Chapter 2 ー6.15.0913ー ヨナタン&ユーリ
空を見ると昨日までの雨が嘘のように晴れ渡った空の青さが目に染みた。
レオ・チェンバレンの就任演説から三年。
六月第三土曜日、ヨナタン達はレベル・ツヴァイ第15域のテトノリールで行われる感謝祭に代理行幸する、王位継承権第四位のエリック・ルートヴィヒ大侯爵の護衛及び式典警備に同行していた。
この国、リリニア立憲王国が存在するリリニア地方は帝国ヴェルギニアの異教徒を集めたゲットーとして巨大なスラム街が点在する植民地のようなものだった。
だが、高密度特殊金属リリニウムの巨大鉱山がリリニアの地に発見される。
リリニアの地で初めて発見されたことからリリニウムと名付けられたこの金属は、高密度高強度ながら加工性に富んでおり、武器兵器の軽量化に最適な金属と言えた。瞬く間に軍事機器はリリニウム製に挿げ替えられていき、そして、リリニアも帝国の軍事力を支える鉱山工業地域としてその地位を確立していく。
産業が栄えるとともに、リリニアの人々は帝国での自分達の不遇に抗うようになっていき、長い抑圧から解き放たれようという願望は強大な帝国を何十年にも渡って苦しめる内戦となって現れた。結果、ヴェルギニア帝国はリリニアの地に王国を設立する事を認める事となるが、国王として祭り上げられたのはヴェルギニア皇族の血を引く者であり、当然その実態がヴェルギニアの植民地であることに変わりはなかった。
帝国の傀儡王家の下でリリニア人は相変わらず劣悪な扱いを受ける。差別と迫害の中で、リリニア人達はますますその団結意識を高めていき、いつしか自分達の国を作ることこそがリリニア人の至上命題となっていった。
そうした民族意識を実現したのがリリニア立憲王国初代国王、アルフレッド・ルートヴィヒであった。
今から110年前、イルカイ・デーゲンハルト率いる革命軍は、リリニア地方を古くから治める小さな貴族の当主を国王に祭り上げ、リリニア立憲王国の設立を宣言した。7年間にわたる革命戦争は、帝立リリニア総督府の陥落と傀儡王家の逃亡によって革命軍の勝利に終わる。
以来、リリニアは鉱山から産み出される豊富な資源を武器に帝国からの独立を保ってきた。
今日はその独立記念日から100日目を祝う感謝祭の式典であり、式典内で町の子供達による献花と国歌斉唱が行われる。
教会の一室に設けられた子供達の控え室に入ると、特に緊張している様子もない子供達が無邪気な様子で僕達に群がってきた。
「騎士団のバッジだ。かっこいいなぁ」
「私たちもいい子にしてたらお姉ちゃん達みたいになれる?」
やはり男よりも女子の方が子供受けは良いみたいだ。
「可愛いなぁ」トニーがしんみりと言う。
「子供の笑顔ってのは心を浄化するな。俺たちの笑いと違って純粋だ」
「俺とお前をいっしょにするなよ」パトリックが笑いながら返す。
「トニー!ヨナタン!」僕も似合わないセリフを笑ってやろうとすると、後ろから誰かに呼びかけられた。振り向くと懐かしい顔が二つ。
「久しぶりだな!」声をかけてきた二人、レオナルトとブライアンは僕やトニーと同じ孤児院出身で、騎士館配属の前までは共に訓練騎士として騎士団員を目指していた。会うのは二年振りだ。レオナルトは相変わらず鋭い目つきに金髪の短い髪を立たせており、前にも増して背が高くなっていた。一方のブライアンは気弱そうな顔とは裏腹に小柄ながらもだいぶしっかりとした身体つきで、シャツから覗く腕は相当鍛えた様子が見て取れた。
「二年振りか?」
「そっか、そうだよな。よくすぐ分かったな」
「当たり前だろ。二人とも全然変わってない」
久しぶりの再会を喜び合ってから、レオナルトは僕の隣のパトリックに目を向けた。
「えっと……そちらは?」
「パトリック・ヒンケルだ。よろしく」パトリックは僕が紹介する前に自ら名乗った。
「俺はレオナルト・ゲッツェ。こいつは、ブライアン・ロートマン」
「よろしく」
三人がそれぞれ握手を交わすのを見ながら、僕は会話を先に進める。
「まさか卒業任務先が同じとはな」
「本当だよ。スティーヴは元気かい?」スティーヴと仲の良かったブライアンが聞いてくる。
「元気だよ。今じゃ僕らのリーダーさ」
スティーヴも僕達と同じ孤児院出身で騎士団員の一人だ。成績優秀かつ誰からも信頼されるその人柄が評価されて第一騎士館の長に当たる館長を任されている。
「さすがだな。エリート騎士待ったなしか」二人とも納得といった表情で頷いている。
「レオナルト達は何の任務に就いてるんだ?」
「一応、騎士団支部の警備だ。式典中はみんな出払うからな」いかにもくだらない任務だと言いたげにレオナルトは肩をすくめた。
