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7.一番好きな人


「俺、胡桃と別れる」

「え……」


約束の時間に遅れないように家路を辿りながら、克己が言った。


「おまえと付き合いたい」

「……」

「嫌か?」


克己と付き合う?

付き合うのは、嫌?―――よくわからない。


克己の事は嫌いじゃない。だけど、私には先輩がいる。

でも先輩には好きな人がいて―――


胡桃の事を考えた。


「胡桃は―――克己が私の事を好きだって……いつから知ってたの?」

「さあ?でも、ずいぶん前から分かっていたみたいだ」


克己が私を好きなんだって、胡桃が知っていた……?


克己が私の事を大事にしてくれているっていう事は分かっていた。でも、私を女として好きだとまでは―――考えが及ばなかった。……というより、先輩に夢中になるあまり、そこまで考える余裕が無かったと言うのが正しい。


胡桃はそういう事も、分かっていたのかな?

私が先輩に夢中になって落ち込んだり浮かれたりしているのを見て、自分の好きな克己がそれにヤキモキしているのを、どう思っていたんだろう?


私が先輩と別れるまで、胡桃と付き合う約束だって克己は言った。

克己が一番に好きなのは私で。

胡桃を一番にできないけど、それでもいいから付き合いたいって。




―――私と一緒だ。




胡桃が考えている事は、私と同じ事だ。


今は一番じゃないかもしれない。でも、付き合っていけばそのうち情が湧いて、好きになってくれるかもしれない。

付き合って貰うためには、例え辛い事でも受け入れなくては。

我慢していればきっとそのうち、本命を忘れてくれる日が来るって。彼の恋心はそのうち叶えられないまま……淡い雪みたいに消えてしまうだろうって。


現実的ではない。

賭けですらない。

勝負はついているんだ。条件付きの付き合いが、形を変える日は来ない。


克己の気持ちを体で感じて実感してしまった。


先輩が私を欲する事は無い。

先輩が私に恋する事は無い。


もう答えは出ている。

むしろ抱かれる度に、キスするごとに、先輩の気持ちが遠くなるのを実感するだけだ。




克己に振られる胡桃に―――私が重なる。




「克己とは付き合えない」

「……胡桃と別れても……?」

「うん」




ちょうど私の家の門の前だった。立ち止まって、克己を見上げた。


「今日は……アリガト。一緒にいてくれて、助かった」


と、言えるかどうかわからないけど。

心配してくれた気持ちは有難かった。


「おまえは……」


ギュっと正面から二の腕を掴まれる。細い目を一層細めて克己が私を辛そうに見ている。


「俺の事が好きなハズだ。自分に嘘を吐くな」

「私は―――先輩の事が……好きなんだよ?」

「本気じゃない―――恋に恋してるだけだ」


克己が歯を食いしばりながら、絞り出すように断言した。

私はその猛禽類のように獰猛な視線から、逃れようと目を逸らした。

腕に指が食い込んで痛い。本当に何でこんなに力強く育ってしまったんだろう、私の幼馴染は。


私も歯を食いしばって、堪える。

うっかり居心地の良い、その胸に飛び込んでしまわないように。何もかも―――友達も、自分の恋する気持ちも忘れて耳も目も塞いで……楽な寝床に飛び込んでしまわないように。




