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END

 その日の夜、緊急連絡網が回ってきた。電話は母親が取ったようで、コール音は数回鳴ると止まった。そして夕食に手を付ける気にもなれず、部屋で寝ていた幸来に母親が告げた。

 錦子が行方を眩ましたらしい。

 彼女の事なんか、どうなっても良いと普段から思っていたし、この前だって首を絞めて、もう少しで殺してしまうところだったかもしれない。だがその連絡を聞かされた時、とても嫌な感覚だった。

 それに、下校したときには善紀と一緒にいた。あの後遊びに行った先で行方が分からなくなったのか?

 それとも……

「また行方不明なんて……幸来、しばらく学校には行けないかもね……」

「…………」

 母親から掛けられた声に幸来は返事を返さなかった。

「おじさん……」

 幸来は身体をベッドから起こすと、母親が引き止める隙さえ与えず、家を飛び出していた。



 母親が今とても心配しているのだろうと思うと心が苦しかった。だけど、確かめなきゃいけない。幸来はそう自分を納得させ、人通りのない道をひたすら、愛梨の家へ向かっていた。

 愛梨の家の前は妙なほど静かに感じた。ろくな準備もなく家を飛び出したことに、突き刺さるような寒さから後悔したが、不思議と怖いと言う感情は無かった。

 ここに来たのは愛梨がいなくなった次の日ぶりか。その時も何かを確かめに、ここに来た気がする。

 階段を上り、奥から二番目の扉の前で止まる。外から見ても部屋に明かりはついていなかったが……善紀はいるのだろうか。

「…………」

 心臓の鼓動が高鳴り始める。ここまで来たらもう戻れない。呼び鈴を鳴らそうとボタンを押し込むと、すぐに高い金属音を立てて扉が開いた。

「幸来ちゃんか…………」

 部屋の暗がりから青白い顔だけ浮かび上がらせ、善紀が現れた。虚ろな表情を変えずに扉を大きく開け、幸来を招き入れるように「おいで」と声をかけた。

 幸来は言われるがままに部屋に入ってしまう。善紀がいたにも関わらず真っ暗で、照明をつけると大量のゴミが散乱していた。幸来は先に座った善紀に対面するようにテーブルの向かいに座った。

「おじさん……愛梨は……」

「もう愛梨は……」

 二人はほぼ同時に口を開いた。善紀は頭を抱えて、幸来の事を一瞥もせずに続けた。

「もう愛梨は帰ってこない……っ。どこを探しても、どんなに祈ってもっ」

「……どうして……」

「愛梨の気持ちがわかってやれなかった。助けてやれなかった……」

 幸来の言葉は善紀には聞こえていないようだった。独り言のように、善紀は呻き続けた。

「おじさん……今日、錦子と話してたよね? あの後……」

「君が、娘と出会わなければ……」

 えっ……?

「愛梨が何処かへ行ってしまうなんて無かったのに……」


     ◆◆◆


「どうして手掛かり一つ見つからないんだ……」

 善紀は部屋の明かりをつけると、崩れ落ちるように布団に横になった。あの日から敷きっぱなしの布団。部屋も食べ終えた弁当の容器やらが散らかり始めていた。

「…………」

 善紀はおもむろに立ち上がると、娘の部屋に入った。そして何か手がかりがあるのかもしれないと、心苦しくも彼女の机を調べ始めた。しかしこれといった手掛かりはなし。当たり前だ。愛梨がいなくなってすぐに鑑識が調べたのだから。自分だって、もう何度も家の中をひっくり返すように、手がかりを探したじゃないか。

 気休めにしかならないとわかっていても、同じところを何度も探す。机、引出し、押し入れ、本棚、家具の裏。思い当たるところは全て探した。手がかりと成りえる「何か」を探して。

「……」

 ただ闇雲に薬を欲しがる中毒者のように、善紀は部屋を荒らした。だがそれだけだった。もう娘が住んでいたとは思えない、物が散乱しきった部屋。自分が娘との日常を破壊しているようで、善紀は自分が引きずり下ろした本棚の中身を見つめながら、悲しみが吐き気に変わるのを感じ、込み上げる酸を必死に抑え込む。

