真実を映す瞳 Ⅰ
僕の祖先は、史実を記録する仕事をする人だったという。僕の家系は、代々、その仕事を受け継いでいる。そして、僕の父もその一人だった。
最初にあるものは、神話であった。神々の息づく物語である。
僕の国には、「White Mythology」いわゆる、「白い神話」がある。国家、最古の書物である。この国がどのように作られ、誰が統治してきたのかを、神々の登場により語っている。
神話とは、神々を主人公にした物語。ほとんどの民族は、神話という形で自らの世界のはじまりのお話を語る。神話は、人類において、大切な文化の一つである。神話は、世界と人間の起源を語る「はじまりのお話」である。
神話は、素晴らしい。神々の息遣いが聞こえる。どんなに面白い小説を読んだって、神話の話の世界には叶わない。初めて僕が「White Mythology」を読んだのはいつだっただろう。僕がまだ話せなくて、お話を聞くことしかできないくらいの年だったと思う。子供の頃、神話は僕の絵本だった。八つも首のある龍、人と話す兎、日の神が隠れれば、世界は真っ暗闇になってしまう。何度も命を落しては、生き返る神。特に印象的だったのは、ウサギの話かな。
鰐を騙したことで、皮を剥がされ泣いている、可哀相なウサギ。兄神たちは、悪い心を持って、ウサギに間違った治療を教え、ウサギに酷い仕打ちをした。けれども、弟の幼い少年の神様は、優しい心と医療の知識を持って、救った。結果、その少年だけが、お姫様と結婚することができたのである。
僕は、この神話を読んで、怪我をして泣いているウサギを助けてあげた少年は、なんて優しいのだろうと思った。確かに、鰐を騙したウサギは、いけないけれど、怪我をしたウサギに、さらに酷い仕打ちをした兄神は、ひどいと思った。僕もこの少年のような心でありたいと憧れた。優しい者だけが、ハッピーエンドをつかむことができるのだと確信した。
僕は素晴らしい神々のお話の虜になっていた。僕は、神話から教訓を得たし、生き方を学んだ。神話は、僕に人類の本当の姿を突きつける。
でも、今、神話を手にすれば、ただの冒険話や、英雄の話では終わらない。
僕は、神話を学んでいくうちに、別の視点で考えるようになった。
ウサギの視点で考えれば、こうなるのだろう。ウサギは、本当は神様であった。この国のお姫様にふさわしい少年を選ぶために、わざと怪我をした恰好でいたのだ。ウサギにとって、これは一つのテスト。優しい心と、優れた医療技術をもった少年を選ぶための、テストなのである。頂点に立つ神に、必要な力として、医療技術は必要不可欠であった。少年は、優しい心と、優れた医療技術を持っていたからこそ、その国を統治する権利と姫を手に入れることができたのだ。
ハッピーエンドの形は、人それぞれ違う。何が自分にとってのハッピーエンドなのか?優しい者だけが、成功するのではない。お金がある者だけが成功するのでもない。どれもあるに越したことはないけど、一概に成功するとは言えない。僕は、人生は「出会いと運」も、かなり大切なものだと思う。このウサギに会わなければ、少年は少年のままだったかもしれないしね。努力も才能だし、何がいいって言い切れない。
神話研究という道に、少し足を踏み入れれば、神話の持つ魅力と沢山の謎に足をすくわれる。一つでも神話の真実の軌道に触れたのなら、雷が落ちたように体中が痺れて、青く光を放つだろう。すべてを手に入れたような気持ちになるんだ。でも、その後にどうしようもない不安に襲われて、やまない。神話は、すべてが偶然の産物に見えて、すべてが巧妙に仕組まれている。何億もの小さなパズルを一つ一つはめていくような作業。そのパズルは平面ではなくて、立体。宇宙に舞う塵のように、一つ一つのピースが宇宙に滲む。少しでも、ぴたりと合うものを見つけられたとき、背筋が凍るような気持ちになる。
僕は、あるとき、ふと疑問に思ったことがある。神様なんているのかな。神話に出てくる素晴らしい神々は、実際に存在しないのではないか。よく考えれば、分かること。本当は、僕らはみんな同じくらいの力しかない人間で、神なんて存在しなかったんだ。
でも、僕は、けっして、神話は嘘を書いた話だって、言いたいわけじゃない。
むしろ、僕は、神話には、本当の真実が書かれていると思う。
人は、空想だけで、すべてを作り上げることはできない。必ず、人々が肌で感じ、その目に映った事実の上に成り立つのだ。
神話は、人々の理想や願いから生れたものであるのかもしれない。けれど、その理想や願いは、人々の真実の叫びなのだ。
そういう、神話に隠された真実を掘り起こすのが、神話の研究。
だから、神がいるかいないかなんて、まったく関係ないことなんだ。
でも、僕は、すぐに実在するか、しないかを、追求してしまう。
だから、僕は、神話研究には向いてないのかもしれない。
けれども、僕が文学の中で、一番神話が美しいと思うことに、変わりはない。
「White Mythology」の編纂後、人々は、真実に相違し偽りを加えている現状に、疑問を持つようになる。そして、人々は、真実を後世に伝えて行くことを思い立つ。その第一人者に当たる人が、僕の祖先にあたる。その人は、「White Mythology」の次に書かれた、正史(正しい歴史)を書いた「Book of Truth(ブック オブ トゥルース)」、いわゆる「真実の書」の編纂に携わった人だった。
僕らがこうして、過去の出来事の上に、立っていられるのも、正しい真実があるからなんだ。
神話と史・記録は、まったく違うものである。神話は、物語であり、史・記録は、真実である。でも、その中に息づくものは、すべて同じである。