「僕らなんて式典で国歌を歌う子供の世話だぜ」それを聞いて、こちらも負けていないと言わんばかりにトニーも嘆く。
「つっても、要は式典会場の警備みたいなもんじゃねぇか。軍に入ってからだって大体そんなもんだろ」
「全然ちげぇよ。僕はもっとこう…軍に入ったんだ!って任務を期待してたんだよ」トニーは熱い視線を振りまきながら息巻いている。その話を遮るように、後ろから名前を呼ばれる。振り返るといつも通りの無表情でカリーナが三人を呼びに来ていた。
「マルティナ隊長が集合だって」
「分かった。今行く」パトリックが爽やかに返事をする。本当に誰に対しても好意的な奴だ。
「せっかく可愛いんだからもうちょっと愛想よくすればいいのにな」本人に聞こえないように言いながら、トニーが同意を求める目配せをしてくる。僕は何も言わず肩をすくめて見せた。
「じゃあな、お互い頑張ろう」
「ああ」
二人と挨拶を交わし、僕らは綺麗なブロンドのポニーテールをなびかせて歩き出しているカリーナの後を追った。
騎士団支部は広い中庭を囲むような構造の三階建ての建物だ。僕達、第七訓練騎士団第一騎士館所属の十六人は、その中庭に集合して八行二列に並んで隊長を待った。
「敬礼!」隊長が歩いてくるのが見えると
騎士館長のスティーヴの号令で一斉に敬礼をする。三年前、訓練騎士団に入団して一番最初に教えられたのがこの敬礼だった。右手を前に翳し左手は腰の後ろに添える。細かな角度まで厳しく叩き込まれる過程で自らが騎士団の一部となったことを自覚させられていく。今では寝呆けていても号令がかかれば同じ形を取れる。
「直れ!」号令に合わせて寸分も違わず全員が直れの姿勢をとる。
「今式典警護の指揮を担当するマルティナ・シェルホーンだ。よろしく」そう挨拶をしたマルティナ隊長は女性にしては背が高いのかもしれないが、それでも身長は160センチ半ばくらいの決して大柄な人とは言えない女性だ。それでも、その鋭い眼光と服の上からでも分かる引き締まった身体から放たれる覇気とでも言うべきオーラが、彼女自身を実際より大きく見せていた。
「今回、我々が担当するのは式典で献花と国歌斉唱を担当する子供達の警護だ。まぁ、はっきり言って危険度も難易度も低い」マルティナ隊長は僕達一人一人の顔を見渡すと、静かに、しかしはっきりと話し始めた。
「とはいえ、お前たちにとっては最後の訓練任務であり、最初の正式任務でもある。心して掛かれ」そう言って隊長はもう一度全員の顔を見渡した。
「はい!」返事と共に一斉に敬礼する。
その敬礼を見て、マルティナ隊長は少し眼光を穏やかにし、ひとつ頷いた。
リリニアの街は基本、街の中央に教会と騎士団支部があり、そこから放射状に道が伸びている。街の外周は帝国の支配下にあった頃から使われていた運河と高い城壁に囲まれ、外部からの敵に対して防衛することを想定した街の造りになっていた。この運河は国中に毛細血管のように張り巡らされ、リリニアに於いては水運こそが第一の運輸手段であった。
リリニアの地には主要な運河が五層に渡って円を描くように通っており、それら五つの運河によって区切られた区域は外側から順にレベル5・4・3・2・1と通称され、それぞれが巨大な城壁のような役割を担っている。現在ではレベル3までが支配領土であり、レベル3の外運河に船を浮かべること、つまりレベル4の地を取り戻す足掛かりを確立することがリリニア王立騎士団の掲げる目標であった。
僕達が卒業任務の為に訪れているのはレベル2の主要都市であるテトノリール。物流の拠点として栄えてきた街だ。街の東側には国中に運ばれていく物資が集まる倉庫が集まっている。
騎士団支部から再び教会の子供達の元へと戻ると、トニーが再び愚痴り始めた。
「なぁ…なんで、こんな任務が卒業任務なんだよ…?」
「こんな任務だからだろ」トニーの横に座りながらパトリックが言う。
「卒業任務なんて要は記念なんだよ。ただでさえ、実技試験での死亡問題とかで騎士訓練制度が問題視されてるのに卒業任務で死人が出たらそれこそ誰も得しないしな」
「まぁ…そうか…」トニーは不満げに口を尖らせている。
「おい、ユーリってどこ行ったんだ?」辺りを見渡しながらグレンとジルベールがこちらに向かってくる。金髪に理知的な雰囲気を纏うグレンは僕達第七訓練騎士団でナンバー2の実力者であり、館長はやりたがらなかったものの彼のリーダーシップは疑いの余地がなかった。
一方のジルベールは目にかかるほどに伸ばした前髪から覗く瞳は気弱さが現れていて、僕からしたら彼ほど器用な人を見たことはないのだけれど、本人にしてみれば自分ほど性格が騎士に向いていない人はいないらしい。
「知らね…またサボってるんじゃね?」興味もなさそうにトニーが答える。
