第一回 だれでもできる異世界への行き方
異世界ものに初挑戦します。
☆☆☆
目を覚ますと、白いベッドの上にいた。
ゆっくりと身体を起こし、状況を確認すると驚きのあまり感想を声にしてしまう。
「ここどこ? わたし寝てたの?」
わたしの知らない場所だった。
ちょっと清潔感のある空間。学校の保健室だと言われればそんな気もする。生暖かい風とアルコールの香りが奇妙な雰囲気を盛り上げている。なによりモノクロ映画を見ているような現実味のない空間が鼻に付いた。
わたしは起き抜けでボーっとする頭で一生懸命に考える。
……どこかの病院? 救急車で運ばれたのかな?
それにしては、人の気配がなさすぎると思う。
薄暗い部屋を見渡して、状況把握とともに出口らしきドアを見つける。
とにかくわたしは、この部屋から出てることにした。
「なんでわたしはこんなところに―――ぎゃん!」
顔面を叩かれた衝撃に、わたしはしゃがみこんだ。
不意打ち、としか言いようがない。鼻を強く打ったわたしは、堪え切れない痛みをかみ殺すしかなかった。鼻が潰れなかっただけマシなのかもしれない。
そして、すぐにわたしの顔をうったモノの正体を知ることになる。
それは壁一面に取り付けられた――――とても巨大な鏡であった。
どうやら鏡に映った虚像のドアに向かって体当たりしたらしい。
「か、鏡……? こんなイージートラップに引っかかるなんて……いな子一生の不覚」
不思議な魅力がある特大の鏡である。
それもぶつかった衝撃で小さなヒビが入ってしまったようだ。わたしの体当たりで、鏡を傷物にしてしまったらしい。
――――やばい、弁償しろって言われたらどうしよう。
拭いても直らないのはわかってるけど、気休め程度に鏡を磨く。
そんな鏡に、慌てているわたしの姿が映り込んだ。
『鏡の中にいるわたし』を見ることで、かなり冷静になれた。
わたしであって、わたしでないもの。
幼いころにまで退行した自分の姿を見て、また独りごとを言ってしまう。
「……やっぱり、わたしって小さいままなんだ」
肩まで伸びたボサボサの黒髪、どこか虚ろな瞳、すこし大人びた九歳ぐらいの幼女の姿。
まぎれもない、わたしの風貌だった。
本当の尾張いな子は十九歳、胸もぺちゃんこではなかったし、身長だって今より二十センチは高かった。
それなのに気が付けば両方とも縮んでしまっていた。家にある服が全部ダメになったので、子供用の服を買うのに苦労した事件は記憶に新しい。
見た目は九さい、頭脳は十九歳。その名は尾張いな子。
―――すべて思い出した。わたしは会いに来たんだ。
この病を治せるかもしれない医師にこれから会いに行くんだ。
★☆☆
話は少し前にさかのぼる。
病院の一室から、わたしの異世界召喚は始まった。
「結論から申しあげますと、我々の手に負えませんな」
老いたベテラン医師から、目に見えないサジを投げられた。
数時間もの検査の結果が、これまでとまったく変わらない『原因不明』『治療不可』の二文字で完結していくのは精神的にグラッとくるものがあった。
わたしが知る最高の医師でも、ダメだったのだ。
「『十九歳女性が九歳児にまで退行する』だなんて現代医学的において効果的な治療できるものはまずおらんでしょう。仮にもベテランと呼ばれるこのわしがこの様で、本当にすまんねえ」
未知の病―――まだ存在が証明されていない偶像的な病。
宝くじに当たるよりずっとシビアな確率であるが、わたしは病魔に侵された。
わたしはそうですか、と穏やかに言う。
動揺はなかったし、絶望することもなかった。
何人もの医師に同じセリフを吐かれたのだから、わたしの中ではもうすでに耐性が出来あがっていた。ありえない、ありえないと言われ続け、ゴミを見るような目で蔑まれて今日ここまで来たのだ。
もう、限界だ。
お金も底を尽き、他に行く当てもない。
この病院を出たら潔く死のう。そのつもりで家を出ていた。
荷物もまとめてあり、遺書もちゃんと残してあるから臆する必要はない。
―――あとは、どうやって死のうかな。
理想の死に様を思い描いてる最中、ベテランの医師は気がかりなことを言う。
「しかし、方法がまったくないわけじゃない」
「……え?」
「未知の病に詳しいものを、私は知っている」
「はぁ、そうですか」
もうわたしにはどうでもよかった。
どうせその医師も同じことを言うに決まっている。何度も期待して、裏切られ、ついに諦めることが当たり前になっていた。最初から希望を持たなければ絶望することなんてない。
それでも救いを求めて病院へ通う自分に、本当に嫌気がさした。
