浅黒い顔がゆるむ。普段の仏頂面がどう崩れたらこうもだらしない面相になるのか・・・・

だが、男性の心理としては、顔のわからない「女性」のナニカ。というのはたしかに想像力を刺激されるものである。


「メモとプラモの製作者が同一人物とは限らないのでは?」


店内側からは展示物入れ替え用のガラス戸越しになるベアッガイをまじまじと見ながら盛太郎は江油に突っ込みを入れる。


「水を差すな。いいじゃないか、顔の見えない美人モデラーってのもミステリアスでそそられんか?」


顔が見えないのに美人かどうかはわからんじゃないか。


ショーケースを離れ、壁のような棚の間を抜けてレジのほうにゆらゆらと歩み寄った盛太郎は、レジ台に出されたメモを手に取って見た。

メモは特徴の少ない便箋に書かれており、筆跡からは女性だろうとしかわからない柔らかだがしなやかな線で、筆圧も程よく強いため高齢者ではなさそうだが、若いのか中年なのかはなんとも判断はできない。


「きれいに仕上げてるけど、わずかに塗装にムラがあるね」


「あったか?ムラなんて」


「気になるほどじゃないが、足の後ろふくらはぎのあたりや頭の面積の比較的広い部分をよく見るとね。」


盛太郎はメモをレジ台に置いて返す。


「あれは多分、経口の小さいエアブラシを使ったせいだろうな。使っているコンプレッサーが小さいか、0.3mmあたりのハンドピースしか持ってないんだろう。」


一般的にはエアブラシといえば、ハンドピースと呼ばれる「噴霧器」と、空気を吐き出すエアコンプレッサーをホースで繋いで使われるものを指す。

ハンドピースには塗料を入れるカップが付いているか塗料を入れた容器を取り付けられるようになっており、ハンドピースの先端から噴射する気流に塗料を混ぜて吹き付けられる機構を備えている。

ハンドピースのボタンを押したりレバーを引っ張ることで、噴射に乗せる塗料の量を調整できるようになっており、製作者はこれで対象に塗料をスプレーして塗装を行う。


ハンドピース先端の噴出口は直径0.2~0.5㎜の小さな穴で、この口径が大きいほど一度に広く多くの塗料を噴射できるが、十分な強さで空気が噴出されないとうまく塗料が飛んでいかない。


口に含んだ水をストローで吹き出すとき、ストローが太いほど遠くに飛ばすときに強い力で吹かなければならないのと原理は似ている。極太のストローでしっかりした水流を前に飛ばすのは大の大人でもけっこう大変だ。



「そうだな。ある程度おおきな面を綺麗に塗ろうと思ったら0.5mmのハンドピースを使うもんな。」


自分でも模型を作る江油はうなずく。模型作りが仕事の一部でもある江油はもちろん、塗装のバリエーションが広がるエアブラシは、趣味であっても多くのモデラーが愛用する機材の1つである。

筆だけで塗装する「筆塗り」が劣った塗装方法というわけではないが、キャンディ塗装などはエアブラシあってこその技法であると言える。


ただ、コンプレッサーの置き場所や動作音、なにより価格が数万円するものもあるので、、筆が1本が100円玉二枚からでも買えることを考えると社会人であっても手を出すのをためらう人も少なくない。


そこで、動作音も小さく場所も取らない、1万円でおつりがくるような低価格帯の小さいコンプレッサーは、大きな口径のハンドピースに向かなくても一定の需要があるのだ。


「エアコンプレッサーではなくエアスプレー缶を使ったかもしれないけど・・・この色とムラは見覚えがあるな。。。江油氏。ひょっとするとこの美人モデラーの顔が拝めるかもしれませんよ?」


エアコンプレッサーではなく、エアスプレー缶につないで使う形態のものもあるが、この場合はエアスプレー缶が空になると交換が必要で、最初のコストは安くあがるものの、長く使う場合は結局高くつきかねない。



盛太郎は、常連客だけが使う江油のニックネーム「江油氏えあぶらし」を口にしてにっこりと笑いかけた。丸顔の盛太郎の笑顔はただでさえ幼く見えるが、この顔はどこかいたずらっ子も思わせる、何かを思いついたときの顔だ。


