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 愛梨がいなくなってから二ヶ月が経っていた。季節は秋から冬へと移り変わり、今年の双泉は雪が降るのではないかというほどの冷え込みだった。

 愛梨の捜索はこの二ヶ月の間行われていた。今まで双泉の街にそれほど見られなかったパトカーが一日に数台は見られ、学校側にも不審者の情報や、警戒するように、といった通達が届いたそうだ。

 だが徐々に町の中でパトカーを見る回数も少なくなり、幸来の通う学校でも愛梨の話題が話されることも無くなりつつあった。学校側は生徒たちにできるだけ友達同士で一緒に帰るように呼び掛ける、また最終下校時間を六時から五時に早めるなどの対策が取っていたが、それも十二月には解除される予定だった。

 そんなときにそれは起こった。

「これは酷いな……」

 一人の警察官が思わず言葉を漏らす。吐き出された言葉は凍てつく外気に触れて白く濁り、警官の前にあるモノに降りかかるようにして消えた。

 それを一緒に見ていたもう一人の若い警官は突然手で口を押さえ、沸き上がる酸を押さえ込んだ。

「吐きそうになるなら見るな。……おい、運んでくれ」

 刑事らしい太った男が恐ろしく生臭い匂いに顔をしかめながらも鑑識に命令する。

 太った男も目を閉じ、あまりそれを視認しないようにしていたが、視覚以外の感覚がそこにあったモノを確実に感覚していた。

 丈の短く見えるスカートから生えた脚にはところどころ黒く変色した打撲痕。雑草に這うように伸びた茶色がかった長い髪は何かで毛と毛が貼り付きあい、固まっていた。頭を執拗に撲られたのだろうか。最初見たときはどこが頭なのかわからなかった。というより、人間だったのかどうかわからなかった。変形、変色の限りを尽くした……とても人間だったとは思えない……肉。

「凶器はそれか」

「はい、死体と同じ場所に落ちていました」

 鑑識が袋に入れた金属の棒らしきものを見せた。透明な袋の内側に擦り付けたように血が張り付いていた。

「あの…」

「……なんだ」

 先ほど吐き気に襲われていた若い警官が息を整えながら刑事に聞いた。それにうんざりしたように返事を返す。

「その……関内さんの娘さんでしょうか……」

「……」

 予測できた質問。それに続く沈黙。ある意味それが回答になり得たが、それを否定するように刑事は口を開き、

「まだわからん」

 と呻くように言った。



 騒がしい。

 自分の教室を前に幸来は思った。

 扉を開くと教室中の目が幸来を見つめた。その目は恐怖に怯えた目、心地よい興奮を覚えている目、様々だった。それらは幸来を一瞥すると再び元の場所に視線を戻した。

「何……?」

 幸来は訳が分からないと言った様子で席につく。その間に誰も話しに来ないのも妙だと幸来は思った。いつもなら誰かが話に来てもいいのに。

 教室内に漂う異様な雰囲気を疑問に思いながら、机の上に鞄を置き、それをクッションのようにして突っ伏す。寝心地は良くは無い。だが、こうしているのが楽なのだ。

 机に突っ伏すとクラスの四方に固まる女子グループから声が聞こえてくる。恋愛の話、噂話、そして陰口などという女子が好きな類の話は訊こうとして耳を傾げれば聞こえなくなるのに対し、聞きたくもないのに聞こえてくるものだ。幸来は知っていた。

「ならアンタが言いなさいよー」

 早速聞こえてきた。クラスで一番大きなグループだ。

「え、でも幸来きっと知ってるよ……」

 私?

「今は知らせない方が良いかもね」

 何?

 今度は他のグループから。

「パトカー止まっててさ、人が死んでたらしくてー……」

 どういうこと……?

 聞こえてくる台詞は繋がらない。でも明らかに皆は私に何か隠していた。それは分かっていた。

「それがさ……ウチの制服着てたらしいよ……」

 ……え?

 嫌な予感。心臓が早鐘を打ち、冷たいところに堕ちていく感覚。手が震え、足が震え、歯がかちかちと音を立てた。

 幸来の緊張を煽るように言葉が交錯する。

 それにとどめを刺すように教室の後ろで陣取っていたグループの女子が言った。

「まだわからないけど、それ、きっと愛梨だよね」

 愛梨の名前に反応し、幸来は立ち上がる。大きな音を立てて椅子が引かれ、跳ね上がるように起立。その音にクラスの全員が幸来の方を見つめた。幸来は揃えられた机の列を編んで、窓際に腰かけていた女子生徒に歩み寄った。錦子もいたが、我関せずと言った様子でそっぽうを向いている。