「はぁっ……ハァッ……。……何だ…………?」

 ぼうっとした視線の先に一冊のノートが浮かび上がった。

 表紙に『diary』と書かれたノート。タイトルの通り、中の内容は日記だった。

「愛梨……」

 こんなものどこにあったのか。そんなことを思ったが、今は娘が残していた「記憶」を読むのに我を忘れていた。丸みを帯びた娘の字が楽しげにその日の思い出を語るそれを眺めていると、自然と笑みを浮かべていた。

 しかし、読み進めていくと気になる文があった。

『今日はペンケースを隠された。そうせ錦子達だってわかってたから、さっさと返してもらった。サラの次は私をいじめようって気らしいけど、私は負けないから!』

「……いじめ?」

 思わず口から洩れる『いじめ』という単語。

「……確か一度だけそんなことを聞いたような……」

 日記を読み進めていくと、その日、誰に、どんなことをされたかが書かれていた。時たま下らない悪戯程度の物もあり、「こんな些細な事か」と少しでも思ってしまった。その時、それがいかに残酷なことかと善紀は思い知った。

 他人にとって些細なことでも、娘がどれほど傷つき、苦しんでいたか。それが一瞬でもわかってやれなかった自分に失望した。

 ページをめくっていくとクラスメイトによる虐めは徐々に過激になって行き、より陰湿に、辱めを受けるような、精神的に彼女を追いこむ内容に変わって行った。

 一日分の日記の最後には自分も父親のように強い人間でありたいと、強い志が書かれているページもあったが、それも後のページに行くにつれて父親に対する助けを求める声に変わって行った。

 日を追うごとに文脈も要領を得なくなってきた。彼女の苦しみその物が這いずったような乱れた文字列。

 父親はページをめくるごとに涙を流し、娘がこんなにも苦しい思いをしていたのに気付いてやれなかった自らを悔いた。

「すまない…………愛梨……」

 許しを請おうなんて思わなかった。善紀は父親として、全て受け入れた。胸が押しつぶされる感覚が襲った。

 ついに最後のページ。隣のページには何も書かれず白紙のままだ。日付は愛梨が失踪する数日前。ここに失踪した理由が書いてあるかもしれない。

「…………この日は……」

 善紀はこの日付に覚えがあった。



「お父さん……私虐められてるの。今まで我慢してきたけど、もう耐えられないの!」

「お父さんは正義の味方でしょ!? だったらアイツらをやっつけてよ……!」

「どうして!? 私を助けてくれると思ったのに!」

「正義なんて嘘だ! 悪い奴に罰を与えるのが正義なんじゃないの……?」



『もう誰も信じられない』

 最後のページには一言だけ、そう書かれていた。

 ほんの二ヶ月程前の記憶なのにとても遠い記憶のように、ぼんやりとした記憶としてそれは蘇った。

 あの時、私は何故娘を救わなかったのか?

 繰り返しその疑問が頭に浮かぶ。ぼんやりとした意識の中、窓から差し込む夕日が身を焼いた。

「私が間違っていたのか……」

 涙も枯れ、吐瀉物を飲み込んだ喉も水気を失い、全てが乾いていく。絶望を味わった。

 どこからか子供たちの声が聞こえた。無気力に窓へ歩み寄ると下校中の中学生が見えた。見慣れた制服。

 見ると一人の女の子を囲むようにして数人の女子が話している。中心にいる女子生徒は四つほどの鞄を腕にぶら下げている。無邪気笑い声が響く。

 それはただ、彼女らにとって遊びに過ぎなかった。ジャンケンによって決められた人が、全員分の荷物を持つ。くだらない遊び。

 しかし今の善紀にとって、何に見えただろうか。生気の感じられない淀んだ瞳が彼女ら姿を映した。そこに移った少女たちは悪魔のように歪んだ笑みを浮かべていた。

「正さなければ……」


     ◆◆◆


「愛梨が何処かへ行ってしまうなんて無かったのに……」

 善紀はぬらりと立ち上がると、テーブルを乗り越えて幸来の首に手が伸びてきた。

「君が……大人しくいじめられ続けていれば……愛梨は……」

 意味が分からなかった。

 いじめられ続けていれば……?