「心当たりありか。いや、客のことを探るようで気が引けるが、やっぱり気になるもだからなぁ。おまえなら興味を持つんじゃないかと思っていたよ!」


気が引ける、と言いつつまったくそのそぶりも見せず、江油はしゃあしゃあと言ってのける。

このために、今朝、ショーケースにベアッガイを並べてからずーっと盛太郎の来店を待っていたのだ。


「謎の美人モデラーを探せ、ってとこですかね」


江油に乗せられたことに苦笑いしながらも、盛太郎の捜査は始まった。




============-




「うちには女性のお客さんってこないんだなぁ・・・」


そもそも常連客がぽつぽつと来るだけの江油模型店の店主はレジのカウンターから入口を睨むような顔つきで眺めながらつぶやいた。

タミヤ模型のロゴが入ったくたびれた前掛けの胸のあたりが、軽いため息とともに上下する。


ショーケースには、くだんのベアッガイがさん然と輝くように展示されている。


もしかしたら常連客の中に「謎の美人モデラー」が居るのではないかと、あれから来る客来る客の顔を眺めているのだが、この店に来る女性はほとんど居ないことを再発見しただけであった。


あれから、何人かの常連客が珍しがってベアッガイの製作者について尋ねてくるのだが、江油も製作者についてはまったく知らないとしか言いようがない。


展示に至る妙な経緯については何度も話したので、そのうちに面倒になり、「ある朝店の前に置かれてたんだよ」とだけ説明するようになってしまっている。

こういうときに含みを持たせた言い方で「謎の美人モデラー」のことを持ち出せば宣伝になりそうなものなのに、それができないのがこの仏頂面の店主なのだ。


そんなわけで、うず高く積まれたプラモデルの棚に埋もれ、江油がもんもんとした午後を送っていると日が傾きかけた時間になって入口のドアが開いて長い手足の男がひょろひょろと入ってきた。


「いらっしゃい。巴照」


巴照盛太郎は、いつも通り勤め帰りの通勤カバンを手にぶら下げ、着替えたばかりのようなパリッとしたスラックスを履き、羽織ったこじゃれた紺のジャケットの下から薄いブルーのシャツをのぞかせている。


「江油氏、ベアッガイの製作者らしき人は来店しました?」


丸顔に穏やかな笑顔を浮かべて聞くが、美人モデラーとやらが来ていないことは知っている口ぶりだ。

江油が首を横に振ると、盛太郎はやっぱりねと軽くうなずき、レジ台に肘を乗せてショーケースを振り返った。


「あのベアッガイの特徴と一致する作品が、以前M市の模型店に展示されてましたよ」


ジャケットのポケットからスマホを取り出し、盛太郎は画面を江油に見せた。

スマホの画面には、紫のキャンディ塗装で仕上げられたドムの写真が映っている。背景から察するに、今の話しに出た模型店のショーケースの展示を撮影したもののようだ。


写真は「バンダイ HGUC 1/144 MS-09 ドム」である。塗装以外は特にいじっているわけではなく、HGUCシリーズの早い段階で発売された比較的古いキットだが、今でも市場で長く売れているだけあってバズーカを構えるポーズはモデラー心を刺激するものがある。


「何年も前のことだろ?よく覚えてたな。この写真もその時に撮ったのか?」


江油は半ばあきれながらスマホの画面から盛太郎の顔に目線を移した。


「いえ、この画像は模型店の店長さんにいただいてきたものです。ブログ掲載用に撮影したものだそうですよ」


盛太郎はその模型店でも常連のようだ。この店に来ない日や週末は近隣の模型店を回りつくしてるのだろうか。


「で、そのドムの製作者が例のベアッガイの美人モデラーってわけだな?」


涼しい顔でスマホをレジ台に伏せて置く盛太郎に江油が思わず身を乗り出す。


「だったらよかったのですが、このドムの出展者は神谷三郎かみや さぶろうという男性でした」


「ええ?おとこ?」


江油の目が丸くなり、次いでがっくりと乗り出した身を戻してレジの椅子に座りこんだ。

「じゃああれか?女っぽい字を書くってだけか、カミさんか彼女だかにあのメモを書いてもらったってだけの話しだったのか?」


その可能性は考えなかったわけではないが、ここ数日の間、毎日あのベアッガイを見ていた江油は、どうにもこのかわいらしいモビルスーツが女性の手で作られたんじゃないかという気がしてならなかったのだ。

ただの希望だったのかもしれないのだが、江油の中ではそれは確信ともなっており、店の前を通って駅を行き来する通退勤のOLたちの姿をショーケース越しに見かけるたびに「もしかしてこの女性ではないか?あのではないか?」という思いを巡らせていたのだった。