「今の話、どういうこと?」

 それまでの喧騒が嘘のように静寂に変わり、誰一人、指一本動かせなかった。

 幸来は涙ぐみながらその女子生徒を睨み付けた。

 その様子を見て、慌てて別のグループの一人がなだめるように声をかける。

「だ、大丈夫だよ。愛梨ちゃんって決まったわけじゃないんだから……」

「じゃあ……っ」

 幸来は目の前できょとんとしている女子に小さな手で掴みかかった。

「なんで! なんで愛梨の名前なんて出すんだよ! ふざけんな!」

 自分でも何に怯えているのかわからなかった。だが、張り上げる声も、彼女の制服を掴む手も、全部震えていた。

「何本気になってんの?」

 先ほどから傍観していた錦子が呆れたように言う。

「ただ冗談で言っただけでしょ? 冗談も通じないわけ? アンタ小学校の頃から面白くないよね」

「っ……」

 過去の傷を抉るような言葉に少し怯む。嫌な思い出がフラッシュバックしたが、その光の明滅の中にも愛梨がいた。そして怒りが増す。

 冗談? そんな不謹慎な冗談が許されるのか。

「そ、そうだよ。冗談で言ったんだって。幸来、落ち着いて」

 言い返したかったが、何か言おうとすると声が裏返り、泣いてしまいそうだった。

「それにさぁ」

 錦子が続ける。

「愛梨の父親、今ずっと家に籠ってるらしいよ。どうせ愛梨が見つからないから病んじゃったんでしょ? なんかもうこの話、終わってんだよね。もう二ヶ月ぐらい経つし、正直、もう死んだようなもんじゃん」

 言い終えると短い溜息を吐いた。そのあまりの非常識さに幸来は呆然とした。有り得ない。

 殺してやりたい。

 次の瞬間には幸来は錦子に飛びかかっていた。胸元を掴み、床に引きずり下ろすとその上に跨り、両手を膝で押さえる。息を荒らげ、相手の体のどこを痛めつけてやろうかと目を這わせる。

 周りにいた数人の女子生徒が幸来を止めようとしたが、その時にはすでに幸来は相手の首に指を回していた。

 これほど力いっぱい人の首を感覚したことは無い。皮膚の内側からの熱を指いっぱいに感じ、堅い肉の輪郭がはっきりと脳裏に浮かび上がった。

 嫌な感覚だ。思わずこれ以上締め付けるのを躊躇うほどだ。今まで生きてきた中で、一番嫌な感触ではなかろうか。しかし、幸来にはこの女を許すほど甘くは無かった。幸来の中の、揺るぎない「何か」が彼女を突き動かす。

 幸来の肩と二の腕を数人の生徒が引っ張り上げ、何とかその腕を錦子の首から引き剥がそうとするが、掴んだ首ごと持ち上がり、より強い負担が錦子を襲った。

「おい! 何してる!」

 ただならぬ雰囲気を感じたのか、教室にできた人だかりに向かって廊下を通りがかった教師が大声を上げた。その声にはっと我に返り、今まで感じていた指の感覚が悪寒に代わり、首から指を離した。教師の男が人をかき分けて二人の姿を見るころには幸来は憔悴したようすで錦子の上で放心していた。

「何してるんだ!」

 教師は状況を判断しようとするが幸来は何も言わず、下敷きになっている錦子も幸来とも教師とも目を合わせようとせず、そっぽを向いていた。

「……とにかくお前ら席につけ。緊急だ」

 それ以上は詮索しない、それどころではない、と言った様子で教師は教卓へ向かった。

 幸来を押し退けるようにして錦子は這い上がると誰にも声を掛けず、席についた。それに続く様にぞろぞろと席につき始める生徒たち。何とか幸来も落ち着いたのか、床から立ち上がり、埃を払って席についた。

「……とりあえず出席を取るからな。ちゃんと返事しろよ」

 いつもより険しい表情で点呼を始めた。その間、教室にいた生徒全員が、幸来と、錦子の様子を横目で確認していた。幸来は顔を覆うようにして机に肘をつき、錦子は首を気にするように手で擦っていた。

「……全員いるな」

 点呼を終えた教師が安心したように言った。しかし、『全員』という言葉に疑問を抱いたのは幸来だけではなかった。

 関内愛梨の名前は名簿にはもうないのか。

「落ち着いて聞いてほしい。知っている人もいるかもしれないが……」

 教師も動揺を隠せきれないといった様子で、一息には全てを伝えられなかった。教室を見回し、今度は教卓に視線を落とし、そして言った。

「人の遺体がここから遠くない空き地で見つかった。……どうやらウチの制服を着ているから……ウチの生徒のようだ」

 うちの生徒。幸来は確信した。覚悟と言ってもよかった。その生徒と言うのが、愛梨だということを。

 教室が静寂に包まれた。誰一人として口を開こうとはしない。

「……今から言う事は生徒には言うなと言われているんだが……」

 しばらくの沈黙から、今一度男性教師が口を開いた。

「君達には、言っておくべきだと思う。でも、絶対に他言しないと約束してほしい。あと、それ以上の憶測はしないでほしい。先生に対する詮索も。僕が伝えられたことは、これだけなんだ」

 普段は見せない精一杯の先生の態度に、生徒の意識もその一人の教師に向いた。幸来は先生の告白に耳を研ぎ澄ませる。

 最後に念を押すと、中年の男性教師は身体の奥にある毒を吐き出すように、言った。

「見つかった遺体は……関内さんの物ではない」


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