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だれだって『現在』は未経験だから、なにが起こるかわからない。

 ☆☆




わたしの涙はすぐに引っ込んだ。

一時的なプレッシャーから解放された安心感からくるものでもあったのだろう。こんなわたしでも涙を流せることに自分自身びっくりしていた。

それでも少しだけ、ほんの少しだけわたしは自分をほめてあげたい気分だ。

クレア姫を守り、自分を守ったことを褒めたい。 


ミノタウロスの血に塗れたクレア姫がいた。

「だ、大丈夫ですかクレア姫。すごい血まみれですけど」


「……あ、ああ大丈夫よ……大丈夫。わたしはこいつの首を刎ねるから、血がかからないように、離れてて」


「クレア姫も汚れちゃいますよ」


「これだけ汚れてたら、すこしくらい平気よ……ぜんぜん平気ぃ」


 クレア姫は少し疲れている様子だった。

 無理もない、命を懸けた戦いの後なのだ。

クレア姫はミノタウロスの首を切断する。首を上げなけれは対峙した証拠にならないのでこの作業は討ち取り手であるクレア姫におまかせした。そもそも魚より大きな生き物を捌いたことがないわたしに、やれと言われて出来るか怪しいものである。


わたしは、戦果を報告するために出口へと歩いていた。

―――終わった。ついに終わった。

やっとこれで呪いが解けると安堵していた。ものすごい達成感、生きているだけで充実感を味わうことができた。すばらしい、生きてるだけで素晴らしい。

これで帰れると思った。




だが、カサカサと何か物音がする。

決して気のせいではない。生き物の気配がするのだ。

わたしは音のする方へと振り向く。しかし、石柱が規則正しく並んでいる以外に変わったところはなにもない。ミノタウロスとの戦闘でできた痛ましい傷跡と、ミノタウロスの骸が転がっているだけだ。



――――まだ何か、起きようとしている?



甘い匂いがする。腐った果実の匂い。

――と、後ろから思いっきり抱き付かれた。



「オワリぃ、つかまえたぁ―――ッ」



振り返ると、クレア姫がいた。

よく見ると、クレア姫の顔が赤くなっているのがわかる。身体から伝わってくる体温はとても熱い。まるで湯たんぽのようだった。性質の悪い酔っ払いのようだ。


酔っていた、これはアルコールだ。

ミノタウロスのフェロモンにあてられたか、はたまた別のなにかか。

クレア姫の抱擁で、わたしは身動きが取れなくなっていた。

そして、姫はわたしにほっぺたをこすりつけてくる。


「ああ。オワリ可愛い。かわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいよ」


「く、クレア姫、離してください」


「いやいやいやぜったいにぃ、ぜぇったいに離さないよぉ――」


「ち、ちょっと、クレア姫―――ぁ痛いッ!」


 身体が締め付けられる。なんて力だ。

 目がくるぐると回っていた。

 正気じゃない、完全に酔っている。

 クレア姫は、わたしの身体をグイッと持ち上げた。


「スキスキだいすきぃ、私とケッコンしてぇ、おヨメさんにしてぇ!」


「―――ぁはッ、クレア、姫――――ぐぁ―――」


 肺が潰されて―――呼吸が―――できない。

 このままでは―――死。

 わたしの身体は、汗ばんでいたことに気付く。

 熱いクレア姫の体温が原因か、それとも抱き締めつけによる息苦しさが決定打かはわからないが、とにかくわたしの身体は汗でべとついていた。


 だからこそ、わたしは脱出できる。

 上着を犠牲にすることで、わたしはクレア姫の抱擁から抜け出した。


 シャツ一枚で、わたしは地面に転がるようにして逃げる。

 急いでわたしは距離を取った。

 しかし、クレア姫が追ってくることはない。それどころか今度はバッテリーの切れたロボットであるかのように、動かなくなった。そして代わりにシクシク、と鼻をすするような音が聞こえてくる。


 クレア姫が泣いていたのだ。

 もう何が何だかわからなかった。


「オワリは私のこと、キラい?」


「え、いや、きらいではないですけど」


「じゃあ私のこと、スキ?」


「どうしたんですか、キャラ違いますよクレア姫」


「やっぱり私の事キラいなんだぁ―――ッ! あーもう死んでやるぅ―――ッ!」


 まるで人が違ったようだった。

 おまけにわたしの『死にたいキャラ』まで奪われてしまった。

 わんわん泣くクレア姫を持て余していたわたしは、閃く。



 青鳥さんに、お医者さんに相談だ!



