第二回 見た目で損するケモノ、得するバケモノ。
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「誰か、だれかいませんかーっ」
尾張いな子はただいま迷路を攻略中。
大理石の立体迷宮―――螺旋階段や枝分かれした横道、高低差の激しい迷路は小さい身体にこたえた。上へ行けばいいのか、下へ行けばいいのかわからない。 だからあくまで元の診察室へ戻れる程度の遠征だった。
青鳥真坂を探すため、立体迷路の谷底へと下る。
こういう大きな建物は、下へ向かうのがセオリーだから。
しかし、呼べど叫べど青鳥真坂の姿は見当たらない。
歩ける範囲は探したのだけれど、見つからないのである。
「青鳥真坂さん、一体どこにいるのかな……?」
かれこれ小一時間が経つ。
持っていた携帯電話で時間を確認することはできた、しかし電波は立たず、ネットにつなげることもできない。もっと調べたいが電池が赤になったので仕方なく電源を落とした。
―――いい加減に疲れてきたなぁ。
もう帰って寝たい。ただし永眠だけど。
そんな冗談を考えている間に、気づいた。
いま下って来た道が、なくなっていることに気付く。
「……え? いや、ちょっと、やだ!?」
急いで戻るが無駄だった。
複雑に入り組んだ迷路は、まるでわたしが戻るのを意地悪で邪魔しているようにあるようだった。さっきまでたしかにあったわたしの居場所は、あっという間に失われてしまう。
―――迷子、完璧に迷子になった。
背筋にゾッとするものを感じた。
このまま何もない場所で、取り残される恐怖。
「どうしよう……青鳥真坂さん、あそこに帰ってきてるかもしれないのに」
わたしは激しい後悔に襲われる。
どうしてあそこで大人しくしていなかったのか。
見たこともない景色に心奪われて探検してしまったのか。
目印をちゃんと残しておかなかったのか。
―――わたしの頭は、本当に残念だ。
脳みその方も九歳児に戻ってしまったのかもしれない。
「わたし、なにやってもうまくいかないよ」
本当に泣きたくなる。
世界より先に、わたしが終わるべきなのだ。
――――ぉぉぉっ、と。
「……ん? いま何か聞こえたような」
人の声、おー、おー、と叫ぶ声である。隙間風に交じってたしかに聞こえる。
野球部の発声にも似た音を、わたしは聞いた。
―――とにかくわたしは走った。
その人に青鳥真坂さんのことを聞けばいい。ここまで進んだかいがあった。
わたしは喜びに打ち震えた。
―――人の気配がする……!
通路に隠れたせいで姿を確かめることはできなかったが、だれかいることは間違いなかった。なにか電話で話しているようにも聞こえるくぐもった声。
わたしは、弾む心臓の鼓動をギュッと握りしめる。
―――人に、会えるんだ!
「あ、あの! 青鳥真坂さんですかっ!」
しかし、わたしの期待は脆くも崩れ去った。
結論的に、わたしの見つけた彼はおよそ人間とは呼べなかった。
んっも――――っ、と言葉にならない答えが返ってくる。
彼の顔が―――牛のものだった。
牛男、たしか日本の獄卒に牛の頭を持つ『牛頭』という妖怪がいたが、イメージはそれにそっくりだった。身体は大きく、ところどころに体毛が生えている。大きな頭を支える極太の首、筋肉質な手足を持っている。
「す、すみません。人違いでした」
―――め、目を合わせちゃダメ。絶対。
いや、目を放しちゃダメなんだっけ? でもそれどころじゃ……。
そして、牛人間がゆっくりとこちらに動く。
ズシン、と重量感のある足どり。思ったよりも近い。
怖い。
怖い怖い―――殺される。
どんどん近づいてくる足音に、血の気が引いていくのを感じた。蛇に睨まれた蛙もこんな気持ちなのかもしれない。子どもの身体に関係なく怖い。
そして、牛人間はわたしの顔を―――。
「―――っっく」
俯いたわたしの顔を、グイッと上げさせた。
顎に添えられたゴツゴツした手、厚手のバスタオルにも似た感触だった。
大きな顔、つぶらな瞳、頭には二本の角。
間違いなく牛―――黒色の雄牛である。
―――ザラりとした感触が頬を伝う。
牛人間の舌で顔を舐められたと気づくのに、時間がかかった。
「――――っつ、あう」
全身に鳥肌が立つ。
この牛人間が気のせいだと、そんな淡い幻想は即座に消える。間違いなくこの牛人間はリアルにわたしの目の前にいる。夢なんかじゃない。夢ならわたじは最初の自爆事件で目が覚めているはずだから。
―――この牛人間、本物だ。
震えるわたしの顔を鼻に近づけて、スンスンと鼻を鳴らした。
―――あ、もしかして、匂いを憶えているのかな。
犬や猫が人の匂いを憶える仕草、あれに似ている。
―――もしかして、大きいだけで猫や犬と同じなのかも……?。
わたしは思い切って、牛人間の顔に触れた。
柔らかい、ベットのシーツ、一番近い感触がそれだ。
サラリと指を抜ける感触はクセになりそうだ。
そして黙って牛人間は撫でられてくれる。
思ったより、ずっと可愛い生き物なのかもしれない。
そして、わたしは思い切った行動に出るのだった。
「ね、ねえ……『青鳥真坂さん』って知らない?」
牛人間とのコミュニケーション。
それは、わたしにとって初体験だった。
小さく、本当に小さく牛のように唸る。
―――返事! わたしの声に反応した!