盛太郎が指摘したエアブラシの違いによる塗装の特徴というのは、スマホの写真からはわからなかったが、なるほど、言われてみれば紫の色調などはこのベアッガイに通じるものがあるように思える。


それだけに、キャンディ塗装のドムとベアッガイの製作者が男性だったいうのは抵抗はあるものの否定はできない気はした。


「それはなんとも。なんにしてもこの神谷氏に話しを聞かれればはっきりすると思いましてね」


江油の落胆ぶりを横目に盛太郎は話を続ける。

江油の興味は、こんな思わせぶりなことをした神谷という人騒がせな男を少々とっちめてやらなければならないという怒りに変わりつつあった。


「連絡がついたのか?その神谷とかいう男に?」


浅黒い顔を興奮で上気させてふたたび身を乗り出す江油。


「いえ、それがお店の人も知っていたSNSのアカウントは3~4年前から更新がなく、今は使われていないようなんです」


レジ台の椅子がもう一度江油の体重を受け止めてきしむ。


モデラーに限らず、いまやSNSを利用して趣味の幅を広げようという人は多い。

プラモデルという趣味は自宅に引きこもってコツコツと作業する、というイメージがあるかもしれないが、現代のモデラーにとってもSNSは情報の取得や発信に欠かせないツールとなっている。

模型メーカーや販売店は、新商品の発売や入荷、セールやイベントの開催情報をSNSで発信するし、モデラーは制作中/完成したプラモデルを発表する場として大いに活用している。また、模型作りのテクニックやちょっとした工夫などの情報も盛んにやり取りされており、趣味人の社会性はこうしたSNSによって支えられていると言っても過言ではないだろう。



神谷氏の使っていたSNSは盛太郎を含めて広く利用されているもので、100数十文字のメッセージと画像ファイルなどを投稿し、フォローされているアカウントのユーザーがそれを見られる、というサービスを提供している。


また、他人には見られない当事者同士でやり取りできるダイレクトメッセージという機能もある。


盛太郎は模型店の店長からアカウントを聞くとさっそく江油模型店のベアッガイについて問い合わせる旨のダイレクトメッセージをそのアカウントに送ったのだが、丸一日たっても返事はなかった。


神谷氏のアカウントの最後の投稿は3年前で、その状況からみても今は見られてもいないアカウントだろうと推測できる。


「“謎の美人モデラー”から“謎の怪人モデラー”に格下げだな。じゃあ結局なにもわからず仕舞いってわけか」


やれやれという江油氏のため息が、盛太郎と二人きりの店内に響いた。


「それがそうでもないんです」


盛太郎の意外な言葉に江油が顔を上げる。


「このドムの展示のあと、神谷氏は3年前にHGUCのドライセンを出展していました」


「バンダイ HGUC 1/144 ドライセン」は2014年2月に販売されたガンプラだ。劇中ではその前に神谷がM市の模型店で展示したドムの後継の系統にあたるモビルスーツとされており、ドムが出てきたガンダムシリーズのあとのシリーズで登場している。

神谷氏が作ったのは最初にキット化されたものではなく、近年のアニメで再登場を果たし、そのアニメのバージョンのキットが出て、さらにそのあとに遡って昔のアニメシリーズの「ドライセン」がHGUCシリーズで出たという、商品化に際していわば経緯の逆転したキットだが、これもドム系統の人気の高い機体の為せる技なのだろう。


「むう、よっぽどドム好きか」


江油の作るプラモデルはミリタリーのものが多いが、ガンプラならドム、グフといった系統を好む。自分と同じドム好きのモデラーと聞いて怒りの矛先が鈍りそうになり、複雑な心境で低い唸り声が漏れる。


「出展されたドライセンは特に改造などはされていませんでしたが、武装はビームライフルを持たせていました」


盛太郎はレジ台に置いていたスマホをふたたびとり上げ、画面を操作して江油に見せた。


「ああ、確かこのキット、劇中で使ってたビームライフルが入ってなかったんだよな。スタイルが旧キットより良くなってただけに、うちの客からもそこを惜しむ声が聞かれたもんだ。」


良くわかってるじゃねーか。だんだんと神谷という男を悪く思えなくなってきた江油だが、写真のドライセンを見て気づいたことを口にする。


「しかしこのビームライフル。デザインが少し違うな?」


劇中で使われた武装とデザインが異なる。キットには同梱されていないビームライフルなので、ほかのキットから持ってきたか、ビームライフル自体を自作したかのどちらかなのだろう。


