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 せっかくの三連休のその二日間が台風のせいで家から出ることはできなかった。昨晩も窓に吹き付ける風のせいで眠りが浅かったが、今日は昨日までの雨が嘘のように晴れ、いわゆる台風一過となった。およそ二日ぶりの雲一つない青い空を楽しむわけでもなく、幸来(さら)は足早にバスの停留所へ向かう。幾人かの学生が並ぶその列に彼女も身を添えるとすぐに右手の方からバスが向かってきた。

乗り込むと客たちの雑多な話し声が聞こえてきた。その話し声の一つから聞き覚えのある名前が耳に届く。どうやらバスの後部座席に座る女生徒のようだ。

「関内さんってわかる? えっと関内……アイリ……だったかな。ウチらの学校の一年生なんだけど……」

「知らないけど……その子がどうかしたの?」

見た目幸来より上級生らしい女生徒の話し声に幸来は耳を傾けた。

 愛梨(あいり)。幸来の小学校からの友達の名前だ。

「その子、近所に住んでるんだけど、……三日前から家に帰ってないんだって」

「どういうこと?」

「家出……らしいよ。わかんないけど」

(……家出?)

 その時、満員寸前のバスがカーブで大きく揺られ、つり革を掴む指が強く締め付けられた。後ろからは他の女学生が背負った学生鞄が圧力をかけてくる。彼女のショートの髪も乱れるが首を振って直すこともできない。

(っ……前に抱えるなり下ろすなりしなよ……)

 小さな唇を吊り上げ、不機嫌な態度を取る。そして小さく溜息つき、先ほどの言葉を思い出した。

 金曜の夜、愛梨の父親から電話があって愛梨がそっちへ行っていないかなどと聞かれた。その時はただ帰りが遅くなっているだけだろうと幸来は心配もしていなかったが、先の女生徒の話を聞く限り、愛梨はまだ家には帰っていないようだ。

(どうしたんだろう……愛梨。家出なんてしないと思うんだけど……)

 バスに揺られること十五分。幸来の通う(とう)(おう)中学は私立中学であったが、双泉に女子中学校はここしかないため、幸来の通っていた小学校で中学受験した女子生徒の殆どはこの学校へ流れ込んでくる。

「次は~橙桜中学前~。橙桜中学前でございます。優先席付近では携帯電派の電源を――」

 アナウンスが入る。降りる人間は大勢いるはずなのに誰も降車ボタンを押さない。仕方ないな、と手を伸ばし、ボタンを押し込む。先まで流れていたアナウンスを遮り、次の停留所に止まるというアナウンスに切り替わる。

 人の波に流されるようにして幸来は停留所に降り立つ。締め切ったむさ苦しい車内から解放された余韻を味わう暇もなく幸来は校門へと走り出す。なんとなく、教室に行けば新しい情報が得られるかもしれないと思ったからだ。

 一年の教室は一階。クラスの前の壁に設置されたロッカーに革靴をしまい、一段と騒がしい教室内に入る。

 いつもは愛梨が座っているはずの椅子には誰も座っておらず、その机の方をちらちらと見ながら話す女子のグループがそこかしこに輪を作っていた。

 自分の席、愛梨の席の斜め前に幸来が座ると数人の女子が幸来のことを囲んだ。

「ねぇ、愛梨ちゃんホントに誘拐されちゃったの?」

「え?」

 教室に入るなり最初の質問。しかしその質問は幸来にとって初めての情報であり、それも意外な質問だった。

「誘拐?」

 そう幸来が聞き返すとそのグループの中核の女子が小声で耳打ちした。

「あの子たちがそう言ってたんだけど……」

 教室の端にまとまっている四人の女子グループをあちらから見えないように指をさす。それを見て幸来は不快だと言うように顔をしかめた。

「あいつら……」

 彼女らはいつも四人だけでつるんでいて、四人以外とは関わろうとしないグループだった。噂好きで、いつもあることないことを仲間内で言い合って面白がっている連中だった。そしてそのグループの中心にいるのが、

錦子(しきこ)……」

 錦子、というのは幸来、そして愛梨と同じ小学校出身の女生徒だ。

「気にしなくていいよ、あんな奴ら。誘拐なんて初めて聞いたしさ」

「そうなの? よかった~。誘拐なんて怖いもん」

 ほっと胸をなでおろすように息をつき、そのグループは幸来の机から離れた。それを見送り、改めて椅子に深く座り直す。

(誘拐……そんなわけないよね)

 幸来は誰かに愛梨のことを聞くわけでもなく、机に頬杖をつき、教室の中を見回した。後ろの方から声が聞こえてくる。

「アイツの父親、三日前の夜からめっちゃうるさかったらしいよ」

「アイツって、愛梨の?」

「それ以外に誰がいるんだよ」

 遠くからでも彼女らの会話はよく聞こえる。あまり聞きたくはなかったが、幸来はその声に耳を澄ます。

「今日近所のおばさんの立ち話聞いたんだけどさ、アイツの父親が嵐の中、近所の全部の家を周って『愛梨が来ていませんか』って聞きに来たらしいよ~」

「うわっ」

「で、アイツの父親、警察じゃん? だからなんか勝手にすごい責任感じちゃってたらしくてー」

「ありそー」

 面白がる錦子の声が妙に大きく聞こえた。

「『なんでお父さんの前からいなくなっちゃったんだー』とか『私から娘を奪ったのは誰だー』とか言ってたらしいよ」

 下衆な笑い声が聞こえる。嫌な奴ら。他人だからってそれを面白がるなんて、人としておかしい。

 幸来は沸々と湧いてくる怒りを抑える、視線を机に落とした。

「そのオバサン、そんなこと言われても、ってカンジだろ! てかなんでそんなにオバサンの話聞いてんだよ!」

「だってぇ、面白そうだから、その場で立ち止まって聞き耳立てちゃったよ~」

 もうすでに幸来の怒りは限界に達していたが、動けなかった。

「でも~、誘拐とか怖くね?」

「怖い怖~い。でもさ、ホントに誘拐かな?」

「別に愛梨可愛くないしさ、喧嘩吹っ掛けられて、それでやられちゃったんじゃなーい?」

「あ~あり得るかも~。ほんっと生意気だったもんね」

「だったら私嬉しいかも~」

(!!)

 錦子の言葉に、幸来は今すぐにでも立ち上がって、二度とくだらない話をできないようにしてやろうかと思った。しかし脚が震えて力が入らない。その時、

「ほら、すぐに席につけ!」

 担任の教師が教室の扉を開いた。

 幸来は呼吸を整え、少し椅子から浮かせた腰を再び椅子に戻し、誰にも聞こえない小さな舌打ちをしてやった。

「やっぱりあいつらクズだ」

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