「え、なに? 知ってるの? 知ってるなら教えて」
目をパチクリさせて、さっきより少しだけ長く鳴いた。
「お願い、わたしがいま探しているの、青鳥真坂さんは――」
˝ん˝モ˝モ――――ッッッ、と重々しい返事がきた。
―――すこし遅れて、わたしは耳を覆った。
想像を絶する大音量の咆哮がわたしを襲ったのだ。
牛男の咆哮は、明らかに威嚇だった。
―――あ、ヤバいなコレ。
謝罪するより、牛男の手が早かった。
彼はわたしの身体を両手でガッシリと捕まえたのだ。
「え、あ、いや――――」
牛人間はわたしの身体を軽い荷物のようにヒョイと持ち上げると、そのまま抱え込んだ。この感覚は電車やエレベータに近い、自分の全体重を不確かなものに委ねる感覚である。
しかも牛男の場合、どこへ向かうのか知れたものではない。
「す、すみませんでした―――謝ります。ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい。放して、放してくださいっ! お願いしますっ、お願い―――します、から」
牛男は耳を貸さない。
わたしを抱えて、どこかに連れて行こうとする。
あの反応を見るからに、青鳥真坂さんのところではないことは間違いない。
「あ、ああ―――やっぱり」
ほんと、わたしは何をやってもダメだ。
そして未練ったらしく、わたしはまた思ってしまう。
―――だれか助けて、と願ってしまう。
こんな時に都合よく登場するヒーローなどいない。
しかし――――準備よく現れる人影はたしかにいた。
人は彼を、異世界最強と呼ぶ。
「もう大丈夫だよ、安心して」
落ち着いた雰囲気のある声。
牛人間は声の方へ振り向く直後、悲鳴を上げる。
一瞬で、懐へともぐりこんだそのおじさんは牛男の鼻を掴んでいた。ガッシリと掴んだ左手の指は、鼻に深々と食い込んで決して放さない。
「もう心配いらないよ、『タウロス』は鼻を押さえたらなにもできないからね」
おじさんの言った言葉は、本当だった。
牛人間―――『タウロス』は動けない。
わたしを抱えている腕にも力が入っていないのだ。
これならわたしが本気で暴れればなんとかなるのではないか、と言えるほどまでに弱弱しいものになった。
おじさんは、残った右手でわたしを引っ張りだしてくれる。
「怪我はないかい?」
「は、はい。ありがとうございます」
「獣人族に話しかけるなんて、面白い子だよホント」
不健康そうな白衣のおじさん。
髪は茶色に染め、サングラスをしている様はちょい悪おじさんである。牛人間には及ばないものの、なかなかの長身とワイルドな風貌はインパクトがある。
わたしを助けてくれた、白衣のおじさんである。
牛男は、鼻息を荒くしていた。
おじさんに鼻を押さえられてから手も足も出ない。空いた両手で反撃できそうなものだけどそれもしない。本当にこのおじさんの言う通り『なにもできない』と言った感じだった。
「とりあえず、この『タウロス』にはご退場してもらおうかな、っと!」
男は、ズルズルと牛男を引っ張っていった。
タウロスは逆らおうともせず、ただ引きずられるだけである。
おじさんの怪力、なんて馬鹿力。
おじさんが向かう先は、通路の端っこ。
つまり立体迷宮が作り出す底なしの闇である。
そして、タウロスをそこから引きずり落とした。
鳴き声、どこか哀愁漂う声。
迷宮の闇にコダマするタウロスの悲鳴は、しばらく反響した後、ついには聞こえなくなった。地面に叩き付けられた音がしたような、しなかったような気がする。
「はい片付いた。後片付け終了ってね」
圧巻の退治劇。
そしてなんとなく、わたしは知っていた。
白衣を着ているのだから、当然と言えば当然である。
「あなたは、もしかしてあなたが……」
「僕が青鳥真坂だよ、異世界最強のお医者さんだ」
白衣でサングラスのちょい悪おじさん。
わたしの探してきた希望は、とても個性的な人だった。