「ですね。僕もおそらくディジェか百式のビームライフルを流用しているのではないかと思いました。アニメの設定ではバウのビームライフルを共用していることになっていましたが、バウのキットを買わなかったか、そうとは知らず手持ちのキットの中から近い形状のビームライフルをベースにして自作したかでしょうね」


いずれにしても自作するうちに劇中の形状に似せる気はなくなったのかもしれない。江油はそんな気がした。俺ならこうは作らない。“だけど、これもいい”。


他人が作った模型を見ていて良く感じることだ。

同じキットを同じような技量の人間と作って比べてもやはり違いは出るもので、自分の作品と比べてここが上手い、ここは俺の方が良くできた、と一喜一憂することもあるが、なんと言っても“自分とは違うように作っている”というところを見るのが他人の作品を見ていて楽しいことの1つである、と江油は思う。


「それで、この時期に、このドライセン、特にビームライフルの自作についての投稿がないかSNSを検索しました。」


盛太郎はスマホをジャケットのポケットにしまい込んでぽんぽんとそのポケットを叩く。


「なるほど!神谷って男は別アカ(別のアカウント)を作ったんじゃないかと考えたわけだな?」


江油は思わず膝を叩いた。

どんな理由があるにせよ、模型作りをやめていないのならば、SNSもやめていない可能性はある。ほかのアカウントを登録し直してSNSを続けているかもしれない、と考えられるのだ。


大きくうなずいた盛太郎はにっこりと笑った。


「ええ、そしてCamiya3(かみやすりー)というアカウントを見つけました。3年前、ドライセンの制作過程とディジェのビームライフルの改造についての投稿があり、最近の投稿を見ても模型作りは続けているようでした」


「それが神谷氏の新しいアカウントってわけか!じゃあ、どうする?呼び出してとっちめるか?それともその模型店にまだ出入りしてるならそこで待ち受けて捕まえるか?」


がぜん鼻息を荒くする江油を制するように片手の平を向けた盛太郎が続ける。


「今日はこの調査の中間報告のためと、江油氏に1つお願いがあってきたんですよ」


盛太郎は人の好さそうな笑顔を浮かべた。


「ベアッガイが店先に置かれたのは火曜日の朝でしたよね?」


盛太郎は確認したうえでその「お願い」を江油に耳打ちした。


「じゃあ、早ければ来週の月曜までにまた来ます。」


そう言うと盛太郎は店を一巡し、塗料を2本と筆を1本、何両目だよと突っ込む気にもなれない「FUJIMI 1/76 V号戦車」を購入して帰った。


「お手頃サイズで何度作っても楽しいんですよ」


それからも店の前を通る女性を追ってしまう江油の日々が続いたが、そのたびに名も知らぬ彼女らの背中を見送っては深い深いため息をつくのだった。



========================


まだ日は長いが、先週の火曜日より暗くなるのがいくらか早くなった気がする。

江油はショーケースから見えるバス通りの上に広がる空を見上げた。


ショーケースにはキャンディ塗装のベアッガイと、今朝から新たに置かれているHGUC ドムが並んでいる。もちろん、キャンディ塗装のもので、製作者の名前は《神谷 三郎》となっている。


日曜の午後に再来した盛太郎が預けていったもので、これを月曜の夜からショーケースに置いてほしいというのが「お願い」の内容であった。


神谷三郎のキャンディ塗装のこのドムは、M市の模型店から借り受けたものだ。

M市の模型店では展示物は本人に返すことになっているが、破損や紛失の懸念から郵送はできない。そのため本人が取りにくるまで一定期間預かるが期間を過ぎたものは処分することになっている。が、実際には期間を過ぎても処分せずにしまい込んでいる作品も多いのだ。


盛太郎は店の倉庫を探してもらい、店長に頼み込んでこのドムを借り受けてきたのだが、これを探してもらうのに時間がかかっていたらしい。


商店街のバス通りは駅から吐き出される学校や仕事からの帰宅の人々が増えて来ている。足早に自宅を目指すサラリーマン、スーパーの袋を下げて今夜の献立を考え考え歩く主婦、スマホや携帯電話の画面をにらみながらふらふら歩く学生、いつもの商店街の平日の夕方の風景だ。