 まだ扉の外にいるかもしれない。呼べば顔を出してくれるかもしれない。

 こういうよくわからないことは、青鳥さんに聞こう。

 すると、クレア姫が泣き止んでいることに気付く。

 彼女は、あろうことか大宝剣・クナギの切っ先をわたしに向けていたのだ。




「嫌われるくらいなら殺すぅ、オワリを殺してぇ、私も殺してぇ、ハッピーエンディングぅ」



 ―――冗談じゃない。だれが幸せになるんだよ。

 いまのクレア姫、目がやばい。

 正気を失っている。言葉もどこか幼い感じだ。



「あはは、いただきまぁす」


 クレア姫は振りかぶる。

 わたしは即座に身を横へとかわした。

 一瞬遅れて、ザクンッと鈍い音が響き渡る。

 入口の扉に、大宝剣クナギが突き刺さった。


 ――うわ、本気、逃げなきゃ。

 さすがに突き抜けることはなかったが、それでも充分にわたしを殺すことができる。逃げるしかなかった。部屋の隅々まで逃げ回るしかない。

 一秒でも長く、生き残るために。


「あぁー、オニゴッコかしらぁ? うふふふふ、逃がさないぃ絶対に逃がさないわよォ――――あはははははは、」


 速い、わたしより少し速い。

 あんなに重そうな鎧を着ているくせに、シャツ一枚のわたしより全然速かった。

 違う、クレア姫が速いんじゃない。わたしが遅いんだ。

 もっとも、逃げ場のないこのボス部屋でどうすればいいのか。


「きゃはははは、まてまてぇ―――」


 身を隠すための石柱を盾にする。

 これなら、身体の小さいわたしが有利になるはずだ。いつも柱の影に隠れるように、ぐるぐると回れば多少の時間は稼げる。青鳥さんが来るまで耐えればなんとかなる。

 耐えればどうにかしてくれる。


「あは、無駄よ無駄。せーの」


 鋭い音、わたしの頭一個分上を黄金の刃が通り過ぎる。

 回転、高速に回転した刃は石柱を一息に寸断した。斜めに斬りつけられたわたしの依り代は、すこしの余韻のあと、ゆっくりと滑り落ちていった。


 前転、そしてわき目もふらずにダッシュする。

 しかしどこへ逃げればいいのだろう。

 扉はダメだ、階段が崩れているから追い詰められてしまう。

 窓もダメだ、下は底なしの闇。壁伝いに降りられれば可能性はゼロではないが、わたしにそんなずば抜けた身体能力はない。高確率で落ちて、エンドである。


 そして、わたしは知る。

 人生は何が起こるか予測できないことを知った。

 柱の影から、人影が顔を出す。



 ★☆



 ―――ミヌタウロス。

 わたしが最初に出会った獣人類。それもあの時出会った個体と同じである。直感ではあるが、目つきと身体の匂いが似ている。まったく一致していた。

 手にするは二又の槍、かなり大きい。

 わたしは、行く手を阻まれた。



 ―――よりによっていま現れないでよもう!


 振り返ると、クレア姫が迫ってくる。

「今度こそぉ、いただきまぁああああす」


 二対一、しかも逃げ場はどこにもない。

 わたしは、おそらくこの状況で最低の行動をとった。



 ―――頭を抱え、その場でしゃがみこむ。

 限界だった、精神的にも肉体的にも容量一杯だった。仕方ない。ここまで頑張ったのだから、もういいだろう。この追い詰められた状況で、これ以上わたしができることはない。下手な抵抗はせず一瞬で殺されたほうがいいに決まっている。


 そう言い訳したわたしは、人生を放棄した。

 しかし、本当に人生なにが起こるかわからない。

 捨てる神あれば拾う神あり。

 世間の半分は敵だが半分は味方という言葉があるように。

 わたしにもまた、拾われる価値はあったようだ。




「……え?」

 わたしは目を疑う。

 ミヌタウロスは、わたしを跨いで通過した。そして対角線上にいるクレア姫に体当たりをしたのである。完全にわたしにしか標準が定まっていなかった彼女は、壁まで飛んでいった。


 ……ミヌタウロスが、わたしを守ってくれた?

 そういえば、青鳥さんが言っていた。彼らにとって人間とは犬猫のようなものだと。つまりこのミヌタウロスは、猫同士の喧嘩を止めたのと同じ感覚なのだろうか。いじめられていたわたしを助けてくれたのか。



 本当のことはわからない。

 たしかなのは、庇ってくれたことだ。

 ミヌタウロスは黙ってわたしの手を取った。


「あ、ありがとう。おかげで助かったわ」


 言葉が通じるかはわからない。だからせめて誠意だけは伝わるように厚いゴムのようなミヌタウロスの手をそっと握り返した。言語がなくても伝わるものがあるだろう。それこそ私たちと犬猫が意志疎通できるように。

 そして、ミヌタウロスはわたしの身体を持ち上げる。


「え、ちょっと、なに?」


 最初の時と同様に、わたしはミヌタウロスに抱えられた。

 あの時は突然のことでパニックになったけれど、今回は大丈夫だった。敵意はないはず、荒っぽいマネはしないはずと予測が出来るからだ。


 これは猫と同じ扱い、と自分に言い聞かせる。


 車に乗っているのと大差ない、と自分を慰める。


 しかし、ミヌタウロスは窓の珊によじ登った。



「え、うそ、うそでしょ?」


 眼前には底なしの闇。

 深さはわからないが、死ぬには十分な高さなのはわかる。ガッチリホールドされているので、わたしはどうしようもない。



 フワッと身体が浮いた気がした。

 しかし実際には真逆で、底なしの闇へと飛び降りたのである。


 悲鳴を上げる。

 実に女の子らしい悲鳴を上げた。

 そして、天井がずっと遠くなったころ。周りが闇だらけになった時。

 わたしの意識は、プツンと電源を落とすように途切れた。



 

 ★★

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