桃色の部屋
いらっしゃいませ。また見学でいらっしゃいますか? お客様もずいぶんとおひ……いえ、好奇心旺盛でいらっしゃるのですね。今まで、赤、黄色、緑とご案内申し上げて参りましたが、これまでのところは、ご理解を頂けましたでしょうか。
これまでご説明したお部屋は全て、社長の執筆に関わるお部屋でございました。今回ご案内致しますのは、少し変わったお部屋でございます。
まずは、こちらへどうぞ。え? 何だか怪しい気配がなさるんですか? お客様も鋭いですね。この色の扉の向こうですが、ご覧頂くのは構いませんが、中にはお入りになられないようお願い致します。危険なのでございます。
こちらが、〈桃色の部屋〉でございます。
どうやら、社長が来ている様でございます。はい。あそこに見えるのが、弊社の社長でございます。何で黒のごついレザージャケットにレザーパンツにブーツまで身につけているのかでございますか? まあ、そのままお待ち下さいませ。あ、ほら、ショッキングピンクのヘルメットを被りましたよ。
ヘルメットと同系色のオートバイをご覧頂けましたか? その周囲には、大量の本やら漫画がございますでしょう? あちらの奥には、もう一つ続き部屋がございまして、ピアノやギター、エレキギター、バイオリンなどの楽器がございます。そしてこちら側の、そうそうあのドアの向こうには、犬やハムスター、インコなどの動物がおります。
あ、社長がオートバイに跨がりエンジンをかけましたね。これからしばらく社長はここを動かないでしょうし、うるさくなりますので、扉を一旦閉めさせて頂きますね。
もうお分かりになられましたでしょうか。趣味の部屋ですか? うふふ、半分当たっておりますよ。こちらは社長の思い出の部屋です。社長と共にあって、社長を形作る事になった物達の部屋です。これらの物達は、私が生まれた時には、既にこの部屋の中にありました。それだけ強く、社長御本人ですら意識しないまま、社長の脳内に存在し続けてきたのでしょう。
え? 書いて欲しくてきたのかですか? そうですね。私には分かりかねます。あの物達は私には話を致しません。ずっと黙ったままなのか、社長とはお話をされているのかも分かりかねます。ですが時折、エッセイには登場されておりますね。でも必ずここにいつの間にか戻っています。それだけ強く社長と結びついているのでしょう。
お気づきかはわかりませんが、社長はこの部屋の中におられる時、とても穏やかで嬉しそうなのでございます。童心に戻られるのか、姿までお子様の姿でおられる事が度々ございます。
先程何故、危険と申し上げたかですか? この〈桃色の部屋〉は、社長の夢と直接結びついております。いいえ。将来の夢ではなく、社長が睡眠している時に見る夢でございます。つまり、今社長はお休みになっている訳です。社長がここにいる時に部屋に入った場合、強制送還されます。運が良くてこの場所に戻されますが、悪いとこの会社から、つまり脳内から消えてなくなるのです。
入った事ですか? 一度だけございます。社長は幼い頃の姿をしておいででした。幼子の姿の社長は、私の手を引き、とても嬉しそうに部屋の中を見せて下さってから、静かに涙をこぼされておりました。それまでの楽しそうな顔が一変して、寂しそうな、懐かしそうな、拝見している私の方が、切なくなる様な顔をされておりました。思わず抱きしめておりましたら、そっと抜け出して、笑顔をお見せになられたのですが、まるでこれが夢だと分かっていらしゃる様な、そんな大人の笑顔でございました。
すみません。ちょっと思い出してしまいました。はい。大丈夫でございます。そうですね、後にも先にも社長の涙を見たのはそれ一度きりでございます。
私は、この〈桃色の部屋〉が好きでございます。人は誰でも持っていらっしゃると思います。例えご自分で気がついていなかったとしても、一人一つの嬉しい思い出の部屋は、存在しているものだと思っております。
あ、お帰りでいらっしゃいますか? どうぞ、お気をつけて。では、失礼致します。
そういえば、あの時にほだされちゃったのよね~。さっさと消えようと思ってたのに。
あんな健気な小さい社長を見捨てられなかった私の馬鹿っ!
しかも、夢から覚めた社長は、なあんにも覚えてないしっ!
はああああ、、、、、今のは夢でございますよ。夢。