キャンディ塗装のガンプラがふたつ並ぶショーケースに気づいてガラス越しにのぞき込む人も居るが、この時間にそこで足を止める人は少ない。


「お。来たな」


ショーケースの向こうに、駅の方からひょろ長い手足がこちらに向かってくるのが見えた。火曜の夕方にまた来ます、と言った盛太郎が約束どおりやってきたのだ。


「まだ来てませんよね?」


店内を見回しながら開口一番に盛太郎が聞く。


「ああ、それらしい人物はまだ来てないよ」


レジ台の内側から背もたれのないスツールを出してきて盛太郎に勧めた。

盛太郎はスツールに腰を下ろし、通勤カバンからペットボトルのスポーツ飲料を取り出してひと口飲み、ふーっと息をついた。


「指定した時間は7時だよな?」


レジ台にあるデジタルの小さな置時計は18:35を表示している。


もうひと口、ペットボトルを傾けていた盛太郎はそのまま無言でうなずいた。


「神谷の新しいアカウントにキャンディ塗装のベアッガイの画像を送り、うちの店で今日の7時に待っている、と連絡したと」


肯定するようにごくごくと盛太郎の喉が鳴り、ペットボトルが逆立ちする。


「しかし、神谷三郎のドムをショーケースに飾ったのはなんでなんだ?」


ドムとベアッガイが同じ神谷の作品というならわざわざそんなことをすることもないだろうし、もししらばっくれた場合に備えて揃えるというのであってもショーケースに並べて置く意味もわからない。しかも、月曜の夜から置くようにという指示まであってだ。


「まぁ、ショーケースが賑わうから別にかまわないんだがよ」


ペットボトルをすっかり空にしてしまった盛太郎は口元をぬぐった。


「神谷氏の新しいアカウントの投稿を見ると、どうも住まいはこの辺ではないようなんです。にもかかわらず、ベアッガイはこの江油模型店の店先に開店前の時間に置かれていた。なぜM市の懇意にしている模型店ではなくて?」


空のペットボトルのラベルをべりべりと剥がし、レジ台に置く。江油はだまってそれをゴミ箱に捨てる。


「その疑問の答えのひとつはこの店に展示したい理由があった。その場合は、おそらくこのバス通りを利用する誰かに見せるためです。答えのもうひとつは、このベアッガイを店先に置いたのは神谷氏ではない誰かが居るということです」


ペットボトルからキャップが外されてレジ台に置かれる。江油はこれも手に取ってキャップはゴミ箱へ落とし、ペットボトルはあとで分別するためにレジ台の足元に置いた。


「それを神谷って男に聞こうってハラか。しかし、神谷は来るのかね。ほんとに」


「さてどうでしょうね。展示物は取りに来ない人物ですから作品にそれほど執着するとは思えませんし。でも、“どちらかの人物”は何らかの反応は示すと思いますよ」


どちらか、というのがそれぞれのガンプラの製作者なのか、店先にベアッガイの入った紙袋を置いた神谷ではない誰かのことなのかを江油が聞こうとしたとき店のドアが開き、男が一人入ってきた。


「いらっしゃい」


待ち人なのか?

緊張のためか江油の声が少しうわずる。

男は棚の陰からのぞき込むようにレジ台付近の江油と盛太郎を見て軽く会釈をした。


「あの、巴照さんって方、います?」


神谷は40代後半あたりといったところか、仕立てのよいスーツを着こなした紳士だった。年齢相応だが髪も黒々としており、スポーツマンタイプの引き締まった身体をしている。通勤カバンも巴照のようなカジュアル風味の強いものではなく、お堅いきちんとした印象を受けるしっかりしたもので、革靴もよく手入れされてあるのが分かる。やや若いが良いところの重役、といった風情だ。


「神谷三郎さんですね?僕がダイレクトメッセージを送った巴照です。」


盛太郎が立ち上がって、自分が座っていた椅子を勧めた。

江油がもう一脚のスツールを出しにあわててレジ奥に引っ込んだ。



「あの・・・ショーケースのドムは私の作ったものですよね?あのベアッガイは・・・・」


と神谷は誰かを探すように店内をきょろきょろと見回した。

スツールを見つけて持ってきた江油が盛太郎にスツールを渡す。ついでに冷蔵庫の中でも漁ってきたのだろう、ペットボトルのお茶を神谷に差し出した。


「先週の火曜日の朝、あのベアッガイをうちの店先に置いて立ち去ったのは、神谷さん、あんたかい?」


おかげでこの一週間、見知らぬ美人と謎の怪人に振り回されたじゃないか。という言葉はさすがに飲み込む。


「いえ?この店に来たのは数年ぶりでして・・・・」


観念したように椅子に腰かけ、ペットボトルを受け取った神谷は首を振った。


「でもあのベアッガイに心当たりはありますよね?実は、江油氏が今言ったように先週の火曜日の朝にあのベアッガイの入った紙袋がこの店先に置かれていたんです。ショーケースに置いてくれってメモと一緒に」