 だから愛梨は消えてしまった……?

「ぐっ…………」

 信じられない力で首が絞めつけられた。首の血流が止まり、顔の表面が張るような、内側から破裂するような感覚。息もできない。声も出せない。

 幸来にその強大な力を跳ね除ける力など持っていなかった。意識はまだはっきりとしている。だが、状況に考えが追い付かない。

 錦子が私に首を絞められたとき、彼女はこんな感覚だったのか。

 次の瞬間に自分は死ぬのだろうか? 

 一秒ごとにその疑問が頭をよぎる。

 次の瞬間か? 生き延びた。

 では次の瞬間か? また生き延びた。

 いつ来るかわからない命の限界が、確実に近づいているのがわかる。

 人が死ぬとき、こんなに苦しいものなのか。

 幸来は自分が錦子にしたことの残酷さに気づいた。いくら過去に私が彼女に苛められていたとしても、許される行為ではけしてなかった。

 意識が遠のいてきた。視界に黒いもやが掛かり始める。

 (ばち)が当たったのか……?


     ◆◆◆


 その後、関内家で一人の少女が発見された。一時は意識不明であったが、数日後には回復した。

 部屋で見つかったのはその少女だけで、家の主であり、容疑者である関内善紀は見つからなかった。双泉町近隣の山の中で善紀と思われる男が目撃されたが、それ以降の情報は無く未だ行方不明である。

 同日、行方不明となっていた被害者少女と同じクラスの女子生徒は二日後、関内容疑者宅の近くを流れる川の下流から見つかった。警察は一週間前の少女撲殺事件、また二か月前から行方不明となっている容疑者の一人娘もこの事件に関連していると、捜査を進めている。

 ニュースで報じられた一連の事件の概要。幸来は病院のベッドの上でそれを見た。

 少し背筋を伸ばし、窓から外の様子を伺うと、リポーターと思われる女性と、カメラなどの機材群を担いだ男達が病院の前にいた。私のことでも話しているのだろうか。

「はぁ……」

 体調は回復したが、幸来の心は空のままだった。

 あの時、善紀は幸来のせいで愛梨が消えたと言った。その言葉の意味が、幸来には分からなかった。

 


未熟な文章を晒し、お恥ずかしい限りです。よんでいただきありがとうございました。あとがきでは本文だけではわかりにくい部分の補足、というか後付をしたいと思います。本文中に盛り込め、という話ですが…。

幸来は小学校時代、錦子らにいじめを受けていました。その頃の幸来は作中の強気な態度を示すような女の子ではなく、どちらかというと典型的ないじめられっ子、というイメージに近いです。そんな幸来を愛梨が助けます。それは父親譲りの正義感からの行動でした。結果的に幸来は錦子のいじめから逃れることができます。この事件以降幸来と愛梨は親友に、とくに幸来は愛梨にある意味の憧れを持ち始めます。その憧れからか幸来は性格や容姿を愛梨に似せるようになります。

しかし問題はここからです。日記の通り、いじめのターゲットはサラからアイリに変わります。

最初こそ愛梨はいじめに耐えていました。幸来には「自分の代わりに愛梨が嫌がらせを受けている」と思われたくなかったのでしょう。また大人に相談するにも、いじめっ子(=悪)に屈するのが嫌だったのかもしれません。幸来の愛梨に対する「憧れ」という物が、愛梨を縛っていたとも言えます。


 また、愛梨は自分から身を眩ましたわけですが、どこへ行ってしまったのか、気になる人もいるかもしれません。明確な場所はあえて示していませんが、「神隠し」にあった、と考えてもらうと良いかもしれません。とりあえず、もう善紀の元へ帰ってくることは無いでしょう。彼女は行方を知らせる手がかりを何一つ残さず、消えてしまいました。父親である善紀にとって娘に謝ることも、死に顔を拝むことすらできないのは最大の苦痛ではないでしょうか。だからこそ、彼は娘への贖罪と娘を奪った「イジメ」に対する復讐心に駆られ、狂ってしまった……。とまぁそう言う事にしておいてください。

おつかれさまでした。


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