泣かずに幸せになりたい、だれだってそう、わたしだってそう。
☆☆
洞窟の出口にはぬぅの後ろ姿があった。
わたしは、警戒態勢のぬぅの脇からひょっこり顔を出す。
身に覚えのある顔、できれば見たくない顔が目に飛び込んでくる。
「あぁー、オワリみぃつけたぁー」
クレア姫のお出迎えである。
しかもまだ、正気を失っている状態だ。
頭が痛くなる。どうやってここまで追ってきたのか、まさかぬぅと同じように飛び降りてきたのか、だとしたらもう筋肉番付に出れるほど身軽な人だ。帰ってトレーニングに専念してほしい。
大宝剣クナギも健在だ。
この洞窟は、辺鄙な場所にある。
切り立った崖の中腹―――足を踏み外せば谷底真っ逆さまな危険な場所だ。そのくせ周りは真っ暗闇なので、どうやらまだ異世界迷宮の中らしい。
洞窟の入り口付近は小さな広場―――公園程度の平らな場所がある。渇いた砂場となっているその広場はふたりの戦士に征服されていた。
洞窟を守るぬぅと、押し通ろうとするクレア姫である。
「く、クレア姫、ご無事でなによりです」
「やっほー、来ちゃった!」
「武器を納めてください、彼は敵ではありません」
「わかってるよぉ、そいつ殺してぇ、ここから出よ」
「クレア姫! わたしの話を聞いてください!」
「そんなにツラい? わかったよぉ、すぐにオワらせるからね」
話しが通用しない。
このわたしに対する執着に恐怖さえ覚える。
そう、まるで褐色のミノタウロスの怨霊が取りついたかのようだった。
一歩、また一歩間合いを詰めるクレア姫に怖気づく。
大宝剣クナギを構え、わたしたちに近づいてきた。
―――攻撃する? いやダメだ。この人は正気を失ってるだけ。青鳥さんに診せればきっと元に戻せるはずだから、殺しちゃいけない。
そんなことはぬぅにわかるわけがない。
―――仕方がない、わたしが出ていこう。
こうなったら、わたしが大人しく捕まるしかない。
どんな目に遭うかわからないけど戦うよりは被害は少ないだろう。
しかし、ぬぅは手の甲でわたしを払いのける。
さがっていろ、とでも言いた気だ。
―――戦う気だ、とすぐにわかった。
「だ、だめ! その人はおかしくなってるだけなの! わたしが何とかするから……」
ぬぅの咆哮が脳を揺らす。
わたしの声は掻き消され、耳を押さえるしかなくなる。クレア姫も、剣を落とすまではいかなくとも思わず鼓膜を守らなければならないほどの轟音だった。
咆哮が合図となり、ぬぅの身体を動かした。
一直線にただクレア姫のみを見据えた突進、おそらく直撃すれば崖のそこまで弾き飛ばせるだろう威力を秘めた渾身の体当たりだ。敵であり、意志疎通できない以上排除するぬぅの考えは仕方のないことだった。
どうしようもない隙をつくり、避けられない攻撃を仕掛ける必勝の策。
野生で培われたぬぅの勘は、冴えていた。
だが忘れてはいけない。相手もまた百戦錬磨であることを。
クレア姫は、ぬぅの突進に合わせて剣を振るう。
―――静寂が二人を包む。
ふたつの影が交錯し、そして勢い余ったところで静止した。振り切った体勢で硬直するクレア姫と、まるで時が止まったかのように、タックルの姿勢から戻らないぬぅの姿があった。
ぬぅがゆっくりとこちらを振り向く。
喉が、パックリと口を開けていた。
―――出血、傷口から水色の血が噴き出した。
まるで本物の雨、ぬぅは喉元からあふれる血を止めようとすることなく、まるで他人事であるかのように眺める。
そして、そのままむぅは仰向けに崩れ落ちた。
―――すこし遅れてわたしの悲鳴、なんて叫んだか憶えていない。
ただ自分の涙と、ぬぅの返り血でわけがわからなくなっていた。血も涙の一種だと聞いたことがあるけれど、だとすればわたしもまた出血してるのだろう。
心にポッカリと大きな傷ができてしまった。
まだ温かい、ぬぅのところへと駆け寄った。
ぬぅを抱きかかえる。虚ろな目、取り返しの付かない量の出血を前に、わたしはどうすることもできなかった。なにもできない自分が悔しくて仕方なかった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
わたしは謝るしかなかった。
ぬぅに助けられたこと、クレア姫を見限れなかったこと、わたしがもっと早く洞窟を出ていかなかったこと、そしていまこうして謝ることしかできないこと、ぜんぶに謝った。
ぬぅはうっすらと目を開けてこちらを見ている。
しかし、唸ることもない。耳をパタパタすることも、目をパチクリすることもない。
ただ、わたしだけを見上げている。
ほどなくして、わたしの腕の中でぬうは息絶えた。
眠るように息を引き取っていった。
★☆
ずるずる、と何か引きずる音がする。
クレア姫―――大宝剣を地面に引きずる音だ。ぬぅの亡骸を抱きかかえたわたしに近づいてくる。トドメを刺すつもりなのだろうか。どちらにせよいまのわたしには抵抗する意思も、クレア姫を殺せる覚悟もないのでどうしようもない。
クレア姫は、大宝剣クナギから手を離す。
重力に負けて、ものすごい重さを誇るクナギは地面に突き刺さった。
「私が、オワリを泣かせてしまったのか」
どこか懐かしい口調、
クレア姫は素面に戻っていた。
おそらくぬぅの血―――その限りなく水に近い出血を浴びて、クレア姫は正気に戻ったのだろう。タウロスの血を浴びるといろんな効果があるのかもしれない。
まさかこれを狙っていたのか。今となってはわからない。
しかし、ぬぅの満足してたのは間違いない。
そう確信できるほどに、ぬぅの死に顔は穏やかだった。
「すまないオワリ、私は……」
「話しかけないでください。いまは……今だけは……」
「……すまない」
だれに謝っているのだろうか、と思ってしまう。
殺してしまったぬぅに対してか。
泣き崩れるわたしか。
それとも両方か。
まあどっちにしろ後の祭りだ。
もう取り返しがつかないのだから。
死んだ者は決して帰ってこないのだから。
★★