盛太郎は神谷に向き直って座り、神谷の発言を促した。

神谷は逡巡した様子を見せたが、数瞬ののちに口を開いた。


「ええ。あれはたぶん娘の作ったベアッガイだと思います。私が数年前に娘に買ってやったものでしょう」


盛太郎と江油が顔を見合わせた。


神谷がぽつぽつと語ったところによると、神谷は4年ほど前までこの近所に住んでいたらしい。

妻とひとりの娘がいるのだが、4年前に離婚し、神谷は職場のあるM市に転居したという。


「それで以前からM市の模型店にもよく行かれていたのですね」


盛太郎が合いの手を入れた。

江油が手振りでペットボトルを飲むように勧めると、緊張がほどけてきたのか手刀を切って神谷はペットボトルのキャップを外した。


「あのドムはこちらに住んでいるときに作ったのです。当時はやっていたキャンディ塗装を試したところ、小学生だった娘がキレイだ自分も作ってみたいと興味を持ったので、二人で新宿の量販店に行って選ばせて買ってやったのがあのベアッガイです」


神谷の目が細められて表情が緩む。娘と買い物をした幸せな記憶を反芻しているのだろうか。


「その後、妻との関係がうまくいかなくなりまして、当時使っていた機材や塗料は箱にしまったままこちらのうちに置いてきてて。いつか取りに来ようと思っていたのですが、妻との・・・元妻ともその後も、そのいさかいがあったりしたもので、つい・・・」


離婚後も娘とは会ったり連絡をとったりしていたようだが、元妻とはどんどん険悪になり、この近所にある元の住居にいる元妻と娘とは疎遠になっていったという。

娘の養育費などはきちんと支払っているが、必要なやり取りは弁護士を通じて行っており、弁護士の勧めもあって元妻から連絡がとれるSNSのアカウントやメールアドレスも新しいものに変えてしまったらしい。


「思い出したぞ!そういや神谷さん、あんた数年前まで何度かうちの店に来たことがあるな?2~3度ほど小学生くらいの女の子を連れてこなかったっけ?」


江油が神谷の顔を見ていて見覚えがあったことを思い出した。

船や車の模型をよく買って行ったが、一度ガンダム談義で盛り上がったことがあり、その後はガンプラも良く買ってくれた客が神谷だった。

人見知りをする娘を連れてきたことがあり、プラモデルを選ぶ父親の陰に隠れてレジのほうをちらちらと見ていた女の子のことも思い出す。


「そうそう、あの子が私の娘の珠莉しゅりです!小学2~3年くらいの頃でしたかね。今ではもう19歳の大学生ですよ」


神谷の顔に笑顔が浮かんだ。

そのとき、ふたたび入口のドアが開く音がして、店内の男たちの目が何気なく入口に集まり、その視線の先が来店した人物に刺さったとき神谷の笑顔が凍り付いた。


「・・・・・おとうさん?」


明るい色の髪をショートカットにした若い女性は、入口のドアで半身を隠すようにして店内のレジ付近の様子をうかがっている。


白いキュロットスカートと編み上げのサンダル。袖なしのピンクのパーカーとミディアムブルーのカットソーを着て大きめのトートバッグを肩かけにしてぎゅっと脇に挟み込んで縮こまっている。


ぱっちりとした目と父親似の通った鼻筋、ぽってりとした唇にはグロスが薄く塗られているが、顔色が良くないのはメイクのせいではないだろう。


店内の時間が止まったような一瞬が過ぎて、盛太郎がふたたび立ち上がり、やや大げさな仕草で無言でスツールを勧めた。


逃げるきっかけを失った女性は、招かれるまま恐る恐る店内に踏み込むとゆっくりとレジに近づきながら商品の棚を見まわした。その様子を見た江油の脳内で、あの時の女の子の姿と大きくなった彼女の姿が重なった。