「……仮にそうだとしても―――」




腕に食い込んだ克己の指に力が入る。




「―――私にはできない。一番好きな人以外と付き合うなんて」




私は克己の目を見た。

その瞳は驚いたように少し大きく見開かれている。悲しそうな色を湛えて。

そして私の二の腕は、力強い握力から解放された。


射るような私の視線から、すっと瞳を逸らし克己は俯く。

十分にやいばを突き立て、傷が残るように気を付けたから。




『私が一番好きなのは、克己では無い』

『一番好きな人以外と付き合った克己の行為を、認めない』




二重の意味で、克己の心臓を切り裂いた―――つもり。

どのくらい効果があったか分からないけれど。


「じゃあ、おやすみ」


そう言って、私は門扉を開いて家に帰った。一度も振り向くことなく。







** ** **







翌週先輩とデートの日、前から行きたかったパンケーキのお店に行った。

目いっぱいお洒落をした。

先輩はすぐに気づいてくれて「可愛いね」って言ってくれる。嬉しくて頬が緩む。


腕に抱き着いて頬ずりすると「どうしたの?」と優しく聞いてくれる。


先輩はいつも通り。

後ろ暗い様子なんか、ひとかけらも見受けられない。

たぶん、あれは私の勘違いだって―――そんな気がする。

だけどもし彼が一番に好きな人と一緒だったなら。

その人と朝まで過ごしたのが事実だとしたって、先輩に後ろ暗い処など何もないのだ。もともとそういう約束だから。

結局は勝手に私が、嫉妬しているだけ。


克己だってそうだ。私をベッドに押し倒した時だって―――悪いコトをしたなんて、ひとかけらも思っていない筈だ。







ホテルに誘うと、先輩はいつも通り微笑んで連れて行ってくれた。

選んで入った部屋は何故か―――先週克己と一緒に入った部屋だった。


「あはは……」


何だか気が抜けて、笑ってしまう。


「どうした?」

「んーん、何でもない」


先輩が聞いたけど、私は首を振った。

私は先輩の胸に勢い良く飛び込んだ。先輩は私を受け止めて、後ろにあるベッドにドサリと腰を落とす。

ぐいっと乱暴に先輩の肩を押してベッドの上に押し付ける。


先輩の太腿に乗った状態で、彼を見下ろしてみる。




なんてカッコイイ人なんだろう。




長めの猫っ毛が少し乱れて頬と額に掛かっている。

野性的な男らしい輪郭と、目鼻立ち。

くっきりと二重の獰猛な目がすっと細められると、物凄く色っぽい。


胸の深い処がキュンとして、溜息が出た。


抵抗が無いコトをいいことに、先輩の厚い唇に体を倒して唇を押し付けた。

先輩がふっと息を漏らすのが分かる。


―――笑っているのかな?


私を試験するように、稚拙な口付けを受け止めている。

その余裕の態度が悔しくて……彼の耳に唇を落とし、いつも自分がされているように首筋に舌を這わせた。

そして彼の太腿を包むしなやかな筋肉に手を這わせ、ゆっくりと上を目指す。

辿り着いたソコは僅かに熱と硬さを持ち始めていて……胸が弾んだ。


私を求めてくれるのかな?

そう思うと嬉しさが湧き上がってくる。

慣れない手つきでベルトに手を掛ける。


う、うーん……人のベルトって寝っ転がっている状態で外すのって、難しい……。


手間取っていると、体の下からフッと笑い声が響いて来た。

私は真っ赤になって、先輩の顔を睨みつけた。


「へたくそ」


私は手を止め、体を起こしてぷぅっと頬を膨らました。


「嘘だよ」


先輩が体を起こして、太腿に座ったままの私の腰を正面から抱き寄せた。




「すっげー煽られた。責任とってくれる?」




そう言って、ニッコリ笑った。







** ** **







帰り道、先輩が手を繋いで送ってくれる。

先輩は「今日は帰したくない」とか、絶対言わない。時間までにきちんと送り届けてくれる。もちろん、帰らないなんて選択肢は無いんだけど……。


『あの白いワンピースの女の人は誰?』って、聞いてみようかと思ったけど―――止めた。


きっと先輩はちゃんと答えてくれる。


あの人が親戚だろうと、好きな人だろうと、堂々と説明してくれるはずだ。


決して慌ててシドロモドロになったりしない。

だって、私に知られたって私が怒ったって―――先輩の心に傷ひとつ付けるコトはできないのだから。







私の家に向かう駅の、改札の前に辿り着いた。

息を吸い込んで、深呼吸をする。


勇気を振り絞って立ち止まる。

先輩が私が動かなくなった事に気付いて、ゆっくりと振り向いた。


これは『賭け』だ。

きっと宝くじで一億円当てるよりも、ずっと低い勝率の。


何かを言いだそうと躊躇う様子の私を察して、人の流れを避けて壁際へ誘導してくれた。


前にもこんなコトがあった。

あの時は私が我儘を言って「帰りたくない」って言ったんだっけ。

先輩が笑って少しだけ時間を割いてくれた。


桜子さんに嫉妬して、自分を見て欲しくて我儘を言った。


今なら分かる。

なんてつまらないコトで焼きもちを焼いたのだろう。

先輩が桜子さんを見る目は、私を見る目と変わらなかったのに。

あの白いワンピースの女の人を見る少年のような瞳に比べれば、嫉妬する価値も無いものだ。


「先輩、私もう……無理です」

「ん?……疲れた?」


先輩が俯く私の顔を、微笑みを湛えて覗き込む。


『疲れて何処かで休憩したい』

『まだ帰りたくないから、ココアが飲みたい』


そう、私がいつものように我儘を言うのだろうと、先輩は踏んでいるようだ。


「はい。疲れたんです」


私は顔を上げて、先輩のクッキリとした双眸を捕らえた。

口元が引きつる。頬が強張って、これから言おうとする台詞を……全身が拒否しているのが分かる。


『賭け』にもならない。

むしろ相手に敷かれたレールの上をただ進んでいるだけだって、警告が聞こえるのに。




「……先輩とはもう、付き合えません。別れてください」


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