そんなわたしの心に、風が吹き込んだ。
「青鳥真坂先生ならなんとかしてくれるでしょうな」
絶対に、と強調して言う。
いままでの弱弱しい言葉とは打って変わって力強い。なにか確信めいたものを秘めた発言に、わたしはすこしだけ心が躍った。
―――青鳥真坂、先生か。
その『青鳥真坂』という人物が頭から離れなくなってしまったのだ。
これでは安心して死ぬことはできないではないか。
「ただし、覚悟が必要なんだなこれが」
「……覚悟、ですか?」
「今の自分を本気で変える覚悟がいる。本当にもとの十九歳の身体をどうしても取り戻したいと希望しないと、青鳥くんを紹介することはできない。それが彼から突きつけられたルールなんだ」
今の自分を変える覚悟。
なかなかどうしてカッコいい。
「どうしなさる? 別に強制じゃないよ」
「お願いします、可能性があるのならわたし、なんでもやります!」
「まぁ、その元気があれば問題ないでしょうな」
わたしの即答に対して、ベテラン医師はうれしそうに笑う。
失うものがないわたしだから、覚悟なんて簡単だった。
「それで、青鳥先生とはいつ会えるんですか」
「いますぐ行ってもらうよ」
「はい、……はい?」
「おーい。『アレ』やるから準備してー」
看護婦さん二名が奥から出てくる。
ふたりは診療室の機器を片付け始めた。
そして、両側の壁にかかった白い布をバサッと取り払う。
大きな鏡が二枚あった。それもわたしを挟み込むように。
―――あわせ鏡。
すこし汚れた巨大な鏡たちはまるでわたしの姿を無限に映し出すようだ。
そして、ふたりの看護婦さんはそくささと離れる。
まるでそう、避難するかのように奥へと引っ込んでいった
「あの……これからなにが起きるんですか?」
「ぜんぶ私に任せなさい、それより鏡の中にいる自分をジッっと見るんだ」
言われた通り、左右逆のわたしを凝視する。
手入れが行き届いてない黒髪、ストレス過多で疲れた9さいぐらいの女児。
文句なしのわたしが虚像となって鏡に映り込む。まるで鏡の中にいくつもの世界が連なっているかのような映像は壮大であり、診察室の空間が一気に広がった感じがする。
―――――しばらく、お待ちください。
テンプレ通りのセリフを言うベテラン先と私である。
ただジッと、鏡とにらめっこが続いた。
「……」
「こんなこと、なんの意味があるんですか」
「…………」
「先生、なにを考え――――て?」
そして、激しいめまいに襲われた。
こめかみを突く頭痛と吐き気に、思わず椅子から倒れてしまいそうになったのだ。ぐにゃり、と鏡に映った自分の顔が歪んでいく。
―――これは酷い、風邪をこじらせた気分かも。
最悪な気分だ。目の前が白黒と点滅をはじめ、頭は割れそうなほど痛い。喉からこみ上げてくる熱い吐しゃ物の存在を必死で止めることしかできなかった。
よく見たらベテラン先生も同じようだ。
額に汗を流しながら、わたしに語りかけてくる
「いいか、よく聞いて―――青鳥真坂君は―――――異世界に―――」
ここで、プツンと意識の糸が途切れる。
わたしの意識はドス黒い闇へと落ちていった。
―――ああ、もう本当に世界が終わればいいのに。
★★☆
「あーあ、夢じゃなかったんだ」
診察室での一件、幼児退行した身体。
そして、青鳥真坂を探すこと。
なにもかもが憂鬱だった。
とにかく探そう。
わたしは、青鳥真坂を探すことにした。
ただ待っているだけでは良くない。とりあえず青鳥真坂を探すことに専念しよう。
まずは窓を開けることにした。
もしかしたら、あっさりと青鳥真坂が見つかるかもしれないと踏んだのだ。ちょっと席を外しているだけで、窓の外でわたしが起きるのを煙草でも吸いながら待っているのではないか、と淡い期待をしてしまった。
しかし、待ち受けるのは現実だった。
否、受け入れがたい現実だった。
目の前に広がる光景に、弱弱しい感想を言う。
「なにこれ……?」
どこまでも続く―――巨大な立体迷路だった。
中世ファンタジーを連想させる大理石の床。
高低差を生みながら絡み合った迷路は、まるでクモの巣のように多種多様な広がりを見せる。上
空から底なしの闇まで延々と続いている迷宮は幻想的でありながら、下から吹き上げる風はなにか良くないモノの叫び声にも聞こえる。
絵に描いたような迷宮。見たこともないファンタジー世界。
「まさか、ここが……?」
わたしは、ベテラン医師が残した最後の言葉を思い出す。
―――異世界。
もう世界なんて終わればいい、と願ったわたしは異世界へ召喚された。
★★★