「お店、、、お変わりないですね」


なんとか体裁を整えようとして大きくなった女の子はぎこちない笑顔を作る。


「珠莉、、、おまえ、、、」


神谷は口をぱくぱくとさせて言葉を詰まらせた。

珠莉がおっかなびっくりでスツールに座ると、いつの間にかショーケースまで行っていた盛太郎がベアッガイとドムをそれぞれの手にもってレジ前に戻ってきた。


二つのガンプラがレジ台の上に並べて置かれる。

ベアッガイのふたつの目とドムのモノアイがじっと親娘を見つめた。


「さて、珠莉さん。先週の火曜日にこのベアッガイを店先に置いて行ったのはあなたですね?」


「ええ・・・。大学に行く前に少し家を早く出て置いていったんです・・・その、なんだかごめんなさい」


江油の顔に驚きが広がる。


「珠莉さん、あなたは数年前にベアッガイを父親の神谷氏に買ってもらった。それをあの紫のキャンディ塗装で仕上げたのは、このドムのキャンディ塗装のことをずっと覚えていたからですね?そしてあなたはこのベアッガイを父親へのメッセージのつもりでこの店のショーケースに展示させた。違いますか?」


顔を上げた珠莉の目が盛太郎を見て大きく見開かれる。

その顔で盛太郎の言葉が事実であることがわかる。


「あなたは小学生の頃に見たこのドムを、神谷氏が置いていった機材と塗料を使って同じように仕上げたのでしょう?もちろん、ネットで塗装のことを調べたりもしたのでしょうが、お父さんが作ったドムと同じように買ってもらったベアッガイを作り、お父さんと来たこの店に展示し、お父さんに何を伝えようと思ったのですか?」


「おい、巴照・・・・」


親娘の間に盛太郎の見えない手がねじ込まれていく。

江油は思わず盛太郎に声をかけていた。自分の好奇心から始まったことではあるが、盛太郎に踏み込まれてたじろぐ親娘の様子を見ていられなかった。


「巴照さん・・・娘は私に苛立っていたんだと思います」


父親が娘をかばって矢面に立つ。


「悪かったよ。珠莉。おかあさんと喧嘩しっぱなしになってお前たちの家に行きづらくてな・・・。お前が高校を卒業してからは、その、なんだかもう子育てが終わったんだと思おうとしていた・・・・」


きっとそれだけではないのだ。

離婚に際してのさまざまなやりとり。弁護士を通じてのあれこれの駆け引き。重ねていく「離婚」という手続きの中で、神谷三郎の心はどこかで折れてしまったのだろう。


「悪かったよ。珠莉。おとうさんが、、、悪かった」


神谷の声が湿り気を帯びる。

娘はうんうんと首を振りながらもどこにも目線を向けることができずに下を向いたまま肩を震わせた。


「私、あの紫色のロボットのこと、ずっと忘れられなかった。忘れてないつもりだった」


長い沈黙が続き、すっかり日が暮れた頃、珠莉からぽつりと言葉がこぼれだした。


「買ってもらったプラモデルは、いつかおとうさんに教わりながら作れればいいな、って思ってた。でも、おとうさんはおかあさんと喧嘩して離婚して、うちを出てっちゃった。二人が喧嘩するのを見て聞いて、お父さんが出ていっちゃったのは仕方ないな、とは思っているの」


うつむく娘から目を離せない神谷がうなずく。


「私も大学生になって、生活も変わって、前みたいにお父さんに会う時間もなくなってきて、寂しかったけど仕方ないなって・・・・」


商店街のどこかでシャッターを閉める音がする。


「でも、この前、部屋の掃除をしてたらあのプラモデルが出てきた。。。もっと大きい箱かと思ってたけど、今見たら思ったより小さい箱で。そう思ったらあの紫のロボットはどんな大きさでどんな形だったか、おっきな鉄砲もってたっけ?刀を持ってたんだっけ?とか、あんなにはっきり覚えてたはずなのにだんだん曖昧になってることに気づいて。。。。そしたら、わたし、おとうさんのこともだんだんと忘れちゃうんじゃないかってッ」