長い歴史の中で、人々は、正しい歴史を記し続けた。その一方で、自分に不都合な出来事は消そうとする人もいた。国を滅ぼし、新しい国を築く上で、前の国の歴史なんて必要ない。だから、人々はどんなに素晴らしい歴史もすべて焼き払った。当時の歴史書が、全く残っていない国も多い。でも、その反対にそれを守ろうとする人がいる。自分の家の壁の中に、大切な書物を埋めて、現在まで、大切に守り抜いた人を僕は知っている。
誰にでも、自分の中の消したい過去があるように、歴史にも消したい過去があるんだ。
記す人がいて、消そうとする人がいて、守る人がいる。
今でも、その追いかけっこは続いている。
父は、僕に父の後を受け継いで欲しいとは、一度も言わなかった。むしろ、受け継いで欲しくは無かったのかもしれない。
僕は、幼い頃から、知りたがり屋の手の掛かる子供だった。いつも、母やお手伝いさんを困らせていた。
でも、父だけは、僕の質問に何でも答えてくれた。大人が聞いても理解できないような難しい構造の説明まで、こと細やかに、僕に話して聞かせてくれた。
父でも、分からないことがあると、眉間にしわを寄せて難しそうな顔をしながら、「確かに、それは分からないな。これは、もっと調べて見る必要があるな。」と言って、父の愛用している、使い古したボロボロのノートに書き込むのだった。
父は、僕をいつも父の目線に立たせてくれた。
「父さんは、お空を飛んだことある?」
「お空か。もちろん、あるよ。飛ぶというより、浮かんでいたのかな?」
「どういうこと?本当にお空を飛んだことあるの?鳥みたいに、翼を広げて?でも、父さんには翼なんか無いじゃない。」
「うん、父さんには鳥のような翼はないね。けれどね、父さんはお空を飛んだことがあるんだよ。」
「どうやって?」
「父さんは、お空に浮かぶ学校に通っていたんだ。」
「お空の学校?」
「そうだ。厚い雲の上に、あるんだよ。なぜ、その学校が空に浮かんでいるのかは、今の研究では分かっていないんだよ。」
「お空の学校へは、どうやっていくの?父さんは、どうやって帰ってきたの?」
「そのお空の学校は、一年の内に、数回は、陸地に着陸するんだ。何かの周期を持っているのかもしれない。本当に、謎が深いな。」
「すごいなぁ。」
「父さんはね、その学校に通いながら、いろいろな物を目にしたよ。昨日と明日がまったく逆に来る町にも行ったし、魔法という不思議な力を使える人にもあったこともある。あの頃は、本当に楽しかった。」
「いいなぁ。僕も父さんみたいに、その学校に行ってみたい。」
父は、いつも僕をひざに乗せて、いろいろなことを教えてくれた。父さんの話を聴くのは、何をしている時よりも楽しかった。
僕が父の仕事について、興味を持ち始めるには、そう時間は掛からなかった。
父の仕事は、真実を記す仕事だった。その言葉通り、自分の目にしたすべての事実を忠実に書き残していく仕事である。父が、空に浮かぶ学校、スカイバード学院に入学を決めた理由は、多くの事実をこの目で見ることができるからだ。
父は、学校へ通い始めると同時に、仕事を受け継いだ。学校の勉強と仕事を両立させていた。
父は、真実を記録する仕事の話をする時、いつも悲しい顔をする。
それは、父が、自分の仕事のせいで、学生時代の大切な友人の命を、無くしたからだ。
父の仕事は、ただこの目で見た真実を記すだけだけれど、それは、とても危険な仕事だった。いつも命を狙われていた。空に浮かぶ学校にいたことで、幾分は敵との接触を防ぐことができていた。
僕が今、父さんと同じ危険な立場に立っているからこそ、このことは身に染みて、よく分かる。僕らの記す、真実を書き換えようとするもの、偽装しようとする者、消そうとするもの、記す権利を奪おうとするもの…。
僕らの命を狙う者は、本人が来る場合もまれにあるが、大体は影の人(殺し屋)に頼む場合が多いのが、現状だ。
どんなに命を狙われても、僕らは、絶対に、書いた真実を守り抜かなくてはならない。
父は、学校を二十歳で卒業すると、空で暮らすことも止めて、陸に足をつけた。
卒業後もしばらく、仕事は続けていたが、結婚と同時に辞めてしまった。きっと、それは家族を守るためだったのだろう。
今は、父が、今まで執筆された、すべての書物を管理する仕事についている。父の本だけでも膨大な数があるが、それ以外にも、守るべき貴重な資料を数々を全て管理している。父は、書籍の回収から、資料の分類、目録の管理まで、一から始めた。父が立ち上げたこの仕事も、今では大きな機関の一つになり、国家遺産の一つである。多くの護衛がつき、完璧な管理体制の下で、資料を守り抜いている。
真実を記すということは、危険なことだ――
わたしが残しておきたい真実は、誰かにとって、消してしまいたい真実。
真実を変えることはできなくても、真実を記したものを改ざんすることはできる。
消すことはできる。
その筆を握っているだけで、わたしはいつも死と隣合わせなのだ。
わたしは、その真実を命や金に、代えた人を何人も知っている。
そして、その真実を守ろうとして、命を落した人も知っている。
何を責めればいいのか。
何を憎めばいいのか。
わたしには、分からない。
この瞳が、真実を映すことができなくなったのなら、わたしはこの筆を置こう。
いつまでも、その瞳を汚してはならない。
お前には、その身を真実に捧げる覚悟があるか――
僕が父の仕事を受け継ぐことを決めたとき、父は何も言わなかった。
僕は今、かつての父と同じ、空に浮かぶ学校、スカイバード学院にこの身を置いている。