赤の部屋
「いらっしゃいませ。本日は、どういったご用件でいらしゃいますか?」
本日お見えになられたのは、以前にもお越しになった事のあるお客様です。日本人の方で珍しくお名前が、おありになる方です。ええと、確か。
「高森光太郎様ですね」
「みつたろう。名前はこうたろうじゃなくて、みつたろう」
「私としたことが、失礼いたしました。それで、いかがされましたか。高森様は、社長が既にお書きになられたのでは、ありませんか?」
「あいつ、オレをこんな平凡な奴にしておいて、そのまま放置なんだよ。もっとかっこよくするとかさー、せめて放置しないとかさー」
なるほど。社長は書き始めたものの、そのままになさったのですね。私は、急いでその原稿を拝見いたしました。どうやら、千文字近くはお進みになられた様です。
ええと、何々……全てにおいて平凡な小学校六年生の男子がクラスの人気者になるまでのお話……のはずなのですが。
「高森様? この作品ですと、平凡で無いと成り立たない様に拝察するのですが。それに、ため息を五回もつかれていては、放置も致し方ないかと」
高森様は、大きなため息をおつきになり、ガックリとうなだれながら、
「だってさ、平凡で目立たないのが嫌だから、ここに来てみたんだよ? なのに、自分で考えて動けってひどくない? 作者なら、何か考えてくれるとかさ、こう、魔法みたいのでかっこよく変身させてくれるとかさ、してくれるとか思ったんだよ。じゃあ作者は何してるんだって思ってここに来てみたわけ」
なるほど。そういう事ですか。これでは、千文字で止まっているのもわかります。
「高森様は、随分社長に期待していらっしゃったのですね。ですが社長自ら創作したら、人気者どころか地獄に落とされるかと存じます。それでも宜しければ、社長におつなぎいたしますが」
「え? マジで? じゃあやっぱり、オレがこれからの事考えて動かないと、このままって事? マジかよ~ホントに作者なの、あれで?」
弊社の社長は、プロットといわれるものを、お書きになられません。一度書いた事があるらしいのですが、書いた途端、お客様つまり登場人物の方々は、跡形もなくいなくなられたそうです。きっと、書かれてご満足されたのでしょう。
ですから高森様が、現状を変えたいとおっしゃるならば、ご自分で動くか、今の時点、つまりため息を五回ついたところで満足して、社長の関心が薄れる日をお待ち頂くしかございません。社長が断念すれば、嫌でも脳細胞の中に戻されます。
私は、高森様になるべくわかりやすく、ご説明申し上げました。何しろまだ小学校六年生ですから。
「はあああああ」
高森様は大きなため息をもらされました。
その直後でした。
高森様のすぐ横に突然、真っ赤な逆三角形の大きな体に手足を生やした物が、ドーンと現れました。私も高森様も驚いておりますと、
「えっと、ぼく、トマレ。妖怪になった。みつたろうの仲間。よろしく」
そこへすかさず、社長の声が。
『みつたろう、そいつをくれてやろう。何が起こるのか、お前がどう動くのか見せてくれたら、書いてやろうではないか』
とりあえず、社長自ら介入される事になさったようです。あまりの事態に、理解ができないでいる高森様はそのままに、トマレ様に伺ってみましょう。
「トマレ様は、社長から何かお聞きになられていますか? 例えば、これからの事とか」
トマレ様は、大きな体ごと捻って私を見つめておっしゃいました。
「ううん。みつたろうと作戦会議しろって言われただけ」
「高森様? とりあえず、トマレ様と作戦会議なさるのが一番かと思われます。今からお部屋にご案内致しますので、こちらへどうぞ」
呆然となさっている高森様とトマレ様をご案内させていただいたのは、〈赤の部屋〉と呼ばれる所でございます。
〈赤の部屋〉と申しましても、部屋の中が、赤いわけではございません。赤い扉がついているだけでございます。
ここは、滅多に使われないお部屋で、私もご案内させていただくのは、二度目でございます。一度目は、お姿の見えない、可愛いらしい声だけの方々でございました。すぐに出て行かれたので、無事に外の世界に、旅立たれたのでしょう。
そうです。この〈赤の部屋〉は、途中で止まっている方々の為に、創られた部屋でございます。不自由が無いように、一通りの物は、揃えさせて頂いております。
ここにご案内すると云うことは、社長も投げ出すおつもりはないかと思われます。しばらく、高森様とトマレ様を、見守られるのかと存じます。
高森様とトマレ様は、お互いに自己紹介をなされながら、何かお話しをされているようです。お話が進めば、人気者になる為の作戦もできるかも知れません。
私もそろそろ受付に戻らねばなりません。
では、ここで失礼を致します。お気をつけてお帰り下さいませ。