怖かった。

という言葉を言いよどむ。


記憶は残酷だ。忘れることが、ではなく、忘れられないから、でもなくだんだんと思い出せなくなることが。


だから唯一まだ鮮烈に覚えていたあの紫色を、キャンディ塗装の光沢を、珠莉はベアッガイに乗せたのだ。


そして、“わたしをだんだんと覚えてられなくなる”おとうさんに見せたかったのだ。見てつなぎ留めたかった。つなぎ留められると思いたかったのだ。


「お母さんに聞けば連絡先はわかったんじゃないのか?」


江油が口をはさむ。が、違うのだ。

母親の人生はもう娘とも別れた父親とも違う線上にある。


母親を経由して父と連絡がつくことは手段として正しくても、それを母親に切り出すことは憚られたのだ。と、珠莉は思う。

自分でも子供っぽいと思うし、意味はない。むしろ、プラモデルを作って父親にメッセージを送れると思うことのほうがよっぽどバカげている。


珠莉とてこの方法が現実的で、唯一連絡のつく方法だった、といい張る気はない。


どうしても困って父親に連絡しなければならないことがあれば、そのときはしかるべき手段で確実に連絡をとっただろう。


ただ、あの日、クローゼットの奥で、もう今はしばらく会っていない父と一緒に買ったプラモデルの箱を見つけたときの懐かしさと共に沸き上がった寂寥感は、記憶の色を取り戻し、再現することでしか埋められなかったのだ。だから父が残していった模型作りの機材をしまった箱を引っ張り出し、記憶を頼りにプラモデルを作り上げたのだ。



そして、父と行ったこの模型店のショーケースに飾られることで、いつか父親が見て、おなじ寂寥感を共有してくれるのではないかという妄想でしか癒せなかったのだ。


実際、この一週間、先週の夕方に学校から帰るときにショーケースを見たときから、どことない安心感を覚えていた。父親へのメッセージ、とは言ったが、父親へのメッセージが父との思い出の店にある、という自分自身へのメッセージだったのだ。



だから今朝、ここのショーケースにあの紫のロボット「ドム」が自分の作ったベアッガイの隣に並べられているのを見て心底驚いた。学校でも今日は一日中上の空で、とうとう帰りに思い切ってこの店に何年振りかに訪れたのだ。


そしてドアを開けて店の中を見たときはまさに驚天動地の心持ちだった。


だが、久しぶりに見た父は、珠莉の記憶通りの父であった。


「会いたかったよ。おとうさん」


娘は顔を上げ、涙に濡れた笑顔で父に微笑んだ。


・・・・・・



「ショーケースにベアッガイとドムを並べさせたのはこのためだったのか?」



まだどこかぎこちない親娘が、近況やお互いの疎遠を許したり許されたりしているのを眺めて江油が言う。


「神谷氏はこの近辺に住んでないので、火曜日の朝か月曜の夜にベアッガイを店頭に置いたのは神谷氏以外の誰かではないかと思っていました。」


盛太郎が親娘を見る目は優しい。


「ただ、あのベアッガイが例のドムを作った技術や機材を真似て、あるいは同じもので作られているのは塗装ムラなどの特徴からも推測できていました。なので、ドムの製作者の神谷氏に対する何らかのメッセージがあったのだと思いました」


あの小学生の女の子がもう大学生か。それだけ自分も・・・・。残酷なのは記憶ではなく時間ではないかな、と江油は思う。


「しかしよ?SNSを特定した神谷氏がここに来るのはわかるとして、よく珠莉ちゃんが今日来るとわかったな?」



「それは単純です。平日の朝にこの店の前に置かれていたのなら、出勤か登校の際に置いていったと考えられます。ということは、同じ曜日の同じ時間にまたここを通るということですから」


なので先週と同じ火曜日の朝にショーケースにドムを入れ、珠莉にドムを見せたのだ。それではたして、珠莉はその日の帰りにこの店に立ち寄り、父親の神谷氏と再会を果たしたというわけである。


「まぁ、ほかの可能性がなかったわけではないし、今朝見ても今日寄るとは限らなかったので、珠莉ちゃんが今日来るかどうかは半々でしたけどね。でも、ドムを見た“謎の美人モデラー”がいずれ反応するとは思ってましたよ」


親娘の再会とは言っても会ってなかったは実際には一年かそのあたりだ。

気恥ずかしさもあって微妙な距離感もあるが、会話からはまたプラモデルを買いに行こうなどという言葉も聞こえてくる。すぐに手をつないでこの店に来たときのような仲の良い親娘に戻れるだろう。


「でも、珠莉ちゃん。それならお店に来て直接おれにショーケースの展示をお願いしてくれればよかったのに。だったら製作者のところに珠莉ちゃんの名札も貼れたんだよ?」


会話の外から江油が言葉を投げ込む。


「あ。だって、店長さんなんか怖いし、このお店、女の子は入りにくいですよ?」


絶句する店主の背中を、盛太郎の手がぽんぽんと優しく叩いた。


おあとがよろしいようで。

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