その隣でパトリックも肩をすくめ、当然、僕だって知るわけがない。
教会中庭の日当たりのいいベンチで寝ていると誰かの足音が聞こえてきた。
チラリと見ると少年が一人そろりと近寄ってくるのが見えた。
それを確認して俺は再び目を閉じる。
足音はすぐそばで止まった。
「ねぇ」
「…」当然、無視をする。反応してくだらない会話を強要されるのはごめんだ。
「お兄ちゃんはあの人達みたいに、僕達のこと見張ってなくていいの?」
「…」
「聞いてる?」しつこい奴だ。
「寝てるの?」少年が肩に手を置いて揺すってくる。実に不愉快だ。眠りを邪魔されることほど気分を害することもない。
「ねぇねぇ!」こちらの気など知る由もなく少年はしつこく構ってくる。
「…」しばらくすると揺さぶりも止み少年が静かになった。諦めて向こうに行ってくれるといいが。
目を閉じたまま少年の行動に神経を傾ける。ゆっくりと腕を伸ばしてくる気配がする。腕の行く先は詰襟に付いている騎士団のバッチだ。
バッヂに手が触れそうになったところで、俺は少年の腕を掴んだ。
ドアが開かれた音に皆が視線を向けると、少年が一人、ユーリに引きづられながら入って来た。
「バッヂ!バッヂが欲しい!」少年はユーリの腕にしがみつきながら叫んでいる。
「おいおい…なんだなんだ」二人を囲むようにみんなが集まる。
「外でうろついていた」ユーリが無表情で少年を突き出す。前のめりによろけてきた少年の身体をカリーナが受け止める。
「お前、やっぱりサボっていやがったな!」
「…」トニーの言葉は当然のようにむしして、ユーリは再び出口へと向かっていく。
「お兄ちゃん、バッヂちょうだいよぉ!」少年はカリーナの腕の中で駄々をこねていたが、その声は部屋を出て行ってしまったユーリには届かない。
「風だな」隣でグレンが呟いた。
その言葉に怪訝そうな目を向けると、彼は呟きを聞かれた事を照れ臭そうにしながら「いや」と続けた。
「ユーリはさ、いつも俺たちの所にふと来て、風みたいに何かを運んできてはすぐいなくなっちまうだろ?」
「ああ」なんとなく分かったような気持ちになりながらも、僕は心の中で「でも」と反論する。ユーリはきっと風なんてそんな詩的なものじゃ喩えられない、そういう裏があると感じる。こんな事を言ってもきっとグレンには伝わらないだろうけど。そう思って僕は黙っていた。
少年はまだ騎士団のバッヂを欲しがっている。僕らの持っているバッヂは一人一人にICチップが埋め込まれている。バッヂ内の本人コードを認証する事で騎士団の建物内のロックや武器の使用制限を解除する事が出来るのだ。当然誰かに渡していいものではない。
「ごめんね。ほら、騎士団のワッペン」アリシアが少年をなだめている。彼女も僕と同じ孤児院出身だ。孤児院時代から小さな子供の面倒をよく見る子だった。
彼女はなぜ騎士団に入ってきたのだろう。ふとそんな考えが頭をよぎる。
そのまま孤児院の保母として働く道もあったであろうに、わざわざ軍に入ってくる理由が分からない。
アリシアに限った事ではない。僕は二年も生活を共にしてきた仲間達がなぜ騎士団に入ってきたのかをほとんど知らないままだと気付いた。
部屋の中を見渡す。トニーはいつの間にかスティーヴと一緒に男の子達と遊んであげている。グレンやパトリックは壁にもたれて何かを話しているし、カリーナやアリシアも女の子達の相手をしている。
誰もが軍の人間になる以外の道を選んでもよさそうに見えた。
そんな風に思うのは僕がみんなに興味を持ってこなかったからなのか。今日の任務を終えればそれぞれが別々の部隊に配属され、別々の道を行く事になる。二度と会わない人もいるだろう。
「君は何故、騎士団に入りたいんだい?」隻腕の面接官は入団試験の面接の最後、本当に不思議そうに僕に聞いてきた。
「僕が騎士団に入りたいと思うのはそんなにおかしいですか?」少し不満げに聞き返した僕に、彼は慌てて弁解した。
「いやいや、おかしくはない。騎士団に入るという事は、普通の人よりは命を失う確率は間違いなく高い。君がそれだけの価値を騎士団に見出した理由を知りたいだけさ」早口で話す彼は思うままに言葉を発しているようで好感が持てたし、実際入団志望の理由は誰しもが当たり前に聞かれている質問だ。
「……お金のためです」僕は少し考えて二番目の理由を答えた。というより、もともと高給を理由にしようとは思っていた。あの時の僕は何故か迷ってしまったのだ。
「ふうん」そんな僕の心を知ってか知らぬか、彼は何も言わずに面接を終わった。
彼が僕の言葉を信じたかは分からないし、おそらく大して重くも考えていなかったのだろう。だが、僕はあの時のあのやり取りが今でも忘れられない。
僕が騎士団に入った理由。それは、ヴェルギニアに帰るためだ。